【8】セントノリスの入学式
本日はセントノリス中級学校の入学式である。
皆揃いの真新しい制服に身を包み、頬を染めている。
同級生は138名。組分けは教科ごとに、成績順に行われる。
部屋から連れ立って歩くハリー、アントン、ラントを指さしひそひそと話している派手な集団がいた。
「なんだろう」
「貴族だと思うよ。今年は1号室を平民が独占しちゃったから高貴な方の逆鱗に触れてるんだろう。僕らは今や大注目の平民だ」
「正面から言やいいのに」
「そんな体面の悪いことするものか。面子で生きてるんだよ彼らは」
言った傍から、前から歩いてきた生徒に肩が当たった。
もやしっ子のアントンは見事に吹っ飛んだ。
ぶつかった背の高い生徒は足を止めもせずスタスタと去っていく。
「……正面から来た……!」
「大丈夫?」
「飛んだなあ」
アントンはラントの手を取り立ち上がり、パンパンとほこりを払う。
「大丈夫。ありがとうラント。むしろ僕は今感動している。今の奴顔覚えたからな。あとで話しかけに行こうっと」
「なんでだよ」
「なりふりかまわない負けん気があっていいじゃないか。この中では一番普通で弱っちそうな僕を狙う陰湿さも嫌いじゃない。正々堂々勝負して、僕は意地でも1号室をキープするぞ」
「楽しそうな奴だなあ」
ハリーが笑った。
その彼が手ぶらなことに気づきアントンは眉を寄せた。
「ハリー、首席のスピーチ原稿は?」
「頭の中」
「まったく嫌味な男だ。思わず僕でも肩を当てに行きたくなる」
「吹っ飛ぶのはそっちだ」
「間違いない」
縦に並べられたそれぞれの椅子に腰かけた。
お決まりのお偉いさん方の退屈なスピーチが続き生徒たちに安眠が訪れようとするなか、新入生の首席スピーチのときがきた。
『新入生代表、ハリー=ジョイス』
「はい」
ハリーが壇上に進んだ。
しん、と静まり返っている。
『ハリーってやっぱりかっこいいね』
『そうだろう』
えへんと何故かアントンは胸を張った。
背の高いハリーが、深緑の制服の胸を張る。
緊張した様子はなく、台の上から落ち着いて全体を見渡している。
「本日この栄えある役目を頂戴しましたことを誇りに思うとともに、この場をご用意してくださった皆さまに、深く感謝申し上げます」
『感謝から入った。よし』
『よしなの?』
『よしだよ。あとは学長と貴族を持ち上げて……』
「僕ハリー=ジョイスは貧しい平民です。いつも鉄の音の響く乾いた砂の舞い上がる鉱山の町に生まれ育ち、父は落盤事故で死にました。初級学校よりも上の学校があることも、自分にそこに入る機会があることも知りませんでした。大人になれば土にまみれて働き、自分もいつか父のように死ぬのだと思っていました」
『……』
『……』
形式を踏まないスピーチに、会場がわずかにざわめいている。
壇上のハリーは動じない。
「ある日友が、そうではないと教えてくれました。この素晴らしい学園の門が、学びたいと願う全てのものに対し平等に開かれていることを教え、笑って導きました。そして本日、僕はこの制服を着てここに立っています」
雲が取れたのか、日光が差し込み彼の左頬を明るく照らし茶の髪を金色に染めた。
知性が宿る真剣な青い瞳、わずかに微笑む余裕の唇、歳に見合わぬ落ち着きに、ざわめきが息を飲むように静まった。
「目標に向かって頑張るのは義務じゃない、それは権利だと、僕は知っている。世の中には戦争や貧困、無知により、頑張りたくとも頑張ることもできないたくさんの人がいることを、僕は知っている。身分、貧富、人種に関わらず、ここにいるのは皆その権利を持っている人たちだと僕は知っている。だからこそ真剣に向き合い、競い合い、高め合っていける者達であると信じています。ここにいる皆が正々堂々と、知の白刃を交えて戦える戦士だと信じています。毒をもって制したり、足をかけるような卑怯な行いをする者はここにはいない。皆一人一人が堂々と戦い、勝ち抜き、伝統あるセントノリスの門をくぐった誇り高き知の戦士なのだから」
ふっとハリーの表情が柔らかくなった。
「気怠い午後、開かれた本の上の素晴らしい解法の数式を辿り、ワクワクしてその新しさに震えれば、それが何百年も前に解かれた解で驚いたりする。もうこの世にはないすさまじい知に、わずか数行の数式を辿ることで僕たちは何度でも出会い直すことができる。歴史の書を開けば大昔の英雄の勝鬨の声がする。美しい詩に感動してふと隣を見れば、友が同じ頁を開いて涙している。僕たちはなんて豊かな、楽しい旅をしているのだろう。僕はそういう興奮を、喜びを、これからここで友たちと分かちあいたい。伝統あるセントノリスという同じ船に乗り、先生方、先輩方に学び、まだ出会ったことのない知識に出会う旅に出られることの喜びに胸を高鳴らせています。その一員になれたことを誇りとして抱き、慢心せず、頑張ってもいいという素晴らしい権利を決して手離さずに学び続ける所存です」
すっと息を吸った。
「等しくこの美しい学び舎の門を全ての者に開かんと尽力してくださった全ての方に、心から感謝申し上げます。新入生代表、ハリー=ジョイス」
深く、深く彼は一礼した。
『なんで泣いてるの、アントン』
『わからない』
アントンは震えるハンカチで目元を押さえた。
まだ頭を下げているハリーを必死に見つめる。
『……わからない……』
アントンは泣いた。震え歯を食いしばり、嗚咽を必死で飲み込んで。
かつて彼を大嫌いだった。声も聴きたくなかった。自分にないものをすべて備えた、太陽みたいな彼が眩しすぎて。
あの日彼が牛乳を持ってきてくれてよかった。彼と話せてよかった。
彼は本当に、かっこいい。
自分が彼の友であることが、とても悔しくて、誇らしい。
『……ハリーはかっこいいだろう? ラント』
『うん』
『そうだろう。ハリー=ジョイスという男は、いつもひどく眩しくて、誰よりかっこいいんだ』
静かな拍手が、やがて徐々に大きくなっていった。
帰ってきたハリーが泣いているアントンを見てなんでだよと噴き出した。
アントンも笑った。泣きながら笑った。
「好きだハリー=ジョイス!」
「駒としてな」
「もちろん。最上級の褒め言葉だろう」
ぽんぽん、とハリーの肩を叩いた。
「これからもよろしく」
「おう」
「かっこよかったよハリー」
「ありがとう」
「まあまあだったぞ」
「どうも」
こちらを見ている生徒たちの中に、先ほどアントンにぶつかりに来た体格のいい黒髪の男がいるのを見つけてアントンはにやりと笑った。
すごく嫌そうな顔をして目を逸らされた。
せっかく同じ船に乗ったのだ。仲良くしようよアデル=ツー=ヴィート君、と今見た名札のフルネームをアントンは心の中で呼びかける。




