第一章「銀嶺号」
七日目の朝は、音のない朝だった。
コントロールセンターの壁面を埋めるモニター群は、電源を落として久しい。かつては全国二十万台の自動運転車両の位置がリアルタイムで流れていた画面が、今はただの黒い板になって蛍光灯の残光を鈍く反射している。その蛍光灯も、七日前から一本も点いていない。原発由来の限定給電は霞が関や自衛隊拠点に優先され、日環ロジスティクスの新座拠点には回ってこなかった。
早瀬凪は、管制フロアの窓際に立って駐車場を見下ろした。百台以上の自動運転トラックが、崩壊の瞬間に止まったままの姿勢で並んでいる。向きも角度もばらばらで、まるで糸を切られた操り人形の群れだった。NERVAが生きていたころ、あの車両たちは秒単位の精度で隊列を組み、高速道路を流れるように走っていた。今は車輪の下のアスファルトに薄く苔が這い始めている。たった七日で。
窓ガラスに自分の顔が薄く映った。三十一歳。目の下の隈が濃い。崩壊の日から清瀬の自宅には一度も帰れていない。電車は止まり、自転車は道路交通法の改正で原則禁止、パーソナルモビリティも通信途絶で制御不能。直線距離ならわずか五キロの自宅が、手の届かない場所にあった。
背後で足音がした。
「早瀬主任、一階の配水が終わりました」
同僚の宮田が声をかけてきた。二十六歳、配車管理の担当。崩壊前は端末の前で数字を追いかけていた青年が、今は給水タンクの残量を手書きの台帳で管理している。
「ありがとう。残量は」
「あと二日分です。煮沸用の燃料を考えると、実質一日半」
「食料は」
「レトルトが百二十食、缶詰が八十。住民四十六人、スタッフ十三人で割ると……」
「二日だね」
「水と同じです。一階の住民さんたちの顔、見ました? 昨日から目に見えて元気がなくなってます」
「見た。咳が止まらなかった七十代の男性は」
「今朝は少し落ち着いてます。ただ、薬が切れてるんで、これ以上長引くと……」
「わかってる」
「自衛隊からの追加補給は」
「五日目の一回きりです。あの水と乾パンが最後で」
「今朝の見回りの隊員には?」
「聞きました。西日本の支援に手一杯で、首都圏まで回す余裕がないと。宗国の牽制にも人員が割かれているって」
「あっちは三十五年前の大震災の復興で自動化に全振りしたからね。NERVAが落ちたら手動で動かせるものが何もない」
「こっちも同じですよ。駐車場のトラック、百台以上あって一台も動かない」
「知ってる」
凪は窓の外に目を戻した。NERVAの管制信号がなければ、車輪ひとつ回らない。崩壊直後からこの拠点を緊急支援所として開放し、凪と同僚十二名で近隣住民に食料と水と毛布を配ってきたが、物資は底を突きかけている。
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NERVA──Networked Engine for Routing, Vehicles & Autonomy──、通称「社会の血管」。日本の陸海空すべての自動運航の要となる AI システムであり、日本の道路はもはやNERVAなしでは走れない。
日環ロジスティクスでは、自社の運行車両をすべてNERVAに登録し、関東地区の管制業務をここ新座拠点で行っている。いや、行っていた。七日前までは。
NERVAが死んだ。凪の胸の奥に、喪失感と、その底に沈んだ薄い怒りがあった。わかっていたのに、という怒り。なぜもっと声を上げなかったのかという怒り。それが他人に向いているのか自分に向いているのか、まだ分別がつかない。
凪は管制フロアを出て、一階の支援スペースに降りた。体育館ほどの広さがあるロジスティクスの仕分けフロアに、段ボールの仕切りとブルーシートで即席の居住区画が作られている。朝七時だが、横になったまま動かない人が多い。動いてもしかたがない、ということを人間は驚くほど早く学ぶ。
「早瀬さん」
支援スペースの入口で、同僚の河野が手招きした。三十代後半の女性で、崩壊前は経理部門にいた。
「本社から伝令が来てる」
「伝令?」
「途中まで自衛隊の車に乗せてもらって、最後の三キロを走ってきたって」
