表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選択性問題  作者: 平木明日香
前書き
1/2

プロローグ



生きるための仕事、そして物語へ至る道


——第一次産業・第二次産業の体系と歴史から考える——



 私たちが「仕事」という言葉を口にするとき、そこにはしばしば、収入を得るための手段、社会の中で自分の役割を持つための行為、あるいは生活時間の大部分を占める義務のようなものとしての響きが含まれている。しかし、仕事というものをもっと根本的な場所まで掘り下げて考えるならば、それは単に誰かが働き、誰かが報酬を支払うという経済上の取引ではなく、人間が今日を生き延び、明日も生き続けるために必要なものを、自然や社会の中から取り出し、形を整え、分配し、維持し、次の世代へ受け渡していくための巨大な体系であると言える。人は空腹のままでは考えることができず、雨風をしのぐ場所がなければ眠ることもできず、寒さや暑さから身体を守るものがなければ病に倒れやすくなり、道具や燃料や水や住居がなければ、今日当然のように続いている暮らしは容易に崩れてしまう。つまり仕事とは、人間が生物として生きるための最低限の条件を満たす営みであると同時に、その最低限の条件を超えて、より安定した生活、より安全な社会、より複雑な文化を築いていくための、人類史そのものに深く結びついた実践なのである。


 この視点に立つとき、世の中に存在する無数の職業は、一見するとばらばらに見えても、実際には人間の生存条件を支えるいくつかの基本的な層の上に成り立っていることが分かる。食べ物を作る人がいるから、人は飢えずに生活できる。木を育て、伐り、管理する人がいるから、住居や家具や紙や燃料が生まれる。海や川や湖から魚介を得る人がいるから、食卓には多様な栄養が届く。土や鉱物やエネルギー資源を掘り出す人がいるから、建物や機械や交通や電力の基盤が整う。そして、それらの自然由来の素材を加工し、道具にし、部品にし、住宅にし、衣服にし、船にし、車にし、薬品にし、機械にし、通信機器にしていく人がいるから、私たちはただ自然の中で生き残るだけではなく、社会という複雑な装置の中で、一定の安定と利便性を得ながら生活できる。したがって、仕事を考えるということは、人間がどのように自然と向き合い、どのように物質を扱い、どのように生活の基盤を整えてきたのかを考えることでもある。


 人類の仕事の原型は、自然の中から必要なものを得る行為にあった。狩猟、採集、漁労、簡単な道具作り、火の利用、住みかの確保といった営みは、今日の職業分類で言えばまだ明確な「産業」とは呼べないかもしれないが、人が自然環境の中で生きるために不可欠な労働であり、後の第一次産業や第二次産業の萌芽をすでに含んでいた。果実や木の実を集めることは植物資源の利用であり、獣を追うことは動物資源の利用であり、石を割って刃物にすることは加工技術の始まりであり、火を使って食物を調理することは、自然物を人間の身体に適した形へ変換する技術であった。この段階において、仕事とは生存とほとんど同義であり、食べること、守ること、移動すること、作ること、分け合うことが分離していなかった。


 やがて人類は、野生の植物や動物をただ採取するだけではなく、自らの手で育て、管理し、繁殖させる方法を身につけていった。これが農耕と牧畜の始まりであり、人類史において極めて大きな転換点であった。農耕は、自然の恵みを偶然に待つだけではなく、種をまき、土地を耕し、水を引き、雑草を取り、収穫し、保存するという一連の計画的行為を必要とする。牧畜もまた、動物を捕まえて食べるだけではなく、飼育し、繁殖させ、乳や肉や毛や労働力を継続的に得るための知識と管理を必要とする。ここにおいて人間は、自然から「奪う」だけではなく、自然の周期を読み、環境を整え、時間をかけて生産する存在になった。農耕や牧畜は、単なる食料獲得の手段ではなく、暦、土地所有、定住、共同作業、貯蔵、交易、階層、国家、祭祀、税制といった社会制度の成立にもつながっていったため、第一次産業の歴史はそのまま文明の成立史と重なっている。


