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第58話










洞窟の奥深くから地響きのような叫びが外にまで響き渡ってきた。


これには洞窟の前で戦っていたリルとナターシャ。離れたところではイズールとリリーナ、トグルが瞬時に反応した。特にナターシャとトグルには洞窟から響いてくる雄叫びに身に憶えがあるだけに驚愕を隠せずにいた。



((ナジム!?))



トグルは満身創痍で息も絶え絶えなイズールとリリーナにも目もくれず踵を返して洞窟にへと駆け出していった。


イズールは立ち去っていったトグルを訝しく思えども、あのまま続けても勝ち目のなかったことを分かっているので内心安堵していた。



(切り抜けられた……のか? ────助かった)



思わずその場に崩れそうになるも………何故トグルが去ったのか、あの雄叫びはなんだったのか? 不安要素だらけの現状を確認しないわけにはいかないとイズールは崩れそうになる足を叱咤して踏みとどまった。



「なんなのよ………アイツ!!」



一方リリーナは先ほどまで自分達を弄んでいたトグルが急に立ち去ったことに虚を突かれて茫然としていた状態から立ち直ったのか。怒りに身を震わせている。


まったく歯が立たなかった………そして当の相手はイズールとリリーナを弄ぶだけ弄んであっさりといなくなってしまった。


リリーナの気持ちはイズールにも痛いほど分かる。今まで培ってきた自信とプライドが木っ端微塵に吹き飛んでいってしまったのだから。


私達は………まだまだ弱い。その事を再確認した。



「う゛っ、う゛う゛ぅぅ………」



声を殺して泣き始めたリリーナを、イズールは優しく震える肩に手をおいた。



「まだ……何も終わっていない。奴が去った理由はあの咆哮に関係があるのだろう。それを確かめに行くぞ、リリーナ」



励ましの言葉は、いらない。

今必要なのは行動する力なのだから。


泣くことは………後でも出来る。


イズールの言葉に乱暴に顔を拭いたリリーナは力強く頷いた。


そして二人もまたトグルの後を追うように盗賊団の根城である洞窟へと駆けていった。











リルはナターシャの動きに精細さが無くなっていることに困惑していた。今まで自分と互角に渡り合ってきた相手が急に気もそろぞろになったのだ。訝しむのは当然だろう。



(さっきの獣の遠吠えのような声といい………これは、洞窟()で何かあったと思うべきね………)



ナターシャの攻撃をいなしながらそんなことを考えていた時だった。何かが駆けてくるような足音と共に強大な力の気配を感じたのは。


弾かれるように洞窟の入口を見れば………奥から白い影が揺らめきながら近付いてくるのが分かった。対峙するナターシャの息を飲む気配。


入口から飛び出してきたのは血の匂いを身に纏った純白の人狼の姿。その肩には誰かは知らないが男性を一人、担いでいた。



(まさか、百年前に滅んだホワイトウルフ!?)


「あぁ……そんな………アナタ……………ナジム!!」



ナターシャが信じられないとばかりに声をあげるが、絶滅したと思われていた伝説( ・ ・ )の種族( ・ ・ ・ )の登場にリルの方こそ信じられない気持ちであった。


だが、ふと気が付いた。

ナターシャがナジムと呼んだホワイトウルフは左の脇腹から大量の出血をしていた。どうやら脇腹が広範囲に渡って削り取られておるようである。あの出血量のまま放置していればそう長くは保たないだろう。



「グルルゥゥゥ……。ナ、ターシャあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ――――――――!!!」



絶叫するかのようにナターシャを呼ぶナジムの口からコポッと血の塊が吐き出される。

これ以上、興奮させては本当に死んでしまうとナターシャはナジムを落ち着かせようと、声を掛けようとするがその前にナジムが言葉を続けた。



「撤……たいするぞ! イシュールがヤベェ……はぁ、んやく………トグルを探せ!!」


「!!」



ここでナターシャはナジムに担がれているイシュールの様子に気が付いた。

イシュールの顔は青ざめ……血の気を失い、意識も失っていた。


ナジムはグルル……と唸り声を鳴らすとまた走り出そうとした。それに気が付いたリルはナジムの行く手を阻もうとするが、察したナターシャに止められる。



「っつ!!」


「邪魔……しないでよ!!」



二人が攻防を繰り広げているうちにナジムは残像すら捉えられないほどのスピードで逃げ去った後だった。


「このっ!」


「ナジムの……――――――夫の邪魔はさせないわよ!!!」


「!?」



夫!? ナターシャとナジムの意外な関係に傷付き、隠れていた残党の盗賊達が声にならない悲鳴をあげた。リルも驚き、一瞬、反応が遅れてしまった。その隙を突いてナターシャは煙幕を張った。ただの煙幕ではない。それは敵を確実に足止めするために調合された魔術が仕込まれた催涙弾だった。



「!?」



急いで鼻と口を塞いだリルは煙に捕らわれないように素早く後退さった。一度でも煙に触れたら最後、魔術の組み込まれた煙は対象者に自ら絡みつく。たとえ逃げたとしても、対象者を捕らえるまで煙は自動的に追いかけてくる………。