伝令。二〇六〇年代の日本で、伝令。NERVAが沈黙し、携帯基地局の非常用電源も枯渇した今、民間には、人間が直接移動する以外に情報を届ける手段がない。
事務室に入ると、見知らぬ若い男性がパイプ椅子に座っていた。日環の社員証を首から下げ、額に汗が浮いている。
「本社、総務部の蒲田です。早瀬主任に、霞が関への出頭要請をお伝えに」
「霞が関」
「省庁横断の緊急会合です。国交省主催の物流復旧に関する──」
「それは知っています。鳥居常務が出ていたはずでは」
「鳥居常務では、その……現場の質問に答えられず、会議が空転しています」
「三日間?」
「はい。現場を知る人間を出してくれと、ようやく要請がありまして」
凪は奥歯を噛んだ。七日だ。崩壊から丸七日。最初の四日は招集にかかり、次の三日は的外れな人選で空転した。その間にも全国で物資が尽き、病院の非常電源が落ち、人が死んでいる。
「わかりました。ただ、霞が関までどうやって行けと?」
「それは──」
「新座からだと三十キロあります。徒歩で六時間」
「本社のほうで自衛隊に掛け合ってみると──」
「掛け合ってみる、では困ります。会議は今日もやっているんでしょう」
「……はい」
「わかりました。なんとかします」
「早瀬主任、まさか歩いて行くつもりじゃ」
「それ以外に何がありますか。蒲田さんは少し休んでから戻って。河野さんに言えば水と食料を出します」
「ありがとうございます」
蒲田が頭を下げるのを待たず、凪は事務室を出た。
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管制フロアに戻り、窓際の椅子に腰を下ろした。デスクの上には崩壊前まで使っていた業務端末がある。NERVAの管制インターフェースが入った薄型タブレット。電池は三日前に切れた。今はただの板だ。電源が入っていたころ、この画面には全国の道路情報がリアルタイムで流れていた。渋滞、事故、気象、路面状態。NERVAはそのすべてを統合し、二十万台の車両を最適なルートに振り分けていた。
凪の記憶の中には、NERVAのデータがある。本格稼働に合わせて行われた全国道路調査──旧道、廃道、林道に至るまで、自動運転対応改修のために徹底調査された膨大な記録。凪はそれを業務の傍ら読みあさり、ほぼすべてを覚えていた。一度見たものを忘れない。一度聞いた数字を忘れない。同僚たちはその能力を「バグ」と呼んで笑った。
今になって、その記憶が重い。道を覚えているのに、走る手段がない。
祖父のことを考えた。早瀬源蔵。三十五年前の西日本大震災の日に、荘川から旧国道を辿って福井、兵庫まで救援物資を運んだ伝説のトラック乗り。しかしその後、居眠り運転で高速道路多重事故を起こし、死亡した。凪が六歳のときだった。祖父が旧道を走って物資を届けた伝説と、いま崩壊した現実が、頭の中で対になりかけて、うまく重ならない。祖父の時代には、少なくともトラックが走れた。いまは、それすらない。
祖父の大きな手。幼い凪の頭を撫でるとき、いつもかすかに軽油の匂いがした。
──ナギ、道っていうのはな、覚えるもんじゃない。走るもんだ。
祖父の声が記憶の底で響いた。凪はそれを振り払うように立ち上がった。三十キロ。靴は非常用持ち出し袋にスニーカーが入っていたはずだ。水は──
そのとき、音が聞こえた。
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最初、地震かと思った。
低い振動が建物の壁を通して伝わってきた。足裏にかすかな揺れ。しかし揺れはすぐに一定のリズムを刻み始め、地震とは違うものだとわかった。
音だ。遠くから近づいてくる、重く、太い音。凪の知っている音ではなかった。NERVAの自動運転車両は電動で、走行音はほとんどない。自衛隊の車両も電動か水素燃料電池が主流だ。
管制フロアの窓に駆け寄った。駐車場の入口から、黒い排気が見えた。内燃機関。この時代に。
一階の支援スペースから悲鳴に近い声が上がった。自動運転の静寂のなかで生まれ育った世代にとって、エンジンの咆哮は正体不明の轟音だった。
