葵、大嫌いな先輩に探り探られる
二人が感覚に従って後ろを振り返ると、白と茶色のまだら模様の、背の高い牛のような化物がいた。顔には目しかない。前に突き出た額の角は太く長く、両耳あたりからも同様の角が生えている。尾には尻尾ではなく、巨大な三角形。尻に生えた角である。前も後ろも刺されたら大けがだ。本体に近づくのは難関だろうと思われる。
直後、葵に課長から『そこにまたいる。でかいね』という電話があった。
「正面からまともに相手するのは難しいね。横から挟み撃ち、もしくは頭上からかな」
「とりあえず二手にーー」
作戦会議する時間もなく、牛が突っ込んできた。自然と二手に分かれる。
牛は角で木を傷つけながら、時にはなぎ倒しながら、辺りを走り回る。スピードもあり、少しでも角に当たったら大出血は免れないように見える。
まずは頭の角だけでも切れないか。と、葵が逃げながら考えていたところ、あさひが「私が角を切る、なんとかして牛をひきつけてくれないか!」そう大声で呼びかけてきた。葵は落ちている枝や石を投げて牛をけしかけ、自分に注意を向けさせた。
あさひは木に登り、いつでも刀を振り下ろせる態勢をとった。その様子を見て、葵はあさひのいる木まで全速力で走る。牛もそれを追う。葵は牛が迫る直前に、木の後ろに回り込んだ。牛は勢いよく木にぶつかった。あさひはその隙に飛び降りて牛に乗っかり、首をずぶりと刺す。青緑色の閃光が放たれた。
牛は悲鳴をあげ、痛みに狂いながらまた走り出した。
ただ暴れ回る牛の攻撃力は恐ろしいけれど、注意力を失っていることを好機と、葵は思い切って正面から飛び込んでいく。ぐっとしゃがみこんで跳躍し、青白い閃光とともに左の角をずばりと切り落とす。続いて反対の角も切り落とした。
「おお、勇気があるね、アオイくん!」
あさひは深く突き刺した刀をグリップに、さらに暴れ回る牛の上に乗り続ける。有術を使い続け、刀をぐりぐり動かすも、牛の首を落とすほどにはならなかった。
「『この程度』じゃ死なないか。そろそろ本気出そ!」
と、あさひは勢いよく刀を抜き、それを利用し高く飛び上がる。空中で刀を思い切り振り上げ、牛の腰あたりを目標に降下し、体を真っ二つにした。あがった閃光は葵と同じ、青白色。瞳は薄い灰色から漆黒に変化していた。そして妖物はどろどろと溶けていった。
無事に着地したあさひは、ふうとため息をつき、刀を地面に刺した。作業服のポケットから桃色のハンカチを取りだして額の汗をぬぐう。
「おい、どういうことだ」と、葵があさひに近づきながら投げかける。
「何が?」
「瞳の色、それに」
「ああ、光の色? 私はね、状況によって変えられるんだ。すごいでしょう」
「め、メガネは」
あはは、とあさひは馬鹿にしたような笑い声をあげた。
「私には不要。アオイくんたちは大変だね」
「それ、知ってる人は」
「吉野様と千里様。そして今、アオイくんも知った。ふふふ、二人だけの秘密できちゃったね。うれしい。誰にも言わないでね。まあ、桜も感覚では気づいてそうだけど」
葵は同じような人間をもう一人知っていた。もうこの世にはいない、双子の片割れの顔が浮かんだ。
「菊……」
「菊も瞳の色や閃光の色を自由にできたね。だからさ、私を養子にして一宮本家を継がせる話もあったんだ。でも、そういう例が今まであまりなくてさ。結局は直系がよかろう、であの子になったんだけど。私はちょっとだけ、跡取りになりたかったけどね」いまだ真っ黒な瞳で、葵に音もなくすうっと近づく。「私が跡取りになっても、一宮がアオイくんをこき使うことには変わらなかっただろう。優秀な自分を」両手を葵の腰に巻き付ける。「恨むんだね」
男性ならほどほどに小柄で女性なら上背のある身長、そして端正で性別不詳の顔が葵の目の前に迫る。
「どうすれば逃れられるんだろうか……」
葵は目の奥がぴりぴりし、脳が揺れて気持ち悪くなってきた。鼻先同士がちょん、と触れた瞬間にはっと気づき、あさひの両肩を押して引き離した。
多少よろめいたあさひだが、後ろ手にしてまたにこやかな顔で葵に近づく。