その隙にナターシャはさっさと姿を消していた。恐らくトグルという仲間────イズールとリリーナが相手をしている者────を探しに行ったのだろう。


二人の力量ではそのトグルという輩に後れをとっている可能性が高い。そこにナターシャが加わってしまったら…………二人の命は無い。いや……もしかしたら、すでに…………。



「ああもう!! カムは何をしているのよ!!」



リルはそう叫ぶと、心の中でこの場にいないカムイワッカに八つ当たりしていた。






「……ぶっ、ふぇくしょん!!」


「汚……ったな!? 風邪か……?」


「ズズズ………。風邪ぇ? 俺がぁ? ははっ、そん時はオメェさん………薬作ってくれ」


「代金とるぞ」


「金とんのかよ!?」


『キュ?』



という会話がナジムを追い掛けていた実彩とカムイワッカとの間でされていたとかいないとか………。






「…………ナジム、か?」



トグルの目の前には血だらけの姿をした純白の人狼の姿があった。


洞窟内で何かが起こったことを察したトグルはイズールとリリーナとの戦闘を投げ出して洞窟を目指していた。その道中で途轍もない速さで駆けてくる者がいた。敵かと身構えたトグルの前に現れたのは純白の人狼…………一度として、ナジムのもう一つの姿を見たことは無かったが、それでもトグルにはその生き物がナジムであるとすぐに分かった。


でも────。



「ナジムなの……か? 何だよ……その、傷………お前……伝説の種族だろ? ……………誰だよ、お前にそこまでの手傷を負わせたのは!! イシュールだって……なんでそんな…………」



トグル達の中で………いや、組織の中でも上位に位置する戦闘力を持つ二人がこれほどまでに負傷するなぞ誰が想像出来たのだろうか?



「グルル……ト、……グル。り………だつ、する、ぞ。りゅ……じん……が、いる………カッ、はぁ……はっ………」



りゅ……じん? 竜人?! まさか、竜人カムイワッカかっ!? なんでそんな大物がこんな所に!? 竜人は国境沿いにあるカーターに居るんじゃなかったのか!?



「かはぁ……」



イシュールと共にナジムはその場に崩れ落ちた。慌てて駆け寄るトグル。そこに………エルフ異母兄妹の気配を察してトグルが舌打ちする。


異変を確認することを優先して置いておくんじゃ無かった………とトグルが後悔していると当の本人達がやってきた。



「!? ……これ、は………」


「きゃっ!?」



血塗れの人狼と昏睡している男…………その側にさっきまで戦っていたトグルがその二人を気遣うように膝を突いている…………ならば、倒れている人狼と男は最初にローブで容姿を隠していた誰かだったのだろうとイズールとリリーナはそう推測した。



(なんだか解らないけど………これはチャンスよ!!)


「! 待て、リリーナ!!」



攻撃しようとするリリーナに気付き、イズールはすぐにリリーナを止めようとしたが、すでに遅く、リリーナは魔術を展開していた。



「いっけ「────死ね」……………え?」



ストッ………音に表したらそんな感じであろうか。リリーナの胸元には深々と短剣が突き刺さっていた。



「かっは……?」



コポリと口から血が吐き出される。

まるで……なにが起こっているのか分からないとでも言うように………リリーナは呆然としながら側にいるイズールを見上げた。



「リ、リーナ?」



イズールも目の前で起こっていることが信じられない………信じたくないとでもいうようにリリーナの顔を見詰めて─────リリーナは崩れ落ちた。



「さっさと………こうしてれば良かったんだ…………邪魔はさせない。ナターシャ、早く来い!」



空を睨み付けるようにして呟けば、こちらに近付く人の気配。殺気を伴い振り向けばそこには傷だらけのナターシャの姿があった。



「遅いぞ! ナターシャ!!」


「なんでアンタが、先にいるのよ……! いいえ………そんな事、どうだっていいわ!」



言うや否や………ナターシャはマジックアイテムと思しき物に魔力を込め始める。マジックアイテムを持つナターシャの足元から魔法陣が広がりイシュールとナジム、トグルを包み込んだ。


四人の足元に魔法陣が展開した時、遅ればせながら実彩とカムイワッカ、リルがそれぞれ現場に到着した。



「あれは……移転型の!」


「逃げる気か!?」


「リル、チビ助離れろ!! もう魔法陣が展開されてる! 下手に近付けば巻き込まれるぞ!!」



イズールとリリーナに気付いた実彩が視線をくれれば、そこには胸から短剣を生やしているリリーナの姿とそのリリーナを抱きしめて必死に呼び掛けているイズールがいた。


息を飲む実彩に気付いたカムイワッカとリルが同じ方を向けば………飛び込んできた光景に二人も絶句する。そうこうしている内にナターシャが移転型のマジックアイテムを発動させた。



「!!」



イズール達が飛びす去る刹那、実彩はリュックから短い筒のような物を取り出す。それは試験の前夜、実彩が調合し作っていた物だ。垂れ下がった紐に魔術で火を付けて実彩はそれをマジックアイテムを発動しているナターシャに向けて投げた。



