紅蓮の涙7
エールの居る場所はわかっている。先ほど〈同期〉したときに、謁見の間で待つ
と、そう思考することで、おれに伝えてきていた。
彼/彼女は、待っている。こちらが行くまで、いつまででも。最後の救いを手に
入れるために。そして希望を生み出すために。死は絶望ではなく次に繋げるため。
そう、深く信じていた。
なにがそこまでさせるのか、まだ、わからない。そこまで共感することはできな
かったし、また、エールも拒んでいた。そこまでは知る必要はない。対話によって
理解するべきだと。それが、あなたの戦いなのだからと。
自分で、つい今しがた、これは交渉ではないと思った。しかし違うかも、と考え
を改める。今回もまた戦術戦闘交渉になるだろう。戦いとは必ずしも相手を傷つけ
るだけの行為ではない。理解しあうためには、争いも時として必要になる、そうい
うことだ。
両親と、そのパーティは、ずっとこんな戦いをしてきたのだろうか?
ふと、そんなことを考える。
だとしたら、なんという壮絶な生き方をしていたのだろうか、あの人たちは。ふ
いに戦慄を覚えた。凄まじい。彼らは常に、人の〈心〉と〈言葉〉を相手どってき
たのだ。それは国家という巨大コミュニティすら超える、概念世界での戦闘行為だ
った。
時には人を傷つけ、時には人を救う。それを行うには、あらゆる人との対話を想
定しなければならない。膨大な知識量と、莫大な熱量と、タフな精神力を求められ
る。
おれが、調停の後継者になるだって? 不可能だ。調停者パーティは、そう思わ
せることをしてきたのだ。
ふいにかかった両親という重圧が深くのしかかる。
そのせいなのかはわからないが、一歩踏み出したとき、足がもつれ無様にも地面
に倒れ込む。
ガツンとした痛みが襲うかと思ったがしかし、それが訪れることはなかった。た
だただ激しい頭痛が反響するばかりだった。
「大丈夫ですか、三神少尉」
彼女にしては珍しく動揺した様子で駆け寄ってくる。
大丈夫だ。そう言おうとしたが、うまく口が開かない。微かなうめき声が口から
漏れるだけで、そんな自分に驚いた。
「少尉、教我、ダメです、安静にしてください」
転んだだけだと言うのに、なにをそんなに慌てているのか、そう言葉を返そうと
して、顔や首筋の異様な感触に気がついた。
ぬめりとした液体が、耳や鼻から滴るのを感じる。これは、血だ。
「エグゼ、出てこい」才条少尉がエグゼキューターに向けて叫ぶ。「これは先ほど
のシステムの影響だな? わかっているぞ、出てこい」
変化はすぐに起きた。エグゼキューターの足元に青い燐光が集約する。小型マシ
ン群が人型を模造し、そしてエグゼが受肉するのだ。
ものの数秒で、久しぶりとも思える、メイド服の少女が立っている。
「マイ・ロード」
「エグゼ」
おれは、ようやく開いた口から声を出す。が、それは酷く掠れていた。まるでフ
ォンと相対したときのようだ。
「あなたの神経系にかなりの負荷がかかったようです。申し訳ありませんでした」
エグゼは相変わらず機械的な、驚くほど滑らかな動作で礼をする。
「きさま、エグゼ」
しかしそれは才条少尉の神経を逆撫でするだけだったようだ。
即座に詰めより、その胸ぐらを掴み上げる。
「わかっていたな。教我がこうなることを理解した上で、あのシステムを使った、
そうだな?」
「はい。まだ実験段階であるAWシステムを使う上で、予想された負荷でした。複
数人との〈同期〉は、確実にマイ・ロードの精神および脳神経系にダメージを与え
ると――」
「わかっていて使ったんだな」エグゼの声を遮って少尉。
「繰り返しますが、そのとおりです」
「きさま、この機械知性風情が。自分のロードを殺す気か」
「いいえ、才条少尉。たしかに大きな負荷ですが、死亡するレベルのダメージを与
えるとは予想されていません。実際、マイ・ロード・三神教我は現存しています」
「私を本気で怒らせたいらしいな、機械知性」
「それはわたし、つまりはエグゼキューターとの戦闘行為を宣言する、そういう解
釈でよろしいのでしょうか」
「いいだろう、望むなら破壊してやる」
普段は人の感情や精神を、幻想と捉える才条少尉らしくない、烈火のごとき怒り
だった。彼女は本当にエグゼキューターを破壊しようとしかねない。実際にできる
かどうかは、問題じゃない。彼女は、やろうとするだろう。
「才条少尉、やめろ」
「教我、エグゼを庇うのですか。あなたが被害者なのですよ」
「理解している。だが、あの戦場では必要だった」血を手の平で拭いながら、なん
