☆ミ のれんがけ前の星祭り4 ★5/21NEW!★
二巻発売前、やっぱりそわそわして書いてしまいました。
春子さんがアステールに飛び出す前の、星祭りの様子です。
ホルツ領
執務室にて一人ペンを動かしていたトマス=フォン=ザントライユは、茶がなくなったことに気付いて立ち上がった。人を呼ぶために廊下に出、ふと、窓の前で足を止める。
「ああ……」
夜の色を、縦に切り取るように輝いて降り落ちる星々。
そうか、今日は星祭りであったな、と思った。
珍しく足を止めたままその瞬きをじっと見てるうち、ふっ、と不意に、自分の隣に誰かがいるような不思議な心持ちになった。
慌ててそちらを見る。誰もいない。当然のことであった。
静けさを身に纏うその聡明な女性はかつて、トマスの隣で珍しく頬を赤らめ、その静かな瞳に流れ落ちるこれを映していた。
どうしてあのとき自分はあの赤い花を買わなかったのだろう、と思う。銀に近しい金色の長く艶やかな髪に、きっとそれはとてもよく映えただろうと思う。
トマスという男は昔からいつもひねくれていて、歪んでいる。失うことばかりを恐れ、身の回りのもの全てに黒い、醜い何かが隠されているのではと常にびくびくしながら疑っている。目の前の小さな幸せさえ自分が手を伸ばせば消えるのではないかと恐れ、心は常にどこか静かで冷ややか。何かに熱狂したり、己を忘れて何かを全力で喜ぶことができない。それなのにその男は、ひとりが身震いするほどに怖いのだ。
面倒な男だと、トマスはトマスを笑う。この世でトマスが最も付き合いたくない男がトマスなのだから、誠に困ったものである。自分はこの男の人生に、一生、死ぬまで付き合わねばならぬというのに。
歩む。人が少ないのだろう、今日は屋敷の中が妙に静かだ。
ぐるぐるの髪の間に指を入れ、凝り固まった眉間を揉み、そうしてやはり、トマスは静かな廊下を一人静かに歩む。
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「あ゛~っ……とっとっと」
目の前の魔道具がようやく形になり、発明家トトハルトは大きく伸びをした。
「あ痛てててて……」
何時間ずっとこの体勢だったのだろう。腰も肩もガチガチだ。
喉も乾いているし、腹もグウグウ鳴っている。トトハルトはそのことに、今の今まで全く気付いていなかった。
幸い横のテーブルに水差しがあったのでごくごく飲む。どうやら自分はまた、これを持って来た娘の声が耳に入らなかったと見える。一気に飲みすぎて子どもみたいに胸元に溢れてしまった水を袖で拭きながら、また怒られるなあと思う。
「ロレッター」
声を上げてみる。返事はない。
いててててと言いながら立ち上がり、工房を出て家の扉を開ける。
「ロレッタ」
暗い。どうやら娘の気配もない。
テーブルの上にパンとメモ。『星祭りに行ってきます。スープはお鍋の中だから温めて。鳥の骨、ちゃんとよけて。じゃがいもはちゃんと噛んでから飲み込んで』
おいおいおい子どもじゃねえんだぞと思うものの、つい先日どっちもやらかしたのはトトハルトなので文句は何も言えない。気を利かせた娘がじゃがいもを小さく切るようになったのでしょぼくれたが、その様子を哀れに思し召したらしい娘がもとの大きさに戻してくれた。トトハルトはでっかいじゃがいもが好きなのだ。妻の料理がいつもそうだったから。
スープを火にかける。ランプに火を入れるべきだろうが、トトハルトは別に暗くても構わない。
そういえば娘は誰と祭りに行ったんだろう。初級学校で仲良しだった子がいた気がするが、何という名前だっただろうか。それすらも、トトハルトは覚えていない。
それとも、ひょっとしたら男とだろうか。そういえば娘も年頃だ。お父さん、会ってほしい人がいるのなんて言われたらどうしよう。最後に服を買ったのはいつだっただろうか。ずっとしまいっぱなしの一張羅は、もう古すぎてボロボロだろう。今のうちに仕立てておくべきかなどと珍しく発明以外のことを考えながら、空腹のあまりスープが温まるのを待てずパンだけかじったときにはっとなった。
「……周りを一枚、全然違う材質で覆えばどうだ……?」
ブルリと震える。脳が回り始める。
「待て、ダメだ通りが悪く……穴を開ければいい別の方向から。いやそれじゃあ詰まっちまう。あんまりにでかすぎる」
ぐつぐつ湧きだした、鍋の中のじゃがいもを匙で持ち上げ、ぶすりとフォークで刺す。
口に入れる。もぐもぐと咀嚼し飲み込み、喉に詰まって水を飲む。
「……別のもんを押し込んで流しこむ。いや、詰まらねえようもとから小さくするか。待てそれじゃああとで組み立て直すときにやることが増えすぎる」
ブツブツブツと呟き、暗い部屋をグルグル回る。
やがて頷き、最後の理性で鍋を火から下ろし、トトハルトは顔を上げ工房に足を向けた。
キラキラキラと星が降るが、勢いよく考え事をしている発明家の目に、それらはまるで映っていなかった。
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「やあ、人人人ですねバーン先生」
「ああ。人人人だなアドルフ先生」
