紅蓮の涙3
コクピット内部は新しくなっているものの大幅な変更はなかったが、しかし効率化はされていた。おれが運用しやすいようになっていると感じる。最適な位置にレバーや操作パネルが置かれている。これなら長時間戦闘にも耐えられるだろうというエグゼキューターの思惑だろう。
「少し、狭いですね」
窮屈そうに電子戦席に座った才条少尉は、細かく身体を揺する。彼女はエグゼよりも背が高く、筋肉もついている。エグゼのボディに最適化されているとするならば、小さく感じるだろう。
「つらいだろうが、我慢してくれ。即時戦と連絡をとる。きみもいたほうがいい」
「了解」
才条少尉の動きがとまる。どうやら腰を落ち着ける位置がわかったらしい。
しかし、と思う。おれの意識時間では、エグゼキューターとそう離れてはいない。撃墜された直後に意識を失い目覚めたら病院だ。その後フォンのもとを訪れて、こうして乗っている。せいぜい十数時間といったところだろう。
それなのに、この居心地のよさはなんだ? 妙に落ち着く感じがする。ここはコクピットであり、ある意味で戦闘の最前線とも言える場所だ。なのに、なぜわが家のようにくつろげるのか。
心がリラックスしていくのがわかる。羊水に漂っているようだ、とまではいかないものの、母に抱かれているような安心感がある。これは、エグゼキューターの強大さゆえか、そう考えるが、おれの本能は即座にそれを否定した。
匂い。そう、匂いだ。この中はまったく無臭で、機械油や、マシンが動いているときの、あの独特の金属臭すらしない。なのに、嗅覚がなにかを掴んでいる。それが安心感の源だ。
両親と接した時間は、あまりにも少ない。幼いころに、形なき亡骸となったふたり。そもそも生きていた頃も紛争地帯や、軍事基地、非営利団体を行ったり来たりしていて忙しなく、息子のおれと関わっている時間もなかったような人たちだ。その温もりは微かな記憶の向こう側にある。
だがエグゼキューターの中に入ると、こうして、彼らのことを思い出すのだ。なぜかはわからない。いま感じている、この安らぎの感覚が、両親のものと同一かもわからない。ただその安心感は絶対的で、機器類が最適な位置にある、というものとは別種の収まりのよさがあった。
「三神少尉?」上から才条少尉が心配そうに覗きこんでいた。「どうされました、なにか問題が?」
「……いや、大丈夫だ。エグゼ、即時戦へ繋いでくれ」
エグゼに呼びかけると空間投影モニタが浮かび上がる。
「立体映像……なるほど、これは便利だ。私の機体にもつけたいところです。贅沢な機体だ。さぞ快適な戦闘が行えるのでしょうね」
「快適な戦闘か、ずいぶんと変な言葉だ。まるでゲームシステムを評価しているようにすら聞こえる」
「エクスに来ている即時戦の戦士の中には、そういう感覚の者もいます。ま、私は優秀であるならばかまわない。関与しない。どうでもいい」
「最後のは、絶対に言うと思った」
「ご理解いただけて嬉しいですよ、三神少尉」
「直して欲しい部分だと思ってるよ」
「善処します。しかし保証はできません」
「期待しないでおく」
頭上で才条少尉が苦笑する声が聞こえてきた。おれも、同じく肩を震わせる。
『マイ・ロード』とエグゼ。『通信を繋ぎます。どうぞ』
「こちらギア・エグゼキューター、三神少尉。即時戦、応答願う」
気持ちを切り替えて呼びかけると、ヴィジョンに人の顔が浮かび上がった。少佐がでると思っていた、おれの予想は裏切られた。息を呑む。
『三神少尉ですね』
「リリシアール・エル="カルォーシュア"……」
『ご無事でなによりです』くすっ、とリリシアールが微笑する。『まだ、ご無事と言うべきですか』
「おれが無事であったのが残念な報告なようですね」
『あなたが生存したことは、即時戦から報告を受けています。〈イフリエス〉と〈アクエリエス〉、二機のギアと相対したとか……大変な戦いでしたね。さぞお疲れでしょう』
おれはなんと言っていいかわからず、口を閉ざす。
リリシアールの言葉遣いは滑らかだ。よどみない。それはエグゼとは違う。
エグゼの思考は明瞭だ。高速演算されているエグゼキューターの思考を受け取り、伝えているに過ぎないからだ。また、ストーンブリッジの言葉を信用するのであれば、機械に近い脳を持っている。人間とは処理能力が違うのだ。
だが、リリシアールは違う。人間だ。ではこの違和感はなんだ。まるで台本を読んでいるような、いやそれに近いが、もっと明確にいうのであれば、予知していたこと、つまり未来をすでに見ていて、その過去を追従しているようにすら感じられる。ああ、そういえば、そういうこともあったな、と思い出しながら話す、それに似ていた。
『〈イフリエス〉も〈アクエリエス〉もだいぶ消耗したようですね。よくやってくれました。これで即時戦の評価はまた上がるでしょう、それは、われわれにもたらす利益の上昇を意味しています』
