255/母との縁(エニシ)
続いて第二撃。
エッフェル塔が放ったフランスの英雄の剣の一本が、牛人の足を貫通し地面に縫いとめた。場に、激痛を訴える牛人の叫びが響き渡る。
エッフェル塔はその隙に志麻を抱きかかえると、一旦牛人から距離を取るように跳躍し、ジョーの近くに舞い降りてきた。
「宮澤ジュニア君」
エッフェル塔は配下の騎士が主である王女を扱うように、隅々まで行き届いた振舞いで志麻を優しくジョーの前に下すと。
「君のお祖父さんのこと。アスミさんのこと。『この世全ての犠牲』のこと。君とヴォストーク1号さんとの話は、遠くはフランスのパリから聞いていた。ああ、この逆境において、君は『全てを救う』なんていう絵空事をホントウにするために、世界に『代案』を示すなんてことを言ったりするじゃぁないか」
「ああ、本当にやるつもりなんだ」
「うんうん。今一つ行動力がなかった宮澤君より、ジュニア君はアクティブだね。お姉さんはそういうの、好きだよ。私は勝算を感じたから帰ってきたというより、賭けてみたくなって帰ってきた。この私をもってして、この『ロジカ』の世界の外にあるという『レンマ』の世界と関係する『夢守永遠』にまつわる不可思議な物語は、まったくあずかり知らぬ話でね、正直どうなることやら全然分からない。本当に、アスミちゃんって何なんだろうね!」
「アスミは、アスミさ」
「イイね! その、この局面にきてとっても『普通』なヒーローめ。不可思議だけどそこにある何かを見つめても良いってこと。それは、可能性を持って良いってことだ。心は『自由』だっていうことだ。私、『自由』の国の象徴だから、そこは応援してあげないとね。今、最後の戦いの『作戦』を立てているアスミちゃんに、私のことも戦力に加えてくれてイイよって、伝えてくれ。だからまあ、宮澤君に見せてもらったアニメによく出てきたから、一度言ってみたかったこの台詞を言うために、来たんだ。つまり……」
エッフェル塔は窈窕たる所作で右腕を真横に伸ばし、よく通る声でその「言の葉」を口にした。
「ここは私にまかせて、先に行け!」
///
エッフェル塔の攻撃により、獣人軍団たちの陣形の中に手薄な部分ができていた。
ジョーと志麻は一気に駆け抜けて獣人たちの包囲を突破すると、そのまま森を走った。
向かう先は、ブレッド湖である。実は、牛人の追走から逃れながらも、かなり目的の場所には近づいて来ていた。
やがて森が開けると、山の下方に確認することができた。
宵の中でも月光で確認することができる。湖の真ん中に教会が建っている。こちらがスロヴェニアの観光地としても著名なブレッド湖と聖マリア教会で。
次いで、ちょうど向こう側になる山地を見やると、荘麗な城が佇んでいる。こちらが、ブレッド城だ。
(さて、アスミのお母さんがいるのは……)
その時、ちょうどジョーと志麻を囲むように、赤色の光が立ち現れる。例えるならそれは蛍火のように舞う光であった。
「存在変動律?」
志麻に視線を送って見解を求めると。
「でもこれ、たぶん、敵ではないわ。一度だけ経験がある。おそらく『転送』の本質能力」
ジョーからしても、この赤色の光は温かい感じがする。
「身を委ねてみるか?」
結局、信じられる人を、信じるためにここまできたのだから。
ジョーと志麻は頷き合った。
すると、温かい赤光は、抱きしめるように二人を包み込むのだった。
次の瞬間、二人はその場所から姿を消していた。
///
一方、牛人と獣人軍団との戦いの全てを請け負ったエッフェル塔は、狂騒する牛人を前に、悠然と佇んでいる。
蒼穹の光に包まれている彼女の背後には、数千の剣が螺旋状に召喚されて、幾何学的な紋様が形成されていた。
「自由!」
エッフェル塔の一声で剣の群れは解き放たれて、森に満ちていた獣化人間たちに容赦なく降り注いでゆく。一振り、一振りが伝説を呼称するに足るその剣たちは、バーバーリーマカク人、ヘラジカ人、アカシカ人、オオカミ人、ヒグマ人、シベリアオオヤマネコ人、シュトランドポニー人、次々と大獣人軍団たちを無効化してゆく。
ある変異に気づいたのは、インヘルベリア牛人の方だった。圧倒的な攻撃力で獣化人間たちを無力化しながらも、エッフェル塔の「剣の雨」の攻撃は致命傷を負わせずに、腕、足などに狙いを定め、相手の攻撃力を奪うことだけに特化しているのだ。
既に、己の敗北は悟った体で、牛人が問いかける。
「何故、殺さない?」
