☆ミ のれんがけ前の星祭り3
「はい」
「お疲れ様、エミール」
「やあジュディ」
ノックされたので扉を開けたら、ジュディとウロノス、その他新薬研究室で同期だった面々が立っていた。
「お揃いでどうしたんだい?」
「今から皆で星祭りに行こうと思って。エミールもどう?」
「まだ試作の途中だから、遠慮するよ。人ごみは苦手だし。誘いに来てくれてありがとう」
恐る恐るといった様子で皆が研究室の中を覗き込んでいる。
生ける屍の集う墓地の部が気になって仕方がないのだろう。残念ながら大先輩方は今日も定時きっちりに仕事を終えおのおのご帰宅だ。こちらにはいらっしゃらない。
「墓標はないよ」
「やあねエミールったら。当たり前じゃない」
ジュディが笑う。いいや何人かは本気で探していたぞとエミールは思う。
「エミール」
「うん?」
「……本当にごめんね」
ウロノスが申し訳なさそうに言う。何のことかと思ったが、ウロノスはどうやら自分の異動を、彼をかばったためと思っているらしかった。
「君のせいじゃない。仮に誰かのせいだとしてもそれは君じゃない。それに僕はここが気に入ってる」
「……」
「本当だ。誘いに来てくれてありがとう。皆、楽しんで」
手を振り、別れた。そうか今日は星祭りだったなと思う。
夜になると咳が止まらず、ほこりの多い場所にも行けなかった小さなころは、祭りに行きたくて行きたくて仕方なかった。行けなければ行きたくてたまらないのに、行けるようになったら行きたくもなくなるというのもおかしなものだ。
試作の瓶を抜き取り、振る。濃い青が揺れる。
残念。でも楽しい。この幸せな時間はなにものにだって代えがたい。
わずかに微笑みエミールは別の薬草を刻み始めた。
とんとんとん、リズミカルな音が、静かな研究室に響いている。
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「おー……降ってる降ってる」
「壮観だね」
「ああ」
「僕はこの美しい景色を君と見ているこの現状が実にいたたまれない」
「俺もやだけど見張り当番だ。諦めようぜ」
レオナールが首を振り、ガッドがため息を吐く。星が美しく降っている。
「これを見ると思い出すな。実家を。庭にテーブルと椅子を出して、母のおいしい料理を食べながら家族皆で見上げたものだ」
「へえ。俺は近所のダチと悪さばっかりやって木に縛られて、泣きながら怒られたことを思い出す」
「星祭りにかい?」
「星祭りだからこそだろ」
「理解できないね」
「そうかよ」
星が降る。きらめきながら星が降る。
「こないだ試験でクリストフに負けたって?」
「今何故かそれを思っていたところだ。『こわくない、こわくない』か。冗談じゃない。落ちるなんてまっぴらごめんだ僕は」
「ツラがよくて家柄がよくて、剣も使えて優等生で、頭までいいってのはできすぎだ」
「それで嫌な奴ならまだしも性格までいいときた。どこにぶつければいいんだ僕のこの苛立ちは」
「なんかあるだろう。なんか」
「なんかとは?」
「すげぇ変な性癖があるとか」
「ぜひ知りたいね。そしてぜひものすごく変であってほしい。それでこそ僕の溜飲も下がるというものだ」
「あるかなあ」
「君が言ったんだろう」
「なさそうな気がすんなあ」
「ある。きっとある。完璧な人間なんて存在を僕は許さない」
「あるかなあ」
星が降る。東の守り手達に降り落ちる。
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窓の外をじっと眺めている小さな背中を、テレーズ=カサドゥシュは見下ろした。
金の細い髪が星明りに、とろけるように光っている。
外からは騒がしい声が聞こえる。皆で集まって、食ったり飲んだりしているんだろう。テレーズは騒がしい場所が好きじゃない。
細く音楽が聞こえる。金の髪が、それに合わせるようにわずかに揺れている。
