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おでん屋春子婆さんの偏屈異世界珍道中【書籍化/コミカライズ企画進行中】  作者: 紺染 幸
一章 女王エリーザベト治世下

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18皿目 魔法学校教師アドルフ = バートリー2



 大人三人、横並びに座り大人しく杯を傾けている。

 どこに誰の耳があるかもわからないので、基本外に飲みに行くことはない。

 バーン先生とはアドルフの家で飲んだことがあるが、三人揃ったのは初めてである。


 何故かアドルフが真ん中になったので、左右の空いた杯にツツっと透明な酒を注いだ。


『熱いのぬるいの冷たいの』では三人見事に『ぬるいの』で揃った。

 きっと疲れているのだ。皆。


「……はぁ……」


 たまごの半分を食べてアドルフは息を吐いた。

 くさみがまったくない。白身にスープが染みこみ何とも言えない色に染まって固く煮込まれ、快い跳ね返りでアドルフの歯を押す。

 もちろんその色通りに広がる染みこんだ深い味わい。さらに黄身がじわりと広がりそこに皿に残るスープを流し込めば口全体に滋味深い優しい味が広がる。

 さらにそこにあたためた酒だ。


 まあ、染みる染みる。


 あつあつの飴色の野菜。ぱかりと割れば湯気が出て、口に入れればこれも中まで染みた熱いスープが溢れ出す。

 どこから湧いたのだと思うほどの熱々に、ほうっと息を吐いた。

 茶色の平たい丸を口に運ぶ。魚の風味と塩気。

 そこにぬるい酒。芳醇。香り高く先程の魚の風味を包み込み口いっぱいに広がり喉と鼻を抜けていく。

 こんなもの


「っあ゛~……」


 となるに決まっている。頬を染め、半目で。


「っあ゛~~……」


 左からバーンの声がする。


「っあ゛~~〜〜〜〜〜~~……!」


 右からナターシャの声がする。


 そうだろうそうだろう。そうなのだ。

 我々はお疲れなのだ。いつだって。

 アドルフは天を仰いだ。



 善きことをしたのだろうか。

 天に認められるほど何かを。杯をいただくほどの何かを。

 自分たちはただ毎日擦り切れるまで、自分なりに精一杯働いただけだ。安月給で。


 なんだか涙が出てきた。

 皆お疲れすぎて、飲みの席なのに愚痴すら出ない。


 ただ、ただ黙って皆、がつがつともせず、ただ飲み、食っている。


「……ヨナカゥの刑務所にまた一人収監されたそうね」

「恐ろしいなあ」


 ヨナカゥの刑務所


 攻撃魔法を人に向けて放った魔術師が収監される、北にある大きな刑務所である。


『魔法』とは何か。

 誰にもわからない。


 本来自然の力である火、水、風、地の力を何故人が使えるのかわからない。

 攻撃し、癒し、ときに空間を歪める。そんな力がなぜ人間にあるのかわからない。

 それなのにそれは10人に1人の確率で現れ続け、こうやって生きている。


 魔法は本来は魔物が持つ力だ。火を吐き風を操り、彼らは人を襲う。

 その脅威から人を守る力なのだと言われている。か弱い人という生き物が、恐ろしい魔の力に対抗するための力。

 それを人に向けて攻撃として放った者を、この世界は絶対に許さない。それをやればその者はもう人ではない。魔物と同じ生き物とみなされる。


 ヨナカゥの刑務所に入った魔術師は、まずは魔力を抑える固い金属の腕輪と足輪をはめるのだという。

 冷たい柱に鎖でつながれ、常に暗く、骨が凍るほどに寒く、刑務所内には夜な夜な人のものとも思えないすすり泣きが響くのだという。

 そしてそのまま、死ぬまで拘束される。

 いっそ殺せ、という地獄がそこにはあるのだという。もちろん一度中に入ってしまえば出られないのだから、これはあくまで噂である。


「どうしてできるのかしら。そんなことが」


 魔法を人に向けて放つ。聞いただけで寒気がする。

 たまに魔力のない人から『なぜ?』と聞かれることもあるがこちらとしては聞いてくる意味がわからない。

 アドルフは聞かれたらこう答えるようにしている。

 それは『ナイフを持っているのにどうしてそれを赤子に刺さないの?と聞かれているのと同じです』と。

 自分にその力があること、その力をもってすれば目の前の力なきものを傷つけられることは十分に知っている。

 だが、やらない。そんなことしたくないからだ。

 どんな非常事態でも魔術師にそれは許されていない。たとえ身を守るためとしても、たとえ戦争でも。一定以上の魔力のある者は、軍人にはなれない規則になっている。


 この世界の戦争は知恵と策略、剣と盾によって成される。一つの大陸を、大きくなったり小さくなったりして古くから隣人同士でやってきた国々だ。今のところルールに従い行われ、いきなりテーブルをひっくり返すような真似をする国は今のところ出ていない。

