アクアフィールド攻防戦8
鋼鉄の欠片が渦をともなって閉じていく海中に沈んでいく。イフリエスは、さらに想像の上をいく性能を見せつけ始めていた。なんということだ、と心臓を凍りつかせるような気分を味わう。カルォーシュアで戦ったときのイフリエスは、本気を出していなかった。
「……こちらも本気でいく必要があるな。まさに決死の覚悟が必要だ。エグゼ、最大出力でいく」
「了解。戦術戦闘モード、マキシマム。全ウエポン、オンライン。アフターバーナー点火、最大加速。敵機、射撃軸線上にあります、ロック完了。GO」
両手のガトリング砲、計六門を一斉発射する。数千発の弾丸がイフリエスに殺到したが、その本体に到達することはなかった。すべて、防がれた。イフリエスはただ片手を上げ、灼熱の壁を発生させた。ファイアウォールというわけか。弾丸は溶け、蒸発した。
炎の騎士が機体を加速させる。こちらにまっすぐに突っ込んでくる。おれはペダルを踏み込み、それを迎え撃つように前進する。炎と防御フィールドが激突し、衝撃波が再度、海面を波立てる。
弾丸は敵機体到着前に蒸発させられる。なら、至近距離で当てるだけだ。
銃身を振り上げ、イフリエスの胴体に直接砲塔を当てる。トリガーを引いた瞬間、イフリエスの姿が炎へ変換された。弾丸は空に向かって放射される。
――躱された、読まれた。
腕だけが実体化し、フィールドの中に侵入してくる。頭を掴まれた、エラー信号。モニタには、頭部が赤く明滅していて、危険を示している。
とっさにテュポーンを選択し、ギア・エンジンから光線を乱射させる。それはイフリエスの腕を掠めた程度で、すぐに引っ込められてしまう。速い、相手は戦闘慣れしている。パイロットとしての能力は向こうが上だ。このままではカルォーシュアで戦ったときと同じ、二の舞いになるというわけだ。
しかし今度はそうはいかないと、おれは心の中で強く思う。
イフリエスを相手にする上で厄介なのが、あの炎へ変換される能力だ。実体弾がすべて無意味になる。こちらの武装は、いままで実体弾がメインで、あとはテュポーンのみだった。だった、だ。いまは対策が行われている。一週間、エグゼキューターとエグゼは試算を続けてきた、その結果を見せるときだ。
スロットから冷凍ミサイルをセット、射出体勢に入る。イフリエスが炎化した段階で、エグゼキューターは実体への現出時間をリアルタイムシミュレートしているがしかし、確実ではない。その精度を高めるため、速度向上を目的で戻していたフェイクファーを再度、射出する。イフリエスの機動を計算し、より確度の高い情報をセントラルコンピュータに送信し始めた。
現出予測時間が表示される。カウント30で後方、六十メートル付近に出現する。HUDに予測ポイントが光点で示された。そこへ冷凍弾頭に近接信管をセットして射出する。
「イフリエス周辺、クリア、味方機の存在はありません」と、おれの行動を予測してエグゼ。「才条少尉には回避メッセージを送信済みです、問題ありません」
「了解した」エグゼキューターを反転させ、高速離脱を図りながら応答する。「カウントゼロ、起爆」
予測どおり、イフリエスが機体の姿を現した、その瞬間にミサイルが爆発し白い煙が噴き上がる。オーダーが使用した冷凍ミサイルと、ほぼ同一の中身だ、その部分だけは。
空気が急速に凍りついていく。しかし白い噴霧は即座に赤い光でかき消された。超高温の爆炎だ。空間温度が瞬時に上昇を始めるのを見て、やはりと、おれは思う。対策されている、いや、おそらく前回での戦闘は加減されていたのだ、様子見として、しかしいまは違う。相手は本気だ。
ならば、こちらも相応で応えなければならない。近接信管はまだ作動させていない。それのスイッチを押す。さきほどの中身、すなわち冷凍弾頭は見せかけ、フェイクだ。本命を知られないための。