「今日は饒舌ですね、リリシアール殿下」と才条少尉。「よほど嬉しかったと見える。あなたは、私からは戦いを好んでいるように見える。しかも人間どおしの醜い戦いを、だ。それに自らは決して手を出さない。高みの見物というわけだ。その瞳にはなにが映っているんだ?」
「おい、才条少尉」
おれは思わず肝を冷やした。
リリシアールはカルォーシュアの代表だ。いま、彼女を敵に回すわけにはいかない。即時戦を危うくすることになるからだ。それに彼女の背後にはロベルト=ローウェンがいる。
表情を強張らせるおれとは違って、リリシアールはその微笑を深める。
『おふたりはいいコンビですね。きっと、このエクスの戦況を変えることでしょう』
「それは、どういうことですか」
『しらばくれなくても結構ですよ。フォン="アクアフィールド"にも同じことを言われたのでは?』
「…………」
おれの背中に、瞬間的に冷気が通り過ぎたような感じがした。
この感覚に覚えがある。そうだ、会議室でリリシアールに見つめられたときの、すべてを見通されているような、俯瞰的視点から見下されたような、あの感覚が蘇る。相対しているはずなのに、彼女はまったく別の視野からこちらを監視しているように思えるのだ。
これは気のせいなのか? それにしては、あまりにもはっきりとした感覚だった。
『三神少尉、才条少尉、ふたりに命じます。AFとフォメリアを和解させなさい』
「和解?」
『そうです。いま、フォン="アクアフィールド"は、戦闘の意思を見せていません。主力部隊であるウィザードも、海岸守備に回っているのみです。以前なら潜水空母を、フォメリアに向けて発艦させている頃合いですが、その動きも見られない。彼女は迷っている。紛争をとめるなら、いまでしょう』
「とめるのは、おれも望むところです。しかし即時戦にはそれほどの権限が?」
『それは、こちらが許可をだします。あなたが考えることではありません』
「……了解しました」
『もっとも、ギア・エグゼキューターが撃墜されても、それはわれわれの知ったところではありません。もしあなたが本当に〈調停者〉の後継となれるのであれば、そうはならないでしょうが』
「正直、さっきから余計なおしゃべりが過ぎるな、リリシアール殿下」と才条少尉が退屈そうなため息とともに言う。「枯れ木のような身体のわりに元気じゃないか。ひきこもりをやめて、日光浴をする勇気でもわいてきたのか?」
「才条少尉、やめろ」
「命令は受諾する、ただし、少佐をとおすがいい。われわれは即時戦の戦士だ。即時戦の上官の命令を聞く。あなたの言葉など興味はない」
『そうですか。わかりました』
リリシアールの映像が途切れる。
『通信、アウトしました』とエグゼの音声。『即時戦から送られてきた暗号通信を受信。AFとフォメリアの紛争に即時介入、これを終了させよ。との命令文です。エマ=レッドフォード少佐の固有IDが入力されています。間違いありません』
「迅速なことだ」
「才条少尉、きみは感じたか?」
「なにをですか」
「リリシアールだ。おれたちは本当に、彼女と話していたのか?」
「間違いないでしょう。映っていたじゃないですか。まさか影武者だとでも?」
「いや、そうじゃない。たしかにリリシアールだということは間違いないと思う。だが、リリシアール以上の存在を感じるんだ。そうだ、人間と会話をした感じがしない」
「要領を得ませんね。それもあなたの感応力ということですか?」
「わからない……だが、警戒しなければならない」
「了解しました。理屈はよくわかりませんが、あなたがそういうなら、そうなのでしょう。一応、私も警戒しておきます。あなたとは別の視点で観察できるはずだ」
「頼む」おれはそう応えながら、エグゼキューターのステータスを確認する。「武装が変更されている。テュポーンとフェイクファーはそのままか。いや、両方ともアップデートされている……それに、重粒子ライフルだって? なんだ、この出力は。戦略衛星でも落とすつもりなのか」
「それだけじゃないですよ。踵と腕に小型パイルバンカーが取り付けられていますが、局所空間歪曲が可能です。あのミサイルは戦術実験だったのか。それにこの対電子戦装備。もはや超強力なE.M.Pだ。高速移動する戦略兵器だな……」
「しかも一秒以下の稼働しかできないが、空間シフトできる。相手にはワープしたようにすら思えるだろう。これだけあれば〈イフリエス〉にも負けない」
さらには、武器類だけではなく、装甲がさらに追加されていた。いままでどおりのショルダーシールドだけではなく、背面にも大型のシールドが追加されている。しかもバーニアつきでだ。これは独立したユニットとして稼働する。
エグゼキューターのもつ処刑刀、重粒子ライフル、フェイクファーなど現在の装備をバックシールドに搭載することができる。これによりまた戦術の幅が広まった。
