229/過去編――一九六三年・一~冷たい戦争の中でも人々が守り続けた日常の光を慈しんで
過去編――一九六三年・一/
オーストリアはウィーンの洋菓子店にて。
スヴャト、ヴォーちゃん、アンナ・シュタットフェルトを交えて、現状を把握するための会合が開かれていた。
「それで、僕が君の『たましい』を使っているというのは、どういうことなんだ?」
「美味っしー。これ、ヤバい」
単刀直入に本題に入るスヴャトに対して、アンナは口に運んだチョコレート菓子の感想を述べた。
「あの。聞いてくれ」
「分かんない。私には分かってるけど、説明できない。でも、今もビンビンに感じてる。『使われてる』って」
「仮説になりますが」
隣のヴォーちゃんが、紅茶を一口啜ると。
「もう一度確認しておくと、スヴャトの本質能力は、“膨大なオントロジカを蓄積した歴史的な構築物にアクセスし、縁ある『たましい』の描写力を借りて、その存在を人間の姿に『描き換える』”能力です。つまり、私という存在がこうして常世に顕現しているということは、
一・スヴャトが構築物としての私にアクセスしている。
二・スヴャトが縁ある『たましい』によって、それを少女の姿に描き換えている。
この二つの条件が満たされているということです。
つまり、「二」の方。このアンナという少女の『たましい』こそが、私を擬人化し、少女の姿に描き換え、表出させている、その可能性はあります」
「ふーむ。でも縁ある『たましい』って。僕、この子とは何の面識もないぞ? 彼女はアメリカ人で、僕はその、アレだろ?」
アメリカと日本。お互いの国が、生まれる前までは戦争をしていた。
それとも、ソビエト連邦に行ってからの『縁』なのだろうか。いや、ますますアメリカ人と接点があった記憶がない。こちらは、いわゆる冷戦状態の関係にある国同士だった。
「その言い方だと。ヴォーちゃんも、ヴォーちゃんを擬人化し、表出させている『たましい』の主に関しては分かっていないってことなのか? そんなに物知りなのに?」
「はい。確かに私は様々なことを知っています。しかし、何故、私はこんなにも知っているのか。そんな知っている私というものがどこから来ているのか。私の『たましい』とは何なのか。自分自身の出自、根源については自分でもよく分からないのです」
「ふーむ。自我というものが何処から来るのか、究極的には良く分からないという話と同じか」
スヴャトが幼少時に読みふけった本の数々。ソビエト連邦第一宇宙開発局の図書館で読みふけった本の数々。戦争の後しばらくの間、思想的潮流の一つは『実存』がキーワードであった。
そんな、頭脳に蓄積された硬質な書物の知識を吟味していると。
「私、難しい話分からないんだけど?」
アンナは残ったチョコレート菓子の欠片をフォークで皿の隅に集めている。
「君は、これからどうするつもりなんだ?」
「どう、って。ついていくわ。私の『たましい』を返して貰うまでは」
「ヴォーちゃん、どうしよう?」
「先ほどの話はまだ仮説の段階ですが。本当に私を表出させている『たましい』の出自に関係がある方なのでしたら、しばらく近くにいて貰った方が良いかもしれません」
改まって、こうしよう、どうしようとか、はっきりと決めたわけではなかった。一緒に過ごす時間とか、何となく始まったりするもので。
「ねぇ」
アンナがキリっとスヴャトを睨みつけたので、改めてその姿を見やると。第一印象よりかなりあどけない。認識阻害のリボンを解いた本当の自分よりも、少し年下くらいだろうか。
「それ、食べないの?」
アンナは真顔で、スヴャトの前で手つかずに残っていたチョコレート菓子を指した。
「ああ。あげるよ」
「半分で、いいわ」
二人は、こんな感じで共に歩み始めた。
この時分け合ったチョコレート菓子の一般的な名称は「ザッハートルテ」。この時から五十年ほど経っても、ウィーンの銘菓として世界中の人々に親しまれていたりする。
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例えば、春のドイツで。
