14皿目 継承者たち(本編完結)
今日も今日とてお狐さんを睨んでいる。
いなりを2つ、置いている。
最近ときどき、腰が痛む。
この歳であとどれくらい屋台を引けるだろうとふっと思うときが、ないわけでもない。
パン、パン
夜
室内である。
窓の外に無数の星が瞬いてる。
「何者だ!」
ひゅんと舞った刃が何かに当たってかきんと折れた。やったやつが息を呑んでいる。子供だ。
「おでん屋だ!」
「……」
けばけばしくきらんきらんに飾られた広い部屋に、低学年の小学生くらいの男児が立っている。
緩やかなくるんくるんの金髪に青くてでかい目ん玉。頬っぺたを赤くして、お上品にはんぺんを食っている。
「これが魚なのですか?」
「魚と、たまごと芋だね」
「そうですか。余の知る魚とはずいぶんと異なります」
「へえ」
「……上品で、まるで泡をいただいているようです」
「そうかい」
ちょんといなりを乗せた皿を『余』坊の前に置く。
いなりを、はんぺんを、たまごを、昆布を、やっぱり少しずつお上品に口に運んで食っている。
大分遅い時間の、夜だ。
薄い星の光に照らされるのはきらんきらんとした大層なお顔だが、腕も首も、細くて頼りない。産毛の残る白い頬にあるのは涙の跡だ。
「夜更かしだね。子供は早く寝ろ」
「……そうしようといたしましたが眠れずに、明日のご挨拶の練習をしておりました。明日は王宮に入りますので」
「へえ」
「スプーンはありませんか? スープも飲みたいです」
「口付けて飲みな」
「……いいのだろうか」
「そういうもんだよ」
躊躇ってから少年は皿に口を付け、汁を飲んだ。
ぱっとまたその頬が赤くなる。
「……おいしいです」
緊張を解いたように、はにかむように笑った。
そうしてからじわじわと笑いを失い、皿の上におでん以外のなにかがあるかのように真剣にじっと見る。
「……余には、わからぬのです」
「何が」
「政とはなにか。王とはなにか。父はそれは馬を育てるのと同じことだと申しますが、余にはそうは思えませぬ。きっともっと複雑で困難な、何かだと考えております」
「……」
「けれど、それが何か、何もわからない。書をいくら読んでも余計に惑うだけで、己の作りたい国の形すら少しも決まらず、一体どうしたらそれを描けるのかすらわからない。……このようなものが本当に次期王として、城に入ってよいものか。何度考えてもわからぬのです」
そこまで言って唇を噛みしめ、ぽろりとその目から涙が落ちた。
続けて大きな粒が、いくつもいくつもぽたぽたと落ちていく。
「……こわい」
「……」
「こわいです。ルードヴィングにはきっと冷たいだろうザントライユ派の者が占める王宮で、お前などその器ではないと、皆から失望され見捨てられたら」
「……」
「こわい。そこで、誰からも愛されなかったら。お前など後継者に選ぶのではなかったと呆れられたら。ルードヴィングに帰れと罵られたら。もうルードヴィングの承継先はすでに弟で進められている。ここにはもう余の居場所はないというのに」
落ちる涙が皿の汁の表面を揺らしている。
「……」
「……」
「……」
慰めも何もなくとも、何故か人は泣けば落ち着く。
涙と一緒に、何かが流れていくのかもしれない。普段泣けない立場の人間ならば、特に。
「……でも、貴方様は今宵、ここにお越しになった」
涙に濡れる、ガラス玉のような、氷のような水色の目だった。
まだぽとぽとと涙は落ちるが、そこにはどこかほっとしたような色があった。唇は震えながらも、わずかに微笑んでいる。
「だから迷わず、進みます。整えられ赤絨毯の引かれた美しき道の上を。余にはもうこの一本道しかないのだから」
「……よく食って、よく寝て、ちゃんと周りの人の話を聞きな」
「……はい」
「子供なんだから」
「はい」
ぽろりぽろりと子供は泣いた。
泣きながらもゆっくりと食べ、汁まで干して、じいっとことことと揺れるおでんを見た。
「形も、味わいも異なる者同士が隣り合い、仲良く踊っておりますね」
春子は出汁をかき混ぜる。ふわっと湯気が上がる。
「色々あるからからうまいんだ」
「……はい」
