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 水滴の弾ける音が、場を支配していた。それ以外の音は空間が切り取れたかのよ

うに静止していて動かない。限界まで引き伸ばされた時間が張り詰めてしまったか

のようにすら感じられる。

 おれの強く保とうとしていた意識は、しかしエールの救済を求める切実な声によ

って粉々に破壊されてしまった。彼/彼女が放った悲痛な叫びは、それほどの威力

をもってして届いたのだった。

 引き裂かれそうな衝動と言葉が、おれの感性を無理やり引きずり出し、共感させ

〈同期〉させた。いまの切迫した状況というものが伝わってくる。

 冷ややかな汗が背中を伝っていく不快感で自分を取り戻すことができた。からか

らに乾いた喉を動かすと、微かな痛みが走る。

「才条少尉」と、おれはなんとか声を絞り出す。「もし、おれが自殺しようとした

ら、なんでもいい、とめてくれ」

「それは、どういう――」

「頼む少尉。いまは、きみがおれの頼みの……命の、綱だ」

「……了解。必ずあなたを守る」

 才条少尉は深く聞くことなく、力強く頷いてくれた。おかげで平静を少しだが取

り戻すことができた。彼女は比喩ではなく、文字どおりで命綱なのだ。おそらく、

エグゼでは、できない。人の心を感じ取る能力がまだないからだ。

 だが少尉ならできる。おれが心の揺れ幅をコントロールできなくなったとき、そ

れに気づきあらゆる手段をとってくれるだろう。それだけの信頼は築いていた。

 それよりもエールだ。

 なんという、強力な思念だ。深く息を吐き出すことで思考を再開させる。彼/彼

女のもつ死臭とも言うべきか、それとも死相と言うべきか、ともかく実体を伴って

こちらにまとわりついてきそうな、肌を愛撫するかのような死のイメージが、たっ

たいくつかの〈言葉〉で連想される。いまも、そうだ。頭から離れない。

 そしてなによりもおそろしいのが、これだけの死を想起させているにも関わらず

エールは核心的な部分をおれと〈同期〉させていないことだった。かなり強固な意

思を保っていると予想できる。その心のうちまでは明け渡そうとしなかった。

 精神力という名のプロテクトだ、そう考えたのは、おれ自身の思考なのか、それ

ともエールなのか、わからない。エグゼキューターを降りた以上、システムの力は

借りていないから、おれ自身の力に頼っているところがある。そもそも、なぜ人と

〈共感〉してしまうかわからないから、コントロールもできない。

 頭の裏辺りがズキズキと、さっきから痛む。

 できるのか、おれに。対話することが。戦術戦闘交渉をすることが。

「怯えないで、〈調停者〉」

 動けないでいる情けないおれを気遣ったのは、誰でもなくエールだった。

「思ったより若い方だったんですね。……すみません、つらい思いを伝えてしまっ

た」

 エールは気弱げに微笑むと〈イフリエス〉を見上げる。

「大丈夫だ、〈イフリエス〉。この人は悪い人ではない。きっと、われわれのこと

をわかってくれるよ」

 真紅のギアは主を見つめ、次にエグゼを一瞥してから体勢を起こす。それからゆ

っくりと後ろへ下がった。一連を見届けてからエールは立ち上がる。

「こちらへ、三神少尉。即時戦の方も、どうぞ。あと、そちらの女性も」

 おれたちを促すと、エールは歩き出す。奥に扉があった。

「どうされますか、三神少尉」と日本語で才条少尉。

「付いていく。ここまで来たら、やるしかないだろう」

「大丈夫なのですか? 〈同期〉したのでしょう、エールはなんと?」

「わからない。が、強烈な思念だった。死ななければと思っていたよ」

「死ななければ? 死にたい、ではなく?」

「そう、そうだ……なんというか、義務感、っていうのかな。死なないと決着しな

い、だから死ななければならない。そういう感じだった」

「死に、それほどの意味が? たしかに一国の代表ですから、その重みはあるでし

ょう。しかし、だからと言って……」

「おれにも、わからない。エグゼ」おれは後ろに控えているエグゼを見る。「〈イ

フリエス〉は、何か言っていたか?」