「うーん、やっぱり君の唇は向日葵のものか。残念」
「は?」
「隠れてお付き合いしてるでしょ」
「俺らが付き合うわけないだろ」
即答する中にも奇妙な揺れが混じっていることを、あさひはしっかり捉える。
「えー、てっきりそうかと! だって君らも桜もひじょーに……」大げさな身振りで、わざとらしく大きな声で言った。「カクシゴトが上手だから」
「……何のことだ?」
「さあ、なんでしょうね。あー、でも本当に良かった。二宮と三宮は親戚になったらいけ『ない』でしょ。ロミオとジュリエットにでも憧れて、秘密の関係に酔いしれてるのかと思ってたよ。あの子頭空っぽだから、そういう安っぽいドラマや漫画大好きじゃないか」右の人差し指を頬にあて、唇を尖らし「なんだっけ、桜と一緒にはまってたやつ」ほんの少し考えるふりをし「ま、なんでもいいや」
大げさににんまりと口角を上げ、邪気のなさそうな笑顔を作る。
向日葵への悪態に反論したい葵だが、そうするとあさひに揚げ足を取られることは目に見えていた。
「そこまで愚かじゃなかったんだね、向日葵。でも油断はできないな」地面に刺していた刀を引き抜き、切っ先を葵の首に向ける。「デカ女は確実に君のことをいつも考えてる。他の人には分からなくても、私は鋭いから」艶のある髪が、さらりと揺れる。「跡取りの教育に悪いから、絶対やめてね。あいつの誘いに乗るのは。二人を見習って桜がヒミツのレンアイを楽しみ始めちゃったら、一宮がとっても困るでしょ」
その通り眉を下げて困った表情をしながらも、あさひはそれを期待しているように、望んでいるようにしか葵には見えない。「跡取りになりたい気持ち」はまだ残っていて、二人をけしかけて桜を陥れたいのだろうかと疑う。
「俺の監視のために入ったのかお前」
「違う違う。ただの臨時職員だよ、本当に。ただね」切っ先を、葵の首に触れるか触れないか程度まで近接させる。「私は昔からアオイくんのことが大好きだから心配してるの。向日葵にムリヤリ引き込まれたりしてるんじゃないかって。『今日は』信じてあげるね。吉野様はじめ他の人はとてもお上手に騙せてるけど、私は簡単に騙せないってこと、忘れないで、ね?」
可愛らしく首をちょこんとかしげるが、葵にはすべて演技、嘘にしかみえない。
あさひは刀を下ろし、「人に言えない秘密は私にだってある」と言いながら鞘に納めた。「でもね、村人は村のルールから外れたらいけないの。もしルールを破りたいなら……村の役割を消す?」
葵はあさひの真意を考えながら次の言葉を待つ。
「……封印……かな?」
その言葉で揺さぶってきた以上、あさひは葵たちの何かに気付いていそうだった。
先ほどから一時も葵の瞳から外れないあさひの視線。一ミリでも葵からそれをずらせば、そらせば、弱いところを突いてくるだろう。妖物以上に負けられない。見たくもないあさひに視線を注ぎ続ける。
「おっと、課長さんに電話しなければ」今の会話がなかったかのようにぱっと切り替え、「お疲れ様です、あさひです。業務終了しました……ええ、とっても強敵で……アオイくんが大活躍で……」と、課長と電話しながら歩き始めた。
あさひの瞳が離れた瞬間、葵は、っはあ、と息を吐いた。呼吸を忘れるほどに、緊張状態だったのだ。それとは逆に、件の人物は通話を終え、また鼻歌を歌いながら歩いている。
突然、あさひはくるりと振り返った。瞳の色は薄灰色に戻っている。
「一宮、二宮、三宮。遊びはバレなければ許可しよう。でも本気の交わりは……バレなくても不許可だ」
その言葉を無視し、葵はあさひの横を素通りしていった。ととと、とあさひは葵を追い、手を取って「だからさあ」指を絡ませた。
「私と遊びでお付き合いしよう」
「久しぶりに聞いたな、それ」
子供のころからあさひは、葵を相手に何べんもそのセリフを聞かせていた。
「ふふ。大人になったから、向日葵がしないようなこともしてあげよっか」
そして葵も毎回同じセリフを言う。
「失せろ」
葵は自分も痛くなるほどに腕を強く振り、あさひの指をちぎるようにはがした。