 第一次産業とは、一般に農業、林業、漁業など、自然から直接的に資源を得る産業を指す。広い意味では、鉱物やエネルギー資源の採取も自然資源の獲得に関わるため、一次的な産業として理解されることがある。ここで重要なのは、第一次産業が「古い産業」だから単純であるという誤解を避けることである。農業は種をまけば自然に作物が実るという素朴な行為ではなく、土壌、気温、降水量、日照、病害虫、品種、肥料、水利、収穫時期、保存方法、市場価格、輸送経路、消費者需要といった多くの要素を読み解きながら、自然の不確実性と向き合う高度な知識体系である。林業も、木を伐ればよいという単純な営みではなく、森林の成長速度、水源涵養、土砂災害の防止、生物多様性、木材需要、伐採と植林の循環、山道の整備、地域の生活環境まで含めて考える長期的な管理技術である。漁業も、魚を獲るだけの仕事ではなく、海流、季節、産卵期、資源量、漁具、船舶、保存、流通、漁場管理、国際的な海洋ルールまで関わる、経験と科学と共同体秩序が複雑に重なった産業である。


 第一次産業の本質は、人間が自然の生産力に依存しながら、その生産力を読み、補助し、調整し、持続可能な形で取り出すところにある。たとえば農業では、作物が育つために必要なものは人間が完全に作り出しているわけではない。太陽光、雨、水、土中の微生物、気温、風、季節の移ろいといった自然条件がなければ、どれほど高度な機械を導入しても作物は育たない。しかし同時に、自然に任せるだけでは安定した収穫は得られない。そこで人間は、水路を作り、田畑を整え、品種を選び、肥料を与え、害虫を防ぎ、収穫物を保存し、次の種を残す。この「自然に依存しつつ、自然に働きかける」という二重性こそが第一次産業の中心にあり、人類はこの二重性を扱う能力を高めることによって、飢えに対する抵抗力を少しずつ獲得してきた。


 農業の発展は、人間社会に余剰をもたらした。余剰とは、今日食べる分だけではなく、明日以降のために残せる食料であり、飢饉や戦争や病に備えるための蓄えであり、働く人すべてが食料生産に従事しなくてもよくなる社会的余地である。この余剰が生まれたことによって、道具を専門に作る者、家を建てる者、交易を担う者、記録を残す者、祈りや儀礼を司る者、土地や水を管理する者、戦う者、教える者、治療する者といった多様な役割が発生していった。つまり、第一次産業は単に食料を作るだけではなく、他の仕事が存在するための前提を作ったのである。もし社会全体が今日の食料を得ることだけに追われていれば、建築も、工芸も、学問も、医療も、芸術も、娯楽も、長期的に発展する余地は少ない。食料の安定供給は、人が生きるための条件であるだけでなく、人が食べること以外のことを考え始めるための条件でもあった。


 しかし、第一次産業だけでは、人間の生活は十分に安定しない。作物を育てても、収穫する道具がなければ労働は重くなる。魚を獲っても、保存する容器や冷却の仕組みがなければ遠くへ運ぶことは難しい。木を伐っても、加工する技術がなければ住居や船や家具にはならない。羊毛や綿花を得ても、紡ぎ、織り、裁断し、縫製する工程がなければ衣服として身体を守ることはできない。鉄鉱石が地中に存在していても、それを採掘し、精錬し、鍛造し、部品として組み立てる技術がなければ、農具も橋も機械も生まれない。ここに第二次産業の必要性がある。第二次産業とは、自然から得られた資源や原材料を加工し、建設し、製造し、人間が使用できる具体的な物へ変換する産業である。


 第二次産業の中心には、「形を変える」という行為がある。小麦を粉にし、粉をパンにする。木を板にし、板を家にする。鉄を溶かし、鋼にし、刃物や梁や車輪にする。綿を糸にし、布にし、服にする。粘土を焼いて器にし、石灰や砂を組み合わせて建材にし、原油を精製して燃料や化学製品にする。ここでは、自然物はそのままの姿ではなく、人間の目的に合わせて加工され、規格化され、耐久性や利便性を持つ製品へ変えられる。第一次産業が自然の生命力や資源を取り出す営みであるならば、第二次産業はその資源を人間社会の中で使える形に翻訳する営みであると言える。


 この加工の歴史は、道具の歴史でもある。石器、土器、青銅器、鉄器といった技術の変遷は、人間がどのような素材を扱い、どのような温度を制御し、どのような硬さや形状を実現できるようになったのかを示している。石を割って刃を作る段階では、人間は自然に存在する素材の形を限定的に整えていたにすぎない。しかし土を焼いて器を作るようになると、柔らかな素材を熱によって硬い器へ変える技術が生まれ、金属を溶かして鋳型に流し込むようになると、自然界にはそのまま存在しない形を大量に作ることが可能になった。鉄器の普及は農具や武器や建築技術を変え、より深く土地を耕し、より大きな構造物を作り、より広い地域を支配する力を人間社会にもたらした。ここには、物質を理解し、火を制御し、形を設計し、用途に合わせて素材を選ぶという、後の工業社会につながる論理がすでに存在していた。