 今のところは。

 

 これに関しアドルフには、昔から確信を持って考えていることがある。


「……おかみさん」

「はいよ」


 おかわりかいと出された手を首を振って断る。


「最近お仕事はいかがですか」


 バーンが酒を吹きそうになった。

 ナターシャが驚愕の面持ちでアドルフを見ている。


 神の使いになんという質問をするのかと二人の目が言っている。


「いかがも何も、いつもどおりだね」

「目の当たりにせざるを得ない人の愚かさに、飽きたり嫌になることはありませんか」


 フンとフーリィは鼻を鳴らした。


「そんなもんだろ。別に驚くようなことじゃねえや。おでん屋なんざおんなじことをおんなじようにやるだけだ」

「なるほど。繰り返すのですね。作り上げたものが、一度無に帰したとしても」

「また仕込みを最初からやるだけだね」

「なるほど。何度でも」

「体が動く限りはね」

「ありがたいことです」


 フーリィは黙って汁をかき混ぜた。


 ほかほかと湯気が上がる。


「人というものをどうお考えですか」

「おい……酔ったのかアドルフ先生」

「そんなこと聞いてどうするんだい」

「あなたのご意見が聞きたい」


 じっとフーリィはオデンを見ている。


「そこの赤髪。おかわりは」

「いただきます」


 バーンの皿に串に刺さった肉、じゃがいも、白い三角が乗る。


「牛すじ、じゃがいも、はんぺん」

「いただきます」


 バーンがそれを受け取った。

 フーリィがアドルフを見る。

 アドルフは目を逸らさずフーリィを見ている。

 左右の二人は息を呑むようにその動きを止めている。


 老婆のしわだらけのまぶたが瞬いている。

 くつくつとオデンが煮えている。


「うるさくて、馬鹿みたいで、めんどくせぇなあと思うよ」

「なるほど」


 これまたしわだらけの手が、穴の開いた不思議なさじで汁の表面をなでている。

 汁をすくえないはずのその道具で何故そのようなことをするのかはわからない。だがきっと何か、それはフーリィには必要な儀式なのだろう。

 さまざまな具が、それぞれの形で踊っている。


「狭いところにいろんなやつがいるからね。できるやつもそうじゃねえやつも。見目のいいやつもそうじゃねえやつも。運のいいやつもそうじゃねえやつも。金のあるやつもそうじゃねえやつも。好かれてるやつもそうじゃねえやつも。丸も、三角も、長いのも短いのも固いのもやわいのも。そりゃあときどき隣のやつが羨ましかったり、妬ましかったり、自分が嫌になることだってあるだろうよ」


 穴の開いたさじが湯の入った椀に戻される。

 今度は穴の開いていないさじで、具を傷つけないためだろう優しさでゆっくりと汁が混ぜられる。


「それでも生きていかなきゃいけないんだ。もうそれで生まれちまったんだから。食うために働いて、酒飲んで愚痴言って、泣いたり笑ったりうるさくしたり馬鹿やったりわざわざめんどくさくしたりして、なんとか自分に理由つけて生きてくしかないんだろうよ。仕方ねえさ。そんなもんだろ」

「そんなもんですか」

「さあね。あとはてめぇで考えな」

「……そうですね」

「おかわりは」

「いただきます」


 しばらくしんみりと、教師たちは祝杯をいただいた。

 しんみりと食べ、しんみりと飲み、やがて礼を言って席から立ち上がった。


 ふっと目をそらしたらフーリィの姿は形もなく消えていた。


「……」

「……」

「……」


 ナターシャがメガネを上げてハンカチで目を押さえている。

 バーンとアドルフの目もまた潤んでいる。


「……帰りましょうか」

「ああ」

「……ええ」

「……あたたかかった」

「……ええ、本当に」


 そのまま静かに解散した。

 胸に宿る温かいものが、全員の胸にあるのを感じながら。



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