駐車場のゲートを押し開けるようにして、一台のトラックが姿を現した。中型の、角ばった車体。銀色の塗装はところどころ剥げて地金が覗き、フロントグリルは虫の跡と泥で汚れている。荷台には幌がかけられ、排気管から黒い煙が薄く立ちのぼっている。ディーゼルエンジンの回転音──低く、重く、断続的に吠える機械の鼓動。この二十年間、日本の公道ではほぼ聞かれることがないはずの音だった。
トラックは停止した自動運転車両の列を避けて駐車場を横切り、支援スペースの搬入口の前で停まった。エンジンがアイドリングに落ちても、周囲の沈黙と比べれば十分に大きい。
運転席のドアが開いた。降りてきたのは老人だった。背は高くないが、降車の動作に無駄がなかった。ステップに足をかけ、片手でドアフレームを掴み、地面に降り立つ。毎日千回は繰り返してきただろう人間の動き。白髪を短く刈り込み、日焼けした顔に深い皺。作業着にカーキ色のベスト、足元は使い込まれた安全靴。
凪は階段を駆け下りた。
搬入口ではすでに同僚たちが老人を取り囲んでいた。住民たちも遠巻きにトラックを見ている。幼い子供がひとり、母親の手を振り払ってトラックに近づこうとしていた。
「あの、どちら様で──」
宮田が半ば腰を引きながら訊いた。
「自衛隊から頼まれて来た。荒木だ」
老人は短く名乗った。声は低く、搬入口の空間によく通った。
「ここの物資を都心に移す。足の早いものを優先で積んでくれ」
凪が前に出た。
「日環です。現場を預かっています。自衛隊からの依頼というのは」
「内々の話だ。正規の命令系統じゃない。だが、物は動かさなきゃ腐る」
「冷蔵物資のことですか」
「ああ。電力がなけりゃ冷蔵は持たん。あんたらのところにも要冷蔵の医薬品が残っているはずだ」
「残っています。温度管理できない状態が続けば、あと一日で駄目になる」
「なら急いだほうがいい」
「この車……動くんですか?」
宮田が呆然と訊いた。荷台の鉄板に手を伸ばしかけて、排気で熱を帯びた車体に驚いて引っ込めた。
「動かなきゃ来られんだろう」
荒木は素っ気なく答えた。宮田の問いが馬鹿げていることは凪にもわかったが、責める気にはなれなかった。二十六歳の宮田は、人間が操作して動く車両という概念そのものに馴染みがないのだ。免許制度が廃止されて二十年以上。宮田が生まれたとき、すでに手動運転は過去の遺物だった。
「積み込みましょう。河野さん、要冷蔵の医薬品リストを出して」
「はい、すぐ持ってきます」
「宮田くん、台車を三台」
「わかりました」
凪の指示で同僚たちが動き始めた。荒木はトラックの荷台の幌を手際よく捲り上げた。荷台にはすでに木箱とコンテナがいくつか積まれている。
「荒木さん、ここに来る前にもどこかで積んできたんですか」
「練馬と朝霞で二箇所。自衛隊の補給所が手一杯で回せない分を、こっちで動かしている」
「一人で?」
「他に誰がいる。手動で動かせる車なんぞ、もうこの国にはほとんど残ってない」
「何日くらい走っているんですか」
「崩壊の翌日からだ。こいつが動く限りは止まらん」
凪は黙った。段ボール箱を持ち上げ、荷台の縁に載せる。荒木が荷台の上で受け取り、奥へ滑らせる。箱の重さを手で量り、重心を見極めて配置を決めていく。
「この箱、縦にしたほうがいいですか」
「横だ。中身は瓶だろう。縦だと振動で割れる」
「わかりました。──こっちのコンテナは奥に入れますか」
「いや、手前だ。重いものは荷台の中央寄りに置く。走行中のバランスが崩れる」
なるほど、と凪は思った。NERVA付帯の貨物自動配置システムも重心配分を最優先パラメータにしていた。理屈は同じだ。ただし荒木のそれはアルゴリズムではなく、数十年の経験が身体に刻んだ勘だった。
積み込みの合間に、凪はトラックのキャブを観察した。運転席にはアナログの計器類がびっしり並んでいる。ステアリングコラムの横に、色褪せたテープが貼ってあった。手書きで「銀嶺」。
「銀嶺号、ですか」
荒木が荷台の縁に腰を下ろし、水筒の水をひと口飲んだ。
「そう呼んでいた。俺が若いころから乗っている」