そっと目を閉じ、最後に一つぽろりと涙を流して皿を置く。
「かくありたい」
子供は立ち上がり、馬鹿丁寧な礼をした。
上げた瞳に、もう新しい涙はない。
「ごちそうさまでした。明日に備え、眠ることにいたします」
「そうしな」
「……この味を、一生忘れません」
「馬鹿言え。もっといいもん食ってとっとと忘れな」
春子はおでんに蓋をした。
いつものお狐さんの前だった。
稲荷を置いた皿は空になっている。
じっと、春子はお狐さんを見た。
今動いた拍子にまた少し、腰が痛んだような気がしないでもない。
「……あたしは婆さんなんだよ」
ふふんと元気よく胸を張っている狐の赤い前掛けが揺れる。
「いつまでも付き合えるわけじゃない。とっとと次の若いの見つけて乗り換えな。あんたんとこの、若いののためにもね」
狐は何も答えない。
ふんと鼻息を吐いて屋台を引きずり、春子は仕事に向かっていった。
翌日
お狐さんの前に稲荷を置いて、パンパンと二度柏手を打った。
目を開ければ……お狐さんの前だ。
今日はお呼びじゃないかいと荷車を引こうとしたとき、後ろに春子と同じような屋台があるのに気付いた。
頭に白いタオルを巻いた、野球選手みたいな背の高いいい体の兄ちゃんがやってるラーメン屋だ。ときどき見る。
若い娘さんにキャーキャー言われそうな兄ちゃんのいつもは精悍な顔が、今や汗だく。赤くなったり青くなったりしながら、お狐さんと、空いたどんぶりと、お代の箱を代わる代わる見比べている。
春子は察した。
「おい」
「えっ」
ずんずんと歩み寄り、春子は兄ちゃんに、フォークの入ったコップをまるごと渡す。
「やる」
「……」
「ま、気楽にやんな」
あばよと言い捨て春子は仕事に向かう。
歩きながら徐々に、くっくっくと笑いが漏れた。
まったく、若い奴ってのは切り替えが早くて、実に素っ気ない。
そんなもんだ。
青信号になったので進もうと思った。
引いている屋台のちょうどおでんの鍋がある場所から、コンと鳴き声がしたので足を止めた。振り向こうとした春子の目の前を、びゅんと車がものすごい速さで横切った。
「……」
「あっぶねえなあ! 信号無視かよ!」
「なんだあいつ酔っ払ってんのか!? 大丈夫か婆さん」
「……」
春子は振り向く。何もいない。
そこにはいつもどおり、おでんがあるだけだ。
「……釣りは出ねぇぞ」
もらい過ぎは嫌いだが、まあこれくらいはもらっておいてもいいだろう。
きっと最後なのに姿も見せず、たったのひと鳴き、しただけだ。
春子は歩き出した。
「春子さん、なんかいいことあった?」
常連客に言われて、春子は一瞬、出汁をかき混ぜる手を止めた。
「別に。はいおまち」
「ありがと。教えてよ」
「大したことじゃないさ。若い男につれなくされたくらいかね」
「色っぽい話?」
「馬鹿おめえ、んなわけあるかってんだ。老人ホームにでも入居を断られたんだろう」
「どんな年寄りでも元気だとなかなか入れないらしいなあ。金持ちのとこしか空いてねえ」
「年寄りになるまで働いて、最後はこれだもん。悲しいね」
そうしてまたくだらない、酔っぱらいの会話に戻る。
わいわい、がやがや
「春子さんこんにゃくともちきんちょうだい」
「はいよ」
「冷酒おかわり」
「はいよ」
「あいてる?」
「いらっしゃい」
「いつものちょうだい」
「はいよ」
「ごちそうさま。お勘定」
「毎度」
わいわい、がやがや
喧噪の中に、ほかほかと白い湯気が上がって消えていく。
盛りを過ぎた桜の白い花びらが寂しげに、それでも美しく夜を舞い落ちる。
春子は偏屈な年寄りの、おでん屋台店主である。
酒は一人2合まで、銘柄は一つ。
冷ならそのまま、燗なら徳利に入れてとことこと温める。
変わってしまった街の中。
今日も春子は変わらずに、屋台に来た客におでんを食べさせる。
~おでん屋春子婆さんの偏屈異世界珍道中~ 完
完結いたしました。
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最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。




