葵、1割になりたいと思う
鑑賞会の次の日から、向日葵は優真とメッセージのやりとりをしている。この辺かな、と向日葵から返信を止めるのだが、すかさず優真から新たな話題が提供され、途切れることなく数日続いていた。
今朝も出勤後のデスクに着いてからスマホの通知を確認すると、優真からメッセージが届いていた。
〈桜まつり、ご家族とお花見宴会ですか?〉
向日葵はデスクに両肘をつき、両手でスマホを操作し〈そだね~。初日は職場の人と宴会したよ〉と打つ。
〈楽しそうですね!ご家族とは何曜日に行きますか?〉
〈土曜かな〉
〈僕もです!そのとき会えませんか?〉
〈いいよ~きっちゃんとよっしーも来るのかな?〉
そのメッセージを最後に、向日葵は妖物駆除へ向かった。
駆除が終わり車へ向かう山中、向日葵は上着のポケットから振動を感じた。右手を腰のあたりのそこに差し入れ、スマホを取り出した。画面を点けると、優真からの返信。桜まつりのことだろうとメッセージアプリを開く。
〈いえ、二人で会ってお話したいです〉
向日葵は読んだ瞬間、固まってしまった。
鑑賞会楽しかったです、という感想から学校、仕事の話、趣味の話、休日何しているかという質問、だんだんと「ケーキ美味しかったです。また食べたいです」「次にこれ観たいんですけど好きですか?」「また鑑賞会しませんか?」と、ぐいぐいと向日葵へ近づこうとする内容に変わってきている。優真の指先からのアプローチに、向日葵だんだんと戸惑いを覚え始めたが、ついに二人きりで会いたいという話に発展した。
優真の好みのタイプが向日葵、そしてファンだということは、橘平から聞いていた。モテ期が来たと喜んではいたが、あれはよくある大人のお姉さんへの憧れ、アイドル感覚、その程度のことだと考えていた。しかし彼の心の方向はそちらではなかったことを、向日葵は理解してしまった。余談だが、よっしーとは「マジで趣味が合う友達」になった。ちょうど今はまっている漫画が一緒だったし、今度おすすめ漫画も借りる予定だ。
「それでね、息子が……あら」
隣を歩いていたはずの向日葵がいないことに気付いた桔梗は、後ろを振り返った。向日葵はスマホをじっと見つめて立ち尽くしている。
桔梗は彼女の方へ近づき「変な連絡でもあったの?」
その声かけに、向日葵はぱっと顔を上げた。負の経験が豊富という噂の上司なら、何かアドバイス――良いアドバイスはもらえなさそうだが、何かしらヒントはもらえるかもしれない。
という薄い期待で、「実は、高校生に……高校生に、本気で好かれてしまったようで……」
「こーこーせー?」
「知り合いの、とても、いい子なんですよ。いい子だからこそ、どう断っていいのか……傷つけたくないし……」
「なんで断る前提なのよ」
「未成年ですよ。あたりまえじゃないですか」
困惑する向日葵を深夜の海のような瞳で桔梗は見つめる。
「……優しく断ったところで、多少傷つくのは仕方ないわよ」右手でメガネの右レンズを軽く持ち上げ、位置を調整する。「覚悟して頑張んなさい。それも成長の糧になるんだからね。その子だけじゃなくて……あなたも」
この世の男は9割クソ理論の過激派上司のわりに、落ち着きのある回答だった。向日葵としては、ぶった切る過激派理論でも何でも、今は曖昧よりはっきりした事が聞きたかった。
「で、なんで固まった? スマホ告白? 最近の子って道具に頼り過ぎよ。直接ぶつかって砕けろよ」
その調子で回答してほしかったのに、なぜここでと不満ながらも「……告白じゃなくて、二人で会ってお話しませんかって」
「遊びに行こうだったら、他の子も連れてくね! で、あなたに興味はない姿勢を示せるけど。まあ会ってみて、そこで告白でもされたら、お互い傷つくのは覚悟で優しく断るのね。あまり長引かせない方がいいわ。期待持たせたらむしろ可哀そうよ」
桔梗はまた、歩き出した。向日葵はうつむき、スマホを握ったまま、その後に続いた。
役場に戻り、桔梗はお茶でも一服いれようと、休憩スペースへ向かっていた。その途中、小会議室に葵と樹が見えた。奥の長机に並んで座っている。
桔梗は「ここで仕事?」と、入口から話しかける。
「そーでーす。気分転換に借りちゃった」
ふーんお邪魔します、と桔梗は会議室に入る。樹の隣に椅子をくっつけて座るやいなや、彼の肩をぱんぽん叩き、「向日葵からさ、初めて恋バナ聞いちゃったわよ」にこにこと世間話を始めた。
「ヴええ!?こ、」
「声でかい!」樹の後頭部を叩く。
ごめんなさい、と樹は音量を落とし、ひそひそ声で続けた。
「マジマジ?どんな?」
「相手は高校生よ。私の主義に反するけど、すっごく普通の返答しちゃったわ。向日葵の反応が面白くってさ」
