【12】エンドロール3
転移紋を渡り、記録し、道を走り、記録し、国を走り、記録して。
未来に繋がる石畳を走り切って、3名は任務を終え王宮に帰還した。
「ああ、帰ったか」
「はい。陛下が御前に只今」
久方ぶりの主のお変わりなきご尊顔を拝見し、アントンは頬を染め微笑んで礼をした。
「それはよかったではすぐに旅の垢を落とし各自の制服に着替えてくれ。報告は追って聞く」
「何かございましたか?」
王宮の雰囲気が慌ただしいことは、既に3名とも気づいている。
「隣国メイデンにて小麦の虫害が発生し、その虫の群れが我が国の方向に向かっている。国境付近に全国から魔術師を招集しこれを蹴散らす。またそれと並行してメイデンに使者を送る。かの国は本年の干ばつでもともと麦の実りに懸念があったところに今回のこれだ。飢えのあまり我が国に向け、剣を取られては困る。そうなる前に麦を安価で輸出する話を持ちかける。現在の組織で、苦しむ相手の足元を見すぎず、こちらが損をしない程度のぎりぎりをついて場の流れを読み最も恩を売る形の交渉をまとめられる者は誰だハリー=ジョイス。旧パセランタ語に精通し、常にその場に最も適した言葉を選び、困窮する異文化の者に対しけして無情ではなく、それでいて胸のうちに情に流されぬ正確な秤を持つものがよい。3名挙げよ」
「カール=フォン=ハーゲンドルフ、エマニュエル=ボナヴェントゥーラ」
「そして?」
「ハリー=ジョイス」
「そうか。君の考えを申せアントン=セレンソン」
「カール=フォン=ハーゲンドルフ、カルメロ=アマーロ及び」
前の男の背を見る。本当は役職など気にせずに、一番にきっぱりとその名を挙げたかった。
「ハリー=ジョイス」
王はアントンの視線を当然に動ずることなく受け止め、頷いた。
「そうか。では先に君が行き彼らの動揺を鎮め調整し、のちに大御所らしく到着したハーゲンドルフに締めてもらうとしよう。準備しすぐに出発せよハリー=ジョイス。使者を送る旨を通達する早馬はすでに出ている」
「は」
「言うまでもないとは思うが、今回はハーゲンドルフの手柄となる」
「当然にございます。わたくしなど、ただの若輩者」
「今はそうだ。時を待てジョイス」
ハリーが恭しく頭を下げ、それから二人に見えるところだけでにっと笑ってかっこよく去った。
陛下が二人を見据える。
「次に『幻の森』と呼ばれていたアドラスの森の奥より見たこともない格好をした、古き書にのみ残る霊鳥を操る不思議な民が現れたとのことだ。賑々しいが特に凶暴な様子もなく、現在友好的に会話を試みているがあいにく彼らの言葉が誰にもわからん。古語および少数民族の言語に明るく、異文化との交流を厭わぬ、未知に飛び込んでくれる命知らずの男が欲しい。できれば若く見目のいいものがいい。なんでも彼らの『食いつきが違う』そうだ。おっとこんなところにちょうどよい男がいるな。頼んだぞラント=ブリオート」
ラントが微笑み恭しく頭を下げた。
「お任せください陛下。願わくば先に彼らの声を連絡機で聞かせて頂けますか。知っている言語か、あるいは知っているいずれかの言語に近しいか、予め知っておきたく存じます」
「連絡機からの音を録音機に留めてある。出発前に連絡室で受け取ってくれ」
「は」
ラントが礼をし去った。去り際、彼はいつも通りにやっぱり穏やかに微笑んだ。
「さて補佐官アントン=セレンソン」
「は」
陛下の氷の目が鋭く輝き、繊細な唇が皮肉っぽく笑っている。
「今日私は何やら連絡機が鳴りやまぬような、嫌な予感がする」
コクリとアントンは頷いた。頬と胸が熱い。
「は。陛下の嫌な予感は、たいてい的中なさいます」
「ああ。我ながら嫌な性分だ。……今日は何の日だセレンソン」
補佐官アントン=セレンソンは微笑んだ。
「何も起きぬ日にございます」
王は薄く微笑んだ。
「そうだ」
王は天を仰ぐ。
「この国には何も起こさぬ。私の治世では」
それがどんなに困難なことかを誰よりも知りながら、王は誓うかのごとく、挑むかのごとく天に宣言する。
国のため民のため、皆の平和と安らぎのために、このお方は歴史に己の名を残さぬ、コンブがごとき王になると固く決めておられる。
今目の前におわしますその偉大なお方に人生を捧げられる己の幸福を噛みしめながら、アントンは微笑む。
「試験に出ると、皆から嫌がられ煙たがられる王でございますね」
「そうだ。『あんな大きなことが何もない時代をこんな大切な試験に出すなんて』といつかこの国の生徒たちを泣かせてやろうではないか」
「かしこまりました。私はそういう、空箱の隅をつつくかごときいやらしくねちっこい問題が背筋が震えるほど大好きでございました。陛下には是非ともそんな嫌われる王になっていただくべく、すぐに旅の汚れを落とし全力でお支え致します」
「よろしい」
王は玉座にて鷹揚に頷いた。金の衣装を纏い、エメラルドの杓を持ち、煌めく王冠を被った、王家の血を引く氷の目で。
若き補佐官が眩き星を見るように目を細め跪き、立ち上がって走り去る。
「陛下!」
「今度はなんだ」
「また黄金仮面が出ました! 今回もまた警護団がけちょんけちょんにされ、早く増員をと泣きつかれております!」
「なんだいつものことではないか脅かすな! 何故今日に限って補佐官が出払っておるのだ。いつも言っておるであろう増員はせん努力しろ。それでもダメならもうあれは例の私立探偵とやらに任せておけ」
さらに一人。
「陛下! 算術士渾身の玉石問に満点正解者が出、出題した算術士がショックのあまり泡を吹いて倒れました!」
「よしただのいい知らせかそのまま寝かせておけ。回答者の身辺調査のうえ通知を出せ」
ふう、と一度安堵の息を吐いてから王は額を押さえる。
「だがこんなものですまぬはわかっているぞ! まったく私の嫌な予感にも困ったものだ。早く来ぬかセレンソン!」
「陛下!」
「今度は何だ!」
バタバタバタ。
各地の転移紋から転移紋へ、魔術師が、役人が、飛び交う。
連絡機を様々な言葉が交錯し、ああもどかしい、声だけでなく目の前の光景を相手に送れればと歯噛みする。
切り立った崖を迂回しながら、ああ、ここを登れる馬がいればと嘆息する。
必死で駆けながら、あああと一つこことあそこを繋ぐ転移紋があればと首を振る。
そんな出来事など露知らず、どこかで土まみれで石を掘る者がおり、一心にものを作る職人がおり、いざというときの襲撃に備え策を練る者、体を鍛える者、勢いよく地を翔けるもの、のびをしながら畑を耕す者。ひたすらに己の夢を追う者、学びのためにペンを動かす者たちがいる。
平和というのは、まったく実に皆忙しく、慌ただしく、騒がしい。
あと一皿です。




