【後2】セントノリス 男だらけの肉祭り1
「晴れた!」
川べり
中央から少し馬車で走ったところにある広い川の横に、男たちがわいわいと立っている。
「もう夏だな」
「うん、泳ぎたいくらいだ」
「やめとけ」
網に入れた色とりどりの果物をぽちゃんとまだ冷たい川に沈めてから、しゃがみこんで水面を眺めていたアントンの左にハリーが座る。そして履物を脱ぎ、果物よりも下流の部分に足を投げ出した。
「冷たい」
「いいな」
「何してんだ?」
通りがかりの足を止めたのはエリック=ワイラー。
セントノリスの同級生で、アントンは歴史の授業のあとはいつも彼を含めた数人で、アデルのノートを囲んで昼食を共にした。
中級の最初のころは怒りんぼで、すぐに問題を起こすトラブルメーカーとして敬遠されていた男だ。偉いことに彼は自ら進んで自分の悪いところを認め、徐々に、必死で努力して己を改めた。もともと持っていた視野の広さと面倒見の良さをいいほうに伸ばし、今やすっかり親切な頼りがいのある男だ。
短く刈られた茶色の髪に灰色の目。以前はギュッと寄っていた眉は力みが取れて優しくなり、おおらかに開いている。
本日の肉パーティーの発起人でもある。
「それいいなハリー。俺もやろう」
「冷たいぞ」
「へえ」
右に座ったエリックが足を川に投げ出し、っは〜と気持ち良さそうに、ちょっとおじさんみたいな声を上げた。
すっかり優しくなった男らしいその顔を、じっとアントンは見る。
「今日はお肉ありがとう、エリック」
「いや、この時期実家が中央への卸のついでに送ってくるんだ生きたまま。皆に食ってもらえるならよかった」
二人が気持ちよさそうなのでアントンも裾を捲って川に足を入れた。ころんころんと石が足の下で動き、流れる水が冷たくて、気持ちがいい。
「何の肉だっけ」
「普段は今なら豚なんだけど、今回は兄が何かと掛け合わせた新種とかでよくわからん。でも脂に臭みがなくて割といける。けっこう人気らしいまあ食ってみてくれ。食用にしちゃやたらと見た目が可愛いのを、俺は必死で捌いたんだぞ」
「お疲れさまでした特に心が。ありがとう。楽しみだな」
「いいよ。今日は休んでよかったのかアントン。とんでもなく忙しいって聞くぞ」
「うん。農業畜産部だって忙しいだろうエリック」
「まあな。でも俺には向いてて楽しい」
「よかった。僕もだよ」
「そうか」
アントンは川面の光に照らされながら笑うエリックを眩しく見上げた。
逞しく頼りがいのあるこの男の大きな手は、いつかきっとこの国の、立場の弱い人々にとってなくてはならないものになるとアントンは思う。
いつだって困っている誰かの姿に見て見ぬふりして通り過ぎることが出来ない。損得を考えず、一番弱いものを全力で守ろうとする。
アントンは彼の視野の広さと面倒見の良さ、裏表のない優しさを心から信頼している。
「今日は妙に暑いから肉が心配だ。竈の準備は誰がしてる?」
そう尋ねるエリックの短い髪から汗が滴った。
アントンもなんだか口が塩っぽいから多分汗まみれだ。本当に今日は暑い。
「もちろん我らが誇るセントノリスの匠、ドナルドとエセルバードに決まってるじゃないか」
「おいおいおいあいつら凝り性だから、長いぞ」
「もう事前に設計から完璧だから、大丈夫だよ」
「外で竈作るのに設計図はいらないだろ。適当に石積んで鉄の板敷くだけだ」
「そこは仕方ないよハリー。彼らは誰だ? ドナルドとエセルバードだぞ」
「まあな」
「ちょっと様子見てくる。料理は誰だ?」
「当然フランクリンとジェラード、アルフォンソ。今日は切るだけだから、むしろみんな欲求不満になっていると思うな」
「ああそうか。まあ、なんかしら手伝ってくる」
「行ってらっしゃい」
世話好きな彼は座っていられない。立ち上がり人混みの方に消えた。
「それにしても、集まったな」
ハリーが胸元をパタパタさせ辺りを見回しながら言う。
忙しくて後回しにしているらしく、彼にしては髪が長い。だが髪が長くても汗だくでも余計にかっこいいのがハリー=ジョイスという男だ。
