257/モウイチド!
八月十九日。夜。
日本国は「S市」、空瀬神社の敷地内を歩く男女がいた。ジョーと志麻だ。日付が変わるまであと数時間の猶予があった。全ての期限であるアスミの誕生日――八月二十日に、二人は間に合ったのだ。
黒い棺から繋がれている鎖を肩にかけて、ジョーはアスミが待つ境内に向かって歩いていく。
棺の中にはアスミの十三体目の義体が入っている。飛行機での移動の際は、認識阻害のリボンで色々誤魔化した。
御神木の前にアスミは立っていた。
待っていたのだろう。穴が空いた身体を包むように既製品の衣服を身につけて、髪はいつものツインテールにまとめている。
もう間なく、彼女を存在させ続けた、弓村理子と空瀬弓姫から譲り受けたこの地の十二年分のオントロジカも切れてしまう。今の彼女は、人間のようでいて、人形のようでもある。月明りが映し出す彼女は、どこか幽性で、一瞬あとに消えてしまっても、誰も気づかないような。一方で、その朧さが美しい。儚く秀麗な少女像だ。
でも、その誰かが願った淡い絵空事みたいな彼女でも、この現実と共に生きられるようにするために、ジョーはスロヴェニアまで行ってきたのだ。
「帰ってきた、よ」
事の次第はリンクドゥで既に連絡済みである。
実際にアスミの顔をこうして再び見られて、改めてここまでやり遂げられて良かったと思った。
とはいえ、まだまだ色々ここからである。
さて、まず、リンクドゥでも前もって伝えていない、宮澤ジョーの一世一代の時間である。
「あー、ドキドキする」
自信なさ気に肩を落とすジョーに対して。
「スロヴェニアでの勢いはどうしたの。言え! 言っちゃえって!」
後ろから、志麻がはっぱをかけた。
「そう言ってもな……戦ったりとも、また違うぞこれ」
「ジョー君? 何?」
訝しむアスミを前に。
深呼吸して。
「アスミは断れる。指輪に能力を再譲渡できるから。申し出を断っても、ちゃんと一人でこの先も『再臨』を繰り返しながら生きていける。その上で……」
帰りの飛行機の中でとか、事前に言葉を色々考えていたのだけど、結局アドリブにした。
「晩婚化の社会情勢だけど、ひいじぃーじは十六で結婚したらしい。早いってことはない……と思う。もし、ここから先、一人でよりも二人での方が好ましいって思ってくれるなら……」
自分の核心からの、告白。
「アスミ、好きだ。俺と、結婚してくれ」
アスミは、瞳を瞬かせた。
「ふぅん。ジョー君、私のこと好きだったんだ」
アスミは、視線を上方に向けて、暗闇の中で揺れる御神木の青葉に目をやった。彼女の胸中は。
「私がこう、気にするとは、思わなかった?」
諦観と希望との間を、ずっと行ったり来たりしてきたようなアスミは。
「だって、迷惑かけるもの。ずっと面倒がかかる奥さんなんて、バカげてる……って」
そういえば再会の日。アスミは自分のことを一方方向に流れていくベルトコンベアーに乗れない存在だと語っていた。自分のことを●●●●なんて言っていたんだ。でも今なら、ジョーには勢いだけじゃなく、その点に関して心から納得している言葉を伝えることができる。
「それは少し違うって、アスミももう知ってるじゃないか。人間、絶対誰かに面倒かけながら生きてるって。俺もだ。自分だけ誰にも寄りかからずに生きていけるなんていうのは、ない。
でも分かってる。そうじゃなくて、自分が寄りかかる相手は、誰でもイイってわけじゃないって話だよな」
そこは、誤魔化せない。誤魔化しては、ダメだ。大きく息を吐いて、再び深呼吸をして、間を置いてから。
「もう一度。アスミ、愛してる。アスミが寄りかかってもイイって相手、俺じゃ、ダメか」
「待って。十秒、十秒、考えさせて」
そう言ってアスミは後ろを向いた。
その十秒で女が何を考えたのか。男は最後の別離がくるその時まで、知ることはなかった。
