取り替えられた公爵令嬢
よろしくお願いします!
どうか彼らに伝えて。
さようなら、明日が終わりますように。
本棚の合間、暗がりに隠れられる書庫の隅が、一番のお気に入りの場所。
ディエドル公爵家の娘、イヴェットは幼い頃から、物静かで大人びた子供だった。
というのも、イヴェットには生まれた時から、『ここは異世界だ』という意識があった。
この世界とはまるで異なる場所を知っている、と。
成長するにつれ、『それ』が前世と呼ばれる類のものと検討はつけたものの、影響を受けなかったと言えば嘘になる。
たとえば、『乙女ゲーム』なるもの。
イヴェットの生きる世界には、本はあっても〝げーむ〟というものはない。というより、その技術がない。
けれど、イヴェットの中には確かに記憶として存在していて、現実との相違に混乱することも多々あった。
そして、同じ名前の登場人物が出てくる乙女ゲームの筋書きを思い出した時は、情報量の多さに目眩がした。
数日間かけて整理した内容は、これまた信じがたく気が遠くなるような、けれど妙な納得感のあるものだった。
題名を『チェンジ♡ラヴ〜乙女は一途な祈りの子〜』という。
一途といいつつも、あちらこちらでイケメンと恋愛を繰り広げるヒロインの恋物語だ。
題名通りヒロインは幼い頃に取り替えられ、捨て子として平民の養父母の元で育てられたものの、本当のところは大貴族の娘。
赤子の手に握られていた家門入りのシグネットリングを証拠に、家族との再会を果たしたところからゲームは始まる。
慣れない貴族生活に四苦八苦しつつも、明るく闊達なヒロインは家族や周囲に愛される。
第一王子、騎士団長、公爵令息、侯爵令息、王家の影の一員などと交流し、最終的に好感度のもっとも高い相手と結ばれハッピーエンド。
どうして赤子にシグネットリングを握らせたのか、いかにして大貴族につなぎを取ったのか、そもそも影が隠れていない、などとは言ってはいけない。
理由は一つ。そういう仕様。それだけ。
そして、記憶を整理し終えたイヴェットは悟った。
ゲームではさくりと家から放逐され、その後の足取りはまったく出てこなかった元公爵令嬢。
家族からも周囲からもちっとも惜しまれなかった彼女こそ、イヴェットなのだと。
なぜ? 理由は簡単。父と弟の見目が、それはもうゲームのヒロインの色味そのままだから。
白金のきらめくさらさらの髪、瑞々しい翡翠の瞳。顔立ちまでそっくり。
対するイヴェットは、紫紺の緩いウェーブがかった髪と、淡紫の瞳。造形も似ても似つかない。
これでどうして取り替えに気づかなかったのかは、心底謎だけれど。
「お嬢様、ご当主がお戻りになられました」
「ええ。今まいります」
叩き込まれた淑女の笑みで侍女に頷き、イヴェットは出迎えのためエントランスへと向かった。
いくら記憶がどうとは言っても、今のイヴェットは公爵令嬢であり、骨の髄まで教育された淑女。
もちろん記憶については誰にも言ってはいない。気狂いと思われては、今の生活すら危うい。
────荷が重いのですよね……。
物憂げに、イヴェットはほうっと息をつく。
品行方正な王子殿下や熱意溢れる騎士団長、王位継承権をお持ちの公爵令息や放蕩息子と呼ばれる侯爵令息、暗い過去を背負う孤独な影。
ヒロインが恋に落ちるのは、いずれも容姿と身分に優れ、また個性豊かな方々だ。
ヒロインは、彼らの中心で弾けるような笑顔を見せるのだけれど、正直、特に羨ましくはない。
静かな書庫と活字をこよなく愛するイヴェットには、ちょっとばかり眩しすぎる。
だから、その恋には憧れない。けれど。




