1 プロローグ
新連載です。
よろしくお願いします!
いつものように日の出前に起きて軽く朝食をとり、手早く身支度を済ませた。
早く行かないと、朝市の掘り出し物がなくなってしまう。
両手に買い物カゴを持って、今日の『お勧めランチ』は何にしようかと考えながら市場で買い出しをしている時だった。
「号外! 号外! あのアイスバーグ侯爵家がとうとう潰れたよっ! おまけに当主のアシュラムは詐欺罪で指名手配ときたもんだ!」
新聞の売り子たちが、あちらこちらで大袈裟に煽りながら号外を売っている。
「債券者が押し寄せて目ぼしいものは全部持っていって、お屋敷はすっからかんだとさ!」
『アイスバーグ侯爵家』『お屋敷』。
どんな雑踏の中だろうと、私の耳は容易にその単語を拾ってしまう。
――そうか。
とうとう潰れたか。遅かれ早かれそうなるとは思っていたけれど。
想定していたこととはいえ、実際にその事実を聞くと、やっぱり胸が締め付けられる。
アイスバーグ侯爵家は私の生家であり、二十歳まで住んでいた屋敷だ。
長い歴史を誇る名家で、国内随一の商会を経営する一族として、国内外にその名を轟かせていたのに。
最後の当主となったのは、私の従姉妹であるコラレットの夫のアシュラム。
口が達者なだけの顔しか取り柄のない男。
帳簿すら読めない脳なし男。
よくも――よくもやってくれたわね!
沸々と湧き上がる怒りを抱えて、私は足早にアイスバーグ侯爵家へ向かった。
◇◇◇ ◇◇◇
アイスバーグ侯爵家の正門は、左右に大きく開かれていた。
かつては、その門をくぐるには相応の資格を必要とし、門の側には常に騎士が目を光らせていたはずなのに。
屋敷は心無い人たちに荒らされてすっかり変わり果てていた。
債権者たちが強盗ばりに手荒く略奪していったのだろう。
エントランスへと続く小道は泥にまみれ、お母様と一緒に植えた思い出の花たちも踏み荒らされている。
家人はいないようだ。使用人たちも持てる物を持って逃げたのだろう。
敷地には、滅多に立ち入れない貴族の屋敷を一目見てやろうという野次馬たちが大勢いて、何がおかしいのか高笑いしながらはしゃいでいる。
中には酒ビンを振り回している輩まで……。
お祖父様がご覧になったら何ておっしゃるだろう。
あの怒りに満ちた目を直視できる者などいないだろう。
お祖父様がもう少し長生きされて、満足のいく相手をコラレットの結婚相手として選んでいたら、こんなことにはならなかったはずだ。
そして、私とお母様もこの屋敷から追い出されることはなかったと思う。
――女のくせに小賢しいまねしやがって!
――居候が俺に生意気なことを言うな!
久しぶりに屋敷を見たせいか、脳内にアシュラムの怒鳴り声が蘇った。
苛烈な性格で皇帝に対してもはっきり意見を述べるお祖父様も、二人の娘には甘かった。
跡取りとなる養子を迎えることを検討しながらも、娘婿に期待をしていたらしい。
身内のこととなると目が曇るのか、私から見ても伯母様の夫のパフィオにそんな才はなかった。期待するところなんて最初からなかったと思うのに……。
私の父は、私が物心つく前に病死してしまったので、お祖父様の跡を継ぐのは、養子として迎える遠縁の男児か伯母様の夫の二択となっていた。
そんな折、お祖父様が弁護士を呼んだ。
ついに決心をされ、遺言書を作成するのだろうと、屋敷内は騒然となった。
パフィオは、自分が後継者として遺言書に記載されると信じきっていた。
あの時の伯母夫婦の浮かれようといったら!
