【29】女王の一日7
「ついに来たなあ」
東の砦がざわめいている。
転移紋から続々と軍人たちが送られてきている。
「宣戦布告もなしにいきなりか。大国のくせに野蛮だなロクレツァ」
銀の髪をなびかせ、レオナールが言う。
「俺たちも小隊長か……責任重大だぞ作戦無視して突っ込むなよガット」
「おう任せとけ」
「不安だ……」
クリストフとレオナールが頭を抱えた。
「マルティンは騎馬隊だな」
「もちろん。10人分は働くさあの男は」
「恐ろしい」
「それにしても……」
「ああ。ミスラルとは恐れ入ったね……」
彼らの手には白く輝くミスラルの剣、体には同じく輝く白き甲冑がある。
希少で、加工の難しいこの金属が剣や甲冑の形を取っているだけでも恐るべきことなのに、まさか自分たちのようなクラスにまでいきわたるほどの数があるとは。
「軽い。浮くって本当か?」
「さあ。伝説の戦争でも出ていない装備だぞ。なんだか敵さんに申し訳ない」
「気を抜くなガッド、レオナール。それじゃあ持ち場に。戦術はわかったな」
「ああ」
「なあ、これってさ」
「うん、『9掛け』だね」
ガットが手元の紙をじっと見る。
「……前より嫌じゃねぇや」
「伝えとくよ。喜ぶ」
ふっと甘く笑って手を上げクリストフは去った。
「あーあ、すっかり落ち着きやがって」
「まったくだ。隙が無さ過ぎて嫌味が過ぎる」
「……」
「鶏のトマト煮」
「ぶっ」
何年経っても面白いのがあの日のあの男のいいところである。
かつてマルティンから送られてきたイラスト入りの『クリストフの幸せな報告』の手紙は東の砦の若手寮の目立つところに張っておいた。万事そつのない嫌味な男に、あれで溜飲を下げた同期も多いことだろう。
良いことをした、とレオナールは思っている。
「それじゃ。本当につけたんだな赤のふさふさ。さすがにヘルムまでは上で打ち止めで逆に良かったじゃないか」
「おう。かっこいいだろう」
「すごく馬鹿っぽい」
「いや、かっこいい」
そうして別れた。
最後の別れかもしれないことは誰も言葉に出さなかった。
自分たちは軍人。人を殺して、人に殺され、国を守る生き物である覚悟はあの夜についている。
『今オーガスタス = グリーナウェイが名乗りを上げに向かっております』
「何故あの者が出た」
『本人の希望です。『死にやすい仕事は老人の仕事だ。それにわしはあの日以来どうも死ぬ気がせん』と譲らず』
「あの者らしい。まったく、そんなわけがあるか。グリーナウェイ及び前方の陣の者たちに4名の歌は聞かせておるな」
『は。……言いたくはありませんが、呪われの歌を戦いに臨む戦士にとはあまりにもむごいですぞ陛下。しかも説明もなく内のものに不意打ちでとは何事か! あまりにも、あまりにもやり方が卑怯だ!』
「昂ぶっておるな今日は随分と言うではないか。何、念のためよ。まさかそこまでは落ちておらんと信じたいものだ」
突然連絡機の向こうからバンと爆発音がした。
「……どうなった」
『信じられない……信じられない! こんなことあっていいわけがない!』
「何があった」
『こんなこと……奴らはもう人ではない! 奴ら人に魔法を向けました! 一騎で名乗りを上げながら前に出たオーガスタス=グリーナウェイを、いきなり炎の魔法で焼きました! 信じられない! 奴らはもう魔物だ! 畜生の所業だ! 人に魔法を向けるだなんて!』
「……」
『ああ、勇敢なる歴戦の老兵オーガスタス=グリーナウェイ! 戦場の鷹オーガスタス=グリーナウェイ! 剣以外のもので死ぬとはなんという無念であろういや待て。起き上がった……? ピンピンしている? 何故だ確かに魔法は放たれたのに!? 一体何故生きている老兵オーガスタス=グリーナウェイ! 戻ってまいります戻ってまいります。何故か笑顔です。え、何々?……こう申しております。『敵の中にロクレツァの王がいた。あの憎たらしい目、わしが忘れるものか他を隠したところでバレバレよ。位置はT-1-45と戦術家に伝えよ。戦場のファルコ、老将オーガスタス=グリーナウェイ! 老いてもその目は衰えてはおらぬ!』と』
「ほう」
顎に手をやり、女王は考えこんだ。