夜の微風が佇む男女の体を撫でていった僅かな間のあと、ポツリとアスミは。
「分かった。結婚する」
彼女が振り返る時に、前髪が揺れた。
「凄い、大変な人生になるよ、きっと?」
「それは、正直少し怖い。だけど話を聞いてると、ひい祖父ちゃんの時代も、祖父ちゃんの時代も、父さんの時代も大変そうだったんだ。だから、俺の時間だけ楽ちんだ、なんてことはないと思ってる」
今までも。これからも。何度でも。
「アスミ、愛してる」
「その……私も、好きだよ。ジョー君」
見つめ合う二人を前に。
「ちょうど、指輪じゃないですか。私が仲人になってあげる。『再臨』ってやつを、済ませてしまいましょう」
志麻が提案した。ちゃんとした式をあげている時間はない。だから、アスミの指輪をはめ換えること自体を、結婚の儀式にしようと。
アスミが左手の薬指につけていた指輪について。『再臨』の儀式の鍵となるものであったが。
ジョーは改めて、アスミが『非幸福者同盟』の詩の題名を知っていた理由に想いを馳せた。
この指輪が本来なら祖父から誰に贈られる予定のものだったのか……、アンナお祖母ちゃんだ。夢守永遠だ。
男と女は向かいあった。
ジョーは、ゆっくりと背中の紫色のパスを通して『構築物の歴史図書館』の使用体勢に入る。二〇〇一年にスヴャトがやった方法だ。
ジョーが両手をアスミに向かって掲げると、棺の「封」が解かれ、十三体目の義体が浮遊を開始する。
二つのアスミ。
十二体目のアスミの身体から、十三体目のアスミに指輪をはめかえれば、「再臨」は完了する。
ジョーはゆっくりとこれまでのアスミに近づいて、左手の薬指に指を置いた。
紅色と蒼色が混じり合う光の中で、アスミの口元が静かに動いた。
ジョーは優しくその言葉を受け取ると、朗らかに笑ってみせた。どうせなら、陽気にいきたいと思ったのだ。
それじゃ。
もう一度、この言葉を使うよ。
アスミと。
それとこの世界と。
「『共存・開始』」
ジョーが鍵となる言葉を口にすると、紅の光と蒼の光が交差し、二つのアスミは紫色の光に包まれた。
///
世界が明滅すると、アスミは灰色の荒野に立っていた。
地の果てまで続くような、城、塔、橋、船、兵器、歴史に名を馳せた建造物の数々。
今ではもう、この場所の名前も知っている。
「『構築物の歴史図書館』」
八月十二日に一度逆召喚された時と同じだ。紫の髪をなびかせ、ジャンパースカートのようなロシアの民族衣装――サラファンを身に纏った少女がアスミと正対して佇んでいた。
今ではもう、この少女の名前もジョーから聞いている。
「ヴォストーク1号さん」
「アスミさん、謝罪を……」
「いいわ。もうだいたい、分かってる。先日、私をこの世界に呼んだ時は、あなたは、私に消えてほしいって思ってたってことよね」
「あなたがいなくなり、スヴャトのことも思い出さない代わりに、『この世全ての犠牲』も現れない『日常』。ジョーだけでも、そんな偽りの『日常』で生きられたなら……私はそんな安寧にすがってしまっていました。けれどジョーはわざわざ私に逢いにきて、スヴャトのことを忘れないなんて言う。この世界のどこにも『犠牲』を出さない、『代案』があるなんて言う。弱かったのは私の方でした。強かったのはジョーの方でした。スヴャトが一人『犠牲』になったことも、「しょうがないこと」ではなかったんだ。
――今度は私も、戦いたいのです。
アスミさん、あなたが『犠牲』になってもしょうがないと思っていた私を、気が済むまで、鞭打ってください」
「鞭なんて、打たないわよ。ただ、一つだけお願い。たぶん、あなたが『この世全ての犠牲』の地下墓地への鍵ならできると思うのだけど。私を『再臨』させたことで、『この世全ての犠牲』のジョー君への浸食――昇竜のアザはより大きくなる、そうね?」