「ディーゼルのトラックなんて、博物館でしか見たことがありません」
「そうだろうな。こいつが走れる燃料を売ってる場所も、今はもうずいぶんと少なくなった」
「軽油ですか」
「ああ。自衛隊が融通してくれなきゃ、こいつも止まっていた。NERVAとかいうもんが動いていたころは、軽油なんぞ誰も見向きもしなかったがな」
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積み込みが終わった。要冷蔵の医薬品、缶詰の一部、飲料水。拠点に残す分との配分は凪が計算し、河野が台帳に記録した。
「荒木さん」
凪は搬入口で荒木を呼び止めた。
「都心に向かわれるんですよね」
「ああ。新宿、池袋あたりの避難所に下ろして、霞が関にも寄る」
「霞が関」
凪の心臓が跳ねた。
「──乗せていただけませんか。省庁の緊急会合に出なければならないんです」
荒木が凪を見た。表情は変わらない。
「乗るのは構わん。だが──」
「早瀬さん、何言ってるんですか!」
宮田が割り込んだ。声には動揺があった。
「いくら非常時とはいえ、違法行為に加担するのはまずいですよ! そもそも手動運転は違法です! この車だって!」
搬入口の空気が張りつめた。住民たちが振り返る。宮田の言い分は法律上は正しかった。道路交通法第七十一条の三──NERVA管制下にない車両の公道走行は原則禁止。手動運転は「過去の危険行為」として法的に封じられ、教習所はすべて廃校になった。
凪が答えるより先に、搬入口の脇に立っていた自衛隊員が口を開いた。荒木のトラックを先導してきたのか、迷彩服を着た三十代の男が壁にもたれている。
「ああ、彼は問題ない」
口調は淡々としている。
「往年の手動運転免許を持ってる。法改正前に取得した免許は失効していない。既得権益ってやつだな」
宮田が口を開き、そして閉じた。手動運転免許が今も法的に有効であることを、知らなかったのだ。宮田だけではない。この場のほとんどの人間が知らなかっただろう。
「……すみません」
宮田が小さく頭を下げた。荒木はそれに何も言わなかった。自衛隊員もそれ以上口を開かなかった。それ以上言うべきことは、誰にもなかった。
「自衛隊のほうも、もう少し車両を回せればいいんだが」
自衛隊員がぽつりと言った。
「西がひどいんです?」
「ああ。あの大震災の復興で自動化に全振りした地域ばかりでな。NERVAが落ちたら何もかも止まった。うちの独自システムで走れる車両も数が限られている」
「宗国の動きは」
「続いている。南西方面に哨戒を出さなきゃならん。荒木さんみたいな民間の力がなかったら、都内の避難所はとっくに干上がっていた」
凪は荒木に向き直った。
「お願いします」
荒木は短く頷いた。そして、ふと凪の社員証に目を留めた。首から下がったプラスチックのカードに印字された名前。
「早瀬」
荒木が呟いた。
「早瀬、凪」
老人の目が細くなった。凪を見る視線が変わった。品定めでも警戒でもない。もっと深い、記憶の底を探るような目だった。
「……源蔵さんの、孫か」
空気が変わった。搬入口のざわめきが遠のき、凪の耳には自分の心臓の音だけが聞こえた。源蔵。祖父の名前。二十五年前に死んだ人間の名前を、目の前の老人が口にした。
「祖父を、ご存じなんですか」
「知っているも何も」
荒木の声は低く、静かだった。
「同じ会社で走っていた」
凪の呼吸が止まった。祖父と同じ運送会社で、トラックを走らせていた人間。日本中の道路をドライバーが手動で走っていた時代を知る人間。
「あの大震災の夜も、一緒に走った」
荒木はそれだけ言って、運転席に乗り込んだ。ドアが閉まる重い金属音。凪は搬入口に立ったまま、数秒のあいだ動けなかった。
祖父を知る人間がまだいた。その事実が予想外の重さを持った。六歳の記憶。大きな手。軽油の匂い。かすれた声。業界の伝説としての「早瀬源蔵」は知られていても、凪の知る「じいちゃん」を知る人間はもういないと思っていた。荒木健三という老人は、その両方を知っている。