高校生。樹の頭に、今、妹と一番ナカヨシと思われる彼の顔が浮かぶ。
「もしや、きっぺー?」
「ユウマ君、だったかな。本気アプローチされてるらしくて、どう断っていいか悩んでるんだってえ!」興奮した桔梗は、樹の上腕二頭筋をばしばし叩く。「見ものだわ。いい子なら高校生でもなんでもとりあえずお友達で付き合っちゃえばいいのにね。未成年だから断るなんて言ってたけど、そんなに年も離れてないし、すぐ成人するし」
葵はこの会話をイライラしながら聞いていた。向日葵が話のネタにされているのも、その内容も面白くないうえに、兄相手にこの話題を提供する桔梗の神経が理解できない。「うるせーババア」相手に黙っているのもこの気分の発散にならず、最低限できる話題をふってみた。
「この世の男は9割クソなのにいいんですか、とりあえず付き合うなんて。未成年は絶対ダメでしょう」
「だから、お友達。成人するまでお友達。それからだっていいじゃない」樹とパソコンの間に割り込み葵の方にぐっと体を寄せる「ほんと分かってないわね、9割の三宮葵」
桔梗は腕を伸ばし、葵の額にデコピンした。「っ!!」容赦ない桔梗のデコピンは、血が出ていると錯覚させるほどの威力だった。
「向日葵が心を許せる1割、向日葵の心を受け止めてくれる1割。その人を探すためよ」体を戻して机に肘をつき、手を組んで顔を乗せた。「私はもう疲れたからそんな人探しはできないけど、向日葵はとっても優しくてかわいい子だから、幸せになってほしいの。あの子ってああ見えて、誰にでも、仲良しの私にすら規制線を張ってるじゃない。踏み込ませたくないエリアがはっきりしてるっていうか、隙がありそうで全くない。プライベートでも妖物と戦っているみたいに見えて、辛いのよ。そのユウマ君が、規制線を破ってくれる1割かもしれないじゃない」
その言葉に面白がっている様子はなく、真剣に向日葵を思っての言葉だった。
樹にもそれは伝わったらしく、ぽろりと涙がこぼれていた。
「ありがとう、きー姐さん……僕、姐さんにも幸せになってほしいな。まだ若いし、スタイルも良くて美人さんだし、諦めないでほしい。きっと、姐さんの1割はいるよ」
「樹ちゃん……さすが1割の男……あなたみたいな」
「姐さん、バツ7だっけ?」
「1だよ!」机に穴が開きそうなほど強く両手で叩き、立ち上がる。「7は婚約破棄の回数! ひどいわ、樹ちゃんもクソなの!? 10割になるじゃない~!」と、樹の両耳を引っ張った。
その光景と「やーん、ごめーん」という樹の声が会議室を騒がすなか、葵は桔梗の言う「規制線」について考えていた。確かに向日葵は昔から、特に桜が跡取りになってからは余計に、人と心理的な距離を取るようになっている。桜とも、もちろん葵とも。最近は少しずつ、彼女との距離が和らいできているとは思うものの、まだまだだと葵はしっかり自覚している。
(向日葵の「規制線」を破れない俺は、9割のクソだ)
視線はパソコンのキーボードに向けつつ、デコピンされた箇所に手を当てつつも、葵は「1割になるにはどうすればいいのか」という、難題の解を探し始めた。
◇◇◇◇◇
その後も優真への返信に悩んでいた向日葵に、躰道の稽古後、橘平が「内緒話」を持ちかけてきた。
「優真、向日葵さんのこと困らせてませんか?」
「え、もしかして、学校で」
「いろいろ相談されてるんですよ、向日葵さんのこと。お役に立てればと」
渡りに船とはこういうことだ。向日葵は希望を見出し、これまでのやりとりから「二人で会ってお話したいです」に至った経緯を説明した。
「なるほど、やっぱりそんな展開に……二人の事をサポートしてあげたいんですが」
「明日の夜に葵の家で作戦会議しよか」
「いいんすか、葵さんちって。あおいさ――今日いないや」
彼は思うように上達しない御朱印練習の追い込みで、今週はこちらも剣術も休むという。今頃、桔梗にしごかれているころだ。
「あそこは私たちの秘密基地でもあるからね。ってか明日、金曜だけどさ……」
「直前ですけど、なんとか」
「うん。優真君のこと傷つけたくない、なんておこがましいけど、橘平ちゃんの友達は大切にしたいから。じゃあ、夕飯作るね。リクエストある?」
「そーだなー。コクのあるものが食べたいです」
コクかー。コクといえばーカレー?シチュー?味噌かなマヨ……と、向日葵は呟きながら駐車場に向かった。そして車に乗り込みシートベルトに手をかけると、電話が鳴った。
「はーい、なーに?」その相手と通話しているうちに、向日葵は優真を忘れにやつき始めた。「うん、うん、やるやる!しょうち~!!」
興奮したまま車のエンジンをかけ、帰宅した。




