【22】トマス公セントノリスに行く3
「……私は」
アントン=セレンソンの目がさらに潤み、床に広がっていく紙を追っている。
すべて舞い落ちると黒色のそれはやがて上がり、トマスに向けられた。
「セントノリスでの6年間私は、ただそこに瞬く、美しき星々の数を数えました」
「星?」
涙で潤んだそれは澄み、どこまでも奥深く思える不思議な輝きを宿していた。
「はい。皆の中に、美しい才の星が数え切れぬほどに瞬いていたので、私はその光の数を数えました。それぞれの持つ光がどのような形で、どのような色で、いかに美しく眩いかを彼らに伝えました。セントノリスでは本当に皆が美しく、様々な色で眩く輝いておりました。そのあまりの美しさに、6年間私はただただ見とれ続けました。こんなにも美しい光に、何故本人だけが気付かないのだろうかと不思議に思いました。きっと私は自身にその光がないからこそ、その煌めきを見つけることができるのだと考えました。だからひとつひとつ光を数え、その形を彼らに伝えました。瞬くたびに、今とても美しいと伝え続けました。もし私が6年間彼らに何かをしたのだとしたら、それはそれだけの、ほんの小さなことでございます。彼らは皆、私などが何もせずとももとより美しく才能豊かでございました」
トマスに許可を得てから、アントン=セレンソンが床に落ちた紙を手に取る。
「ロタール=ペッペルマンの字……君は派手に見えて誰よりも用心深くて用意周到」
もう一枚。
「エリック=ワイラー。もう怒りんぼを卒業して、頼れる先輩になった。君は視野が広くて、面倒見が実にいい」
もう一枚。
「ブレーズ=ギマールのあきらめの悪さは天下一品。ルロイ=トンプソンはただの臆病者じゃない君は逃げ方の天才だ。サミュエル=ヘディは爽やかなのにうまい具合に腹黒い」
一枚。また一枚。
白い指がそっと紙の表面をなぞる。
彼の顎から水滴が落ちた。
「皆、ここに僕の名前を書いてくれたのか……」
無記名なはずのその解答用紙に一人一人、彼は友を見出して拾っていく。
頬を涙が伝う。彼はまるで彼ら自身を拾うかのごとく大切そうに拾い集めて胸に抱いていく。
「……この罪悪感はなんだ。ハリー=ジョイス。私は何か罪を犯したか?」
「お気になさらないでください。トマス公は紙をお広げになっただけでございます。あれは紙。あれはただのアントン=セレンソンです」
ハリー=ジョイスとラント=ブリオートが彼を手伝い、彼に渡す。全ての紙を集め終え、彼は最後にまとめてぎゅっと抱いた。
ただ走り書きで名前が書かれただけのそれは、彼にとって世界一の宝のようだった。
トマスは歩み寄り、間近でアントン=セレンソンを見た。
他二人に比べればはるかに凡庸と思われたこの男から発せられる、不思議な輝きがもうトマスにも見える気がした。
「……君は誰を推す、アントン=セレンソン」
「……」
アントン=セレンソンがトマスをまっすぐに見返した。
「アントン=セレンソンを推します。本来自分よりも優れた多くの者を推すべきとは知りながら、それができぬほどその男がトマス=フォン=ザントライユ公をお慕いし、そのお傍に立ちその手足になりたいと、その方に人生を捧げてお仕えしお支えしたいと渇望しているからです」
「……」
トマスは目を閉じた。
ふうと息を吐く。
満場一致。狐につままれたような心持ちではあるものの、これを逃せばおそらく自分は一生後悔することになるだろうと、トマスは思っていた。どうしてかはわからない。何か大いなる力が奇跡のような確率で今この場面を作り上げているような、そんな気がしてならない。
正面に戻り、その目でアントン=セレンソンを見据える。
「トマス=フォン=ザントライユはアントン=セレンソンの忠誠を所望する。君を私の補佐官候補に任ずる。まだ学生だが出来るだけ王宮に入りなさい。今のうちに周囲と馴染んでおくのだ。私の戴冠はそう遠くない。今のうちから周囲に、君は常に私の傍らにある存在として印象付けるよう努力するように」
「はい」
「頼むぞアントン=セレンソン。この日の、友と私の期待を裏切るでないぞ」
「はい。トマス公」
「……しかし、何故会ったこともない私を君が慕う?」
ぱっとアントン=セレンソンの顔が輝いた。ついさっきまで彼は泣いていたのに。
「お答えしてもよろしいのですか? ではまず御年6歳の頃の馬とのエピソードから」
「やめておこう。これは長くなるやつだなハリー=ジョイス」
「はい。ちなみに私とラントはすでに耳に分厚いタコができております」
「よしやめておこう。途中から恥のあまり逃げ出したくなることが容易に想像できる。授業はもうほとんどないだろう明日から来られる時間に来なさいセレンソン。補佐官の制服を用意しておく」
「……」
「その顔はなんだセレンソン。……仕方がない追って聞いてやろう。ただし少しずつだ」
「はい」
アントン=セレンソンは曇りなきまっすぐな目でトマスを見上げる。
「出来る限りお傍に馳せ参じ、公にいつでも少し冷ましたポトラスの茶をお淹れいたします」
「待て。何故私の好きな茶と温度を知っているセレンソン」
「焼きすぎる手前のトトンにキブドウの甘すぎないジャムを乗せて」
「おいおい待て待てセレンソン」
おかしい。トマスの好物などおおやけにしたことなどない。
「軽食には焼いたふわふわパンで挟んだ燻製肉のサンドイッチを。からしはほんの少しでございますね。ピクルスもつけたいところですが公はセコリーが苦手なのでこれは外します」
「待て待て待て怖い。怖いぞセレンソン! 何故君が知っている! いったい何なのだこれは怖い怖い怖い! 彼をどうにかしたまえ友人だろうジョイス、ブリオート!」
「お諦め下さい」
「お慣れ下さい」
彼の友人たちが達観しきった顔で言った。
アントン=セレンソンがいつまででも見ていられるという顔でトマスを見つめている。
「では」
トマスは部屋を出た。
玄関を出て、校舎を振り返ったときわっと大きな歓声が上がった。
三年生の教室が喜びに揺れている。
今頃セレンソンは友人たちに肩車されたり、胴上げされたりしているのだろう。肩を叩きあったり、抱き合ったりしていることだろう。やっぱりあんな風に泣いて、笑って、笑われたり心配されたりしているのだろう。
ぱちぱちと泡がはじけるような、くすぐったいような、少し痛いような青春の記憶。彼らに残された時間は短く、だからこそそれは愛おしい。一度門を出ればそこはもう、自分達の場所ではなくなる。
今を楽しめ若人たちよ。青春は短く、その後の人生は極めて長い。
「嗚呼青春のセントノリス。愛しきわが学び舎」
腕を広げ、珍しく上機嫌にトマスはおどけた。
門の外に重苦しい警備のついた立派な馬車が停まり尊い人の帰りを待っている。
トマスはまたあれに乗り、豪華な王宮に戻り次期王としてちり一つなき赤絨毯の上を歩むのだ。
退屈で面倒。重たくて動きにくいことこの上ない。一人であれば。
思ったのとは違ったが、何やらあたたかで面白きものを手に入れた。
重たい衣装の端を持ち、倒れそうな体を支えてくれる意外に頼りがいのある細い腕を。固い顔になりがちなトマスを緩めて笑わせる何かを、得るような予感がした。