「イエス・マイ・ロード。〈マイ・ロードを頼む〉と一言」

「フゥム。それは、三神少尉に対してか? それとも、エグゼ、いや、エグゼキュ

ーターに対してか?」

「マイ・ロードに対して、です」

「エールだけではなく、〈イフリエス〉も、おれが決着させられると思っているの

か」

「おそらくエグゼキューターと〈イフリエス〉の見解は共通しています」

「エグゼ、おまえは」と才条少尉。「今回の件について、なにか知っているんだな

?」

「何かではなく、すべてを理解しています、才条少尉」

「知っていて三神少尉に伝えなかったのか」

「イエス。わたしの言葉では意味がありません」

「それはどういう意味だ」

「マイ・ロード」と、才条少尉に返答せずに、おれを見つめる。「エール・エル=

"フォメリア"は、あなたと〈同期〉しても真相は伝えなかったのでは?」

「そのとおりだ。その部分だけは、頑なに拒否している」

「エール・エル="フォメリア"は対話を希望しています、三神さま」

「やはり、そういうことか。その上での決着を求めているんだな?」

「イエス。その対話の延長線上に、終わりがあります」

「その終わりとは、なにをさすんだ、エグゼ」

 エグゼは答えない。おそらく、彼女にもわからないのだろう。ここから先は人の

心の領域になる。決着がつく、という結論は見えていても、それが何故か、どうい

う思慮の上になりたつのかが、わからないんだ。

「あとはおれの戦い次第か。エグゼ、才条少尉。フォローを頼む」

「了解、リーダー」

「イエス・マイ・ロード」

 二人の声を快く思いながら、しかしおれはある種の結論を見出していた。

 おれは、多分、今回の件に耐えられない。そういう予感があった。





 エールに招かれて扉を潜ると、そこには深い闇が広がっていた。いや正確には闇

だけではない。通路を照らすために小型証明が足元についている。ただ、通路の奥

側はすべてを飲み込む喉奥のように暗く、そして不気味だ。

 冷たい空気が時折とおり抜けていくというのに、おれは先ほどから汗が止まらな

い。

 やばいな、と心の中で独りごちる。ここには身体的な意味で害を及ぼす存在はな

さそうだ。たとえば、ナイフで刺される、銃で不意をつかれて撃たれる、そういっ

た類の危険はないだろう。が、精神に深く突き刺さるような恐怖は増す一方で、い

ますぐにでも、この場を離れたい。

 しかし退路はない。仮におれがここから逃げ出せば、エールはいま以上の絶望に

囚われ、すべてを、文字どおり世界を焼きつくすだろう。

 正念場だ、おれの全性能を賭ける必要がある。

「そう緊張しないことです、三神少尉」

「才条少尉?」

「私がついている」

 才条少尉の瞳が微かな光で照らされる。力強い意思を放っていた。それは、まさ

にいかなる状況においても戦闘をするという即時戦としての構え、戦士としての態

度だ。

「私は戦士です。そしてあなたは、交渉人。役割分担はできている。誰にも負けな

いチームだ」

「以前のきみなら、いかなる相手にも勝つ、と言っていたかもな」

「そう大きな違いがありますか?」

「違うさ、もちろん……その話は、今度しよう」

「ええ、ぜひ。ディナーでも愉しみながら」

 才条少尉は、次がある、あとで愉しみが待っていると、おれを励ましてくれてい

る。

 その好意をありがたく受け取って、靴音を鳴らしながら道を進む。

「しかし、寒いですね」

「ああ。まるで冷蔵庫の中にいるようだ」

 白い息を吐きながら身体をさすると「言い得て妙です」と返答があった。

「たしかに、ここは冷蔵庫……ええ、保存室ですよ、三神少尉」

「エール」

「待ちかねていたましたよ〈調停者〉。さあ、対話を始めましょう」

 その言葉を合図にするかのように室内がライトアップされていく。

 順に照らされていく、その光景は、おれを絶望させるに足るものだった。

「これは」もはや、言葉の震えを抑える力はない。「なんだ、エール。なぜエール

がいるんだ?」

「これがわたしの知っている現実、リアルです、三神少尉」エールは辺りを見渡し

ながら、切なげに微笑む。「わたし"たち"。われわれは量産される兵器なんです。

