24皿目 祝宴5(一章完結)
「久しいな」
「……」
「……わからぬよな。わたくしもすっかり、お婆さんになってしまった」
女は春子を見てから下がった。
それからピンと伸びた背でゆったりと、礼をする。
春子の頭に満天の星空と、それを背に負い長い影を作った小さな少女が浮かんだ。
「ああ。今日はあのきんきらの服は着てないんだね」
女は白の、何の柄もない服を着ている。
「身分なき宴、無礼講だと呼び出しておいて本人だけ着飾るわけにもいかぬのでな。ここオルゾの一般的な服だそうだ。麻だから涼しくてよい。トマスに王位を渡したら私は毎日こういう服を着たい」
「ふうん。なんにする」
「まだあるならば、あの日食べたものを」
「はいよ」
「……覚えておるのか」
「おでん屋だからね」
はんぺん、がんもどき、最後の大根。
汁を回しかけ、今日はからしをつける。
皿の上に、稲荷をちょん。
「酒は」
「……いただこう」
「熱いの、ちょっとぬるいの、冷たいのがあるよ」
「……熱いのにしようか」
とっとっとっとと注いで銚子をとぷん。
あたたまったそれを女の前に置く。
女の手が銚子を傾ける。
底の青い蛇の目模様が、女の注いだ酒で揺れる。
作法を知っているかのように女は猪口を上品に持ち上げ、口をつけた。
「……美味い」
ふうっと息を吐き、唇の端に皺を寄せて女は微笑む。
そうしている間にも誰かが皿を返しに来たり、おかわりできるか聞きにきたりと忙しい。
来るたびそいつらは腰かけている女に驚き、礼をし、そしてやっぱり笑いながら戻っていく。
女はその様子を眺めながら静かに食い、飲んだ。
やがて皆がわいわい騒いでいる場所から、歌が響いてきた。
あのきんきらきんの大小と親父、それに死にかけていた、ギャーギャーうるさい奴らの仲間の長髪が中央で歌っている。
伸びやかで重みのある、艶めいた声が響く。
人々が笑い合っている。
つるはしを担いで歌に合わせて踊っている奴らがいる。
おでん以外にもたんまり並んでるうまそうな料理を皆が食い、酒を飲んでいる。
どこかで咲いているのだろう赤、桃色、白の花びらが空を舞う。
「……美しいな」
「あぁ」
幼稚園くらいの女の子が走り寄ってきた。
「女王陛下!」
「なんじゃ」
「かんむりをどうぞ!」
女の子の手には花で編まれた輪が握られている。
子供らしい不細工な、ぼこぼこした輪である。
「クリスティーナ! やめなさい失礼な!」
走ってきたのはあの握り飯で大騒ぎしてたやつらの一人だ。
ぺこぺこと頭を下げている。
「植物研究家シードル=フロムシン。そなたの娘か?」
「は! 日に日に口が達者になっておりまして大変参っております。お食事中のところをお邪魔し誠に申し訳ございません!」
「よい。では受けようかクリスティーナ。わたくしに冠を授けてくれ」
女の子の目が輝く。
座っている女の頭に、よいしょと伸びた小さな手が花の輪を置く。
「そなたの御代に幸せが溢れんことを」
「ありがたく」
「……一体どこで覚えるんだろう本当に」
娘の手を引き、頭を下げながら男は去っていく。
さっきとは別の歌が聞こえる。
つるはし以外も踊りだしている。
皆が笑っている。美味しそうなものに囲まれ、あたたかな光の中で幸せそうに歌い、踊っている。皆がおなかいっぱいで、暑くも寒くもなく、怪我もせず。
風が吹きさっきよりも多くの花びらが舞った。
質素な麻の服を着て花冠をつけた女がそれを見ている。
「……」
女は春子を見た。
春子は菜箸を持ったまま笑った。
「叶ったじゃねぇか」
「……ああ」
ふっと女も笑う。
「なんと幼く、あさはかで、……純粋な、夢であったことか」
女の頬を涙が伝う。
麻の服にそれは落ち、吸い込まれていく。
「……」
声もなく女は泣いた。
今回は一粒だけではなかった。ひたひたと、終わりがないかのようにそれは落ちる。
やがて女は顔を上げ、春子を真っすぐに見つめた。
「ありがとう。そなたは約束通り、ずっと見ていてくれていたのだな」
女は微笑む。
「ありがとう。心から感謝する。おかげでわたくしはわたくしの役割をやり切った。これまで幾度となく死にたいと願ったとき、そなたとのあたたかき思い出が蘇り、そのたびにわたくしをその深き暗闇から救った。……この世に生まれ、今日の日まで生きていてよかった。今生が終わりまた生まれ変わり、子供に戻れたらまたともに、鬼ごっこをしような。……長く付き合わせて悪かった。馬鹿馬鹿しいことばかり見せたな。もういい加減、わたくしに付き合うのにも疲れたであろう。ゆっくりと休んでくれ。……幼き日、わたくしはずっとそなたに向けてその名を呼びたかった」
涙がまた、一筋。
「ありがとう、フーリィ」
笑い合う人々を、舞い落ちる花びらを背景に
花冠をつけた麻の服の女はそう言って晴れやかに笑った。
気が付けばいつものお狐さんの前だった。
じっと見つめる春子の目の前で石にひびが入った。
春子はそれをじっと見つめる。
ひびは大きくなり、やがてがらがらとそれは崩れた。
「……」
ころんと転がった狐の首の動きがやがて止まり、春子を見ている。
「……満足かい」
返事はない。だが狐の細い目は晴れやかに、笑っているように見えた。
「……フン」
しばらくそこに立っていた。
だが彼はもうきっと何も言わないので、売るものがなくなった春子は、今日は屋台を引っ張って来た道を引き返した。
「お疲れさん」
背中の後ろに一言だけ付け足し、言い捨てて。
春子は偏屈な年寄りの、おでん屋台店主である。
酒は一人2合まで、銘柄は一つ。
冷ならそのまま、燗なら徳利に入れてとことこと温める。
変わってしまった街の中。
今日も春子は変わらずに、屋台に来た客におでんを食べさせる。
~おでん屋春子婆さんの偏屈異世界珍道中(一章)~ 完
一章最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
作品に対するご感想、☆評価、ブックマーク、レビューがもしあればここでお待ちしております。
いずれもあればで大丈夫です。
どうもありがとうございました。活動報告にご挨拶を載せております。




