【27】女王の一日5
少し前のこと
「ん?」
国境監視人ヤコブ=ブリオートは眉を寄せた。
遠くから、何か地響きのようなものを感じた気がしたからだ。
遠眼鏡を目に当てのぞき込むがよくわからない。
もっと国境のギリギリまで行ってみようかと年老いたロバに乗ったときそれは現れた。
『おお、トゥルバ=テッラ!』
『ヤコブ。武装し殺気に満ちた男たちがこちらに向かっている。地を埋めるほど大量にだ。俺はこれからパルパロと家族を南に避難させる』
『場所を教えてくれ』
『先頭は今ラタプマウンガ付近だ』
『とんがり山だな。わかった』
馬に乗るトゥルバの後ろにはパルパロを挟み、赤子を背負い勇ましく馬にまたがる土族の女性がいる。
トゥルバは結婚した。子も設けた。そういうしきたりなのだという。
『……戦争か……』
『それ終わればここに戻る』
『何故!?』
『この国に関わるならばそれはラントに関わることだ。息子の旅路を見守るのは父の役目だ。何が起こるのかを見届ける。いざとなったらお前を乗せて逃げよう。お前のロバは遅く、お前に何かがあればラントが悲しむ』
『……』
結婚しても、血を分けた子が生まれても
やっぱりトゥルバ=テッラはラントの父なのだ。
ヤコブは己の目が潤むのを感じた。
『わかった。わしはこれを今から国に報告する。わしもまだ逃げない。国境監視人だからな』
『そうか』
わずかにトゥルバが笑った。
『疾く、戻る』
大量のパルパロを引き連れてトゥルバが走る。
◇◇◇◇◇
「武器の予算を削ったのはあなた様ですぞ女王陛下!」
不敬にも陛下に詰め寄る軍部の男を、武官パウロ=ラングディングは必死で止める。相手は現場の者だから言葉が荒い。
パウロはここ何年も、軍部の中で国のためにパウロなりに戦った。年々増す内部にくすぶる陛下への不満を聞き出してはなんとか懐柔し、ときに道化を演じ、誘導し上手い具合に発散させ、ときには秘密裏に陛下に報告して都度対応を求めた。戦いたい軍部と、戦わない女王。老いぼれのうぬぼれと笑われるかもしれないが、対立するものの間を取り持つパウロがいなければ軍部の怒りはすでに爆発し、国は今日現在の形をとどめていなかったかもしれない。おかげでここ数年でパウロはすっかり痩せ、頭髪も寂しくなってしまった。
一部からはコウモリ野郎と陰口を叩かれるパウロのその身をすり減らすような献身を知るのは、女王とパウロの古き友人だけである。パウロはそれで国の戦なき平和が続くならば、それでいいと思っている。
「待て待て、言い方というものがあるだろう!」
「わけのわからん少数民族やら黒字化しない産業! 必要もない土地やおかしな森の保護! まったくどうでもいいようなものばかりに予算をお使いになって! 我々になまくらで戦争に行けとおっしゃるのか! 若手から死にますぞ!」
声を上げながら、廊下を歩む女王を皆が追いかける。
アントン=セレンソンはその様子を後ろから黒き瞳でじっと見つめている。
本日の陛下はこれだけのことがありながら、恐ろしいほど静かに落ち着いておられる。
白の光沢あるドレスを身に纏った痩せたその体を、何か光のようなものが包んでいるように思われアントンはごくりと息を飲んだ。
アントンの横には補佐官の服に着替えたトマス公がいらっしゃる。先ほどまでまさに王者として輝いておられたアントンの主は今やすっかりその威厳を消し、補佐官以外の何者にも見えない。
これもまた冷静に、何やら楽しんでいる気配さえする。
常に穏やかで知的に見えるこのお方は、その内側に何か、大海のようなものをお持ちだとアントンは思う。多くのものを内包しながら一見穏やかに凪いでいるそれはきっと一度荒れると、途方もない力で荒れ狂う何かである。彼はそれをおそらく自覚しながら胸の中に飼い慣らし、信じられないような理性と知性をもってして常に抑えている。
「……恐ろしいお方だ」
「何か言ったかいセレンソン」
「いえ、何も」
氷の目がいたずらっぽくアントンを見る。
「楽しそうだって? ああ楽しいとも。こんな瞬間に立ち会えるとは。私も君も幸福だセレンソン。よくよく味わうがいい」
「味わう……」
ふっ、とアントンの口の中に少年の日口にしたあの味が蘇った。
緊張しきっていた心が、ふっと弛緩する。アントンはトマス公を見上げ、にっこり笑った。
「はい」
「よろしい。君のその笑顔に隠された肝の太さを私は大いに買っている」
トマス公もまた穏やかに微笑む。穏やかじゃないことを考えているのはわかるのに、このお方の微笑みにはどうしても騙されそうになる。
陛下は大きな扉の前で足を止め、従者から鍵を3本受け取った。順番に門に差し、一つずつ開けていく。
やがて扉は開かれた。
瞬間現れたまばゆい光に人々は息を飲んだ。
広い広い倉庫。そこにはぎっしりと、天井まで積み重ねられた剣、甲冑。
軍人が震えている。
「……この白の眩い光……まさか全て……ミスラル、だと……?」
「鼻のいい採掘家、腕の良い鍛冶屋とその弟子たちがおってな。あそこに積んであるのは魔法収納箱よ。箱がひとつ壊れたゆえその分をこのように出したのだ。すべて含めればこの10倍ほどある」
「じゅ……」
「足りるか?」
白の光を浴びながら女王が振り返り、微笑んだ。軍人が固まっている。
女王はやがて微笑みを消しパウロを見つめる。
「軍部武官パウロ=ラングディング」
「は」
「これを軍部に公開すればまた、我らに外国を攻めさせよと軍人たちが荒ぶると思い今日まで秘しておった」
「……当然のことにございます」
「身を粉にし軍部を抑え続けてくれたそなたの働きのおかげで、今日という日のためにここまでの準備ができた。そなたにはこれまで苦労をかけたなパウロ。どうか許せ」
「……もったいなきお言葉にございます」
白い光に照らされる痩せた老人の頬を、涙が滴り落ちていく。