 第二次産業が決定的に社会を変えたのは、近代における産業革命以降である。産業革命以前にも工芸や建築や製鉄や織物生産は存在していたが、その多くは職人の熟練、家内制手工業、地域的な生産体制に支えられていた。これに対して産業革命は、動力機械、工場制生産、分業、標準化、大量生産、広域市場、鉄道や蒸気船による輸送網の拡大を通じて、物を作る速度と量と範囲を根本的に変えた。人間や動物の筋力、水車や風車といった自然条件に依存していた生産は、蒸気機関や後の電力によって、より大規模で安定した動力を得るようになり、織物、鉄鋼、機械、化学、建設、輸送の各分野が互いに結びつきながら拡大していった。工場は単なる作業場ではなく、原材料、労働者、機械、動力、時間管理、品質管理、流通が一つの制度として組み合わされた新しい生産装置であり、そこでは人間の働き方そのものも大きく変化した。


 工業化は、生活の質を大きく押し上げた。衣服はより安価に、より大量に作られるようになり、住宅には規格化された建材や金属部品が使われ、道路や橋や鉄道が整備され、食料は加工品として保存され、医薬品や衛生用品が生産され、照明や暖房や通信や輸送が発展した。農業もまた、第二次産業によって作られた農具、肥料、機械、ポンプ、ビニール資材、冷蔵設備、輸送車両、包装材などに支えられるようになり、第一次産業と第二次産業は互いに分離したものではなく、深く依存し合う体系になっていった。現代の食卓に並ぶ一つの食品を考えても、そこには農家や漁師だけではなく、肥料を作る工場、農機具を製造する会社、食品加工場、包装材メーカー、冷蔵倉庫、トラック、道路、燃料、店舗設備、衛生基準を支える機器など、無数の仕事が関わっている。人が一食を食べるという、ごく普通の行為の背後には、自然資源の獲得と加工と輸送と管理が積み重なった巨大な連鎖が存在しているのである。


 この連鎖を論理的に整理するならば、人間の生活を支える仕事は、まず「必要の発生」から始まる。人には食べる必要があり、眠る必要があり、身体を守る必要があり、移動する必要があり、病を防ぎ治す必要があり、寒暖に対応する必要があり、情報を伝える必要がある。次に、その必要を満たすための「資源の取得」が行われる。土から作物を得る、森から木材を得る、海から魚を得る、地下から鉱物や燃料を得る。さらに、その資源を人間が利用可能な形へ変える「加工」が行われる。食材は調理や保存を経て食品となり、木材は製材されて建材となり、鉱物は精錬されて金属となり、繊維は布となる。そして、加工された物は「流通」し、人々のもとへ届き、「消費」され、やがて修理、廃棄、再利用、再生産の過程へ入る。この全体を支えているものが仕事であり、仕事とは単独の職業名ではなく、必要、資源、技術、労働、社会制度、時間の循環が組み合わされた体系なのである。


 第一次産業と第二次産業の関係を考えるとき、特に重要なのは、どちらも「目に見えるもの」を扱っているようでいて、実際には目に見えない秩序にも支えられているという点である。田畑に実る稲や麦、港に揚がる魚、山から切り出された木材、工場で作られる部品、建設現場で組み上がる建物は、たしかに物質として目に見える。しかし、それらが安定して生産されるためには、知識、経験、技術継承、制度、信用、契約、教育、安全基準、測定方法、品質管理、労働倫理、共同体の合意といった、直接には手で触れられないものが必要である。農家が種まきの時期を判断する知恵、漁師が海の変化を読む感覚、職人が素材の癖を見抜く経験、工場が不良品を減らすための管理手法、建設現場が事故を防ぐための手順、これらはすべて、物を生み出すために欠かせない無形の財産である。


 また、仕事は常に自然と人間の間にある緊張を抱えている。第一次産業は自然に依存するため、天候不順、干ばつ、洪水、病害虫、海洋環境の変化、森林の荒廃といったリスクから逃れられない。第二次産業は自然資源を加工するため、資源の枯渇、環境汚染、労働災害、過剰生産、廃棄物、エネルギー消費といった問題を生み出しうる。人間が生きるために自然へ働きかけることは避けられないが、その働きかけが過剰になれば、かえって生存基盤そのものを傷つける。したがって、仕事の歴史は、豊かさを求めて生産力を高める歴史であると同時に、その生産力が生み出す矛盾や負荷をどう制御するかという歴史でもあった。農地を広げれば森が減り、工場を増やせば大気や水が汚れ、安い製品を求めれば労働者の負担が増え、便利な生活を求めれば資源消費が膨らむ。仕事は人を生かすが、仕事の設計を誤れば、人を疲弊させ、環境を壊し、社会の不平等を拡大する可能性も持っている。