今日は遠くの町まで買い出しに行って、家に帰るのが遅くなった。今からなにか作るのも、ずいぶんと億劫なことだ。
「ジャン」
ぴくんと顔を上げる。子犬のようにテレーズを見上げる。
「面倒だ。何か食いに行くよ。出かける準備しな」
小さな面がぱあっと輝く。ぴょんと立ちあがって自分の小さな鞄を下げ、興奮を隠すように、頬を赤くして寄ってくる。
はあ、と息を吐く。面倒だ。
どうせいろんなくだらない売り物があって、当たりもしないくじ引きの店があって、甘い菓子と味の濃い揚げ物があっちこっちにあるのだ。
いつか目を輝かせてそれらを見つめるテレーズに、リオノーラが微笑み手を引いた。『お祭りには悪いものも寄るからね。はぐれないように気を付けるんだよ』と、秘密っぽく言った。
「ジャン」
「……」
「はぐれんじゃないよ。取って食われるからね」
何にだろう、と思っていることだろう。決まってる。祭りに集まる『悪いもの』だ。
はぐれられては面倒なので手を引く。嬉し気に握り返される。
ぴょん、ぴょんと跳ねている。
ああ、面倒だ、とテレーズは思う。
嬉し気な横顔を見る。
まあいい。この世の理不尽をたんと味わうがいいと笑う。
祭りのくじびきは当たらないと、幼き日全財産をつぎ込みテレーズは学んだ。
学べ学べ。この世の理不尽を。
楽しそうなものは実はほとんどからっぽで、本当はこわいのだと。この小さいのに教えてやろうじゃないか。
星が降り落ちる。
どこかで金の目が、それを静かに見つめている。
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「あれ」
「なんだ」
「なんだよ」
「今日じゃなかったっけ、なんとか流星群」
「ああ、あったなあ」
「なんだっけな」
酔っぱらいが三人。おでんを食いながらふにゃふにゃした会話をしているのを聞きつつ、春子は汁をかきまぜる。
「春子さん、なんだっけ、なんちゃら流星群」
「知らないね。それにどうせこのあと雨だよ」
「なんでわかるの?」
「年寄り天気予報は当たるんだ」
「関節が痛むってやつだな。うちのばあちゃんも昔言ってた。当たるんだあれは」
男三人は暖簾の向こうに手を伸ばし、雨を探った。まだ降っていないらしい。
「たまごもう一個」
髪の薄いおやじがほろ酔いで言う。
「こないだかみさんに止められてるって言ってなかったっけ。やめときなよ」
隣のトリガラおやじが、頬を赤くして言う。
「コレステロールだかチョコロールだか知らねえが、俺は今たまごが食いたいんだ」
「怒られるよ」
「顔に書いてあるかってんだ。『今日俺はたまごを二個食いました』って?」
「はいよ」
お代わりと言われればお代わりを出す。春子は医者じゃない。おでん屋だ。
「冷やちょうだい」
「はいよ」
「今日はじゃがいもないの?」
「売り切れだ」
「じゃあがんも。タコも」
「はいよ」
春子はおでんを売る。春子はただのおでん屋だ。何年も。何十年も。どこにでもある、ただのおでん屋だ。
「何か面白いことおきないかな」
「たまには景気のいい話が聞きてえなあ」
景気の悪そうな客が、酒を飲みながら愚痴を吐き、おでんを食ってはくだをまく。
おでん屋なんてそんなもんだ。
「ハワイでも行ってきたら? 春子さん」
「アロハオエ~。ビキニでね」
「こわいこと言うなよ」
「やなこった。めんどくせえ」
「あっちで売ったらいいじゃない。イッツジャパニーズオデ~ン。ベリーベリーデリシャ~ス!」
「屋台ごと行くのかよ」
「乗れるのか? 飛行機」
「めんどくせえ。タダで運んでくれるってんなら考えてやるよ」
軽口に軽口を返してから、春子はふっと眉を寄せた。
今、コーン、と、何か聞こえた気がするのは気のせいか。
嫌な予感に顔を上げた。よっぱらいがおでんを食ってふやけた顔をしているだけだ。
考えすぎだ。ただのおでん屋に、変わったことや面白いことなどが起こるはずがない。
春子はおでんを売る。
春子は今日も偏屈な年寄りの、ただのおでん屋台店主である。
☆ミ




