【7】ミネルヴァ植物園に行く
「あら、いいじゃない」
「上品で、前よりセクシーだわ」
野太い声がミネルヴァを囲い褒めたたえる。
セクシーかなあとミネルヴァは首をかしげる。
前の赤いのと似た形のワンピースだ。紺色の柔らかい生地で、露出は多くない。
襟の後ろが先日のものよりも深めに切れていることに、ミネルヴァは気づいていない。
じっと皆の視線がうなじに注がれていることにも。
「紺となめらかツルツル白の対比よ……」
「これはこれは。お真面目軍人殿には刺激が強くないかしら」
「2回目までに1月も開く大ボケ野郎ですもの。ハッパをかけてやらなくっちゃ」
ふっふっふと低い声でマダムカサブランカが笑う。
ビオラが化粧道具を持ってミネルヴァに向き合った。
「じゃあお化粧しましょ。今日はどこに行くんでしたっけ」
「券が余ったそうで植物園に。そのあと、食事に。果実酒と、燻製肉の美味しいお店があるらしくて」
「っかー!」
「甘ずっぺぇなぁあ!」
「そう都合よく余んねえよ植物園の券なんか!」
完全におっさんの声が響く。
「じゃあ目じりに少し、色を乗せましょ。花やら小鳥やらリスやらの小さいものを並んで見つめるわけだから、そりゃ距離も近づくわねエロい男。ふん、赤くしておこう。せいぜい悶えなお真面目軍人殿」
「許しておあげなさいよ。男なんてそんなもんよ」
美容師デイジーが頷く。
「花なんか見てるわけねぇわ。視線が通り越しすぎてリスもびっくりだわ」
マダムカサブランカが頷く。
「はいできあがり。やだ可愛い。口紅この色で正解だわ」
「やだ可愛い。清楚でセクシー」
「やだ可愛い。エロい。食べちゃいたいわ」
「……ありがとうございます」
ぽっと頬が熱くなるのが分かった。ミネルヴァは褒められ慣れていない。
仕事だから褒めてくれるのはわかっているのだが、やはり褒められればうれしいものだ。
「髪は本当に切っちゃってよかったの? 伸ばさないのね」
デイジーがミネルヴァの髪を撫でる。
今日はデイジーの美容室で切ってもらってから服を選んだ。
さっぱりと、それなのに不思議にいつもよりも女性らしく仕上がっている。
「忙しいと泊りになることもありますし、手入れができないとみっともないから。これはもう、仕方ないです」
「ショートが似合うのは美人の特権だもの。いいと思うわ」
「ええ、軍服でしょう? 詰襟でしょう? 中性的こそエロスの極みよ」
「泊り……こんな可愛い子が、小汚ねぇオスの中で!?」
「一応仮眠には別室をもらえてます。狭い倉庫だけど」
「鍵ちゃんとかけんのよ! あんた可愛いんだから!」
うふふとミネルヴァは笑う。この人たちは褒めすぎなのだ。
「じゃあ上を着て。いい、脱ぐのはお店に入るときだけよ。夜よ。まあそのあとまた脱ぐかもしれないけどそれはそれでいいわ脱ぎなさい。頑張って」
「はい、ありがとうございました」
差し出された伝票の金額を支払った。今日はコートと靴の分がないからこの間よりも安い。
というか非常に良心的な価格だ。いいのだろうか。
マダムカサブランカがミネルヴァの戸惑いに気づいたようで笑う。
「下手な商売はしてないわ。伝票通りよ」
「ありがとうございます」
ホッとして微笑んだ。今月は欲しい本があるのだ。
手を振って扉を閉めた。
綺麗な服を着ると、外を歩くのも楽しい。
待ち合わせに向かう街の中
セントノリスの深緑の制服に指定の茶の外套を羽織った可愛らしい男の子たちが、頬を染めて店先を覗き込んでいる。
個性豊かな皆が額を付き合わせてあれこれ何かを言い合っている楽しそうな様子に、くすりとミネルヴァは笑った。みんな可愛い。
途中、大量の布を持った50代くらいの女性がいたので声をかけて運ぶのを手伝った。
無事運び終え扉を閉め、彼女はミネルヴァの服を上から下まで見て、『もらいもので、若すぎるデザインで使わないから』と小さな真珠が揺れるイヤリングをくれた。
ありがたくいただきその場でつけてみた。女性は微笑んで、『やっぱり似合う』と言った。手を振って別れた。力強くて、かっこいい女性だった。
この町には優しいもの、素敵なものがたくさんある。今まで知らなかったたくさんのことが、ミネルヴァには楽しい。
待ち合わせ場所にはやや早めについたはずだが、すでに彼はいた。
「お待たせ」
「ううん、俺も今来たところ」
照れたようにクリストフが笑う。
じっとミネルヴァを見る。
「髪切った?」
「うん。短いのが短いのになっただけだけど」
「……似合うよ。服も、……みんな可愛い」
「ありがとう」
最後のほうが小声で、ちょっと聞こえなかったがミネルヴァは微笑んだ。
「じゃあ行こ……」
歩き出そうとした彼が足を止めた。
「……マルティン……」
目線の先を見れば、優し気でふんわりとした雰囲気の、同い年くらいの男性がいた。
手にふわふわで有名なパン屋さんの包みを持っている。
「……今、聞いてたか?」
「……何も」
そっぽを向いて平静を保とうとした白い顔が笑いをこらえて赤くなって震える。
「『俺も今来たところ』……! 僕がパン屋さんに行く前からいただろクリストフ。限定パンに急いでたから声かけなかったけど! パン屋さん結構遠いのに!」
「マルティン! しーっ! しーっ! 同期への情けはないのか」
「ああごめん。僕行かないと。パンを食べてから東の砦に君の幸せに関する手紙を書かないと。書いたらレオナールがごはんを奢ってくれるんだって。優しいよね。じゃあね!」
「書くなマルティン! それはレオナールの罠だ!」
マルティンが腕をすり抜け猛ダッシュした。実は彼は足も速い。
呆然と腕を伸ばしているクリストフに、ミネルヴァが歩み寄った。
「お友達?」
「……同期だ。軍の」
「仲良しね」
「昨日までは仲良しだったはずなんだけどまさかネタとして売られるなんて」
「楽しそうだった」
「マルティンは楽しいと思う」
言い、ミネルヴァを見てふっとクリストフが笑った。
「まあいいか。確かに俺は幸せ者だから笑われるのくらい我慢する。行こう。リスが可愛いらしいよ」
「へえ、触れるかしら」
「ああ見えて意外と噛むらしい。歯が鋭い」
「だったら見るだけにしよう」
「いい戦略だ」
微笑み合って明るい街を二人で歩く。
寒いけど、だいぶ日の光があたたかくなってきた。
春はもうすぐ、それでもちょっと先のようだった。




