第59話
人様のコンプレックスに深く、深ーーーく傷付けてしまう描写があります。どうか、生暖かい目と広い心を持ってお進みください。
────カムイワッカが治癒魔法が使えると知って実彩は早速リュックから増血薬、鎮痛剤、消毒液、真水などといった必要最低限の物を取り出してそれを直接地面に付かぬよう同じくリュックから取り出した大きな布をシート代わりにしてその上に置いた。
「いくぞ」
実彩がリリーナに刺さっている短剣を掴む。
反対していたリルも、もはや止めこそしなかったが厳しい眼差しを実彩とカムイワッカに向けていた。
(心臓に直接治癒魔法を掛けて治療するなんて、出来るわけが無いわ………)
治癒魔法とは傷を負った患部全体を治療するというもの。その魔法は精密なコントロールが利くようなものではない。直接患部に治療を施したくとも、治癒魔法はどうして体全体を覆うように魔力が展開したしまう。
実際に竜人と謳われているカムイワッカとて、患部のみに治癒魔法を掛けることが出来ず、リリーナの体全体に展開されてしまっている。カムイワッカといえども、やはり、患部のみを治療することなぞ出来やしないのだ。実彩も必死に治癒魔法を掛けているようだが…………効果の怪しい実彩の治癒魔法なんて焼け石に水。無駄な足掻きにしか、リルには見えなかった。
治癒魔法の限界を冒険者時代にイヤと言うほど知っていたリルは、実彩とカムイワッカがリリーナを無駄に苦しめようとしているようにしか見えなかった。
(そもそも魔法も魔術も使わずに薬と針と糸だけで人を救ったという話………そんな出鱈目を言うなんて、あの子、どういうつもりなの?)
リルは実彩の話をまるっきり信じていなかった。そんな事が出来るわけが無いというのもあったが、そんな事があれば、噂にならないなんて有り得るはずが無かったからだ。
だがそんなリルの心情など露知らず………実彩は視線でカムイワッカに合図を送ると一気に短剣を引き抜いた。
ブシュ……っという生々しい音と共にリリーナの血が吹き出した。それと同時にカムイワッカがリリーナに治癒魔法を掛ける。
「っ!!」
実彩の顔面全体にリリーナの血が被るも実彩は構わずにカムイワッカと一緒にリリーナに治癒魔法を施す。
しかしリリーナの傷が塞がることは無かった。多少なりとも出血の量は減っているので効果が無いわけでは無いのだろうが………それよりも出血の方が遥かに上回っていようだった。
「っつ、リリーナ……!」
イズールが泣きそうな顔でリリーナの顔を覗き込む。何度も何度も名前を呼ぶが、リリーナはピクリとも反応しない………。それ見たことかとリルは鼻白みながら治癒魔法を続ける実彩とカムイワッカを見た。
(クッソォ……! 思ったよりも出血が激しい!! このままじゃリリーナが出血死しちまう……!!)
仮面の下で歯噛みしながらも実彩は必死で考えていた。どうしたらリリーナを救うことが出来るのか………。
(考えろ………考えるんだ! 他に……まだやらなくてはならない事はないか? 出来ることはないか……?!)
ひたすら治癒魔法を掛けていた実彩のローブの内側がうっすらと光り始めた。最初は気付かなかった実彩も、懐に感じる暖かくも優しい気配に気が付いた。
(………ニト?)
気配の正体は魔力を発しているニトであった。
何かを訴えかけてくるかのように、ニトの魔力の気配が段々と強まっていく─────そのことに実彩以外の他の三人も気が付いた。
訝しく思えど………実彩がニトに意識を集中してみてば────
『────何してんねんこの戯け! さっさとワテを使わんかいこんのド阿呆!!!』
────実彩の頭の中に怒声が響き渡った。
思わず耳を押さえたくなるようなキーンっとくる怒鳴り声に実彩は目を白黒させた。
は? なに??