「宮澤ジュニア君が、そういう風に生きていくと決めたから。私個人の戦いであるならば、国に攻め入る敵は、殺すよ。でも、今は『縁』で擬人化されて宮澤ジュニア君の助っ人をやってるわけだから、彼の心は尊重したいんだ。宮澤ジュニア君の理想の中には、あなたたちのような存在でさえ、『やり直せる』世界という想像が見え隠れしているからね」
「くだらない。やはり、弱者の国の発想なのだ!」
牛人は、最後の一撃にと剣が刺さったままのかいなを振り上げた。
「私も甘いと思う。でも……」
エッフェル塔が選んだ一刀は、東洋の剣――日本刀であった。
牛人が腕を振り下ろすよりも先に、俊敏な動作で「峰打ち」で胴を薙ぐ。
その衝撃が全身に伝播すると、やがて牛人は意識を失った。
「でも、全てが弱肉強食ではないというのは一理ある。何故って牛人……いや、インヘルベリア君。君の最初の衝動も、王になることではなくて、本当は君は父親に……」
インヘルベリア牛人にエッフェル塔の声はもう届いていない。彼が次に目覚める頃には、『代案』を掲げるジョーの最後の戦いの結果を受けて、「世界」は何かしら変わっているはずだった。
決着がつき、戦場になっていた森に落ち着きが戻ると、優しい微風が吹いて、エッフェル塔の金糸の髪を揺らした。その淡い黄金色の髪は、宮澤家の女の髪の金色に似ている。
はて。
ジョーに助力した三体の歴史建造物は「構築物の歴史図書館」の能力を元に、誰かの「たましい」の描写力で、少女の姿に擬人化された存在である。
戦艦陸奥は、宮澤ジョーのひい祖母・宮澤陽毬の「たましい」の描写力で顕現した。
ヴォストーク1号は、ジョーの祖母・宮澤アンナの「たましい」の描写力で顕現した。
では、このエッフェル塔を少女の姿に顕現させたのは、誰の「たましい」の描写力によるものだったのだろうか。
静寂の中、エッフェル塔が、誰かと会話するように、穏やかな声で言葉を紬ぎ始めた。
「そう。志麻ちゃんだけじゃなくて、『あなた』も、もう置いて行かれたとか、愛されなかったとか、許せないとか、そういう『裁く心』を手放すって決めたんだね。うんうん。それは、『自由』への一歩だと思うよ」
あなたが生まれてくる前に、あなたに縁ある物語が紡がれている、そんなことが、当たり前にあったりする。
「あなたはスヴャトを憎んだかもしれないけれど、そのお父さんの『構築物の歴史図書館』が、あなたが愛する息子を守ったんだ。一人の人間の物語の意味は、その命の終わりで全てが無くなるわけじゃない。あなたが繋いだ『日常』が、宮澤ジュニア君をここまで辿り着かせた。私からも、ありがとう」
日本の「S市」と、スロヴェニアの「リュブリャナ」にまつわる「縁」の物語に、もう一つ、場所を加えなければならない。
その二つの国と都市に加えて、この物語はフランスの「パリ」との縁にまつわる物語でもある。
ジョーもスヴャトも「知らない」母・宮澤カンナの二つの歴史のうちの、これが二つ目。
ジョーの母とジョーの父にまつわる、エッフェル塔での出会いから始まるあの九十年代のアニメーション作品みたいなボーイ・ミーツ・ガールの物語は、ジョーが知らないところで、ずっと彼のことを守り続けてくれていたのだ。
///
ジョーと志麻は気がつくと、薄暗い場所で膝をついていた。ある程度の広さがある空間である。
(どこかの……地下)
やがて二人を包んでいた赤色の光が収束し始めると、場に声が響いてきた。
「本当に強力な『転送』の能力者なら、あるいは日本からスロヴェニアまで一気に運んでくることもできたのかもしれませんが……」
管楽器が響くような。ジョーにとっても志麻にとっても、聞き慣れた声だった。
「人形を作る本質能力の、補助的な能力でしたので、この城を直接あなた達の視界に入れて貰うことが必要でした」
暗闇の中に灯る、温かなアカリのような女性である。
アスミと再会した日。「今は少し遠くに行ってるの」と語ったアスミは僅かに表情を曇らせた。
あの時、本当はアスミに何かしてあげられたならと思ったんだ。その時から、ようやくここまで辿り着いた。
女性は古錆びた白いローブに身を包み、漆黒の髪をポニーテールにまとめあげている。纏った霊気は、ジョーの中にあるスヴャトの記憶に照らし合わせても、初めて出会った一九九五年から変わっていない。「聖」と「俗」を両儀に宿した女性像。瞳には星。右瞳と左瞳の星は別々で、彼女はその立体視を通じて、何か世界の真贋を見極めんとしているよう。ここは欧州と呼ばれる土地ゆえに、改めてこの言葉がよく馴染む――「魔女」――そう形容するのがしっくりとくる女であった。
「お久しぶりですね。ジョー君。志麻ちゃん」
人形師――否、アスミの母の空瀬アリカは、慈しむようなまなざしををジョーと志麻に落とした。