当時、まだ東西に別れていた頃。停滞の空気が流れていた場末の酒場で、アンナはエレキギターをかき鳴らしたりした。
「スヴャト君? 何か、これすごい自由な感じ。何処へでも飛んでいけそう」
「それはイイんだけど、めっちゃ睨まれてるぞ」
壁で分けられた下で、それでも人々が守り続けた活気と情趣から、カーマインの色と光を分けて貰った。
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例えば、夏のフィンランドで。
書店に溢れていたのは、牧歌的な谷で暮らす妖精の一家の物語だった。
「これは、素晴らしい文学なんだ」
「何コレ。カバ?」
「トロールだよ。妖精なんだ」
「スヴャト君に似てる」
スヴャトはちょっとムっとすると。
「アンナなんか、コツメカワウソに似てるじゃないか」
「殺すわよ」
この作品は、この後一九六九年にスヴャトの故郷・日本でアニメーションが制作され、一大ブームになる。
ちなみにスヴャトは、主人公の少年のトロールよりも、彼の友人の旅人の妖精に生き方が似ている。
忙しくは流れない時間の中で。群青の色と光を分けて貰った。
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例えば、秋のギリシャで。
漆喰で真っ白に塗り上げられた街の片隅で、花火が行き交うお祭りに出くわした。
「みんな、ノリがイイな。軽い戦争じゃないか」
「イイじゃない! 本当の戦争じゃないんだから!」
数多のロケット花火が飛翔する中、アンナは教会の屋根に上ると。降り注ぐ光の中で、エアギターをしてみせた。
スヴャトが白銀の中で踊る彼女を見て思ったこと。
(いつか、故郷の花火も観てもらいたいな)
そういえば、父と母は今頃どうしているのだろう。
あらゆる様式が破壊され、混じり合い始めた頃の世界で、一つの様式を伝え続けている土地で。ムーンライトパープルの色と光を分けて貰った。
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そして、冬の境界領域で。
(ここから先は、治安が悪くなるな)
ある王家の正統性を伝え続けた、荘厳なるアルティナードルグ城が目の前にそびえ立っていた。砂漠の中、勇壮に佇むこの城がある地点を境に、世界は変わる。
「ここからは、危険な地域に入るんだ」
「え。私、スヴャト君と一緒に行くよ?」
アンナの安全を考えるならば、しばらくどこか落ち着いた街で待っていて貰った方がよい。争いが続く世界でも、「日常」の火を灯し続ける場所はあるのだと、この一年一緒に様々な場所を巡ってきて気づいていたから。一方で、できればアンナと一緒に旅を続けたい。そう思ってしまった自分にスヴャトはちょっと驚いた。
「アンナ」
スヴャトがアンナにある気持ちを伝えようとした時、その気配はアルティナードルグ城の尖塔の先に現れた。
「スヴャト!」
スヴャトの傍らに紫の球体が起動すると、中からヴォーちゃんが緊迫した声をあげて飛び出してくる。
「未だかつて遭遇したことがない、強力な存在変動律です!」
その男は、天空から舞い降りてきた。着地と共に、周囲に砂が巻き上げられる。
スヴャトはアンナを背中に庇いながら、現れたその男を睨みつけた。
大地を揺らすような、低い声が響いた。
「貴様。持っているな」
ローブを脱ぎ去ると、凝縮された筋肉の鎧を纏った体が現れた。所属不明の軍服を纏い、黄金の髪を獅子のようになびかせている。
「全て、よこせ」
男は傲岸な態度で、片腕をスヴャトに向けて伸ばした。
男が、スヴャト達が集めてきたオントロジカに言及しているのは明らかだった。この男も、時代が訪れるよりもかなり先に覚醒した「こちら側」の人間・存在変動者だ。
「悪いが」
かつてない、凄惨な戦闘になることを予感しながら、スヴャトはヴォーちゃんの能力の使用体勢に入る。
「どの色も、光も、大切に分けて貰ってきたものだ。渡せない」
「ならば、殺して奪うまで」
砂煙がおさまる頃、古城を背に、収奪を高らかに宣言した男は、自らの名を名乗った。
「真実の徒・無謬人間ヴァルケニオンだ!」
/過去編――一九六三年・一




