-2 『思いやる挑発』
「スキンシップに照れるなんて、エリンはまだまだお子ちゃまねえ」
「うう……言わないでください、マスター」
バーのカウンターに突っ伏してうなだれる僕に、マスターは甘い果実ジュースを出してくれました。
いつものようにお嬢様の『なりたい病』の報告をして、それから流れでお嬢さまのお腹を触ったことを話したら、マスターは随分と興味深げに耳を傾けていました。そうしてひどく恥ずかしい思いをしたという僕の話を聞いて、面白おかしそうに笑っていたのでした。
「あんなことされたら誰だって恥ずかしいですよ……」
「あらぁ、そうかしら。私は恥ずかしいどころか、嬉しくもっとたくさん触っちゃうわねえ。お腹だけじゃなくて、あんなところとか、こんなところとか」
くねくねと自分の体を抱いてねじってみせるマスターに、僕は余計に気恥ずかしくなりました。
「いや、普通は触られる側も躊躇すると思うんですけど……」
「リムは気にしないのだ」
隣で同じくドリンクを傾けていたリムが僕へと胸を張るようにして言いました。そんな彼女の後ろから、ライニーさんがこっそりとわき腹に手を伸ばしてしたり顔を浮かべると、勢いよくがしっと掴みました。
「うひゃあっ、なのだ」
「お前はまだまだ子供だからな。掴むとこもねえから恥ずかしくないんだろ」
「う、うるさいのだ。来年にはライニーもビックリするほどのイケイケボンボンになってるのだ」
イケイケボンボンとはなんでしょうか。
素直に疑問ですが、リムは随分と自信満々のようです。
「こちょこちょこちょ」
「こ、こらライニー。もうやめるのだ。くすぐったいのだ」
「ふふっ。二人とも仲良しねえ」と、マスターは微笑ましそうに眺めていました。
リムももう十歳前後になって少女としての恥じらいも覚え始める頃でしょうに、ライニーさんに触られること自体はまったくイヤではないようです。
「リムは恥ずかしくないの? 男の人に体を触られて」
「ん? 別に恥ずかしくはないのだ。赤の他人ならイヤだけど、ライニーはまあ、リルのお兄ちゃんみたいなものだからな」
「よくわかってんじゃねーか。よしよし」
「うひゃー、もうくすぐるのはやめるのだ!」
――お兄ちゃんみたいなものだから、か。
「リムにとって、ここで働いてるみんなは家族みたいなものなのだ。だから、家族に何されてもあまり恥ずかしくはないのだ」
「……そっか」
「エリンもリムの弟だから、恥ずかしくないのだ」
「ん? いや、ちょっと待って」
聞き捨てなりません。
「僕が弟?」
「そうなのだ。エリンはなよなよしてるし、おっちょこちょいだし、リムよりも弱っちいのだ。とてもお兄ちゃんには思えないのだ」
「そ、そんなにかなあ?」
たしかにライニーさんほどお兄さんらしくはないかもしれませんが、背の高さも年齢もずっと僕の方が上です。僕だってリムはずっと妹のように思っていました。不服です。
そんな僕たちの会話を聞いてたのか、離れたテーブルで酒を飲んでいた同じ屋敷の従業員たちまで話に入ってきました。
「おいおい、この前ずっこけて皿を何枚も割っちゃったのは誰だっけか?」
「庭の掃除した箒を入口にずっと置き忘れて旦那様に注意されたのは?」
「今日はこっそりつまみ食いしてカーティスさんに怒られてたよなあ?」
口々に彼らからリムのことが述べられていきます。
そのたびにリムの顔は真っ赤になり、眉を吊り上げて「言うなー!」と怒った顔を浮かべていました。
そんな彼女を襲った極めつけの一言は、
「こんなぺったんこの幼女がお姉さんな訳ないだろ」というライニーさんの嘲笑の混じった言葉でした。
みんなからの言葉を浴びたリムは参ったように喚き散らしました。
「リムちゃん、これ。私のおごりよ」
そう言って温かいまなざしを向けるマスターから差し出されたのはホットミルクでした。
「んがっー! リムはお子様じゃないのだー!」
そう言って憤慨するリムですが、どう見ても子供ですし、実年齢も相応なのですからただの背伸びにしか見えません。そんな光景を、ライニーさんや他の周りの従業員たちも微笑ましく眺めていたのでした。
そんな賑わいを横目に、はあ、と僕はため息を漏らしました。
「家族みたいなものだから、か……」
それはつまり、お嬢様も僕を――。
僕はグラスに入ったジュースを一気に喉に流し込みました。
「マスター、もう一杯ください」
「あら、お酒も入ってないのに頑張るわねえ」
果たしてお嬢様はどういうつもりで僕に触らせたのか。
これ以上深く考えることが怖くなって、僕はただただ自棄になって飲みふけりました。
「エリンは自分に自信がないのね」
ふとマスターに言われ、僕は思わず飲んでいたジュースを噴き出しそうになってしまいました。ごほっごほっとせき込みながらマスターを見上げます。
「それは、まあ……」
そのなよなよした反応からも簡単に見て取れるでしょう。
自信があれば最初から悩んでなどいません。
ですが、自信というものは簡単につくものでもありません。
「……敵わない人がいるんです」
「あら、恋のライバル?」
茶化すように言うマスターですが、笑って受け流す余裕すら僕にはありませんでした。
「すごい人です。勉強もできて、運動もできて、容姿も完璧。それに地位だってあって。もともと孤児でしかない僕とは大違いで」
「だから勝てないって? あらぁ、ゼロ回戦負け? 戦ってもいないのに」
戦う以前に結果が目に見えているのです。
「私はもう押せ押せしかないと思うんだけどねえ。他にライバルがいたとして、そのライバルに気を遣ってクーナちゃんを簡単に諦めちゃうの? 自分に自信がないからっていう理由だけで。本人にそう言われたのかしら」
「それは……」
「じゃあその程度ってことね」
マスターに言われ咄嗟に顔を持ち上げた僕ですが、しかしその勢いに反して、僕の喉元からは何も言葉が出てくれませんでした。
「簡単に諦められるような恋ならさっさと忘れちゃいなさい。でもぉ、もしそうじゃないのなら――」
マスターがカウンター越しに僕へと顔を近づけ、ふとましい人差し指を僕の唇に教え当てました。
「身を砕く覚悟で猛進あるのみよ」
「それは……砕けちゃわないですか。それが怖いんです」
「砕けちゃったら諦めもつくじゃない。最初から諦めててもたどり着く場所は一緒。やってみなくちゃわからない。やってきっぱりさせるか、やらずに後悔するか。その違いは少ないようで大きいわよ」
マスターの言葉は僕の心をぐらりと突き揺らがすようでした。
「でも、どうやったらそれをやれる自信が……」
「うーん、そうねえ。ちょうどいいきっかけがあればいいのだけど――あら、そうだわ」
マスターが目を見開いて平手打ちをしました。
「ちょうどいい機会がやってくるじゃない」
そう言ってほくそ笑みマスターに、僕はただただ首をかしげました。




