【後2】セントノリス 男だらけの肉祭り3
「まだいけるか?」
ハリーの声がかかった。アントンは顔を上げて微笑む。
「ありがとう。少し休むよ。野菜で」
「そうか」
横に座ったハリーがアントンに渡そうとした肉を自分の皿に乗せ、豪快にかぶりつく。
肉汁と生命力の溢れる飾り気のない横顔を見て、ふっと心が解けるのを感じる。同時に、どっと重たい疲れも。
手元の野菜を見て、かじり、噛み締めて飲み込んで、じわじわ目が潤むのを感じながらアントンはつぶやいた。
「……ハリー」
「うん」
ハリーが何種類かのソースの食べ比べをしている。
「今気づいた。僕は少し、疲れてたみたいだ」
「へえ」
「……毎日、至らないことばかりなんだ。一日でも早く、一日でも長く、陛下のお役に立ちたいのに。僕は知らないこと、できないこと、ばかり」
「三年目なんだ。そんなもんだろう」
「……」
肉を飲み込んでから顔を上げ、じっとハリーが青い目でアントンを見た。
「大丈夫なんだな?」
「うん」
「そうか」
アントンは焼いた野菜を食べる。
ハリーももう一口肉を食べる。
何があった。どうした? と、彼は聞かない。
なんの気遣いも必要としない心地いい沈黙のなかで、アントンは王宮を思う。
医学薬学に通じた人、道路交通に詳しい人。農業の知識が深い人。商業、工業に明るい人。
本の上の知識ばかり追っていた自分には到底追いつけない、実と厚みのある知識の一端を日々大先輩である彼らに学びながら、補佐官の制服を纏ってアントンは三年、自分なりに全力で走ってきた。
いつかそれらすべて飲み込んで、かつてトマスが自分に言った、彼の手足、頭脳、支えになれる日がくることを、アントンは心の底から望んでいる。
その理想からのあまりの遠さを、日々感じている。己のふがいなさ、足の遅さに悶えながら。
それでも走ろう、走ろうと思ってきた。足を止めないで、いつまでだって、どこまでだって。
その時間に限りがあることを、期限があることを、アントンは考えるのを忘れていた。
アントンは焦る。もっとこの足が早ければと。そして思う。ハリーなら? ラントなら? 他の優れた人ならばできたかもしれないだろうことができない泥まみれの自分が、毎日、何度だって目の前に叩きつけられる。
早く役に立ちたい。走っても走ってもそこに手が届かない。歯がゆくて、悔しくて、悲しい。どうしてこんなに自分は優れていないのだろうと思う。そんなこと始めからわかっていたはずなのに。
唇が震えそうになってアントンは噛みしめる。ああ、今自分は弱っているのだと自覚する。
「……雪合戦を覚えてる? ハリー」
「ああ」
アントンは野菜を食べる。
ハリーは肉を食べる。
「……下手くそでも、皆といっしょに、外に出てもいいのかな」
「ああ」
「今がダメでも、諦めなくても、いいのかな、ハリー」
「ああ。サロには当たっただろ」
「うん。……味方だったけど」
「そうだな」
「……いい?」
「いいよ」
「……」
自分は今とんでもなく甘ったれているなと思いながら、視線を感じて見上げた光のなか。12歳の雪の日に向き合った顔がずっと大人び、余計にかっこよくなって、穏やかに微笑んでいる。
「ここまでのは初めて見たかもな。今お前、ほんとに疲れてんぞアントン。またぶっ倒れる前に食って寝ろ。で、起きたらまた走ればいい。遠慮なく、ガンガン人んちの扉をぶっ叩きながら」
「……」
ニッと彼は笑う。かっこよく。
「そうすれば参加者が増えて、湯が染みてシチューが余計にうまい。知ってるだろ? ここにいる連中は皆知ってる」
「……」
「わかるけど一旦休め。そうしてから、手の中を見ろアントン。お前の、一番の特技だ」
なんでもないように穏やかにハリーが言う。
堪えきれず溢れた涙を、ハリーは気にも留めない。肉を食べる。
「うまいなエリック」
「……うん。すごくいいエリックだ」
「ああ。久々に制服脱いで馬鹿やれて、楽しい」
「……うん……」
アントンは周りを見回した。
あっちで、こっちで、友たちがきらきら、きらきらと眩しく輝いている。
今日ずっと見ていたのに。なんだか今初めて見るように、それは新鮮に、鮮烈にキラキラと輝く。
それぞれの人生に何かひとつがなかったらきっと今ここになかった、アントンのとても大切な眩しいものたち。
たくさんの奇跡を積み重ねて、今、きらきら、きらきらと光を放つ。才豊かで心優しい、これから国じゅうに幸を広げる、光溢れるものたち。
きっとまだアントンが出会っていない美しいものが今このときも、国中できらきらと眩しく輝いている。
この道を歩んでいる。これから先だって歩める。大好きな彼らたちと。まだここにいないこれから出会う誰かたちと。
歩むうちに大切な何かをいつか失うかもしれなくても。誰かが困っていれば手を引いて、転びそうなときは誰かに支えてもらって。そのときそのときに、大切に思えるものが今そこにあることをアントンは心から喜びながら進める。
あの日見た眩しい夢の先に、確かに今アントンはいる。
敬愛する王の傍らにいて、多くの正しき知識を持った先輩方がすぐ前にいて、大好きな友人たちがすぐ隣にいてくれる。
ぼろぼろぼろと涙が落ちる。こらえてもこらえきれずに情けない嗚咽が漏れる。なんてことだろうもう大人なのに。補佐官なのに。アントンは今日どこもかしこも塩まみれだ。
やっぱりハリー=ジョイスはすごいとアントンは思う。こんな素晴らしい男が王の駒であり自分の友人であることを、アントンは何遍だって神様に感謝しなければならない。
「とっても美味しくて、……とっても楽しい」
泣きながら笑うアントンの横でハリーが構わず肉を食べ杯を傾け、アントンは野菜を食べる。
帰ってきた友人たちはアントンの涙に一切動じず、わいわいとまた肉に戻る。ハリーが立ち上がり布を汗だくの額に巻き付け立ち上がり、またじゅうじゅうと肉を焼く。
香ばしい香りが満ちるキラキラとした光のなかを川が走る。
川辺に若者たちの明るい声が響いている。




