【9】それぞれの星祭り
オルゾ半島
星祭りを控え広場には住民たちが集まり、祭りの準備をしている。
女たちは忙しく料理をし、子供たちはいつもと違うざわざわした雰囲気に、落ち着きなく頬を染めてはしゃいでいる。
「皿は足りるか?」
「ああ、じゅうぶ……女王陛下!!!!」
「もう王ではない」
「お座りになっていてください! このようなことは私たちが!」
「混ざらせよ」
ゆったりと老女は微笑む。
「一度は出てみたかったのだ。祭りというものに。楽しむ側でな」
「……上皇陛下」
「アンナちゃんのお母さーん! アンナちゃんのお母さーん!」
「どうしたんだゴゴさん」
「あ、シードルさん、この子が迷子で」
ぱちぱちと困ったように意外とつぶらな目を瞬いているのは、大男ゴゴ=ゴライアス=ガス。
以前ホーカンが連れてきた、怪力の大男だ。荒れ地のごろごろ転がる大岩を何事もないようにひょいひょい片づけるその剛腕と、見た目とは正反対の優しく純朴な性格で、子供たちからよく好かれている。今だって泣き出しそうな女の子を大きな手で慰めてやっている。
シードルは女の子をじっと見た。知ってる子だった。
「ヒュームさんちの子じゃないか。お姉さんのリンダがあっちで大人を手伝っているはずだ」
「ああ、じゃ、あっちさ行ってみます。ありがとうございました」
「いやいや」
「こわくない、こわくない」
遠ざかっていく大きな背中を、上皇陛下がじっと見ている。
「……善良であるな」
「はい。皆がああであればよいのですが、あれでは逆に、生きにくくはないか心配でございます」
「そなたらであれば問題あるまい。これまた善良な、研究馬鹿しかおらぬ」
「我々からそれを取ったら何も残りませぬ」
ふっふっふとシードルと上皇陛下は笑った。
「そういえば中央より新しい研究者が来るそうではないか」
「はい。乾燥と虫害に強い小麦の研究をしている者が。ここではもともとそれとは逆の水に強いものを研究しておりましたので、我々の研究から何か逆ゆえの発見があるやもしれぬと」
「そうか」
ふっと上皇陛下は遠くをご覧になった。
「育ちゆく最中であるな、我が国は」
「はい。すくすくと」
中央にはたっぷりの料理が並び、子供たちの笑い声でにぎやかだ。
「ありがたきことよ」
「はい」
まだ明るいのに気の早い子供たちが、空を見上げて古ぼけたランプを振っている。
☆★☆★☆★☆
首都グランセントノリア
色の違うろうそくの描かれた看板が揺れている。
「ちょっと」
「何よ」
「今日って星祭りじゃないの」
「そうね」
「……」
「……」
「……」
「誰か一人くらい『行こうよ』って言わねぇのかよ」
「嫌よあんな人込み。星なんて窓から見りゃ十分だわ」
「十分十分」
「あ~あ夢がないわね大人って。誰かミネットでも挿してもらってきなさいよ」
「あたしらに花ごときが刺さるかよ」
「ブチ折ってくれるわ」
「ミネットになんの恨みがあるのよ。まあいいわ」
じゃーんと糸目の美容師デイジーが葡萄酒のビンを取り出す。
「おお!」
「いいやつじゃない!」
「奮発してあげたわ。はい一人一本ね」
「いいわね。じゃああたしはこれよ」
じゃーんと黒いロングドレスのビオラが大きなチーズの塊を取り出す。
「うっおいこれすっごいいいチーズ!」
「でっか!」
「溶かしちゃう? パンとか浸しちゃう?」
「あ〜ん素敵! 伸びるチーズの糸ってなんであんなに魅力的なのかしらね」
「パンは? パンがあるでしょう?」
「……」
「……新しいパン屋が出来たって、今朝あんなに買ってたじゃないの」
「……美味しかったのよ」
「食ったの?」
「あれ全部? あのでかいのを何個も? てめえだけで?」
「……すっごい美味しかったのよ」
「この野郎!」
「こんばんはー」
店のドアが開き、黒髪の女性が顔を覗かせる。
ぴょこんと小さな姿もだ。