とか立ち上がる。「そしてエグゼキューターも、まだ、必要だ」
「しかし」
「エグゼ」才条少尉を無視して、エグゼを見つめる。「おれは前に言ったよな」
「なにを、でしょうか」
「人に対しての言葉を覚えろと。そして考えろとも言ったはずだ。エグゼキュータ
ーと人間のインタフェースを名乗るのであれば、その仲介者として、人間の言動も
理解しなければならない。それを、いい加減わかれ」
「それは命令ですか、マイ・ロード」
「そうだ。そしておれ個人からの要請でもある」
「了解、マイ・ロード。あなたの御心のままに」
強烈な力だと感じた才女少尉の手をなんなく振りほどくと、エグゼは華麗に一礼
してみせる。
「申し訳ありませんでした、才条少尉。この度のことはお詫びします。今後は、我
が主人にかかる負荷にも、より慎重な配慮を致します」
「最初からそう言え」と才条少尉。「次に同じことをしたら、本当に壊してやる。
おまえにとっては生体部品かも知れないが、わたしにとっては、三神少尉は上官に
値する。副官として、彼を襲うダメージは可能な限り排除させてもらう」
「承知いたしました」
才条少尉の気はまだ収まらないだろうが、彼女は頭の回る人物だ。実際にエグゼ
が負荷軽減をしたときと、そうではないとき。その両方を想定するだろう。
そして、いまこの場で、継続して争うべきではないと、そう判断している。なら
ばおれがこれ以上、言うべき言葉は、もうない。
「行くぞ」そう二人に声がけする。「エールが待っている。エグゼ、きみも来い」
「イエス・マイ・ロード」
エグゼはおれの傍に寄ると、エプロンドレスからハンカチを取り出して血を拭っ
てくれた。その姿はメイド然としていなくもない。
「エール・エル="フォメリア"は死を望んでいます、マイ・ロード」
「それは、わかっている」
「あなたはきっと、殺すことになる」
「…………」
「エグゼキューターの中枢コンピュータは、その事象を回避するべく、度重なる演
算を行いましたが、しかし回避可能な現実的プランを見出すことができませんでし
た」
「それは、どういうことだ」才条少尉が身を乗り出す。「三神少尉が、なぜ、エー
ル・エル="フォメリア"を殺す?」
「そうすることでしか、今回の紛争を終結させる手立てが存在しないからです」
「バカな」
「いや、おそらく、そうなんだろうな」と、おれ。「だからこそ、弱っているにも
関わらず、エールはおれを呼びに来たんだ。殺してくれるであろう、おれを」
「あなたは、彼/彼女を救おうとしている」
「そう、できれば、そうしたい」
「だから殺すことになる」
「……エグゼ、改めて訊くことになるが、回避はできないんだな?」
「イエス・マイ・ロード。回避策はありませんでした」エグゼは瞳を閉じる。「あ
なたは優しい。だからエールを殺す。この度の、フォメリア-AF紛争を終わらせ
るために。〈調停〉をするために」
おれは深く息を吸い込んで、そして、ゆっくりと吐き出す。
人を殺す。その実感が伴わない。
その瞬間が来たとき、果たして、自分の心を保っていられるだろうか? その自
信がまったくなかった。兵士としての自覚もなく、その完成を目指しても居ない、
そんな中途半端さが、いまになって襲いかかったのだ。
「才条少尉」
「なんだ、エグゼ」
「わたしでは、マイ・ロードの心を理解できない」
「そんなことはわかっている。機械知性ごときが、教我の心を理解できるはずもな
い」
「イエス。それは了解しています」
「では、なんだ?」
「わたしでは、彼の心を救えない、守れない、癒せない。だから、あなたに託しま
す、少尉」
エグゼが身体を屈める。それが礼だと気づくのに時間がかかった。
先ほどまでの美麗な動きはどこにもなく、まるで初めて覚えた行為を、怯えなが
ら試す子どものように……ぎこちなく、そして不格好だった。
「どうか、我が主人の心を、お守り下さい」
「…………」
才条少尉はエグゼを冷たい瞳で見下ろしている。視線の奥深くには、どのような
感情が隠れているのか。
それを悟る前に、フンと、いつものように鼻を鳴らして視線を切る。
「守る(セイヴ)。それが私の役割だ」
「イエス、少尉。ご信頼致します」
「おまえの信頼は要らない。興味がないからだ。それに」少尉は言葉を区切った。
そして、珍しく――本当に珍しいことに、微かに頬を染めながら、おれを見つめて
「教我の信頼は獲得している、と自負している。だから、問題はない」
そう言った。
「――ですよね?」
「もちろんだ、才条少尉。信頼しているよ。その、非常に不甲斐ないが、おれから
