第57話
(純白の獣人だと? しかもあの尻尾と耳の形から察するに………アイツ、まさか……………)
カムイワッカはナジムの変わり果てた姿に密かに冷や汗をかいた。カムイワッカの予想通り……いや、既にナジムがその様な姿をとることが出来る以上。もはや疑いようの無いことなのだが、信じられなかった。
(あの種族は随分昔に滅んだはずだ……生き残り?)
だがそんな話は噂ですら流れることは無かった。それほどにまで、その種族が残っている可能性が誰から見ても皆無だったからだ。
「ん~~~さっきはそこのオッサン見誤って全力出す前にやられちまったけど………今度はそうはいかないぜ? なあ───────竜人さん、よ!!!」
「!?」
「!! ………チッ!!」
一切の序動作なしの突撃。
(はやっ?!)
実彩が避けられたのは寸前に直感が上手く働いたからだ。それが出来なければ………。
「へぇ? 避けられんだ? あんたも」
「んなゃろ!!」
ナジムの、その鋭い爪の餌食になっていただろう。
(残像すら……見えなかったぞ………)
速い、というよりも迅い。
実彩は次にナジムが向かってきたら避けられる気がサラサラしなかった………。
「!!」
しかも最悪なことにナジムの手にはカムイワッカがイシュールから奪ったはずの『聖典』が握られている。
「っつ、オッサン!!」
「仕方ねぇだろ! こちとら“重石”付きなんだぞ!?」
竜の雛を庇いながらあのスピードを避けきることはカムイワッカといえど出来なかった。しかもカムイワッカは実彩の方にも気を配っていたので余計に避ける動作が鈍かったのだ。
「クッソ……!」
こうなったら………イシュールだけでも殺した方がいい。
もし、イシュールの手に『聖典』が戻り、ナジムとの二人掛かりでやって来られたら…………もしくはナジムが『聖典』を使ったら…………恐らく、負けるのは実彩達の方だ。
(そうなる前に………片方だけでも!!)
毒で動けなくしたとはいえ、『聖典』にどんな能力が有るのか解らない以上、実彩の判断ばっかり間違ってはいない………いない、が。
「─────させねぇーよ」
イシュールを捕らえている樹木の根の檻に魔力を込めようとした実彩の目の前にナジムの顔があった…………。実彩がイシュールに何かしようとしているのを察したナジムは実彩の命を狩ろうと動いたのだ。
そしてナジムはその鋭い爪の備わった手を実彩に向かって伸ばされる。
だが、
ガシィ!!
バッ!!?
それは瞬きよりも刹那の瞬間だった。
実彩の胸をいま突かんとばかりに差し迫っていたナジムの腕は間一髪、間に合ったカムイワッカによって止められ、カムイワッカがナジムの腕を止めたと認識した実彩はその隙に後ろに跳び去ってナジムから離れた。
カムイワッカの頭に乗っかっていた雛は、カムイワッカの速さについていけず、振り落とされてしまったのか。キュ~~と情けない鳴き声を上げてコロコロ転がっていた。だがすぐに起きあがると近場の岩陰に隠れてこちらの様子を窺っている。
ツツツゥー……とこめかみから汗が流れた。
今の攻撃………実彩はまったく気付かなかった。カムイワッカがナジムを止めなければ、恐らく、ナジムの突き出したその手は真っ直ぐに実彩の胸を────心臓を貫いていただろう。
クッソォオオ!! ビビるな私! 視覚を、聴覚を、嗅覚を、触覚を、思考を全開で使え!! あの男の僅かな動作、変化を見逃すな!!!
「あ゛ー、止められちまったか………。やっぱ、竜の直感には適わねぇなあ?」
「そんなことねぇぞ?」
互いににこやかに軽口を叩き合いながら相手の隙を一瞬たりとも見逃さないというピリピリとした殺意をぶつけ合っているカムイワッカとナジム。
「アンタみたいな大物は………出来ることなら最後にやりたいんだけど。早くしねぇとさ、アイツが手遅れになっちまうかも知れねぇだろ?」
ナジムがチラッと見る先には先ほどよりも苦しそうに喘ぐイシュールの姿。実彩によって盛られた毒が大分体に巡っているのだろう。かなり苦しそうにしている。
「仲間を思う気持ちは解るけどよ? だからと言って───はい、そうですか。と、敵のお前さんにチビ助を殺させるわけにはいかねぇなあ? なにしろこっちも命懸けだからよ………それに、解毒剤目的ならチビ助殺そうとするなんざ悪手だろ。チビ助の持ち物のどれが解毒剤なのか分かんねぇだろ? お前さん」
「まーそうなんだけどよ? だからと言ってアイツが素直に解毒剤を渡すとも思えねぇし? 生憎と俺様は鼻が利くからな………解毒剤探しもなんとかさるさ」
ギリギリッ………!