パフィオは、お祖父様の執務室から出てきた弁護士を捕まえて自室に強引に招き入れ、あれこれと探りを入れていた。
もちろん弁護士は守秘義務を守り、そのことがバレたパフィオは、お祖父様にこっぴどく叱責されていたけれど。
そればかりか激怒したお祖父様は、「遺言書は二種類作成した。そのどちらに署名するかはまだ検討中だ」と言い放った。
パフィオは弁護士を追求したことで株を下げた格好となり、誰の目にも憔悴していた。
だから、その直後にお祖父様が倒れた時、私は密かに彼を疑った。
でも主治医がキッパリと病死だと宣言した。
今にして思えば、直前に呂律が回らなくなっていたから、多分、脳卒中を起こしたんだと思う。
そして二通の遺言書にはどちらも署名がなかったため、家督は長子である叔母様に渡った。
お母様と私は別館に移され、必要最低限の額しか支給されなくなった。
私は家令と一緒に経理業務をしていたのに、お給料さえ払ってもらえなかった。
本館では伯母様も従姉妹も湯水のようにお金を使っているというのに。
そして従姉妹のコラレットが子爵家の次男であるアシュラムに一目惚れをしてしまい結婚すると、アシュラムが、「義父をサポートしつつ当主の仕事を学びたい」と口を挟むようになった。
アシュラムはこれまで渡り歩いてきた貴婦人たちに詐欺まがいの手口で安物の宝石を高額で売りつけることでパフィオの信頼を得て、徐々に権限を拡大していった。
仕入れや売上を見れば、異常な事態であることは一目瞭然だというのに、数字を読み取れないパフィオは、「○○のルビーのネックレスが△△で売れた」と言うアシュラムの言葉を盲信していた。
祖父の代からの取引先が離れていき、商会の信用が落ちるまであっという間だった。
毎月山のように送られてくる請求書と商会の従業員たちからの嘆願書。
アシュラムが開拓したという新規顧客からもクレームが絶えなかった。
私より先に音を上げたのは高齢の家令だった。
「マリレーンお嬢様。申し訳ございません。もう体がいうことを聞きません。忠誠を使った先代は先に逝かれてしまいました。私も暇をいただきとうございます」
「……ランセ。そうよね。私たちはあなたに甘えすぎていたわ。今の給金と同じ額を年金として生涯あなたが受け取れるよう、それだけは私がなんとかしてみせるわ」
「いいえ。もう既に十分いただいております」
ランセは無理だと思っているようだったけれど、伯母様だって子どもの頃から世話になっているはずだから、これくらいは通ると思ったのに。
……甘かった。
彼らの情を期待した私が馬鹿だった。
「年金? なんだそれ? 働きもしないのになんで金をやらなきゃならんのだ」
「そうよ。長く働いてきたんだから彼だって十分蓄えがあるでしょう」
伯母夫婦の言葉に耳を疑った。
あれだけ長い間、アイスバーグ侯爵家のために身を粉にして働いてくれた忠臣に対して、よくもそんな酷いことが言えるものだわ。
アシュラムまでもが私に暴言を浴びせた。
「マリレーン。だいたい君も生意気だぞ。家令は現当主であるお義父様の家臣だというのに、まるで自分の家臣のことのように言うんだね」
アシュラムは伯母夫婦の前では仮面を被って丁寧な言葉遣いだけれど、私と二人きりの時は、「お前」呼ばわりしてくるろくでなしだ。
経理を担当している私が、自分の金に触っているのが許せないと、事あるごとに文句を言っていた。
「君は会長であるお義父様を下に見ているんだろう? 金のやりくりをしているのは自分だっていつも偉そうにしているよね」
アシュラムは事実を歪めているのに、伯母様たちは額面通りに受けったらしい。
「まあ! 家族だと思って面倒を見てやっていたのに! この恩知らず!」
私の失態だ。
こうなることくらい予想できたはずなのに。
まさか別館を追い出されるなんて思ってもみなかった。
お母様も私もこの屋敷で生まれ育ったけれど、お母様は私の何倍も思い入れが強いだろう。
申し訳なくて情けなくて、この世界に生まれて初めて本気で泣いた。
……そう。
私は前世の記憶を持って生まれたのだ。
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