彼はあの日虫害の発生した隣国メイデンとの交渉を、速やかにほぼ満点に近い形で整え、涼しい顔で帰国した。
王に顛末を報告する重鎮ハーゲンドルフ氏が実に満足気な表情だったのが印象的だった。
整えるべきを整え、一番おいしいいいところを上手に彼に譲ったのだろう。
ハリー=ジョイスという男はどこにいっても誰といてもうまくやり、そのときその場に最も必要な言葉をいつも的確に放つ。
ああ、やっぱりハリー=ジョイスはかっこいい、とその顔を見ながら改めてアントンは思った。
「うん。そもそも今日休みの人だけしか来られないはずなのに、まさかここまで出席率が高いとは思わなかった」
「卒業して3年目なんて皆忙しいに決まってるのに、物好きが多い」
「遊ぶときこそ全力で、とセントノリスで教わったからね。『遊ぶが如く学び、遊びから学べ若人よ』」
「ああ。教えを素直に守る、なんていい生徒たちだ」
「違いない」
ぱしゃぱしゃと水を蹴っていると、不意に後ろからどんと押された。
弧を描いて川に飛び込みそうになったのをハリーにギリギリ救われる。
セントノリス出身者の中で、こんな初級学校の男子のようなことをするのはもちろん一人。
もちろん川が浅くて今日は暑くて、横にハリーがいるとわかっているからやる男だ。
「サロ」
「あ、悪い見えなかった」
水色の垂れた目、金色のウェーブのかかった豊かな髪。
すっかり背が高くなった、今となってはアントンにだけへそ曲がりな友サロ=ピオラを、アントンは微笑んで見上げる。
「話しかけたいときは『こんにちは』って言えばいいんだよサロ」
「見えなかっただけだ。ああこないだは土産ありがとな」
サロが横に座る。
土産とは、視察で行ったときにサロの実家の街で買った不思議な香りのする茶葉だ。昔、中級学校の1年生のとき、自分の一番好きなお茶なのに、中央で売ってるのはなんだか味が違うと悲しげに言っていたのを思い出して買った。
サロも二人を見て座り靴を脱いで足を入れた。もちろん足を踏もうとしたり水を蹴り上げてアントンにかけようとする。今や商業貿易部門での若手のエースのくせに、中身は子供のまんまだ。
「俺さあ」
「うん」
「長期で国外に行くことになった」
「……いつから?」
「再来月」
「希望して?」
「もちろん。憧れだったからな『女王の船』の先」
ああ、とアントンは笑った。
サロはあの港町の裕福な商社の末っ子だ。
容姿華やかで根っから明るくて、社交的で頭の回転が早い、お金持ちの子。きっと望めば何でもなれたのに、自由な気性に合わなそうなお固い王家文官の道を選んだ。
青い海を切り取って走る、国外への交易品を乗せて進む女王の船の堂々たる美しさに憧れたのだと、以前彼は言っていた。
なら何も心配することなんかない。彼は夢の先に進むのだ。
「寂しいけど嬉しい。体に気をつけて。君はすぐお腹を出して寝るから心配だ」
「残念だったな。その癖は中1でなおった」
「同室のときは僕かフェリクスがかけ直してたんだよ」
「嘘だろ」
「友好国に失礼するなよ代表者。失言ひとつで外交問題だ」
「もちろんちゃんと調べてる。『地を跨がんと欲す者、先ず地の先に彼の地の金と禁を問え』だ。ぬかりない」
『サロは本当に発音がいい』
『その一節を最初の授業で正しく言えたのは君だけだっけ』
『俺とラントだったよ。色んな言葉と文化を聞いて育ったんだ。俺が語学で在学中に敵わなかったのはラントだけだ』
こだわりなく懐かしげに緩やかに笑うサロは、もう昔のかまってほしくて誰彼構わずいばったり威嚇する商社のお坊ちゃんではない。
そもそも昔だって可愛いかった。どうしても特定の言語との相性が悪くて苦しむアントンに、一月ずっとその言語で多岐にわたる悪口を、流暢な発音で毎日しつこく言い続けてくれたのはこの友人だ。
おかげでそれは今やアントンの得意な部類の言語になっている。
サロが大人になった顔で、きれいな髪を揺らし穏やかに川面の向こうを見る。いつかの夢の先を、水色の目を細め、眩し気に見つめる。
その横顔を見ながら、アントンもまた微笑む。どうしてアントンの友人たちは皆、こんなに色彩豊かで美しいのだろうと思う。