 だからこそ、第一次産業と第二次産業を考えることは、人間社会の基礎を考えることに等しい。食料を生産する人々がいなければ、都市は存在できない。建物を作る人々がいなければ、学校も病院も劇場も図書館も存在できない。衣服や道具を作る人々がいなければ、生活の安全と効率は保てない。道路や橋や機械を作る人々がいなければ、人や物は広く移動できない。水道や電力や燃料の基盤がなければ、現代の生活は一日で深刻な混乱に陥る。私たちはしばしば、目の前にある完成品だけを見て暮らしているが、その完成品の向こう側には、土を耕す手、網を引く手、木を伐る手、炉を管理する手、機械を点検する手、図面を引く手、荷を運ぶ手があり、それらの手の連なりによって、私たちの生活はかろうじて今日の形を保っている。


 このように考えると、人間の社会はまず、身体を維持するための仕事によって支えられてきたと言える。食べること、眠ること、住むこと、着ること、移動すること、病を防ぐこと、道具を使うこと、寒さや暑さから身を守ること。これらはすべて、人間が生物である限り避けられない条件であり、第一次産業と第二次産業は、その条件を満たすための最も基礎的な産業であった。けれども人間は、身体が維持されればそれで十分に生きられる存在ではない。食料があり、家があり、衣服があり、道具があり、移動手段があり、病をある程度防げるようになったとしても、人はそれだけで満たされるわけではない。人は恐怖を抱き、不安を抱き、誰かに理解されたいと願い、自分の苦しみを言葉にしたいと感じ、他者の人生を知りたいと思い、まだ見ぬ世界を想像し、過去を語り、未来を夢見る。つまり、人間は物質的な基盤の上に、意味の基盤を必要とする存在でもある。


 ここで、仕事の議論は次の段階へ向かう。第一次産業が食料や自然資源を支え、第二次産業が道具や住居や生活物資を支えるのならば、人間の心や共同体の想像力を支える仕事はどこに位置づけられるのか。人が飢えずに済むこと、雨風をしのげること、身体を温められること、病に対処できることは、疑いなく生存に不可欠である。しかし、歴史を振り返れば、人間はどの時代にも歌い、踊り、絵を描き、物語を語り、神話を作り、演劇を行い、祭りを開き、英雄譚や恋物語や怪談や笑い話を共有してきた。これは、娯楽が単なる余剰の贅沢であるというよりも、人間が自分たちの経験を理解し、苦しみに形を与え、共同体の記憶を保存し、孤独を和らげ、未来へ向かう力を得るために、物語や表現を必要としてきたことを示している。


 もちろん、空腹の人にまず必要なのは食料であり、寒さに震える人にまず必要なのは住まいと衣服であり、病に苦しむ人にまず必要なのは治療である。この順序を無視して、物語や娯楽だけが人間にとって最も重要だと語ることはできない。けれども、食料や住居や衣服が整った後に、人間の問いが終わるわけではない。むしろ、身体がひとまず守られたとき、人はより深く、自分は何のために生きているのか、なぜ苦しいのか、なぜ誰かを愛するのか、なぜ働くのか、なぜ失敗してもまた立ち上がろうとするのか、なぜ他人の人生に涙し、存在しない人物の運命に胸を痛めるのかという、物質だけでは答えられない問いに向き合い始める。社会が発展し、仕事が分化し、人々の生活が複雑になるほど、人間はただ生存するだけではなく、その生存に意味を与える言葉を求めるようになる。


 この意味で、第一次産業と第二次産業の歴史を見つめることは、小説やエンターテインメントの必要性を考えるための遠回りではなく、むしろ最も確かな出発点である。なぜなら、小説を書くという行為もまた、食料や住居や衣服のように直接身体を支えるものではないにせよ、人間が社会の中で生き、自分の経験を整理し、他者と感情を共有し、現実には存在しない可能性を試し、現実の痛みを別の形で見つめ直すための、重要な精神的労働だからである。物を作る仕事が人の身体を支えるなら、物語を作る仕事は、人が自分の生を理解するための内側の場所を支える。畑が空腹を満たし、工場が生活の道具を生み、建築が雨風を防ぐように、物語は孤独や不安や憧れや怒りや喪失に形を与え、人が自分だけでは言葉にできなかったものを、誰かの人生を通じて受け取るための場を作る。