普段よりも人の多い町。もくもくとした黒い煙に常にしょぼくれて打ち沈んだような町が、いつもより華やいでいる。
魔法学校教師アドルフ=バートリーは、同僚のバーンと一緒に、そんな町を歩んでいる。横を行く彼の短く刈った炎のような赤い髪から、汗の雫が落ちる。今日は特に暑い。己の額も滴るそれを拭い、ふうとアドルフは息をついた。
「ああ、暑い。まさか祭りの見回りまで教師の仕事のうちとは思いませんでしたよ」
「まったくだ。とっとと終わらせて飲みたい」
「同じ意見です」
屋台の酒を、未練がましくバーンが見る。そして溜息。
「やっと半分か。まさかこんな日に面倒事起こすような生徒、特にうちの馬鹿どもが最後までいないといいなと願うよ」
「本当ですね」
バーンが一度足を止めかけ一応は歩み、こらえきれなかったように戻った。じゅうじゅう音を立てる串焼きを二本手にして戻ってくる。白い歯むき出しの無邪気な少年のような笑顔だ。火属性の人には、こういう憎めないところがある。
「職務中の買い食い、怒られますよ」
「腹ペコじゃ仕事ができない。油だ油」
笑いながら口止め料として渡されたそれを受け取り、アドルフも苦笑する。確かにそのへんにある美味しそうな屋台の食べ物と充満する香ばしくも甘い香りに、先ほどから腹がうずいていた。
買ってしまったのだ、もう食べるしかないと割り切って、あつあつのそれにかぶりつく。
少し固いが、ところどころカリカリに焦げた濃いめのタレが香ばしくて美味しい。
美味しい、のだが。
「酒が欲しい……」
「同じ意見です」
悲愴な声にアドルフは深く頷いた。ああ喉が渇いた、酒が欲しい。
「お疲れ様ですアドルフ先生、バーン先生。何か問題はございませんか?」
後ろから聞こえた声にぎくりとし、男二人は大急ぎで残りの肉を口に入れ、必死で咀嚼し飲み込んだ。串をバーンに渡し、二本の物的証拠が地の上でポッと燃えたところでアドルフが水をかけ、灰になったそれがじゅっと音を立てる。
ついでにタレまみれになっているだろうバーンと自分の口周りと手のひらも小さな水の渦できれいにしておいた。ここまで数秒、互いに無言、ついでに無詠唱。なんと連携のとれたみみっちい目的の高度な魔術使用かとは思わないではないものの、こういうときに便利なのが魔術なのである。二人は何事もなかったような顔で振り返る。
「お疲れ様ですナターシャ先生。暑いですね。こちらは今のところ問題ありません。そちらはいかがですか」
ナターシャはクイと銀縁の眼鏡を上げた。今日の彼女のペアは彼女よりもかなり年上の、水属性の男性教師だ。先ほど何が起きたかはおそらくお見通しだろうが、穏やかでやっかい事を嫌う人なので、わかっていても彼は何も言わない。きっと自分たちと同じく、早く帰りたいなあと思っていることだろう。
「問題ありません。ですが他のチームで、飲酒している生徒を補導したそうです」
「……」
バーンが悲愴な顔をして頭を押さえた。キリ、とナターシャがそんなバーンを見る。
「あなたのクラスの生徒ではありませんバーン先生。少しは自分の生徒を信用したらどうです」
「っしゃ!」
本気で嬉しそうな顔でガッツポーズするバーンを氷のような目でナターシャが見た。彼女は土属性のはずなのに、不思議だ。
「バーン先生」
「はい」
「襟に何か串焼きのタレのような染みがついています。まさか今日ついたものではないでしょうけれど、そう思われたら生徒に示しがつきませんのできれいにしてくださいアドルフ先生」
「……」
「……」
無言で、そこをきれいにした。冷たい目のままのナターシャが、もう一度眼鏡を上げる。
「では。引き続き、しっかりとお願いします」
「はい」
「はい」
去っていく女教師を、アドルフとバーンは立ち尽くして見送った。ふうと息を吐く。
せっかく少し膨れた胃がチクチクする。先生になってから、このチクチクは日に日に強くなっている気がする。
「……今日、終わったら飲まないか、アドルフ先生」
「いいですよ。同じく飲みたい気分です」
「ああ」
はあ、と溜息。教師というのはいつも、どこに行っても、何をしていても教師なのだ。たまには羽目を外したい。
きら、と視界の端で何かが煌めいた。
「始まったなあ」
バーンが天を見上げる。世界に祝福が降り落ちる。
何度見たって不思議で、壮観だ。何を思い、天は人々にこれを降らすのだろうと思う。
祝福か、それとも何かの暗示か。人というものの小ささ、その命のはかなさを、ひょっとしたら人々に知らしめんとしておられるのか。
わからない。小さき人間のアドルフには、何度考えたってその偉大なるものの意思はわからないのだ。
「……ランプはいいんですか」
「『教師が馬鹿みたいな顔で楽しそうにランプなんか振ってたら生徒に示しがつきません』」
「そうですね」
バーンが誰かの口真似をして、二人また歩き出す。あたりを見回す。
頼むから、問題行動はこっそりとやったうえ、証拠は完璧に消してくれ。それくらいの知恵はあるだろうと生徒たちの顔を思い浮かべ祈りながら。
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