橘平と桜、野宿する
「うわー、今日、野宿だあああ…」
桜は早朝の境内掃除をしながら、思わず口にしていた。今日はあさひもおらず、一人だ。
そう、本日は桜が必死に勝ち取った「野宿の日」である。楽しみで眠れないという経験がなかった桜は昨夜それを初体験し、今朝はちょっとだけ寝不足である。
実際は八神の親戚からテントなどを借りて行う春キャンプ。桜にとっては野宿でもキャンプでも、名前なんてどっちでもいい。友達や同年代と、楽しそうな遊びができることが嬉しいのだ。
家から八神家への道中は、用心に用心を重ねた。バイクの速度は抑えめに、誰も見てないこと、見られても問題ない村民かをよく確認しつつ、八神本家を経由して、夕暮れ時には橘平の家までたどり着いた。
「いらっしゃい、桜さん!」
「こんにちは、こんばんはかな?あ、そちらが」
「大四優真です。橘平くんからお話は聞いてます。優真と呼んでください」
「では優真さん。桜とお呼びください」
桜の笑顔。優真は桜の背景に、犬小屋ではなく色とりどりの花々が見えた。
「……じゃ、じゃあ桜さん、で」と、恥ずかしそうに答えた。
優真は女子が参加すると聞き、もちろん「彼女!?」と反応した。しかし橘平から家柄を聞き「それは絶対違うね。お伝え様ね」とすぐに取り消した。ちなみに優真も一宮に同年代の娘がいたことは知らなかった。
また、彼女がお忍びである事、今日の事が絶対に家にはバレてはならないということも伝えた。
口は軽いほうではないはず、と橘平が信じて話したところ「いいね、僕たちだけの秘密。映画みたいでいいね」と変にノリ出してしまった。なんにせよ、この秘密をばらすことはないだろうと思われる。
自己紹介も済み、彼らは夕飯の材料や食器などを持ち、早速、テントのある場所へ向かった。テントはすでに、明るいうちに橘平と優真、そして橘平の祖父の力を借りて設置してある。桜用と男子用の2つだ。本当は桜も一緒にテントを張りたかったのだが、家のことで夕方からしか参加できなかった。
歩きながら、優真は自分の趣味の話をし、桜にも何か趣味や好きなモノ・コトはあるのか、という質問をした。
桜の好きなものは猫や犬、通学時のバイクの風、趣味は読書だという。小説、漫画、その他さまざまなジャンルを読むということで、優真が好きな海外小説も読んだことがあった。
そこに優真は食いつき、桜と感想評論大会を始めていた。クラシカのプラモを作ったときもそうだが、桜は意外と作品について語れるタイプだった。
好きな事。趣味。ハマれるもの。語れるもの。
ずっと好きでいられるもの。
そういうもののある人が、橘平は昔から羨ましかった。彼は語れるほど「好き」がない。走るのは嫌いじゃないから陸上部、映画をみるのも嫌いじゃないから優真とつるむ。特に好きな教科もない。趣味もない。
橘平は祖父をぼやっとしている、と思うこともあるけれど、祖父にはプラモデル作りという立派な趣味と技がある。本当にぼやっとしていて、何もない自分に時折、切なくなることがある。
二人が楽しそうなのは嬉しい。だけど二人の放つ「好き」がまぶしくて、割り込むことははばかられた。橘平はただただ、語り合う二人をにこにこ眺めるしかなかった。早速、桜は優真と友人になれたようだった。
俺も好きなものが、趣味でもハマれるものでも何でもいい。
好きが欲しいなあ。
彼のどうでもよくて、どうでもよくない、昔からの悩みだった。
◇◇◇◇◇
テントを張った場所に着き、3人は早速、夕飯の準備に取り掛かった。
折り畳みテーブルの上にコンロを置き、持ってきた大き目の鍋に、持ち運びが意外と大変だった2Lペットボトルの水を注ぐ。水大変!と言いながら、3人はそれぞれ2本ずつ、リュックにいれたり手に持ったりして上までやってきた。テント張りの際にも、いく本か持ってきている。
沸騰したところで、即席ラーメンを3つ投入した。味は優真のリクエストで塩だ。