 したがって、「なぜ私が小説を書くのか」という問いは、単に個人的な趣味や才能や表現欲の問題としてだけ考えるべきものではない。それは、人間にとって仕事とは何か、人間は何によって生きているのか、社会はどのような労働によって支えられているのか、そして身体を支える仕事の先に、心や意味を支える仕事がどのように必要とされるのかという、より大きな問いの中に置かれるべきものである。人が生きるためには、まず食べ物が必要であり、住む場所が必要であり、道具が必要であり、それらを生み出す第一次産業と第二次産業の膨大な営みが必要である。しかし、人が人間として生き続けるためには、それだけでは足りない。人は、働き、疲れ、傷つき、愛し、失い、迷い、それでも明日へ向かおうとするとき、自分の中にある名前のない感情を受け止めてくれる何かを必要とする。その何かの一つが、小説であり、物語であり、広い意味でのエンターテインメントなのではないか。


 この問いをさらに丁寧に考えるためには、ここで一度、産業や仕事を整理するための基本的な考え方である「三セクターモデル」に立ち返る必要がある。三セクターモデルとは、社会に存在する産業を大きく三つの部門に分けて捉える考え方であり、第一の部門である第一次産業は農業、林業、漁業、鉱業など自然から直接的に資源を得る仕事を指し、第二の部門である第二次産業は製造業や建設業のように、得られた資源や素材を加工し、人間が使用できる形へ変換する仕事を指し、第三の部門である第三次産業は商業、運輸、金融、教育、医療、福祉、通信、観光、飲食、娯楽、行政など、物そのものを直接作るというよりも、人と人、人と物、人と情報、人と制度をつなぎ、社会生活を運営するためのサービスを担う仕事を指す。この分類は一見すると単純であり、社会を三つの箱に分けて整理するだけのものに見えるかもしれないが、実際には人間社会がどのような段階で生活基盤を築き、その上にどのような複雑な需要を生み出してきたのかを理解するための、非常に重要な見取り図である。


 第一次産業が扱うのは、人間の身体が生きるために最も根源的に必要とするもの、すなわち食料、水、木材、繊維、燃料、鉱物資源など、自然界の中に存在する生存の材料である。人間は自然から切り離されて生きることはできず、どれほど都市が発展し、情報技術が進歩し、社会が複雑になったとしても、最終的には土から育つ作物、海や川から得られる水産物、森林が生み出す木材や環境調整機能、地中から掘り出される資源、太陽光や水循環や気候の安定といった自然の働きに依存している。第一次産業とは、その自然との接点を担う仕事であり、人間が生物としてこの世界に存在するための入口を守っている仕事であると言える。もし第一次産業が途絶えれば、私たちの生活は抽象的な経済不況などではなく、もっと直接的な飢え、寒さ、住居の不足、資源の枯渇として崩れていくことになる。


 第二次産業は、その自然から得られた材料を、人間の身体や社会の構造に合わせて加工する。小麦はそのままでは主食として扱いにくいが、粉にされ、練られ、焼かれることでパンになる。木はそのままの幹では住居にならないが、伐採され、乾燥され、製材され、組み立てられることで家や家具になる。鉄鉱石はそのままでは道具にならないが、掘り出され、精錬され、鋳造され、鍛えられることで刃物、梁、機械、車両、橋、船、建築物の骨格になる。繊維はそのままでは身体を守る衣服にならないが、紡がれ、織られ、染められ、裁断され、縫製されることで、寒さや日差しや外傷から人間を守る布になる。つまり第二次産業とは、自然物を人間の生活形式に合わせて翻訳する産業であり、自然界に存在する素材を、人間社会の中で安定して使える道具、設備、建物、機械、製品へ変えることで、生活の耐久性と利便性を高めてきた。


 しかし、人間の生活は、食料を得て、物を作れば完結するわけではない。食べ物は作られた後に運ばれなければならず、衣服は売られなければならず、家は設計され、契約され、維持されなければならず、病気になれば診察と治療が必要になり、子どもが生まれれば教育が必要になり、老いれば介護や福祉が必要になり、遠くの人と関わるためには通信や交通が必要になり、貯蓄や投資や保険や税を扱うためには金融や行政が必要になる。そこで現れるのが第三次産業である。第三次産業は、第一次産業や第二次産業のように、自然資源や物質を直接的に生み出す部門ではない場合が多いものの、それらの産業によって生み出された物や環境を、実際に人間の生活へ接続する役割を担っている。もし農家が米を作っても、それを保管し、精米し、運び、販売し、調理し、消費者へ届ける仕組みがなければ、その米は社会全体の食生活を支えることができない。もし工場が優れた製品を作っても、物流、販売、修理、保険、説明、広告、金融、法制度がなければ、その製品は人々の生活の中で十分に機能しない。第三次産業とは、社会の中にある無数の物、人、情報、制度、感情、時間をつなぎ合わせることで、生活を実際に回転させる産業なのである。