引くつもりの無いカムイワッカとナジム。
カムイワッカに腕を掴まれているナジムはカムイワッカの握力によって軋んだ音を立て始めている腕を引っ込めようともせずに、阻まれていながらもその鋭く長い爪は実彩を捉えている。
「残念だが、ソイツに盛った毒の解毒剤なんぞ無い」
睨み合う二人の間に実彩が割って入るかのように告げた。カムイワッカもナジムも何を言い出すのかと顔を顰める。
「………あ゛? 解毒剤が無いわけ無いだろ。普通毒を使う奴は自分が万が一持っている毒に犯されても大丈夫なように解毒剤は必ず持ち歩いているはずだ」
そう───毒を扱う者達にとって一番怖れていることは自分の持つ毒に自分が当たること。だからこそ毒を扱う者は必ず助かるように解毒剤を隠し持っているのが常識である。
(チビ助は………何を言おうとしている?)
ナジムに全神経を集中させていながらもカムイワッカもまた、僅かに震えている実彩の言葉に注意を払う。
「嘘じゃ無いさ。実際に私はソイツに盛った毒の解毒剤を作っていない。つか、ソイツに使った毒の解毒剤を作ることは不可能だから作って無いが正しいか」
「あ゛ぁあ? ふざけたことばかり抜かしてんじゃねぇぞ? クソガキ………だったらテメェはコイツを…………イシュールを捕らえるつもりははなから無かったってことか?!」
「─────トリカブト」
実彩が呟いた言葉に、ピクッとナジムが硬直した。
「知ってるだろ。少しでもその植物の毒を摂取すれば、たちまち呼吸困難になり、痙攣と嘔吐、そして内臓全不能にすら陥らせる強力な毒草であり解毒剤を作ろうにも特に処置出来る事が無いとも言われている────最悪の毒草を盛ったって言ってんだよ」
「おまっ、チビ助!! オメェ……んな危ねぇもんを盛ったのか!? ソイツはギルドに突き出す予定だったんだぞ!!」
カムイワッカもトリカブトについては知っていた。つま先程の僅かな量でも人を数十秒で死に至らしめる即効性の強い毒。
怒鳴るカムイワッカを実彩は軽く肩を竦めた。
実彩が祖父かは教わっていた東洋医学───漢方ではトリカブトは薬用の高い薬草として使われる。薬用にする部位によってそれぞれ運用法が違うが、強心作用、鎮痛作用があるとされている。しかし、毒性が強いのも本当だ。その為、トリカブトをそのまま生薬として用いることが無い。大抵は熱処理を利用して毒素をギリギリまで低くした物が使われる。
「わーてるって。大丈夫、死なない程度にまで毒性は弱めてあるよ。そうしないと死んじゃうし。でも───万一逃げ出せないように枷は必要だろ? たとえ毒が抜けても、体には麻痺が残って動けなくなるように調合してある────一生な」
そう言いながらも実彩は全神経をナジムに集中させて決して逸らさなかった。
…………狙い通りに、なってくれよ。
すると実彩の言葉を聞いたナジムがブルブル振るえ始めた。
「───ざけんなよ。つまりは毒が抜けてもアイツはもう戦えなくなる体になるってことじゃねぇか!!?」
「!?」
「!!」
ビリビリとした怒りが肌を刺す。
怒りと共に吐き出した怒声の後に洞窟全体を震撼されるような雄叫びをナジムは上げた。
「っつ?! おいおい……マジかよ!?」
怒りに震えるナジムに変化が起こった。
両腕しかなかった獣毛がざわめいていたと思ったら、一気にに全体へと広まっていった。そして口元から覗いていた牙はさらに伸び、体つきも変化を遂げた。
「────やっぱり! 気を付けろチビ助!! コイツァ………百年前に絶滅したと言われるホワイトウルフだ!! ギルドマスターのヤールと同じ獣人だと思うな! あれは………完全なる別格の存在だ!!」
変化仕切ったナジムの姿………それは実彩の世界ではよくゲームや小説の挿し絵に出てくる見慣れたモノ…………。
「───人狼」
ナジムは変化仕切るとそのまま実彩に向かって突撃した。
(疾ぇえ!!)