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「早瀬さん」
河野の声で我に返った。
「行くんですね」
「うん。ここは任せる。宮田くんにもよろしく」
「宮田くん、さっきの違法発言でまだ落ち込んでたけど」
「法律を守ろうとしただけだよ。責めないで」
「わかった。──水と食料、二日以内にどうにかなるなら持たせます」
「霞が関で自衛隊にここへの補給を掛け合う。約束する」
「頼みます。……ねえ、早瀬さん」
「なに」
「あの人──荒木さん、お祖父さんのこと知ってるって言ってたけど」
「うん」
「大丈夫?」
「大丈夫。たぶん」
河野が手を差し出した。凪はその手を握った。乾いた、しかし温かい手だった。
「気をつけて。手動運転のトラックに乗るなんて、昔の映画みたい」
「私も信じられない」
凪は苦笑した。苦笑できる程度には、まだ余裕があった。あるいは、余裕があるふりをすることが、ここを離れる自分に許された最後の仕事だった。
助手席のドアは重かった。鉄の塊を引き開けると、車内の空気が溢れ出した。革と油と金属の匂い。そして、かすかに──ディーゼルの匂い。軽油が燃えた残り香。
ステップに足をかけ、シートに身体を引き上げた。座面は硬く、スプリングの感触がじかに背骨に伝わる。自動運転車両の座席とは根本的に違う。あれは乗客のための椅子だった。これは運転者のための椅子だ。
荒木がサイドミラーを調整した。エンジンの回転数を少し上げると、車体全体が低く震えた。
「シートベルトを」
「あ、はい」
凪は腰の横を探り、金属のバックルを見つけた。ベルトを引き出して装着する。金具が噛み合う小さな音。自動運転車両にもシートベルトはあったが、形式的なものだった。今、この古いトラックの中で金具を留めたとき、凪は初めてその本来の意味を理解した。これは、命綱だ。
荒木がギアを入れた。重い金属の接触音。クラッチペダルが上がり、車体がゆっくりと前に動き出した。
「揺れるぞ。つかまっていろ」
窓の外で、宮田と河野が手を振っていた。幼い子供がトラックに向かって両手を振っていた。凪は窓越しに小さく手を上げた。
駐車場を出ると、停止した自動運転車両がところどころに放置された一般道。信号機は消えている。七日前まで、NERVA管制下の車両が整然と流れていた道を、銀嶺号のディーゼル音だけが満たしている。
荒木はハンドルを右に切り、南へ向かった。凪はサイドミラーに映る新座拠点の建物が小さくなるのを見つめた。
エンジンの振動が、一定のリズムで続いている。ディーゼルの匂いがキャブの中に満ちている。
凪はその匂いを吸い込んだ。肺の奥まで。そして、不意に、記憶が揺れた。
六歳の夏。祖父のトラックの助手席。座面が高くて足がつかなくて、シートベルトが肩に食い込んでいた。大きなハンドルを握る祖父の横顔。たばこは吸わないのに、いつも軽油の匂いがした。
──ナギ。
祖父の声。記憶の底から、はっきりと。
──ナギ、この匂いな。これが道の匂いだ。覚えとけ。
窓の外を、停止した自動運転トラックの列が流れていく。高速道路の高架の上にも、錆び始めた車両のシルエットが見える。その手前を、自衛隊の車両が一台、西へ向かっていった。
凪は目を閉じた。
祖父の声がまだ聞こえている。二十五年前の声。軽油の匂いの中で語られた道の話。祖父が何を話してくれたのか、凪は完璧に覚えている。一度聞いたことは忘れない。そういう頭に生まれた。だがそれは今、開くべき記憶ではない。
まだ、その時ではない。
銀嶺号のエンジンが低く唸り、凪を乗せたトラックは都心へ向かって走り続けた。窓の外では、止まった世界が後ろへ流れていく。この国の血管はすべて詰まっている。だがいま、一台だけ、旧い心臓を持つ鉄の箱が、その血管の中を動いている。
春の朝の光が、銀嶺号のフロントガラスを白く照らした。
人間がアイディアを出し、本編完結までに AI の力をおよそ 12,000 クレジットお借りし、最後は人間の手で修正を加えました。
人生で初めて作品と呼べるものを作れたかもしれないといううぬぼれとともに公開いたします。