 三セクターモデルが示しているのは、社会の仕事が単に「食べ物を作る仕事」「物を作る仕事」「サービスを提供する仕事」という三つの名前に分かれているということだけではない。そこには、人間の生活がどのような層によって構成されているのかという、より根本的な理解が含まれている。第一次産業は「生きるための材料」を支え、第二次産業は「生きるための形」を支え、第三次産業は「生きるための関係」を支える。材料がなければ身体は維持できず、形がなければ材料は生活の中で使えず、関係がなければ物も知識も人も社会の中で循環しない。したがって、生活とは、単に食べ物を口に入れ、家に住み、服を着ることではなく、自然から得られた材料が、人間に使える形へ整えられ、それが人と人との関係の中を流れ、必要な場所へ届き、必要な意味を持ち、必要な時間に使用されるまでの、巨大な循環全体のことである。


 このように考えると、「生活」とは日常の小さな行動の集まりであると同時に、社会の全産業が交差する場所でもある。朝起きて水を飲むという行為一つを見ても、そこには水源を守る自然環境、水を取水し浄化する設備、配管を作る製造業、インフラを管理する公共サービス、料金制度、検査、修理、地域行政が関わっている。朝食を食べるという行為には、農家、漁師、畜産業者、食品加工業者、運送業者、スーパー、冷蔵技術、調理器具、燃料、電力、包装材、廃棄物処理が関わっている。服を着るという行為には、綿花や羊毛や化学繊維の生産、紡績、染色、縫製、デザイン、輸送、販売、洗濯、保管、廃棄が関わっている。学校や職場へ向かうという行為には、道路、鉄道、車両、燃料、交通ルール、運転士、整備士、駅員、通信、地図、時間管理が関わっている。つまり、生活とは個人が自宅の中で完結させている私的な営みではなく、無数の仕事が見えないところで接続されることによって初めて成立する社会的な現象なのである。


 ここで重要なのは、生活を「消費」とだけ捉えないことである。現代社会では、生活という言葉がしばしば、家計、買い物、住居費、食費、光熱費、娯楽費といった消費活動として理解される。もちろん、生活には消費が含まれる。人は食料を買い、服を買い、家賃を払い、交通費を払い、通信費を払い、時には本や映画やゲームや音楽にお金を使う。しかし、生活とは単に商品を買って使うことではなく、自分の身体を維持し、自分の時間を整え、自分の人間関係を保ち、自分の記憶や感情を扱い、自分が社会の中でどのように存在しているのかを日々確認し続ける行為でもある。食事は栄養補給であると同時に、家族や友人との時間であり、故郷や季節や文化の記憶でもある。住まいは雨風をしのぐ箱であると同時に、安心し、眠り、考え、自分の弱さを外から隠す場所でもある。衣服は身体を守る布であると同時に、自分の立場や好みや気分を表す記号でもある。移動は距離を縮める技術であると同時に、誰かに会いに行く意志であり、働きに出る義務であり、まだ知らない場所へ向かう希望でもある。


 生活を広義に捉えるならば、それは「生命の維持」と「社会的関係の維持」と「意味の維持」が重なり合う場所である。生命の維持とは、食べる、眠る、身体を清潔にする、病気を防ぐ、危険から身を守るといった、身体的な条件を保つことである。社会的関係の維持とは、家族、友人、職場、地域、学校、制度、法律、市場、共同体の中で、自分が孤立しすぎず、必要なやり取りを行い、支えたり支えられたりしながら存在することである。意味の維持とは、自分がなぜその日を生きるのか、なぜ働くのか、なぜ誰かを大切にするのか、なぜ失敗してもやり直そうとするのか、なぜ悲しみや怒りや憧れを抱くのかといった、内面的な問いを完全には解決できないまま、それでも抱えていける形に整えることである。人間の生活は、この三つの維持がどれか一つだけで成立しているわけではなく、身体が壊れれば意味を考える余裕が奪われ、社会的関係が断たれれば身体は生きていても孤独に傷つき、意味を失えば食べて眠ることができても、生きている実感そのものが薄れていく。