訳が分からず…………少し呆然としていれば、また実彩の頭の中で怒声が響く。
『ワテを使え言うとるやろ!? な・ん・ど同じこと言わせば気が済むんねん!! シバくでホンマ!!!』
(…………もしかして…………………)
恐る恐るローブの内側で魔力を発するニトを見た。
『──────さっさとせぇ言うとんの聞こえんのかい! こんボケナスがぁ!!?』
反射的に実彩はニトを取り出した。
淡く光を発するニトを見て、実彩は本能的に何をすればいいのか察した。
皆が見守る中………実彩は迷うことなく、ニトの先端をリリーナの心臓に向けて突き刺した。
誰もが実彩の暴挙に息を飲んだ。イズールなぞ、般若の形相で実彩に掴み掛かろうとしているのをリルに止められていた。カムイワッカが実彩の真意を問おうと声をかけようとすれば………リリーナの心臓に刺した長針から魔力が漂ってくることに気が付いた。
その魔力はニトの────実彩の治癒の魔力であった。
「────来い!」
実彩が言うや否や…………ニトから大量の────まるで蜘蛛の糸のように細くてしなやかな魔力の糸が溢れんばかりに顕現した。
誰もが予想だにしていない出来事に実彩以外の者は皆、呆気にとられていた…………。
「…………」
実彩は数多ある糸の内一本を、リリーナに刺しいたニトを抜いてそれに絡めた。
そして実彩は再びニトをリリーナの心臓に向けると………まるで縫合するように糸を交互に結んでいく。すると、実彩が結んでいくたびにリリーナの傷口からの出血がドンドン減っていった………。
その光景を見たカムイワッカはさらに治癒魔法を強めていく────そして、
「これで……出来た!」
実彩が最後の糸を結ぶと同時にリリーナの傷口が綺麗に塞がった。
「────ぅ?」
「リリーナ──!?」
傷が塞がったと同時にリリーナの方にも変化が訪れた。先ほどまでピクリとも動かなかったリリーナが目蓋を震わせてゆっくりと目を開け始めた。イズールがすかさずリリーナを何度も呼び掛ける、その内にリリーナも意識がはっきりしてきたのか、キョトンとした顔で下からイズールを見上げていた。
(嘘……!?)
リルは目の前で起きていることを受け入れることが出来ないのか? 口元を手で押さえながら目を見開いている。
「イズール……? あれ? ……私」
「リリーナ!!」
「きゃっ、イズール?!」
イズールがガバッとリリーナをキツく抱きしめる。
突然の異母兄らしからぬ行動にリリーナは目を白黒させながらどういうことかと実彩達を見渡した。困惑しているリリーナは安堵のため息を吐いている実彩とカムイワッカ………そして、何故か驚愕しているリルに内心首を傾げた。
(?? ……みんな、どうしたの?)
自分を取り囲む周りを見ていて……リリーナは段々と思い出してきていた。
(そうだ……私、あの軽薄男に短剣で胸を突かれて―――!!)
抱きつくイズールを脇に除けて急いで自分の胸元を確認する。胸辺りは大量の出血があったと思われる少し乾き始めた血の染みと、近くに投げ出されている短剣とほぼ同じぐらいの剣幅の穴がくっきりと開いていた……。しかし、その穴の奥にあったであろう傷跡は綺麗に消え去っており。白く、ささやかな谷間が覗いていた。
「あ゛ー……っと、リリーナ? 驚いているところ悪いが……隠した方がいいと思うぞ?」
実彩がどういうことかと茫然と胸元を凝視しているリリーナに忠告する。
バツが悪そうな(仮面のせいでみんなには分からないが)顔でチョイチョイと自分の胸元を指さしす実彩に、最初はキョットンとしていたリリーナも段々と理解の色が顔全体に広がって――――――それはそれは大きな悲鳴を喉の奥底から張り上げたのだった。
「っっつ?! きぃ……きっっっいぃやぁぁぁぁぁああああああああ!!!!???」
胸元の穴からくっきりと覗く白い谷間を隠すように掻き寄せて力一杯叫び声を上げるリリーナにみなが送るのは憐憫の眼差しであった。年頃の……しかも破廉恥な格好をしているとはいえプロポーション抜群のリルと、これまたそれ相応の年齢である異性――――リリーナは実彩が女だと知らない――――の前で嫁入り前の娘が―――――、
胸元(ここ重要)
ささやかな胸元(超重要)
多数の異性の前で胸元(とっても重要)
自分よりも遥かに優れたプロポーションがいる前で胸元(メッチャ重要)
ハーフとはいえど、エルフは………特に女性の体格はスレンダーな者が多い………だからといって決して、決っっっして豊満な女性が居ないわけでは無いのだ!