結果として、この機体はさらに大きくなった。〈アクエリエス〉から見れば二回り近く大きい。
「教我、おそらくエグゼキューターはあなたの願いに応えたのでしょう」
「どういうことだ。この過剰武装がか?」
「そうです。結果としてそうなったということですよ。あなたはAF海域での戦闘で、戦術戦闘交渉をすると言った。対話を行うためには、時として武力を行使する必要がある、それをエグゼキューターも理解したのです――もしくは、あなたがそう言ったから、可能とするためにこの武装を搭載した」
『そのとおりです。エグゼキューターは、あなたの願いに応えた』
「エグゼ、おれはこの紛争をとめたい。どうすればいい。考えを聴かせてくれ」
『イエス・マイ・ロード。フォメリア合衆国へ行き、〈イフリエス〉のロードと対話するのがいいでしょう』
映像の中のエグゼが応える。
エグゼ=中枢コンピュータは、おれが乗ってからというもの、常にこちらの思考パターンを演算し、回答を導きだしている。おれがどうしたいか、そしてそれをかなえるには、どうしたらいいのか。それを算出する。
「了解した」おれは肯き、次に上を見る。「才条少尉、付き合ってくれ」
「もちろんです。あなたが即時戦にいるかぎり、私はあなたの副官ですよ。味方だ」
「助かるよ」
エグゼキューターが発進シーケンスに入る。いままでの出力とは違う。みなぎる力を、おれはコクピットに乗っていながら感じていた。
『マイ・ロード、通信です。ノック=ストーンブリッジからです』
「繋いでくれ」
さきほどまでリリシアールが映しだされていたモニタに、石橋の顔が浮かぶ。
『出撃準備中のところすまないね、三神少尉、才条少尉。ふたりにどうしても伝えたことがあって』
「伝えたいこととは」
『ああ。まずは、三神少尉、きみからだ』ストーンブリッジがメガネを上げる。『エグゼキューターは大幅な進化を遂げたようだね。でも、まだだ。まだ完全じゃない』
「完全じゃない?」
『そのとおり。まだエグゼキューターはその力を抑制していると思われる。これは完全にわたしの予想だけどね。ギアの本来的な力を発揮していない。だが、それはきみのせいじゃないんだ』
「フムン」
『探り探りなんだと思うよ。まさに進化の途中なんだ。いや、成長中と言ったほうが正しいかも知れないね。生まれたばかりの赤ん坊が、この世界にどう適応していけばいいのか、それを思考と、知識で構築している最中、そのように見受けられる』
「エグゼは前に言っていた。エグゼキューターの中枢コンピュータは悩んでいると。われは、なにをなすべきか、と」
『まさにそのとおりだろう。自分がなにをすべきか、なんのために生まれたのかという答えを探しているんだ。もしかしたら、三神少尉。きみは哲学的な回答を導き出さなければいけないかも知れない。
だが、そのアンサーがでたとき、エグゼキューターは本来的な力を発揮するだろう』
「哲学的な答え、か」
『そう。そして考えてあげてほしい。エグゼキューターは非常にストレスのある環境に晒されている。なんで戦っているのかわからないのだからね。かなり重い負荷がかかっているだろう。そこに人間を乗せているんだ、これは、たまらない。機械のカウンセリングが必要だ』
「頭が痛くなりそうだ……」
『ま、頑張ってくれよ。こちらでも研究は継続されている。なにかわかったら伝えるよ』
「頼む」
『さて、次は才条少尉だが』
ストーンブリッジの口が、片方だけ持ち上がる。眼は笑っていない。不気味だった。
『現在きみのセイヴを改良中だ。次はより頑丈に、かつ高速に戦えるようにしてみせるよ』
「なるべく早く頼む」
『もちろんだ。改良を重ねた、セイヴ・マークⅥは、そうだね、きみたちが即時戦に帰ってくるまでに完成するよう努力する』
頭上で、マークⅡからⅥか、ずいぶんナンバーが進んだな、と少尉が呟くのが聞こえた。
『いい素材が手に入ったからね。対ギア戦での運用テストが楽しみだ』
「いい素材?」
『そう。修復中のエグゼキューターから少々、拝借した。これは面白い素材だ。いい機体ができる』
「おまえ……」
『楽しみにしていてよ。それでは気をつけて、三神少尉、才条少尉』
通信が途切れる。
人がいない間に、エグゼキューターの装甲をくすねていたのだ。なんてやつだ。よくエグゼキューターが怒りださなかったものだと思い、しかし中枢コンピュータに感情をあらわす機能などない、ということに気づく。
おれも、たいがいエグゼとエグゼキューターの擬人化が進んできたな、と思う。人間と同じように感じてしまっている。
「それで、どうします、リーダー」
「決まっている。フォメリアに向かう。才条少尉、シーケンスをスキップ。すぐに発進する」
「了解」
目標はフォメリア合衆国、ギア・イフリエス。
戦場で苦しみの声をあげていたロードに会う。彼、もしくは彼女と対話しなければならない。