 三セクターモデルを生活の広義的な理解へ接続するならば、第一次産業は生命の維持に最も直接的に関わり、第二次産業は生命の維持を安定させるための環境と道具を整え、第三次産業は社会的関係の維持と意味の維持へ大きく関わっていると言える。ただし、これは単純な対応関係ではない。第一次産業にも共同体の記憶や祭りや土地への愛着が含まれ、第二次産業にも職人の誇りや美意識や技術継承が含まれ、第三次産業にも医療や介護や物流のように生命維持へ直接関わる仕事が含まれる。三つの部門は明確に分けられるようでいて、実際には互いに深く混ざり合っている。農業には機械や流通や金融が必要であり、製造業には資源や設計や販売や保守が必要であり、サービス業には建物や通信機器やエネルギーや食品が必要である。つまり三セクターモデルは、現実を完全に分割するための壁ではなく、生活を支える仕事の重なりを理解するための地図なのである。


 第三次産業の重要性は、社会が発展するほど大きくなる。これは、第一次産業や第二次産業が重要でなくなるという意味ではない。むしろ、食料や物資の生産が一定の安定性を持つようになったとき、人間の需要は単に「物があるかどうか」から、「それがどのように届くか」「どのように選べるか」「どのように使えるか」「どのように安心できるか」「どのように学べるか」「どのように楽しめるか」へ広がっていく。たとえば、食料が不足している社会では、まず十分な量の米やパンや肉や野菜が必要になる。しかし食料がある程度安定して供給される社会では、味、安全性、栄養、産地、価格、調理の手軽さ、食事の雰囲気、誰と食べるか、どのような時間を過ごすかが問題になってくる。住居についても、雨風をしのぐだけでなく、快適さ、交通の便利さ、防犯、デザイン、家族構成、プライバシー、思い出、地域とのつながりが問われる。衣服についても、寒さを防ぐだけでなく、着心地、流行、自己表現、職業上の印象、所属感が関わってくる。物質的な不足がある程度解消されるほど、人間の生活はより複雑な選択と感情を含むようになり、そこに第三次産業の領域が広がっていく。


 その意味で、第三次産業は「余った時間を埋めるための産業」ではない。医療は、人の身体の不調を診断し、治療し、生活の継続を支える。教育は、人が社会の中で知識を使い、自分の可能性を広げるための土台を作る。金融は、将来の不確実性に備え、資金を循環させる。物流は、必要なものを必要な場所へ届ける。通信は、距離を超えて情報と関係をつなぐ。行政は、制度を通じて社会の基盤を整える。観光は、人が日常の外へ出て、別の土地や文化に触れる経験を作る。飲食は、栄養補給だけではなく、会話や記念日や安らぎの場を提供する。そして娯楽や芸術や物語は、人が自分の感情を扱い、他者の経験を想像し、現実の生活だけでは得られない視点を獲得するための時間を提供する。こうして見ると、第三次産業は、物質的な生存の上に築かれる、人間らしい生活の厚みを支える領域なのである。


 生活とは、単に「死なないこと」ではない。もちろん、死なないことは生活の最も基礎にある。食べられず、眠れず、寒さをしのげず、病気を治せず、暴力や災害から身を守れなければ、人は生活を続けることができない。しかし、人間は死ななければそれで十分だと感じられる存在ではない。人は、朝起きたときに今日一日をどう過ごすのかを考え、仕事へ行く意味を探し、誰かの言葉に傷つき、別の誰かの優しさに救われ、昔の記憶に引き戻され、まだ起きていない未来を不安に思い、時には何の役にも立たないように見える音楽や景色や冗談や物語によって、なぜかもう少し生きてみようと思う。生活とは、身体が生存を続けることに、時間、関係、記憶、感情、希望、習慣、文化が積み重なったものであり、その意味では、生活は生物学的な現象であると同時に、社会的で、心理的で、文化的な現象でもある。


 この広い意味での生活を考えるとき、私たちは「必要」という言葉の範囲も見直さなければならない。一般に必要なものと言えば、食料、水、住居、衣服、医療などがすぐに思い浮かぶ。これらは確かに必要であり、優先順位が高い。けれども、人間社会の歴史は、必要がそれだけで終わらないことを示している。人は昔から、洞窟に絵を描き、死者を葬り、祭りを行い、歌を歌い、物語を語り、子どもに昔話を聞かせ、神話や伝説を作り、英雄や怪物や異界について想像してきた。もし必要という言葉を、ただ肉体の維持だけに限定するならば、これらの営みはすべて余分なものになってしまう。しかし、どの時代の人間もそれを完全には手放さなかったという事実は、物語や儀礼や遊びや芸術が、人間の生活のどこか深い部分で必要とされてきたことを示している。人はパンだけで生きるわけではないという言葉は、単に高尚な精神論ではなく、人間の生活が身体的栄養だけではなく、意味の栄養を必要としているという具体的な事実を表している。