も頼む。今回ばかりは自信がない」
「いつもでしょう、三神少尉」
「……そうだな、おれは、いつもそうだ」
いつだって確信をもてない。それはフォンが言ったとおり、おれには確固たる、
成長しきった芯がないから、だろうか。成長しきれば、大人になれば、母や父のよ
うに行動できるようになるのだろうか。
その自信すら、おれにはなかった。
そんな、こちらの心を見透かしたように、才条少尉は笑う。しかしそれは嫌な笑
い方ではない。優しく温かかった。
「なら、いつもどおりということです。不安を持つ必要性はない」
「なるほど。新しい理屈だ」
「そうでしょうとも」
まったく、なんという副官だ。度胸がありすぎる。だがそんな彼女は頼もしく、
おれには必要な存在だと、改めて意識する。才条少尉がいなかったらと思うと想像
するだけで寒気が走った。
「エグゼ」
「なんでしょうか」
「きみも、頼りにしている。その演算能力と、そして、変化していく力に」
「わたしが、変化を?」
「気づいていないのか。きみは、すでに変化し始めている」
「わかりません。しかし、あなたの言葉には力がある」
「きみがそう感じているものが、おれが言う、変化する力、それに似ている」
「興味深い問題です。後ほど確認作業が必要になるでしょう」
「自由にやれ」おれは、建物を指さす。「しかし、あとにしろ。いまはやるべきこ
とがある」
「了解、マイ・ロード」
話はついた。あとは、エールと対話する。
◇
エールと同期したからか、おれには、連邦中枢機関を担う建物の構造が、よくわ
かった。何度も歩いたような錯覚すらある。
建物のいたるところから感じる冷たい感覚は、あまりの人気の無さと同時に、日
頃からエールが感じているものだった。普通なら、どこかに残り香のように染み付
いている人の、感情や、温もりというものが、一切ない。
才条少尉は辺りを警戒しながら拳銃を構えているが、無駄だ。誰も襲ってきはし
ない。ここには、ただ独りしか居ないのだから。
「〈イフリエス〉」ぼそりと、エグゼが呟く。「そう、あなたも、主人を守ろうと
するのですね」
「エグゼ、どうした」と才条少尉。
「〈イフリエス〉の環境管理知性体が、〈我が主人を傷つけないで欲しい〉と」
「了解した、と返答を」と、おれ。「少なくとも、現状、危害を加えるつもりはな
い。対話を希望していると伝えてくれ」
「了解」
エグゼが短く応えたのと同時に、最奥に辿り着いた。
ぐるっと一周した形にはなるが、ちょうど〈ギア〉を停めた場所の正面に位置す
る。
「ここだ。ここに、エールが居る」
「了解。私が先行します。合図後に、三神少尉も入室を」
「承知した」
才条少尉は、微かに扉を開け、その陰から中を覗き込む。目が可視範囲を走り、
二秒ほど経って、視線をおれに寄越した。それに頷く。
一気に扉を開け、少尉が拳銃を正面に構えて立つ。
おれは数秒後に来るであろう合図を待つ。
「なんだ、これは」
しかしサインの代わりに届いたのは、才条少尉の息を呑む気配と、声だった。
「才条少尉?」
エグゼを伴って室内に入ると、そこには、赤い巨神が孤独な王を両腕で守ってい
た。
修復されておらず、ささくれだった金属部は、人から見れば大剣のようにも思え
る。外敵には剣山を向けるように、そして内側は主人を守る壁として。〈イフリエ
ス〉は幼子を抱きかかえる母のように、その身体を折っていたのだった。
「待っていた、ずっと待っていた、〈調停者〉」
それはエグゼキューターのコクピットで聞いたような、野太い男の声ではない。
共感したときに感じた、少年のようにも、少女のようにも受け取れる中性的なもの
だ。
「ああ、ようやく現れた救いの手。これを、どれほど待っていたことか」
「あなたが、エールか」
「そうだ、三神教我」と赤い髪の王が応える。「わたしがエール・エル="フォメ
リア"。〈調停者〉よ、わたしはあなたの到来をずっと待ち焦がれていたのです」
その声はあまりにもか細く、悲しく、苦痛に満ちていて、しかしそれらを上回る
大きな感動と期待に震えていた。
「ああ、ようやく、死ねる」
「どういう、ことなんだ、エール」
「〈調停者〉よ……」
エールが涙を流す。それは、透明な雫ではなかった。
赤い。それは〈イフリエス〉と同じ赤。そして機体もまた、損傷した目の部分に
亀裂が走り、炎を噴き出していた。
彼/彼女と〈ギア〉が流しているものは、ただの涙ではない。
「わたしを、この生から救って欲しい」
悲痛な叫びとともに床に落とされるのは、人の中に流れる命の循環。
紅蓮の、涙だ。




