☆ミ のれんがけ前の星祭り5 ★5/21NEW!★
ポネーニ領次期領主フィリッチ公の補佐官、ロベルト=スチュアートは考える。
星祭りくらいはこのやんごとなき方のツラを忘れて、のんびりと穏やかな気持ちで、綺麗な星を見ていたかったなあと。
今日は屋敷の屋上にルードウィングの支援者たちを呼び集め、派手なパーティを催すため屋敷の者総出で準備をしていた。
ギラギラとしたさすがは天下のルードウィングという彩で会場を飾りつけ、味が濃く脂っこい料理を並べさあ乾杯というときに、やんごとなきお方、次期当主フィリッチ公はおっしゃった。皆様、せっかくなのでわたくしは今宵星を浴びに行って参りますと。
待望の第一子を妊娠中の奥方様は言った。まあ素敵、太陽がごとき我が夫は、今宵星の煌めきまでもその手にしてしまうおつもりなのでございますわ、と。
どうやらその言葉に心の中のどれかの的の真ん中を気持ちよく射貫かれたらしい彼の母は珍しくうんうんと鷹揚に頷き、息子にそれを許した。
ああ明るい。
ルードウィングは皆実に明るい。頭の中が揃ってピッカピカである。各地から要人を呼びつけておきながら、今日の半分主役であり五星貴族の跡取りをあっさりと危険な夜駆けに送り出すその思考回路があまりにも複雑かつ難解すぎて凡人であるロベルトにはもはやその一端すら理解することができない。
願わくばその腹の中のお子にその太陽がごとき明るさが伝わっていませんようにと切に祈りながら馬の準備をし、ロベルトは今主に従って、広い草原を、星降る中駆けている。
景色は美しい。遮るもののない広い空を、星が煌めきながら舞い落ちている。
前を力強く駆ける主の背を追いながら無言で見ているうち、ふっ、と、遠い記憶が蘇った。あれは、何歳の頃であっただろうか。
当時まだ上手に馬に乗れなかった幼いロベルトの前で、その男は鮮やかにそれを操り、風のように陽の光の中を駆け、しゃがみこむロベルトの前に降り立ち腕を伸ばした。太陽を背負い、金の髪をなびかせながら。明るく、力強く微笑んで。
『そうしょげるなロベルト。何、お前はまだ馬の楽しさを知らぬだけだ。知ればきっとすぐに上達しようそう俺のように。今から俺がそれを教えてやる』
腕を伸ばされ、二人掛けで前に座らされ、そのまま馬は駆けた。風のように。
かつてない速度で周囲のものがびゅんびゅんと後ろに流れていく。
風を頬に感じ、陽の光を全身に浴びながらロベルトは思っていた。人の話を聞けこの野郎。俺は酔ったと言ったはずだこのまま吐くぞ。いいから早く降ろせと。
そう叫びながら、わっはっはと楽しそうに笑う後ろの男をぶん殴ってやりたかった。今思えば我慢せず吐いて叫んで殴っておけばよかった。そうしたら今、ロベルトはこんな立ち位置にはいなかっただろう。あのときぐっと堪えた自分の幼いけなげな理性を、できるならば過去に戻って遠く遠くへぶん投げてしまいたい。
はっはっはと明るい笑い声が今も広い草原と天に響く。星の煌めきが彼の甲冑を照らし、きらきらと光る。なびく金色の髪。英雄のような姿に、力強く明るい声。
どうしてこうなった。何ゆえに天はこの男にこのような無用な入れ物をお与えになったのだと、ロベルトは昔からずっと、それを不思議に思っている。充実させるならば是非入れ物ではなく中身にしていただきたかった。ほんのわずか、あと少しでもいいから。
「楽しいなロベルト」
「貴方はそうでしょう」
「ああ。お前も楽しかろうセラータよ。見よこの宵闇、黒毛のお前にこそ相応しい」
「帰りてえ」
「よし滝まで足を延ばそうか。今宵アルムの滝はきっと絶景であるぞ」
「帰りてえなあ!」
都合の悪い音が一切入らぬ素晴らしいお耳をお持ちの主の背に従って、ロベルトは駆ける。
どうしてこうなった、どうしてこうなったと、天に問いながら。
結局ロベルトはいつもこうやって、この太陽のような男の後ろを影として歩むのだ。
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白歌の民、ロラン=エルミスは、きらきらと光る白の町を、きらきらと目を輝かせ、見つめている。
隣には幼馴染のフレデリク。二人とも12歳。子どもだけでお祭りに行っていいという親の許可を得て小遣いの入った財布を握りしめ、二人は会場を歩いている。
「何を買おうフレデリク。こんなにいろいろあったら迷ってしまうね」
「ああ」
「的当てと糸引きもしたいけれど、甘いものと冷たいものも食べたいし、魚すくいもあったよ」
「小さかった。まだ食べられないぞ」
