1. ブリテン王の伝説
その昔、美しい姫に焦がれたブリテン王。
しかし、姫には愛する夫と三人の娘がいた。
報われぬ愛に、王の想いは日々募るばかり。
恋煩いの王は、ついに大魔術師に懇願する。
偉大なるマーリンよ、どうかあの姫を私のものに。
すると大魔術師は、『ふぅ』と大きなため息をつく。
これは避けられぬ宿命。我らが神の引導なり。
ブリテン島を解放する者を得るために。
さあ、ブリテン王よ、誓うがよい。
姫が産む子を我が手に委ねると。
そうして、王はついに姫と褥を共に。
そうして、生まれた息子はマーリンが元へ。
やがて王は死に、国は王位を争う混乱に。
民の犠牲を憂いた司祭は、声高らかに宣言す。
この岩に刺さった剣、引き抜ける者こそ真の王。
志ある者こそ、神の選定に挑むがよい。
その偉業を成し遂げたるは、田舎騎士の養子。
選定の剣を手にした少年に、養父は恭しく跪く。
『貴方こそ真の王。どうか私を貴方の騎士に』
その言葉が頭の中で響いた瞬間、若い王女はハッと目を覚ました。
乱れた赤褐色の長い髪が、彼女の真珠色の頬に纏わりつく。細く白い指先がそれを払うと、黒みががった茶色の瞳が微かな光を反射して煌めいた。
そこは薄暗い牢獄の中。石壁の高所にある小さなはめ殺しの格子窓からは、すでに初夏の朝焼け色が差している。
王女が粗末なベッドからそっと身を起こすと、まるで月経時のように股から何かが流れ出た。
下着を汚したのは血ではなく透明な液体。それが膣に出された精液の残滓だと分かると、彼女は昨夜の行為を思い出して頬を緩める。
彼女のすぐ隣には、半裸の青年がまだぐっすりと眠っていた。
逞しい体躯と丹精な顔立ちをした若者は、王女が最も信頼する幼馴染。互いに好意は感じていたが、王女と臣下ではそれ以上の関係は望めなかった。
しかし、監獄の中では誰もがただの囚人になる。ここに収監されて、ようやく二人を隔てる身分の壁が崩れた。
いつ処刑されてもおかしくない状況下、若い二人は生き長らえるよりも、情熱に命を燃やすことを選んだのだ。
「そこにいるのは分かっていますよ。隠れてないで出てきたらどうです?」
青年を起こさぬよう、王女は小さな声でそう言った。すると、床をちょろちょろと這っていたイモリがあっという間に黒いフードを被った老人に代わる。
見た目からは男女の区別がつかない。老人は骨と皮だけの手に、背よりも長い杖を持っていた。
「王女さんは相変わらず目ざといのお。わしの変身を見破られるとは思わなんだ」
「姿は見えなくとも匂いは消えないですから。おばば様は臭いんです」
「な、なんと失礼な! 加齢臭は香で消しておるっ」
「その香りが強烈すぎるんです。いい加減、変えたらいかがです?」
「何を言うか。麝香は男を惑わす『ふぇろもん』じゃ。わしが使わずに誰が使う!」
男という言葉に反応して、王女はベッドをそっと確認する。夜通しの情事で精根を使い果たしたのか、青年は目を覚ます気配はない。
それでも、この奇妙な老人の存在を知られてはならないと、王女はシーっと唇の前に人差し指を立てる。
「心配せんでもいい。このマーリン様の得意技を知っておろう。私が去るまで、この男は目覚めんよ」
「なんてことを。看守が来る前に、ここから出なくてはいけないのに……」
死刑囚が己の独房を抜け出して、女と寝ていることが公になれば、恩赦による減刑の希望も潰える。
その女が国家反逆罪の嫌疑をかけられた王女ならば、なおさら事態は深刻だった。
「その看守も寝ておるよ。昨夜はわしに夢中だったからのお」
老婆はポッと顔を赤らめ、皺だらけの手でしわくちゃな頬を包む。その様子に、王女は深々とため息をついた。
「もういいです。一体、何をしに来たんですか? ああ、いつもの予言ですか。じゃ、私は今日死ぬんですね」
「そんなわけなかろう。これから死ぬ者に予言なんかして、なんの意味があるんじゃい」
大魔術師マーリンはブリテン王とその後継者にのみその姿を見せる。それは王家に密かに伝わる伝説で、彼女の予言を受けるものはやがて王位に就くとされていた。
しかし、歴代の王にはそれを迷信だと一蹴する者も少なくない。王女の異母姉は敬虔な聖母信仰者で、魔術師を悪魔の手先として退けた一人だった。
「あれは王女さんの恋人かい? いい男ぶりじゃないか。お前さんも面食いだのぉ」
「ただの友人よ。処刑される前に一度だけ……って頼むから」
王女はせいっぱい冷静を装う。まるでこの男を愛していないような口ぶりで、苦し紛れの言い訳をした。その初心な様子に、老婆マーリンは必死に笑いをかみ殺す。
「で、処女を捧げたんかい。王女さんは騙されやすいのぉ」
「何を根拠に……」
王女は耳元で一晩中囁かれた愛の言葉を思い出す。どれも誠実な告白と真剣な誓いだと思っていたが、単に一夜の快楽のための餌だったのかと、思わず訝しむ。
「コレコレ、そうやって何でも信じてしまうとこじゃよ。この男はの、処刑なんぞされやせん」
「え、それは予言なの? 彼は死なずに済むの?」
瞳を潤ませながら問う乙女に、老婆マーリンはニコニコと頷く。
若い恋人たちには、未来への希望こそが生き抜くための糧だった。たとえ、その先がどんなに苦難に満ちたものであっても。
『貴方こそ真の王。どうか私を貴方の騎士に』
歴史の中でこの言葉を紡ぐため、この男はこの女を愛する宿命を持って生まれた。そして、マーリンはその『歴史の証人』となる使命を担う。
今回も無事にその任務を遂行できた。その満足からか、マーリンは嬉々として更なる未来を読む。
「だいたいのぉ、こんな濃い男との交わりが、一度だけで済むわけなかろうが。お前さんの中にはの、この男が三千九百二十六万八千四百十七回入っては出るんじゃ。そういう運命ぞ」
珍しく詳細な予言を残してマーリンが去ると、若い王女は顔を真っ赤にしてその場に膝から崩れ落ちた。