「こんばんわ!」
「あっらーユリ坊じゃないの可愛いわね」
「こんばんわおじさん!」
「お姉さんって呼びなさいっていつも言ってるでしょう憎らしいわね可愛いわねもうクリクリしちゃうわよ」
「ヘーイベ~ロロロロロロロロロロ!」
きゃっきゃと小さな男の子が笑う。
「これから星祭り?」
「はい。はぐれないように気を付けないと」
「旦那さんは?」
「仕事の呼び出し」
「間が悪いわねホント」
「あんたらが結婚したの、かなりの奇跡だわ」
ふっと皆があの日のことを思い出して笑った。
この美しい女性が、まだ初々しい、娘さんだったあの日。
『彼を殺しちゃう』と言って泣いたあの日を。
「皆さんに会えたのが、私の奇跡です」
ミネルヴァ=ブランジェはそっと、目の前の、奇跡の結晶のさらさらの黒髪を撫でた。
うんうん、と魔女たちは深く頷いている。
「あ、そうだ。これ新しいパン屋さんができてたからつい買いすぎて。おすそ分けです」
「「「よっしゃあ!」」」
野太い声が重なった。
☆★☆★☆★☆
辺境の田舎町
「はい、できた」
「……素敵……ありがとう」
鏡を覗き込んだ少女が頬を染めて歓声を上げる。
「ごめんねディードリヒ、ヤン爺がいいなんて言って」
振り向いてすまなそうに言う少女に、ヤン=バタンテールの一番弟子ディードリヒは微笑む。
「いいよ。今日は勝負の日だろ。俺よりもヤンさんのほうがいいに決まってら」
「ディードリヒも筋がいい。でも、こういうふうに」
そっと老人にしては繊細な指が、少女の髪を一房巻いて垂らす。
「ミネットを差したいと思わせるような絶妙の隙は、長年の経験がないと作れない」
「……」
少女は頬を染めてうつむいた。
「……もし、私が花嫁さんになる日が来たら、その日は私の髪を結ってねヤン爺」
「もちろん。国一番の美人にしてやろう」
ふっと老齢の髪結師は微笑んだ。
「なにしろ私は、女王陛下の戴冠の日に御髪を結った、女王の御髪係なのだから」
「またそれ」
「あんまり言わないでくださいよ。ボケたと思われたらどうするんです」
「本当のことだ」
「そんな人がこんな田舎にいるわけないじゃない。でも、本当に、腕は確かだわ。ヤン爺の評判を聞きつけて、遠い町からもお客さんが来るんですもの」
「うん。ヤンさんはすごいだろう」
「ええ、本当にこんな値段でいいのかしら」
「もらえる人からはもらうさ。行っといで」
「はい。ありがとう!」
満面の笑みで少女は部屋を出る。
「あの顔こそが、最高の報酬だ」
「……そうっすね。次の人入れていいですか」
「もちろん」
星祭、田舎のちっぽけな髪結屋は忙しい。
☆★☆★☆★☆
ベルト領の孤児院
「フローラさん、『はぐれ星の鈴』はそちらいくつ?」
「こちらには、50個ほど」
「よろしいわ、じゃあ5班に別れて売り歩きましょう。本当に、イルミナーレの方々は素晴らしいアイディアを、惜しげもなく広めてくれました。きっと献立にもお肉が増えましょう」
「本当に。子どもたちも張り切っておりますし、こういう楽しみがあるのはよいことですわね」
「ええ」
老齢の院長は、そっと一つ鈴をフローラに差し出した。
「?」
「フローラさんもおひとつ持ちなさいな」
「……売り物ですわ」
「いいのです。上手にできなかった子にもあなたが熱心に、優しく指導したからこそ、この数の鈴が売れるのだから」
優しい鳩のような目で、院長はそっとフローラを見る。
「同じ星の下、どこかで、同じものを持って空を見上げる人が、いるかもしれないではありませんか。そして互いのランプに同じものを下げていたと気づく日が、いつか来るかも知れない」
「……」
「いつか」
そっと受け取り、フローラは胸に抱いた。
ちりん、と優しい音がした。
☆★☆★☆★☆
王宮、執務室
「そろそろ始まりますね」