カムイワッカですら残像しか捉えられないほどの疾さに、ナジムを止めようとしていたカムイワッカは歯噛みする。
(なんで挑発するようなことを言ったんだチビ助───!!!)
自分が適う相手ではないと分かっていたはずだ。なのに、何故という思いがカムイワッカを支配する。
当の実彩は既に何重もの結界を張り巡らしていた。ナジムの突進力に負けてパリン、パリンと連続で音を立てて壊れる結界の音を聞きながら実彩はタイミングを計る。
(─────ここだ!!!!!)
カッと目を見開くと用意していたモノを突き出した…………。
「ぐっ…………がっはぁああ?!」
倒れたのは…………ナジムであった。
これにはカムイワッカも驚いた。
(はぁ………なんとか、なったようだな………)
実彩にはナジムの動きは捉えられない。
しかし来ると分かっている相手にカウンターを仕掛けることは出来る。実彩がナジムに放ったのはクリストファーがよく使っていた“ウィンドウカッター”。これならば攻撃範囲が大きい為、上手くすればナジムは一瞬のうちに絶命する。
幾重にも張った結界を盾にスピードを減少させて、攻撃される刹那に懐に潜り込んでこちらの一撃を叩き込む。………もちろん、これは簡単なことではなかった。動きを捉えてられない実彩はナジムが動いたと思った瞬間には既に攻撃を開始していた。
ナジムの弱点は二つ。
一つは最初に出会った時と先ほどの言動で分かったナジムの性格。短気で猪突猛進な彼は頭にくれば必ず実彩に突撃してくると分かっていたこと。
二つ目はナジムがあまりにも速すぎるということ。
あれほどのスピードなのだ。恐らくあの疾さ走り出してしまえば途中から止まったり、避けるなどの動作は出来なくなると実彩は考えた。
(どんなにチートな身体能力を持っていたとしても結局は生身の生き物なんだ。物理の法則もある。こっちの思惑に気が付いたとしても簡単には止まれない………止まることができないはずだ!!)
だがこれが危うい賭だというのも実彩には分かっていた。成功する確率はほとんど無いに等しいことも。それでも実彩はここで無理をしてでもナジムを仕留めたかった。もしここで見逃せば後々、『聖典』と呼ばれるものと同等に厄介な存在になっていたとおもうから。バズーラ家で出会った執事のこともある。その仲間と思しき奴らに、無茶をしないという選択肢は実彩にはなかった────それなのに。
「ありえねぇ………」
ウィンドウカッターは確かにナジムに当たっていたのだが、それは本能の成せる技か、それともナジムが培ってきた直感力だったのか。
ナジムは実彩のウィンドウカッターが当たる直前………僅かに体をズラして真っ二つになるのを防いだのだ。
「ぐっうぅぅ………う゛かはぁ…………」
しかし完全に避けきれるものでとなかった。ナジムは左の脇腹を無くしていた。実彩の放ったウィンドウカッターはナジムの左脇腹を削り取ったのだ。
ボタボタと、大量の血液が、ナジムの体から流れ出ている。誰の目から見ても、ナジムの負った傷が致命傷だった。
その様子を、毒に苦しんでいたイシュールは歯を食いしばって見ていることしか出来なかった。
自分が倒れ、ナジムが致命傷を負い、もはや軍配は実彩達に上がった。これ以上は、出来ることが無いと、イシュールは諦めてうなだれるのだった………。
(もはやここまで………いっそここで終わるのならば、せめて奴らだけでも道ずれに……!)
そう────誰もが勝敗は決したと、思っていた。
ナジムが地響きを思わせる咆哮を上げるまでは。
「「「!!!??」」」
耳が痛くなる咆哮。
ただでさえ空気を震わせる雄叫びが洞窟内で反響しあって実彩達に襲いかかった。そして───どこにそんな力が在ったのか………ナジムが再び走り出す体制をとったのだ。
「っつ!」
襲いかかる音の津波に平衡感覚を奪われていた実彩とカムイワッカは瞬時に構えようとするが上手くいかない。最悪の展開が脳裏を過ぎったが………ナジムは大量の血を撒き散らしながら根の檻を破壊し、囚われていたイシュールを連れて敗走をし始める。
慌てて追い掛けようとするもすでに遅く、実彩とカムイワッカはイシュールを連れ出したナジムの逃走を許してしまったのだった……………。