それなのに………エルフの血に希望が無いわけでは無いのにリリーナの胸といったら見事なまでの絶壁に近いスレンダーな体型!!(ものすっっっっっごく重要)
そんなリリーナにとってコンプレックスの象徴ともいえる胸(胸元)を見られてしまった………初恋すらまだなのに…………然も異母兄にすら…………………。
「もう……もう…………お嫁に行けないーーー!!」
緊迫感と緊張感に張り詰めていた空気は、リリーナの悲哀過ぎる叫びによって見事に塗り替えられるのであった……………。
カムイワッカの影に隠れていた竜の雛が大きな欠伸をしているのが妙に実彩の印象に残った。
一方、その頃。
実彩とカムイワッカがリリーナの治療を施している最中の事。実彩達から撤退したイシュール、ナジム、トグル、ナターシャの四人は移転型マジックアイテムを使って移転した先であるアジトに辿り着いていた。
「誰か! 早く来てくれ!!」
トグルはアジト全体に響き渡るほどの大きな声で怒鳴る。移転型マジックアイテムを行使したナターシャは魔力切れによる疲労感と虚脱感に襲われて、もはや意識を失いそうになっていた。
「ナ………ジ、ム」
朦朧とする意識の中で愛しい夫の姿を探す。痛々しい傷口から大量の命の雫がとめどなく流れ落ちている様を見て、ナターシャの瞳からも涙が零れ落ちる。
「早く………早く来いよ! このままじゃ………イシュールとナジムが死んじまう!!」
「………煩いですね~~。まったく、まったくどうしたんですか?」
奥から現れたのは、以前、スカイで実彩とやり合ったジェイル。彼はあの時着ていた執事服ではなく、仕立ての良さそうな背広を着崩した姿で現れた。
「ジェイル!!」
「おや? おやおや?? 貴方達………確か爆炎竜の雛を連れてくる手筈ではありませんでしたっけ? なんで揃いも揃って死にそうになっているんですか? 体を張ったギャグ?」
あからさまに馬鹿にした様子のジェイルにトグルは切れかかりそうになるも今は一分一秒も惜しい。内心憶えてろよ……!! と思いながらもトグルは必死にジェイルに助力を頼んだ。
「馬鹿なことを言ってないで助けてくれ! イシュールが………ナジムが死にかけてんだ!! 今は説明を後にして、早く!!!」
「まったく、まったく………仕方無いですね~~」
やれやれとでもいうように、ジェイルは開けていた胸元に手を突っ込んで『聖典』を取り出した。
『聖典に宿りし御力よ、我が声に耳を傾けろ。御身の御力にて、傷付きし者達を癒せ』
ジェイルの持つ『聖典』が輝き始めたと同時にイシュールとナジムの体も輝き出した。
まるで渦を描くようにキラキラと舞う光は二人の体に吸い込まれるようにして消えてしまった。
「ほら、直してあげたよ? そんなそんな私に感謝のお言葉は?」
「おま、ジェイル………『聖典』を…………」
ジェイルはうん? と首を傾げて何かに気が付いたかのようにああ……っと声を上げた。
「『聖典』を使ったことに驚いてんの? だってだって仕方がないじゃないか。ナジムは明らかに血を失い過ぎて瀕死状態だし、イシュールに関しては…………これ、なんかの毒だよね? なんか出遅れ感満載の二人に下手な治療は無意味じゃない。だったら確実に確実に治せる手段を使っただけだけど?」
悪びれもなく言い切るジェイルにトグルは困惑する。ジェイルとて、組織の決まり事を知らないわけではないだろう。そして、破った者達の末路も。
「ん~んん~~? あぁ、トグルはまだ知らないのかな? 『聖典』に関する組織の掟………あれね? もう気にしなくて大丈夫だよ? だってねだってね………そんなこと、言ってる場合じゃあ無くなったから………」
口角を上げて嗤うジェイルの顔の、おぞましきこと。咄嗟に逃げ腰になるトグルに、それはそれは優しそうな声音でジェイルは尋ねた。
「ところでところでさ。なんでイシュールもナジムもナターシャも君も満身創痍なわけ? 特にナジムがあんな大怪我するなんて信じられないんだけど…………詳しく、教えてくれるよね?」
まるで悪魔に魅入られた生贄の如く、トグルは青ざめるのであった。
リリーナの乙女心は100のダメージを受けた。リリーナは既に瀕死状態である。
トグルはジェイルの『教えてくれるよね?』光線を受けて体が硬直してしまった。これによってトグルは逃げ出すことが出来なくなった!!
ところで……なんでニトは関西弁なんですかね? 作者もちょこっと疑問。キャラが勝手に動いたのさ~~~。