 三セクターモデルにおいて、娯楽や芸術や出版や映像やゲームや音楽や演劇といった領域は、多くの場合、第三次産業に含まれる。なぜなら、それらは自然から直接資源を得る仕事でも、物質を加工して生活用品を作る仕事でもなく、人の時間、感情、想像力、経験、コミュニケーションに価値を提供する仕事だからである。けれども、だからといってそれらが第一次産業や第二次産業よりも軽い、あるいは生活にとって本質的ではないと考えるのは早計である。第三次産業が扱うものは、形のないものが多い。安心、理解、楽しさ、学び、感動、信頼、便利さ、記憶、憧れ、癒やし、共同体感覚、自己表現。これらは米や木材や鉄のように手で掴むことはできないが、人間の生活から失われれば、社会は確実に痩せ細っていく。食料があっても、誰とも話せず、学ぶ機会もなく、楽しみもなく、自分の苦しみを理解する言葉もなく、未来を想像する力もなければ、その生活は生物としては続いていても、人間的な厚みを大きく失うことになる。


 ここで、生活を「維持されるもの」としてではなく、「編まれるもの」として捉えることができる。生活は、朝起きて夜眠るまでの反復でありながら、その反復の中には毎日少しずつ違う出来事が入り込み、昨日の記憶と今日の感情と明日の予定が重なり、仕事の疲れ、家族との会話、通勤中に見た空、読んだ本、食べたもの、聞いた音楽、誰かに言われた一言が混ざり合って、一人の人間の内側にその人だけの時間を作っていく。生活とは、制度や産業によって支えられている外側の仕組みであると同時に、個人の内側で経験として編まれていくものでもある。産業は生活の条件を整えるが、その条件の中で何を感じ、何を覚え、何を望み、何に傷つき、何を物語として受け取るかは、一人ひとりの内面に属している。この内面の領域に触れる仕事として、小説やエンターテインメントは存在している。


 もちろん、小説は米を作らない。小説は橋を架けない。小説は薬の成分そのものを合成しない。小説を読んでも、空腹が直接満たされるわけではなく、雨漏りが直るわけでもなく、骨折がその場で治るわけでもない。この事実は認めなければならない。だからこそ、第一次産業や第二次産業の仕事を軽視して、物語こそが最も尊いと語ることはできない。しかし一方で、小説は、米を食べ、橋を渡り、薬を飲み、働き、帰宅し、眠り、また起きる人間が、その日々の中で感じる言葉にならないものを受け止めることができる。生活の基盤を作る仕事が外側から人を支えるなら、物語は内側から人の時間を支える。物質的な仕事が「生きる場所」を作るなら、物語は「その場所で生きている自分を理解するための視点」を作る。ここに、小説を含むエンターテインメントの需要と必要性を考えるための入口がある。


 広義の生活とは、産業分類の上でいえば、第一次産業によって自然から生存の材料を受け取り、第二次産業によってその材料を生活の形へ変え、第三次産業によってそれらを人間関係と時間と意味の中へ接続する、重層的な営みである。けれども、それを個人の側から言い換えるならば、生活とは、身体を保ち、社会の中で場所を持ち、自分の感情や記憶を抱えながら、今日という一日を何とか通過し、明日へつなげていくことでもある。仕事はその生活を支えるために存在し、産業はその仕事の集合として社会を形づくる。そして小説やエンターテインメントは、その生活の中で、人が自分自身の経験を別の角度から眺めたり、現実とは異なる可能性を想像したり、誰かの痛みや喜びを借りて自分の感情を整理したりするための、意味の産業として現れる。


 したがって、三セクターモデルを通じて仕事の全体像を見たとき、エンターテインメントは社会の余白に咲く飾りではなく、第三次産業の中でも特に、人間の時間と感情に関わる領域として位置づけることができる。第一次産業がなければ人は飢える。第二次産業がなければ生活の形は不安定になる。第三次産業がなければ物も情報も制度も人間関係も循環しにくくなる。そして、その第三次産業の中にある物語や娯楽が失われれば、人は生きるための材料と道具を持ちながら、自分がなぜそれを使って生きているのかを見失いやすくなる。生活とは、ただ維持される生命ではなく、意味を求める時間である。だからこそ、小説を書くという行為は、生活の外側にある趣味ではなく、生活そのものの内側から生まれてくる、人間が人間として生きるための問いに関わる仕事なのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