空間が強烈な振動を始める。エグゼキューターとエグゼが開発した空間超振動波。物質を即座に粉砕する威力がある。それが六発のミサイルから同時発動され、イフリエスの周辺空間に殺到した。空間が歪曲し、赤い、炎の騎士の装甲が砕け散る。発動時間は一秒にも満たないが、それでも凄まじい威力を伴った。
地球科学のどれだけを注ぎ込んでも決して作ることのできないテクノロジーを、わずか一週間で作り上げるエグゼキューターの性能にあらためて震撼を覚える。やはり〈ギア〉は危険だ。
これで戦闘を終える気になってくれ、とおれは願う。しかしそれはかなわなかった。
「エグゼキューター、被弾」とエグゼ。「熱線です」
アラートはなく、着弾の瞬間すらわからなかった。エグゼキューターの後方、海が爆ぜる。
イフリエスが放った熱線は盾の一部を貫通し、そのまま海に直撃したようだった。なんという威力だ、対艦砲すら防いだエグゼキューターの装甲をたやすくぶち抜いてしまった。しかも、見えない。
敵機の胸部が赤く、何度か光った。同時に衝撃が二度、三度と襲ってくる。その度に機体ステータスモニタの一部が赤く明滅する。大幅な損壊はないが、しかしこのままではジリ貧だ。
「このままでは、なぶり殺しにされる」
ペダルを踏み込み、急加速、離脱を図る。
「マイ・ロード、再度、着弾しました」
「くそう、リードショットだと? 読まれているのか」
「解析完了。超高温の熱線です。光学兵器の一部と断定。胸部パーツから射出されています。発射と着弾までのタイムラグはゼロ、カンマ、スリーゼロ。視認してからの回避は不可能です」
「まさに光の速さというわけだ、撃った瞬間には直撃している」こうして話している間にも、少しずつダメージは蓄積していく。「なにか打開策はないか」
「一番確実な方法は近接戦闘をしかけることです、しかしイフリエスには炎化するという大きなアドヴァンテージがあります」
「エグゼ、わずかな時間でいい、無力化できないか」
「可能ですが、炎化無力時間はワン・セコンドが限界です」
「一秒か」あまりにも限られた時間だ。「わかった、それでいい、頼む」
やるしかない、とおれは意気込みを新たにする。相手は同じ環境管理システムだ、同種の機械だ、それを意識する。パイロットの腕は、向こうが上だ、それはわかっている。だがそれを補うことはできるだろう。エグゼが、そうする。そしておれは、エグゼが作ってくれたわずかな時間を最大活用することによって、補助する。相互補助だ、それしかない。
「マイ・ロード」とエグゼ。「イフリエスのボルテージ上昇、機体腕部に超高温のエネルギー体が発生中。このまま接近すれば直撃の可能性すらあります、危険です」
「鉄火場に飛び込むしかない、ということだ、エグゼ。高エネルギー体を作り出しているということは炎化もできないだろう、相手の実力は本当だが、決して楽をしているわけではない、ということがわかったわけだ。いくならいまだ、覚悟を決めろエグゼ、おれはもう決めた」
「いけません、リスクが高すぎます」
おれはもう答えなかった。操縦に全神経を集中する。少しでもミスれば墜ちるのはこちらだ。
さきほどの空間歪曲ほどではないが、高熱によって周囲の景色が歪んで見える。目視は残念ながらあてにはできない、HUDを確認しながら接近する。すさまじい、イフリエスの腕には白い光が宿っている。赤を超えた青、それすらも超えた白、小型の太陽を思わせる光の結晶。
「フェイクファー展開」と、おれ。「激突するぞ、舌を噛むなよ」
「ジャミングスタート」
エグゼの言葉を合図に、イフリエスに防御フィールドを張ったままぶつかる。すさまじい衝撃と、このエグゼキューターをもってしても防ぎきれない高熱が、コクピット温度を上昇させる。ワーニングを示す音が鳴り続けているが、無視する。
「短距離ミサイル、接触信管をセット。テュポーン照射後、即座に発射、フィールド出力を前方に集中させろ、エグゼ、いくぞ、カウント・ゼロ」
射出スイッチを押し、ギア・エンジンを回転させる。戯れの光は機体から離れたのち、見えない壁に弾かれたように前方のイフリエスへ殺到、青い光が白い光をまとった腕をぶち抜く。