「「!?」」



ナターシャとトグルが気付くが遅く────実彩が投げ込んだ短筒と一緒にイズール達が飛んだはほぼ同時であった。



「………」



イシュール達が消えたのを見届けて実彩はイズールとリリーナの元へと駆け寄った。

カムイワッカとリルも実彩が何を投げたのか気にしつつも一旦頭の隅に置き、二人の元へと駆け寄るのだった。



「リリーナ……リリーナ、リリーナ!!」


「少し退け!」



実彩はイズールを少し押し退けてリリーナの様子を確認した。

心臓にまで達しているであろう短剣は、栓の代わりになっているのであろう。出血は思ったほどの量ではなく、意識こそ失ってはいるがリリーナは呼吸もしっかりとあった。これならばまだ、助かる見込みはある。



「何をする!」


「うるさい、異母妹を助けたかったら黙ってろ!」


「!! た、助かるのか……?」


「とっさに短剣これを抜かなくて良かったな。この状態ならまだ何とかなる」



だが実彩は医者ではない。

実彩の治癒魔法は本当に痛み止めモドキが精々の代物だ。早くしないと手遅れになる事実は変わらない。

希望があることに僅かに正気を取り戻したイズールがどうすればいいのか聞いてきた。



「なるべく患部を動かさないようにして治癒魔術師の元に運ぶしかないんだが……その間、私の調合した薬を投薬する。ついでに……私の治癒魔法を掛けまくる。こうなりゃ質より量だ。無いよりはマシだと思ってくれ」


「おいチビ助。助けられんのか? 心臓に刺さってんだぞ?」


「貴殿は……この、気配………カムイワッカ殿か!?」



流石はエルフ。魔力の気配のみで若返ったカムイワッカに気が付いた。

カムイワッカの疑問に、リルも気になっているのだろう。静かに実彩の回答を待っていた。



「生き物が完全に死ぬまでには多少なりとも時間が掛かるんだよ。リリーナの場合だと確かに心臓にこそ刺さっているけど(短剣を)抜かなかったことで大量出血によるショック死は免れているし、何より呼吸はまだしっかりとあるんだ。心臓に空いた穴さえどうにかすれば十分に助かる」


「だから、どうすんだって!!」


「短剣を抜いたと同時に一点集中、心臓に( ・ ・ ・ )向かって( ・ ・ ・ ・ )治癒魔法を直接( ・ ・ )掛ける( ・ ・ ・ )



これが実彩のいた世界の医療技術ならば助かる見込みのある範囲内である。しかし異世界ここには治癒魔法がある為か、そこまでの技術を持つ者はいない。実彩の言った方法は治癒魔法のいわば荒れ技だ。成功の確率は低いかもしれない。しかしリリーナを助ける方法は現時点ではない。



「そんなの……できっこないわ!?」



治癒魔法は完璧な代物ではない。

どれほど腕の良い治癒師であったとしてもピンポイントで患部を癒やすことはでかない。例えば、腕を切り落とされたとして治癒魔法を使ったとする。治癒魔法により、たとえ腕が着いたとしてもその腕が元通り動くことはない。しかもリリーナの場合は内臓………心臓である。


リルは信じられなかった。仮に傷が塞がっても、再び脈打つとは限らないからだ。



「出来なくはないさ、私の知っている人なんて……治癒魔法どころか麻酔と針と糸を使って直接心臓を縫合して患者助けたぞ?」



ちなみにこれは現代医療の事だけ( ・ ・ )を言っている訳では無い。

実際に、実彩の祖父は戦時中、麻酔と針と糸だけで心臓を縫合したことがあると言っていたのだ。この話を聞いたとき、祖父さん……医者じゃなくて薬剤師じゃなかったっけ? と思ったものだ。



「それに出来ないどうのこうの言ってたらリリーナは死ぬぞ?」



実彩の話を眉唾だと思っているのか……リルは顔を真っ赤にさせている。イズールも、信じてよいのか迷っているようだった。しかし、一人だけ、反応の違う者がいた。



「チビ助……本当にそれで助けることができんだな?」


「ちょっと、カム!!」


「……助かる可能性のある方法って意味で絶対ではない。他に、何か手があるならそっちでも私は構わない」



この実彩の言葉にイズールは意を決した。



「リリーナを、妹を保たせられるか?」


「イズール!」



イズールの強い眼差しを受けて実彩は頷いた。



「任せろ。薬剤に関してはガキの頃から仕込まれてんだ。絶対に街まで保たせる」



たとえ街に無事に辿り着けたとしても、そこに治癒師がいるとは思えない。だが……やれることは全部やるべきだ。


リュックから薬を取り出そとした実彩に、カムイワッカが待ったをかけた。



「街まで行く必要はねぇ。チビ助の言うことが本当ならここで直す」


「直すって……オッサン、もしかして………?」



ニヤリとカムイワッカは笑う。



「治癒魔法なら俺も使える。俺がやる」











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