末永く、終わりなき、戦争をするために。アクアフィールドという敵を滅ぼし、焼

きつくすまで戦い続ける尖兵にして奴隷」

 残酷なまでに明るい照明が照らしたのは、液体が中に入ったカプセルに収められ

た、エールと同じ外見をもつ人間たちだった。どれも、微動だにしない。精巧な人

形と言われても、少し迷う程度には、彼/彼女たちは動かなかった。

「だがそれも今日で終わりだ」

 エールが、今度は力強く言葉を発する。

「ようやく、ようやくなんです、三神少尉。この腐った〈現実〉を終わらせてくれ

る人を、どれほど待ち焦がれていたことか。あなたには想像がつきますか?

 来る日も来る日も戦い、誰もわたしを想ってくれない。気遣ってもくれない。た

だ〈イフリエス〉に乗って戦う存在と思われるだけ。生体パーツとどう違う? な

にも変わりはしない。

 そして急に、われに返るんです。すると自分の手は血に塗れ、背後には屍の山。

いいや、そんなものじゃない。灰だ。(むくろ)を焼きつくした、灰。それが積も

っているんですよ。それが、あなたには想像がつきますか?

 もういやだと思っていると、割り込んでくるんです、あれが。あの光の線。する

とすべてが明瞭になり、恍惚とした気分で、わたしはまた戦場に立っている。

 なにが怖いって、ね、三神少尉。あなたならわかるでしょう。フォンと〈同期〉

をした、あなたなら」

 エールは自分の手の平を見つめながら震えている。そして限界まで見開かれた瞳

で、おれを見つめた。

「素晴らしいのですよ、その世界が」

 そして、ついには両手で自分の顔を覆った。

「素晴らしい、だと?」才条少尉が一歩、進み出る。「あれが、あんな無駄な戦い

が素晴らしいというのか。二機のギアで取っ組み合いをして、高度なシステムを無

駄にするような、あの戦いがか」

「そう、そのとおりです。……あなたは?」

「カルォーシュア即時戦、才条少尉」

「才条少尉。あなたはまっとうな感性の持ち主だ」

「それはどうかな。しかし、力を無駄にする行為は憤慨ものだ」

「力を無駄に、ですか。そうかも知れません」エールは力なく笑う。「あなたもそ

う思われますか、三神少尉。フォンと〈同期〉しても」

「……そうは思わない。いや、そう思う感性すら、あれの前では無力だ」

「やはり、あなたも見たのですね。あの世界を、感覚を」

「すべてではないが、見た。完全に明瞭な世界。おれたちが生きている現実とは違

う世界だ」

「そのとおり。わたしたち人間が感覚できる現実とは違う。本来であれば、われわ

れの脆弱な脳というハードウェアでは認識できず、精神というソフトウェアでは耐

えられないような世界。わたしはそれを〈完全なリアル世界〉と呼んでいます」

「完全な、リアル世界……」

「生命体という不完全で、ノイズだらけの存在が改変した世界ではなく、もっとも

シンプルで、凄まじい情報量が詰まった領域です。ゆえに、物事は可能な限りリア

ルなのです」

「それを、あの光が生み出していると?」

「生み出しているのではありません。その世界へ誘導するための道標のようなもの

です。強制的に連れて行かれる」

「誘拐犯というわけだ」才条少尉が腕を組んで、ニヒルに笑う。「なるほど、そい

つを三神少尉が斬ったことによって、あんたは自由になったんだな?」

「そう、ときどき、われに返ることはあった。でも、あの海域での戦闘後、連れて

行かれることはなくなっている」

「それで、この狂った空間にも耐えられなくなったわけだな」

「いいや、耐えられない、というのは正確ではありません才条少尉。わたしは、こ

こを、いや、わたしを含めて、フォメリアが生み出した悪夢をすべて破壊したいの

です」

「それが、あなたが死を望む理由か、エール」

「はい、三神少尉」と、エール。「それをこれからお話しましょう。すべては未来

に繋げるために。もう二度と、わたしと、かつてのわたし"たち"を生み出さないた

めに」

 エールは語りだす。それは、長い長い物語だ。

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