23皿目 国境を越えた男たちと一頭
今日も今日とてお狐さんを睨みつけている。
相変わらず精気のない稲荷だ。なんだか全体の色まで薄くなったような気がする。こんなに陰気じゃますます人が寄ってきていないことだろう。
がんもどきを置き、今日も春子は手を叩く。
夜である。
草原である。
「誰だ!」
「おでん屋だ!」
「婆さんだが気にするな! 見られたら消せ!」
男たちが振った剣が屋台の周りにあるらしい何かにぶつかって砕けた。
やっぱりなんだか逆に腹立たしい。
「……随分久しぶりじゃねぇかよ。なんでもいいや食うなら客だ。座るかい」
「……」
男たちが呆然と、砕けた剣を見ている。
全員筋肉だるまのどれもむさくるしい親父3人の、陰気な飲み会だった。
金属の鎧を脱がないまま男たちは腰を下ろし、おでんを食べた。
一瞬ぱっとおいしそうな顔をするのに、互いに何か言いかけようと顔を上げて、互いの顔を見るとそういえばそんな場合ではなかったなと思い出すようだ。
馬鹿じゃねえのと春子は灰汁をすくう。
酒飲むときくらい忘れちまえ忘れちまえ。馬鹿になりたいから人は酒を飲むものだ。
「……本当にもう、止められないのだろうか」
顔に大きな傷のある男が熱燗を傾けながら言う。
「……わかっているだろう。もう、あれは別のお方だ。もうあのお方は俺たちの知っているカンダハル様ではない」
総髪を後ろで結んだ親父が、冷酒を飲みながらつみれを食っている。
「まさかあのアブドゥルまで斬って捨てるとは……あいつは本当に、心からカンダハル様のことを案じていたというのに……しかも背中を斬ったそうではないか。戦士に対しそれはあまりにも、あまりにもむごい」
髭もじゃ親父がぬる燗を傾けながら目を赤くしている。
「……いったいどこで間違えたのだろう」
「……バシール王子の死後のあの落ち込みから突然明るく復活されたときだ。ただただ、我々は安心したものだが、あれこそが狂気のはじまりのときだった。あのときに何かできていれば……」
「もう言うな。何もかもが手遅れだ。……我々にできることはもう、ひとつしかない」
「……」
「……」
葬式の方がまだ楽しいだろうと思いながら春子は汁を混ぜる。
「キャベツ食うかい」
「はい、いただきます」
「よその国の我々などに、申し訳ありません」
「今更だね」
むしって手でちぎったキャベツに、ごま油に鷹の爪、調味料を溶き交ぜておいたものを加えて混ぜる。
白ごまをぱらり。でかいのがたくさん入ったからと一個まるまる八百屋の親父がサービスしてくれた。
「はいよ」
小皿に乗せてとんとんとん、と置く。
黙って男たちは食べた。
「……うまい。なんだこの味は。この薫り高い不思議な風味」
「うまい。こんなに甘いキャベツがあるなんて」
「……」
髭親父がキャベツを噛み締めながら大粒の涙を零す。
「……昔、わしは貧乏で。一つしかないパンを弟たちにやって、自分は外の草を食っとった」
「草食っとったかラシッド」
「うまそうに見えたんだ腹が減りすぎて。そしたら横にしゃがみ込んで、わしが食っとる草をちぎって口に入れた奴がおった。噛んだあと、ぺっぺと吐き出して、『まずい!』と言いよった。『長剣使いのラシッド。こんなまずいものを食ってる暇があるなら俺の従者になれ。たくさん肉を食ってもっと強くなって俺を守れ。金は出すから弟たちもたらふく食えるぞ』と太陽を背負って笑った。少しだけ緑になった白い歯が眩しくて、眩しくて。……若き日のカンダハル様よ」
「……」
「……」
「もう無理なのかなあ。あの日のあの方に戻るのは。あんなふうにお笑いになる日はもう来ないのであろうか。わしが一生ついて行くと決めた太陽がごときあのお方は、いったいどこへ行ってしまわれたのだ」
「……」
「……」
ぼり、ぼり、ぼり、ぼり
