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穏やかな温度

 紙を滑る小気味いい音に、ニールは重い瞼を持ち上げた。

 開け放たれたカーテンから見える夜空は星が瞬き、月が静かに輝いている。

 意識を失う前に見た空よりは、幾分か闇の色が濃いように思えた。日付が変わったあたりだろうか? 室内は暗く、壁掛け時計の存在は分かっても時針は見つけられない。

「アイツ、まだ……起きているのか?」

 壁越しに聞こえてくるペン先の尖った音が、規則正しい秒針の音と絡み合っている。

 ニールは数度瞬きして、起き上がった。

 けだるい体はついさっきまでの行為の名残のようで、煩わしい。

「好き勝手やりやがってよ。休暇中だからって、やらなきゃならない仕事はあるんだよ」

 煩わしく思うだけで嫌悪感を抱かなくなるほど馴れている体に苦笑を零し、素足を床につけたニールは、とりあえず着る服を探す。

 脱ぎ散らかした服はそのまま、床に無惨に転がっていた。近場に転がっていたズボンは皺だらけだが、上着のようには汚れていない。

 ニールは拾い上げたズボンを履いて、壁に掛けてあったエフレムのカーディガンを素肌の上から着込んだ。

 春先とはいえ、夜は冷える。

 毛糸で編まれていても風は通るから、寒さはそうかわらなかった。他に着れそうなものをダメ元で探してみるものの、徒労に終わる。

(あとのことを、考えろっての)

 カーディガンのポケットに両手を突っ込んで、裸足のまま、ニールは寝室を出た。

 灯りが消えた屋敷は人の気配がまるでなく、廃墟のようになっている。

 ニールはぺたぺたと足音をならしながら、灯りの漏れている隣室のドアの前に立った。

「なあ、まだ起きてるのか?」

 寝起きのせいか、散々叫んだ後のせいか。少し嗄れたニールの声に「開いてる」とだけ、エフレムが応えた。

 招かれているのだから、遠慮無く扉を開ける。

 大きな執務机。

 ペンを走らせながら、エフレムが顔を上げた。

 「どうした? 媚びてきたって、抱いてやれないぞ? 流石にこの時間じゃ、明日に響く」

「妄想も大概にしろ、エロおやじが」

 開口一番、投げ付けられるエフレムの軽口に、ニールは舌打ちして、執務机の後ろへ回った。

「……こんな夜更けに仕事か? 態度に似合わず、熱心だな」

 手元を覗き込んだニールの鼻先をくすぐるよう、ペンの尻についている羽根が動いた。

「っ、ふざけんじゃねえ!」

 むずがゆい鼻先を擦って怒鳴れば、してやったりと言った顔でエフレムが振り返る。

「どうにも、眠れそうになくてな。どうせ起きているなら、仕事でもしてたほうがいくらか生産的だろ」

 ペンを置いて、エフレムは席を立った。執務机の側にあるサイドテーブルには、ティーコジーが被せられたティーポットと、カップセットが置かれた銀盆がある。

「なんだ? 仕事はもう終わりか?」

「報告書とはいえ、軍事機密だ。丸見えのところでやるような仕事じゃない。だろ?」

 ティーコジーが外されると、冷えた室内に紅茶の芳香が広がった。

「明日、早いのか?」

 糊の利いた軍服が、すぐに袖を通せるようハンガーに掛けられてある。

 ソファと一緒に置かれているローテーブルには、軍帽と真っ白の手袋が置かれていた。

「眠れなくて、俺のところに来たんだろ? まあ、座れ」

 かちゃかちゃと、カップがソーサーに乗せられる音。どうやら、紅茶を入れてくれるようだ。

 素肌の上にカーディガンを羽織っただけのニールは、言われるままソファに腰掛けた。肌寒いどころか、震えるほど冷えた体には、紅茶の温度は待ち遠しく思えるほどだ。

「寒そうだな? 適当な格好で起きてくるからだ。いっそ、シーツを被ってくりゃよかっただろうに」

「余計なおせわだよ。服を着れなくしたのは、テメェだろ?」

 両手を擦り、息をはきかける。

 紅茶がカップに注がれる音に聞き耳を立てつつ、ニールはエフレムの白手袋を取り上げ、凍えた手に嵌めた。

「手、大きいんだな。剣をもてばいいのに」

「使えなくはないが、好きじゃない。牛肉や魚肉は切れても、人を斬り殺すのには、いくらか抵抗があってな」

「……殺すより、酷い目にあわせてるのに?」

 言い返せば、エフレムはおどけるように肩をすくめた。

「死ぬよりはましだろ? さっさと、情報を吐かないから酷い目にあうだけだ。俺のせいじゃない」

 銀盆を持ってやってくるエフレムは、手袋を嵌めているニールに気付いて眉を僅かにひそめた。

「よごさないでくれよ? 高いんだからな」

「これ、支給品じゃないな」

 妙に、手触りの良い生地だ。

「軍規定の手袋は安物すぎてな。肌触りが良いってのは、俺よりもずっと知ってるんじゃないか? まあ、それが高いって分かったなら、少しは我慢してくれよ」

 にやっと笑うエフレムに、ニールは顔をしかめる。

「汚すのがいやなら、はずせばいだろうが」

慌ててニールは手袋を外し、投げるように軍帽の上に置いた。

「皺になるだろ」と文句をつけてくるエフレムの手から、ソーサーごとカップを引ったくって、湯気がたち上る紅茶に口をつけた。

「……酒をいれたな?」

「敏感だな。ブランデーをほんの一滴、二滴程度だよ。香り付けでしかないのに、子供の舌は我が儘で参る」

「嫌だとはいってないだろ」

 口に含んだ紅茶を飲み込むと、冷えた体がほっと緩む感じがする。

 ブランデーの効果もあってか、気付けば、ニールは隣にすわったエフレムの肩に寄りかかっていた。

「テメェみたいな図太そうなやつでも、寝れない夜ってのがあるんだな」

 紅茶よりも温かい体温に、ニールは忘れてた眠気に目を擦る。漏れるあくびを、とめられない。

「お前は、何処でだって眠れそうな面してる」

「うるさい」

 両手でカップを持って、ニールは紅茶を啜った。「行儀が悪い」と上から振ってくる声を無視して、音を立てて啜る。

「紅茶も飲むんだな、意外だ。コーヒーだけかかと思ってた」

「眠いなら、ベッドに運んでやろうか?」

 前髪を持ち上げるエフレムの手を、振り払う。

 エフレムから漂ってくる、紅茶と強いブランデーの香りに酔っているのだろう。でなければ、こんなにも落ち着いているわけがない。

「余計なお世話だ、馬鹿」

 袖で口元を押さえながら、ニールは目を閉じた。

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