15皿目 星降る夜の王女
今日も今日とてお狐さんを睨んでいる。
今日のがんもどきは若干汁多めである。
なんとなくである。
パン、パン
夜
白い石畳に、鏡のように星を映す大きな四角い池が見える。
きらきらと瞬き今にも降ってきそうな星空が、上と下にある。
「……どうして今日はいつもの姿じゃないの?」
「あ?」
幼い声が響き、小さな影が物陰から歩み寄った。
小学校一・二年生くらいの少女である。
全身で星の光を反射させながら、何やら不満そうに頬を膨らませている。
「今日はあなたと鬼ごっこをしようと思ったのに」
「無理な話だね」
やたらときんきらした豪華な服を着た色白で金髪の少女に、ハンと春子は鼻を鳴らした。
星の光のなか、深い緑色の瞳でじーっと少女が皿を見ている。
「……みんな茶色いわ」
「おでんだからね」
「オデン……」
おそるおそるフォークをはんぺんに突き刺す。
びっくりしたように肩を上げる。
「ふわっとしたわ」
「はんぺんだからね」
「ハンペン……」
おそるおそる、といったふうに一口に切ったものを口に運び、驚いたように目を見張った。
もぐもぐと噛み、ごくんと飲み込む。
「……しゅわっとしてあたたかいわ!」
「おでんだからね」
春子との間にほかほか上がる湯気を、少女は呆然と見ている。
やがて子供らしくもない、大人びた微笑みを浮かべた。
「……あたたかい料理なんて初めて。わたしのところにくるころには、みんなすっかり冷めきっているから」
「へえ」
「あたたかい、って美味しいのね。おなかがぽかぽかして、とても幸せな気持ちになるわ」
「そうかい」
石の建物に囲まれた夜の中庭。
隙なく綺麗に整えられた木々からは虫の声すらも聞こえない。
くつくつくつ、とおでんが煮える。
「……あのね、とても残念なのだけれど、明日からあまり来られないかもしれないの。これからはずっと、夜までみっちりお勉強になるんですって」
「ふうん。大変だね」
「仕方がないわ。お兄様が天の国にお渡りになって、父の子はもうわたしだけだもの。……仕方がないわ。国を出られなくなったからリチャードとの婚約もなくなったのですって。お人形遊びは子供の遊びだからもうやってはダメなのですって。……仕方がないわ」
自分に言い聞かせるように言いながら緊張したような白い顔で、それでもおでんを食べている。
「スプーンはないの?」
「口付けて飲みな」
「あまりにも下品ではないかしら」
「そういうもんだよ」
躊躇ってから少女は皿に口を付け、汁を飲んだ。
ぽっとその頬が赤くなる。
「美味しい」
にっこりと今度は子供らしい顔で笑った。
そして春子を見て、今度は肩を落とした。
「……あたたかくて美味しいけれど、やっぱり今日は鬼ごっこをしたかった。わたしには走って遊べるお友達は、あなたしかいないのに」
「そりゃあ残念だったねえ」
「今からでも戻れない?」
「なんの話だか」
ふんと息を吐いた春子に、少女は残念そうな顔をする。
「そういうものなのね……残念だけど仕方がないわ」
大根を小さく割り、お上品に口に運ぶ。
汁を飲む。
ほうっと息を吐く。
「あたたかい……あたたかくて優しい。ああ、わたしはこんな風になりたい」
フォークを置き、小さな手のひらを胸の前で祈るように合わせた。
「あなたには言っておきましょう。わたし、きっとこの国をいい国にするわ」
「へえ」
少女の目が潤む。
「この前戦争から帰った兵士を見たわ。皆、痛そうな、苦しそうなこわい顔をしていた。わたし、この国を戦争のない国にするわ。戦いたくて戦っている人なんていないはずだもの。痛いのもこわいのもみんな、いやに決まっているもの。他の国とはちゃんと仲直りして、そんないやなものはきっとやめてしまうの」
「ふうん」
ちょんとつまんで稲荷を置いた。
ちょんとそれをつついて少女は笑う。
「それから国中を食べられるものでいっぱいにするの。おなかの空いた人なんていない国にするわ。みんなおなかいっぱいで、うれしくて、美味しくて、楽しくて笑うの。いつも鳥のように歌を口ずさんで、楽しくダンスを踊るのよ。にこにこにこにこ、みんな楽しそうに。幸せそうに」
「……」
頬を染め少女は続ける。
「リチャードとのことは残念だったけど、わたしはきっと別の素敵な方と結婚して、仲良く暮らして、その方の子供をたくさん産むの。乳母になんか預けないわ。自分のお乳で育てるの。きっと優しい子、賢い子、ううん少し意地悪だったり、おとなしい子もきっといるわ。わたしはみんなをそれぞれ愛するの。みんなを大切にする。だってみんな私の子だもの。みんな可愛いに決まっているわ」
「……そうかい」
にこにこと少女は幸せそうに笑う。
「明日からお勉強、たくさんがんばるわ。私はお兄様の代わりに、王になるのだもの。国民の父にして母になるのだもの。誰よりも強く、賢く、美しくならなくては。国民自慢の女王にならなくては。きっと皆を幸せにする女王になるわ。わたしは大きな宝石も、豪華な服もいらない。質素な麻の服に花冠をつけて国民の前に立つの。皆を愛し、微笑んで語りかけるの。皆がきっと私を見てにこにこ笑うわ。皆がおなかいっぱいで、暑くもなく寒くもなく、怪我もせず。幸せに歌いながら、踊りながら。たくさんの花びらをわたしに投げてくれる。きっとそうなるわ。そういう国にするわ。たくさんお勉強して、世界一幸せな国民に囲まれた、世界一幸せな女王になるの。わたし、そうなるように、きっとがんばるから。どうか、どうか見ていてね。約束よ」
「……」
春子は汁をかきまぜる。
少女は微笑みながら、ほろりと一粒だけ涙を落した。
しんしんと星が瞬いている。
やがてきれいに皿の上のものを平らげ、少女は席を立った。
「ごちそうさま。とても美味しかった。あたたかさを、教えてくれてありがとう」
星の光の下、少女は夢と希望、不安の混ざった顔で微笑み、何かを振り切るようにゆったりと礼をする。
「ごきげんよう」
白い石畳に、長い影が伸びていた。
目を閉じ開けば、いつものお狐さんの前だった。
色褪せた前掛けが風に揺れている。
がんもどきはさっき置いたままである。
「……で?」
お狐さんを睨みつけ
やっぱりなにも言わないので、今日も春子は屋台を引いて仕事に向かった。