キャベツを食う音だけが辺りには響いている。
「明日、ひょっとしたら最後の最後で、思いとどまってくださるやもしれん。まだ心にかつての日の光が残っておられることを信じよう」
「……残っておらなんだら」
「……」
「あのお方を斬れるのか。あの方に拾われたことでここまで来た俺たちが!」
「やめろラシッド! 言わんでくれ!」
「俺たちは腰抜けだ! お止めするにはそれしかないと知りながら今日まで……」
髭親父が泣く。
「……今日まで」
「ベエ」
「ベエ?」
髭親父の横に、顔。
小さい馬のような、ヤギのような、羊のような。
「なんじゃこりゃ」
「知らん。なんじゃこりゃ」
「あれだ。遊牧民が飼ってるやつだ。パルパルだかペロペロだか」
「なんでこんなところに一頭だけ」
「はぐれたんだろう。まだ小さいのに可哀そうに。人がいたから寄ってきたんだろう。群れて暮らす動物だもんなあ。可哀そうになあ」
「小さいか? こういう大きさなんじゃないか?」
「……」
春子はすっとキャベツの外の皮を差し出した。
人の食べられるところはやらない。春子はケチなのである。
「ベエ」
むっしゃむっしゃと嬉しそうにヤギのようなのは食べた。
「ベエ」
まるであいさつをするように鳴いて去っていった。
「……群れに来たんじゃなかったのか」
「ふられたな」
「若いいい男がいないからだ」
「メスだったか。それじゃあ見限られても仕方ない」
はっはっはっはと男たちは初めて声を上げて笑った。
それぞれの酒を飲み、キャベツを食い、おでんを食べる。
「ふう。少しだけ胸が晴れた。偵察の続きをしよう」
「そうだな。明日など来なければいいものを。我が国が道を踏み外す、明日が」
「信じよう。最後の良心を」
男たちは去っていった。
春子はおでんに蓋をする。いつものお狐さんの前だった。
なので春子は今日も屋台を引きずって仕事に向かった。
おでん屋だ!
昨日はアントン祭りにお付き合いいただきましてありがとうございました!(笑)
昨日だけでご感想60件弱って……!皆さん!もうもう皆さん!大好きですありがとうございます。
名も無き私の胸に飾る星とさせていただきます。
次話から一章クライマックス始めます。
以下にある名前に見覚えないなぁという方はお時間が許しましたら該当回をお読み直しいただけますとより楽しんでいただけるかと存じます。
【1皿目 春子】
オーガスタス = グリーナウェイ
【4皿目 女王補佐官ジョーゼフ=アダムス】
パウロ=ラングディング
【6皿目 土族のラント】
ヤコブ=ブリオート
ラント=ブリオート(旧:ラント=テッラ)
トゥルバ=テッラ
【10皿目 軍部文官ミネルヴァ】
ミネルヴァ=ブランジェ(旧:ミネルヴァ=アンベール)
【2】クリストフとミネルヴァと鶏のトマト煮
【3】ミネルヴァと美の魔術師たち
【7】ミネルヴァ植物園に行く
【11~12】ミネルヴァの星祭り 含
【11皿目 地獄の門番グラハム=バーン】
グラハム=バーン
【12皿目 薬学研究者エミール】
エミール=シュミット(+【6】薬学研究者エミールの優雅な休日)
マキシミリアン
ポウル
ジェイコブ
リーンハルト=ベットリヒ(+【6】薬学研究者エミールの優雅な休日)
ウロノス
ジュディ
【13皿目 軍部訓練所の若き軍人たち】
クリストフ=ブランジェ
マルティン=オロフ
ガッド
レオナール
クリストフに限り
【2】クリストフとミネルヴァと鶏のトマト煮
【3】ミネルヴァと美の魔術師たち
【7】ミネルヴァ植物園に行く
【11~12】ミネルヴァの星祭り 含
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
あと数日で一章完結。お付き合いいただければと存じます。