「ジョーゼフ、残りの白歌の民を戦場に送れ。何重にも、厳重に守るように」
「は」
「トマス、ロクレツァの王位継承権一位は誰だ」
「現王の次男のカルロです。強すぎる父に押しつぶされた、実に御しやす……仲良くできそうな人物ですよ」
「そうだな」
にやりと女王と次期王は笑い合った。
「では強すぎる父を今日ここで殺そう。ロクレツァの首をすげ替える。何、人に魔法を向けたのだ我らが正しい。今の音と声、記録済だな」
「は。こたびのトトハルトの発明品の活躍のこと。彼がこの世にいることに感謝せねば」
「うむ。セレンソン連絡機を持て。戦場に語り掛けよう」
「は」
「本当ならばわたくしも戦場に赴きたい。ともに行くかトマス」
「なりません」
「ふん」
セレンソンは二人のやりとりに頬を真っ赤に染めて歩み寄った。
自分は今すごい場所に立っていると、目を輝かせながら。
オーガスタス=グリーナウェイに向けて魔法が放たれたのを見た軍人たちは、固まった。
数秒後、地面を割らんばかりの怒号が満ちる。
皆が怒っていた。怒り狂っていた。大陸を分け合う力と技の純粋なぶつかり合いを奴らは汚したのだ。これ以上ない卑劣なやりかたで。あまりにも外道な方法で。
ギリギリと歯を食いしばり、軍人たちが剣に手をかける。
作戦もなにも吹っ飛びそうだった。いや、そもそも作戦は変更しなくてはならなかった。相手が当然正々堂々と、剣と弓と知を持って戦うと信じた上での作戦だったのだから。
『聞け。我がアステールの勇敢なる軍人たちよ。王エリーザベドである』
拡声器で大きくなったとはいえ限度のあるはずのそのお方の声は、不思議に戦場の狂乱に響いた。
「……」
「……女王陛下」
普段から文句しか言っていないはずの軍人たちは、それでも女王から名指しで呼びかけられ、その口を閉じた。
『今そちらに白歌の民が向かう。彼らの歌う歌には、受けた魔法を魔術師に反射する力がある。この世に残った奇跡の歌がそなたたちを、魔物に成り下がったロクレツァ王の外道の行いから必ず守り、正しき鉄槌を返す。何も恐れず、己の技と力、作戦を信じて進むが良い』
まさにその瞬間、白のローブを身にまとう僧侶姿の者たちが続々と到着した。
『歌え白歌。古代より伝わりし、人を人たらしめる最後の誇りの守り歌』
女の細い声が上がった。男の低い声が重なる。先ほどよりは低い女の声。先程よりは高い男の声。
すべてが重なり、フッと消えた。
「……え?」
『声』を感じる。そこに歌があるとわかる。
それなのに、なにも聞こえない。
鼓膜がビリビリ震える。肌がゾクゾクする。
それでも聞こえないのだ。何も。
「なんだ……」
「ビリビリする。……体が、震えているような」
身を震わせる男たちの前で美しく、優雅に彼らは礼をした。
歌が終わったのだと軍人たちは悟る。
星の光を纏ったような美しき民たちが揃いの服をひらめかせて戦場に浮かんでいる。
『進め。作戦の通り。身につけた技を、力を、魂を見せつけよ。わたくしは常にそなたらに言ったな。力は使うべきときに使えと。今はそのときではないと。耐えよ、我慢せよと。繰り返し繰り返し言った。今はそのときではない、今はそのときではないと。何度も何度もそなたらに言い続けた』
戦場に再び白歌が響いている。
『今ぞそのときである。全力でその力を見せつけよ。進め。アステールの勇敢な男ども。蛮族をそれ以上国民に近づけるな。固き盾となり、鋭き剣となり、全力で我が国の国民を護れ』
戦場が静まり返った。白歌以外。
『今ぞそのとき、今ぞそのときである! 進めアステールが誇る雄々しき軍人どもよ! 今日、ここに、今! その体に持てるもの全て、全力でぶちかませ!』
「!」
女王の声は戦場に一迅の風となって吹き男たちの背中を押した。
オオオオオ! と声を上げて男たちは走り出した。
事前の作戦のとおりに。訓練の通りに。光るミスラルの鎧と剣を持って。
敵の魔術師たちが詠唱を始めた。
「うっ」
「ああっ」
まるで当たり前のように、バタバタと己の魔術に自爆し倒れていく。
矢の雨が降る。盾によってそれをはじく。
戦場で、戦争が始まった。