「飼うんだよフレデリク。玻璃の瓶に小川で拾った石を敷いて、ゆらゆら揺れる水草を入れて、そこに泳がせるんだ。近所のイルダさんがたくさんそうしてた。陽に透けてとてもきれいだったよ」
「ふうん」
「伝わっているかい? そうだな……こんな感じだ」
ロランは歌った。透ける玻璃の丸み、そこに転がる色とりどりの透明な石。流れ込む冷たくて清潔な水。そこを泳ぐ、尾びれだけに色のついた白い小魚が遊ぶ様子を。
尻尾の先は長く繊細。踊るようにくねり、ときどきちゃぷんと跳ねる。
繰り返したらフレデリクがのって来た。全音ではなくところどころ差し込まれるその音が、魚の動きによって動く石の音、揺れる水の音と察し、ロランは笑う。
もう一度最初から。ぴったりと合い、目の前に、ロランの頭の中にあったものが完成した。笑う。
「そうそう。そうだよフレデリク。まさにそんな感じだ」
「そうか」
フレデリクがわずかに唇の端を上げた。ロランも微笑みもう一度、先ほどの旋律をハミングする。
ロランは歌が好きだ。どんな色、景色、形、香りだって、音になる。音を聞けばどんなものの姿だって明確に想像できる。どんな小さなものも、どんな大きなものも、音だけでそこに作り上げることができる。
そこまで思いふと先日の光景を思い出し、頬が熱くなった。目を閉じる。
「ああ、それにしても本当に素敵だったね。ノエル先輩の『銀龍』」
「まだ言ってるのか」
「だってあれはなかなか忘れらるものじゃない。僕は目の前に、大きな白銀の龍が見えた」
一つ年上のノエルは、同じ少年合唱団の先輩であり、ソリストだ。
定例の発表会。暗黒の雲を切り裂くように、彼の歌声は響いた。尊く鮮烈な光とともに。
ただそこにあり、あるだけで説明の必要なく圧倒的な、美しいもの。それが彼の、硝子の糸のような繊細な声により、編みあがるようにありありと目の前に作られた。一つ一つ緻密で細やかなものが組み上がりさらなる大きなものを形作る様はただただ圧倒的で、感動的だった。
「声の質が違うから僕は先輩のようにはなれないけれど、いつか僕もあんな風に歌ってみたい。もちろん、僕なりのやりかたで」
「できるさ」
「できるかい?」
「できる」
真面目な顔で頷くフレデリクにロランは笑う。この友人は少々ロランを過大評価しすぎている節がある。
だが思う。ソリストのパンダンティフ。その輝きを思う。もし叶うならあの美しいものを胸に抱き、天上を目指して歌ってみたい。ロランは歌が、大好きだ。
町がキラキラしている。野菜を運ぶおじさん、走る小さなお婆さん、あっちからは町長と副町長が何か話しながら歩いてきた。
きらきらと白い町にざわめきが満ち、あっちでもこっちでも歌が響く。
甘い香りを放つ果物の入った飴、じゅうじゅうと焼かれる身の柔らかい魚、串に刺された鳥の肉。葉に包んで食べる、中に具の入った白い生地のパン。
通りすがりの歌に便乗し、悩んだ末にこれと決めた料理を買って、飲みものを持つ。座って食べ、すくおうかどうしようかと魚を見て、可哀想なのでやっぱりやめて、的当てをし、外れの景品を持って笑い、やっぱり歌う。
どこに行っても歌がある。この町が、この歌が、ロランは愛しい。
「外には歌を仕事にする人がいるそうだよ」
「へえ。それはいいな」
「うん。歌うことだけで生きられたら、それはどんなに楽しいだろう」
まだ12、だがもう12。そろそろロランたちは、自分の将来のことを考えなければならない。
「鳥の世話をせず、野菜を育てもせず、狩りもせず、歌だけで。それはきっと夢のような生き方だねフレデリク」
「ああ」
「……でも、僕はここが好きだ。歌が好きだ。それがない外なんて……とても考えられないな」
「ああ」
「……」
やがて響いた星祭りの歌に、やっぱり2人して便乗する。
最も高い音でも、それは自由自在に、難なくロランの唇から溢れる。息をするように、当たり前にその星の瞬く透明な音はロランから生まれる。神様がロランに、それをお与えになったから。
煌めくそれに強弱を付けて瞬かせ、重ねる。星の光のように。
「そろそろ帰るぞ」
夜歩きする悪い子は、霧に取り込まれてしまう。楽しくて時間を忘れていたロランは時計を見上げ、頷いた。
「また明日」
「ああ。また明日」
フレデリクの家の前で別れた。ロランの家は、あと少しだけ先だ。
ロランは小さく歌う。名残を惜しむように、星の歌の残響を。
きらきらと星が舞い落ちる。白の町に、星の光が瞬いている。
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