「はい。アスミさんを『再臨』させるにあたり、私を第二段階まで開放したので、また一歩、『この世全ての犠牲』の世界への浸食が強まっています」
「ジョー君の手首に刻まれている黒いアザを、半分私に刻んで。私は『結婚』するって、そういうことだと思っているから」
そこでヴォストーク1号はハっとして。
「アスミさん、アンナと同じことを……」
「さあ。私は弱い人間だから、遠くに行ってほしくない。私に繋ぎとめておきたいって思っちゃうだけかもしれないわ」
「分かりました。だけど、今度は間違えないで。『この世全ての犠牲』の負担は、決して二人だけで背負うものではないということを。ジョーの『代案』を、信じて」
アスミがうなずくと、世界が輝き始める。
アスミは右手を、ヴォストーク1号は左手を、二人は手を合わせた。
「「今度は全員助けるために」」
さあ。また新しい私として。
ジョーが、みんなが待ってくれている「世界」へ。
◇◇◇
――自分のことを「欠陥商品」と呼ぶのは、ここで終わりにしよう。
///
八月二十日。零時。空瀬明日美は十三体目の義体に「再臨」した。それは同時に、彼女が十六歳になったことをも意味していた。
発火するような峻烈な身体感覚で、アスミの意識は現実で目を覚ました。
月明りに照らされた落葉の緑色が愛おしいほどに鮮やかだ。こここそがあるいは、神様が創った現実という名の本当の物語。私という世界の中にいる不可思議な存在を痛烈に描破し、またそこに存在してしかるものだと受け入れている。
スロヴェニアのリュブリャナと日本国の東北とを繋ぐ「境界の」オントロジカを胸に、今、十三体目の空瀬アスミ、顕現す。
十六歳のアスミの目の前に、役目を終えた、ついさっきまで生きることを共にしていた十五歳の義体が跪いている。
(なんて、ボロボロな。胸に穴まで空けて)
十六歳のアスミは膝を折り、十五歳の義体を抱きしめる。
「ありがとう。がんばったね。十五歳の私」
瞑目して、感謝を伝え終えると。
顔をあげて。
横でホっとした表情でこちらに温かいまなざしを向けている夫に向き直る。左手首の昇竜のアザの負担を半分アスミが請け負って、アスミの義体の右手首に降竜のアザとして刻まれていることを、ジョー自身は気づいていない。
「『再臨』も成功した。『結婚』もした。でも、もうすぐ世が明けて『世界の危機』がやってくる。このギリギリ感は、私達らしいと思わない? ジョー君?」
「や。できるなら、今後はもうちょっと、余裕がある感じで生きていきたいけどな。全部終わったら、新婚旅行とか行こう」
「それは素敵な感じ。じゃあ」
アスミは、ジョーたちがスロヴェニアに行っている間に練り上げた「作戦」を語り始めた。既に大まかな部分はリンクドゥで伝えてあるけれど、ここで最終確認である。
ここにいる三人だけで実現できるものではない。適宜、スマートフォンで協力が見込める者たちに連絡を取りながら、語り、時に図解し、作戦の準備を進めていく。
やがて、作戦の開始時間まであと二時間ほどとなる。そろそろ各自持ち場に移動しなくてはならないというところで、アスミが概要をまとめあげた。
この作戦の要旨は。
「一:夜明けと共に『氷のカッシーラー』の時間凍結が解除される真実大王ヴァルケニオンを、私が自爆せずにヴォストーク1号を開放して邀撃すること。
二:ヴォストーク1号の完全開放と共にこの世界に解き放たれる『この世全ての犠牲』に対して、どこにも『犠牲』を出さないジョーの『代案』を敢行すること」
大変なことだが、もう心は決まっている。
間もなく、夜明けがやってくる。
いざ、出立の時。
最後にアスミは考えていたの、と前置きしてここからの「最後の戦い」にあたっての一連の動きに名前を付けようと申し出た。
彼女の魂から紡ぎだされた、この郷里と世界を守るための――。
――作戦名は。
アスミの凛とした声が場に響いた。
「広瀬川灯明邀撃作戦」