「具はこれ。うちで用意したねぎとわかめ。あと優真が持ってきてくれた手作りチャーシュー、煮卵」
「優真さんチャーシューと煮卵作れるんですか、すごいです!」
「いや、こんなのさ、動画見れば作れるよ。ま、まあお母さんと、だけどさ」
優真は親友の橘平が今まで見たこともないほどに照れていた。こんな反応するのか、と新鮮だったし、友達のちょっとかっこつけてさらに照れる姿は、恥ずかしい気にもなった。お母さんと作った、で、かっこつけるのもチグハグでおかしかった。
「葵兄さんには絶対無理よ、動画見たって」
「桜さん、お兄さん居るの?」
「お兄さんみたいな存在の人。ご存じでしょうか、三宮葵さん」
「知ってるよ、かっこよすぎて!」
魔法とサメにしか興味のなさそうな優真ですら、葵のことを知っている。橘平は向日葵の幸せな行く末を願いながらラーメンの行方を見守った。
「あのかっこいい人は作れないの?」
「頑張ってはいるんですけれど、全然、料理が上達しなくて。頭はいい方なのですけど。不思議」
「葵さんこそ向日葵さんに料理教わればいいのになー」
と橘平は菜箸でラーメンをほぐしながらつぶやく。向日葵、に優真が食いついた。
「え、ちょ、向日葵さんて」
口が滑った、と橘平は口に手をあてた。鑑賞会に彼女を誘おうとはしていたが、今、口にするタイミングではなかった。失態だ。
「え、き、き橘平く、くんは、もしや、ひ、ひま、向日葵さんとお友達、なワケ?」
「う、あ、うん、実は、友達??っていうか」
「なんで!?なんで教えてくれなかったんだよ!?」
「いや、俺も友達??になったのは最近なんだよ、そ、その桜さんのお友達なんだよ、向日葵さんは!」
桜が鍋にスープの素を入れて、橘平が置き去りにした菜箸でかき混ぜる。
「ラーメンできましたー」
男子二人が向日葵をめぐってなんだかんだ言っている間にラーメンはできあがり、桜は丼型プラスチック容器に麺とスープをよそう。慌てて、橘平と優真が具を載せた。
ふわっと湯気があがり、即席特有の食事とスナックの中間のような香りが広がる。
いただきます、と3人は手を合わせる。
男子二人は早速割りばしで麺を勢いよくすする。桜はじっとラーメンをみつめ、鼻を近づけじっくり匂いを嗅いでいた。
その姿に、そうだ初めてのラーメンなんだ、と橘平は見守っていたが、優真が声をかけた。
「桜さん、食べないの?」
「あの、私インスタントのラーメンって初めてでして。まずは見た目と匂いを楽しんでいるんです。じゃあ味も楽しみましょう」
と、桜はずずっと初即席麵を口に含んだ。よく噛んで味わっている。
スープも飲む。
その様子を見届ける二人。
ごくん、と桜が飲み込んだ。
二人も桜の感想をごくんと待つ。
「うん、美味しい!」
暗闇の中で唯一光を放つ竹のような桜の輝く笑顔に、男子二人はよくわからないがとてつもなく嬉しくなって、抱き合った。
「じゃ、じゃあ、その僕が作ったチャーシューなども」
かしこまりました、と桜はチャーシューを小さく一口かじる。その小動物のような食べ方が可愛らしいなあ、と橘平はいつも思っている。
煮卵も食べて、と優真が薦めた。
「どっちも味がしっかりついてて、美味しいです。さっぱりした塩ラーメンと合います!うん、すっごく美味しいな~」
周りはすでに暗くなっているのに、桜だけまぶしい。優真は手を合わせ、うつむく。まるで拝んでいる格好だ。
「え、優真」
「いやなんかさ、桜さん、すっごい褒め上手だね…涙が」
「ちょっと優真さんたら、本当のこと言っただけで」
幸次も大粒の涙を流していたが、桜は人を感動させることができる存在のようだと橘平は思った。
それについて、優真がこう表現した。
「それが…刺さるよ…。桜さんはそうか、一宮の人だから神なのか、そうだアイドルなんだ…!誰もが信じ崇める最強無敵の一番星!」