補佐官アントン=セレンソンが、玉石問の成績優秀者の身辺調査票に赤印を書き入れたものをとんとんとまとめながら、ソワソワとしている。
「君は子供かセレンソン」
王が表情ひとつ変えずに手を動かしながら言う。代わりにジョーゼフ補佐官が顔を上げた。
「そもそも君は今日休みだろう。なんでこんな時間までこんなところにいる」
「こんなところとはなんですかジョーゼフ補佐官! ここは私の尊敬する偉大な先輩方と心より敬愛する主のおられる最高の場所でございます!」
「……そうか」
銀の鎖を揺らし、老人がほんのわずか嬉しそうな顔をする。
「ほだされるなベルトルト。いいから若者は祭りにいけセレンソン!」
「嫌です! 今年僕はこの最高の場所で、皆様と星を見ます!」
「ええい聞き分けのない! 行けと言ったら行きなさい!」
「……」
「その顔はなんだセレンソン」
「……」
「やめなさいその顔! もう!」
「……今日はここまでにしよう。小腹が減った厨房に言って何か用意させなさいセレンソン」
「陛下……」
「ふう暑い。屋上はいい風が吹きそうだな」
「甘いですぞ陛下!」
「そうだそうだ!」
「つきあいで一杯やったら帰ってよいぞ。皆今日は早く帰って、それぞれの愛妻と空を見上げたきことであろう」
「流石でございます陛下!」
「一生ついていきまする!」
「何が一生だもう何年もあるまい。老人が働きすぎるな。体を大事にせよ」
ふっと笑った王に、セレンソンはりんと音をたてる小さな鈴を手渡した。
「これは?」
「孤児院の子どもたちが作る、星祭のランプにつける鈴でございます。ランプにつけて皆でしゃらしゃらと振りましょう」
「……あいにくランプがない」
「当然こちらに全員分用意してございます」
「我々も振るのか!」
「爺の幼児退行か!」
「祭りとは踊ったものの勝ちでございます! 皆様どうぞご一緒に」
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山裾の国境の町
「オリオン! こっちだ! ここが一番よく見える!」
「うん」
少年たちがランプを手に走る。
「どうする?」
「こうやって振ればいい。こわくない、こわくない」
「こわくない? 何が?」
「お空のお星さまが落ちてるだろう? これから別のとこに行くけど、こわくないよって教えてやるんだ」
「……」
少年は星を見上げる。無数の星が、天から降り落ちる。
大好きな場所から、落ちていく。知らない世界へ。
「こわくない」
オリオンは言う。天を見上げて。腕を上げて。ランプを振る。
ガラトンでは星降る夜に外に出てはいけなかった。魂が抜かれてしまうから。こんな素敵なお祭りは、ガラトンにはなかった。
ここにはリャンパカはいない。仕事歌も聞こえないし、誰も糸を紡がない。
オリオンを預かってくれることになった商人のおじさんの家の人は皆優しいけど、まだ言葉が全部はわからない。ときどきしか家族に会えないのが寂しい。ときどき思い出して泣くこともある。でも、ガラトンにはなかった、オリオンが欲しかったものもここにはたくさんある。
「こわくない、こわくない!」
オリオンは声を張り上げる。
こわくない。違う場所に行くのは心細いと思うけど、きっとこわいと思うけど、大丈夫。
「こわくない! こわくない!」
新しい場所にだって、たくさんの素敵なものがあるから。
「オリオン! あっちに店がいっぱい出てるから、なんか食おう」
「オミセ? うん!」
オリオンはもう一度天を見上げて言う。
「こわくないよ」
星に言って、友を追って星降るなかを走る。
☆★☆★☆★☆
国のあちこちでランプが揺れる。
こわくない、こわくないよと。
心配ないよ、下にも星があるよと、落ちてくる星が落ちてる間心細くないよう教えるために。
しゃらしゃらと、優しい音を重ねて、国のあちこちでランプが揺れる。
☆ミ