炎の騎士が白い光を投げつけようと構えるが、照準は完全に定まっていない。それは、正確に腕が向けられていないことからわかる。フェイクファーのジャミングが効力を発揮していた。同時、イフリエスの白熱のエネルギー量は少しずつ減衰している、が、完全に収めることは出来ないだろう。それでも投擲の姿勢は崩さなかった、しかしそこへすでに発射されているミサイルが接触、即座に空間歪曲を始める。エグゼキューターの周辺を覆っていた青白い燐光は前面のみに展開された。
白い光が縮小と膨張を繰り返す、莫大量の熱が解放されようとしているのだ、それを空間歪曲が許さない。波立つ空間ごとエネルギーを発散させていくが、完全には不可能だ。やがて、それは熱という破壊を実行した。
かつてない衝撃がコクピットを襲う。ミキサーにでも入れられたように激しく揺さぶられ、脳みそがかき混ぜられるような不快感に吐き気を堪える。耳をつんざくアラートに精神が侵食される。機体が損壊していく、それを防御フィールドでも抑えることができない。いや、機体だけではなく、このおれの身体すらもバラバラに分解されそうな、そんな衝撃波だ。
延々と続きそうな破壊の激動はしかし、数秒にも満たない時間で終わりを告げる。まだ、おれの思考は継続している。ということは、生きている、というわけだ。
「マイ・ロード」と、いつになく大きな声のエグゼ。「イフリエスが――」
考えるより先に、おれは機体をコントロールしている。掴みかかってきたイフリエスの両手を、同じく両手で受け止め、取っ組み合いを始めた。イフリエスの熱量とエグゼキューターの防御フィールドが干渉しあって、激しいプラズマが二機の周辺で踊り狂う。
赤い魔人の動きを少しでも止めようと、近距離でフェイクファーが空を遊泳している、それを確認しながら押し切るためにペダルを全開、トルク任せにする。
『なぜだ』イフリエスからの通信が入る。『なぜ、そこまでして戦う、きみも、やはりそうなのか』
「やはり、とは、なんだ」吐き気と、振動からくるダメージに、荒い息をはきながら応える。「戦うのはとめるためだ、戦いじたいを望んではいない、頼む、イフリエス。おれと交渉してくれ、対話だ」
『その機体ダメージでは、継戦能力はもはや望めまい、これが最後通告だ、即時戦。去るがいい』
「だめだ、このままでは、あなたがたは戦闘を継続する、どれだけの被害がでるか想像もつかない。おれは、そんなのは許容できない、だからこそここにきた。自分が未熟なのは理解している、それでもだ」
『猪突猛進か、本当に未熟だな、三神少尉』と才条少尉。『きみは戦場に似つかわしくない、だが、戦場でしか活かせない思考の持ち主だ』
ギアほどではないものの、高速で突入してくる機体を感知する。Q-5、才条少尉のセイヴだ。
素早くイフリエスに肉薄すると、日本刀を模したと思われるブレードで魔人の肩の付け根に、その先端を差し込む。そのまま逆立ちのような姿勢から、機体を約百八十度回転、えぐりこむとブースタを逆噴射させ、抜き去る。そのままセイヴの肩口にあるマシンガンを傷口に連射しながら離脱する。
一瞬の攻防、早業だ、そのおかげでイフリエスのパワーが一時的にダウンする、それを見逃さない。
腕を捻り上げ、弾く。隙ができたそこへ、巨大な処刑刀、エグゼキューターを抜いて首筋に当てた。
「イフリエス、ここまでだ」
『……見事』唸るようにイフリエスのロード――もしくは機械知性――が、応えた。『ここまで成長したか、きみは、もしかしたら世界を、エクスを、変える存在なのかもしれない』
「買いかぶりだ。こちらは二体であなたと対峙した。卑怯と罵ってくれて構わない」
『いいや、これが結果だよ、三神少尉。わたしはきみに敗北した』
「……おれは勝ってない、だれにも」
そう、ロベルトにも、イフリエスにも、この世界にも。
まだなににも勝っていない。勝つつもりもない。




