夏が、夏があなたを連れてきた。そよ風、そよ風、優しく囁く(前編)
十五年前、あるいは六十年前の約束を果たす時が来た!
俺には、才能があった。
まだ二十歳そこそこだというのに、修理の腕前は数十年のキャリアを持つベテランの職人たちにも引けを取らなかった。
「それだけの技術があるんだ。こんな寂れた田舎に燻っていないで、都会に出て腕を試してきなさい」
父さんと母さんはそう言って、俺の背中を押してくれた。
俺もそれがいいと思った。何もないこんな場所で一生を終えるなんて、退屈以外の何物でもない。
腹を決めてからは、連日出発の准备に追われた。向こうの会社と連絡を取り合い、荷物をまとめる。都会で自分の腕一本でのし上がる方が、ここで人生を無駄にするより何倍もマシだろう?
昔から「愛想がない」と言われがちだった俺にとって、この村に未練があるものといえば、両親と、それから三人の友人くらいのものだった。
そうだ、発つ前にあいつら三人に挨拶くらいはしておこう。
村の道を歩いていると、向こうからちょうど俺を探していたらしい三人がやってきた。
「佳子、治郎、誠。どうしたんだよ、お前ら。なんでそんな泥だらけなんだ?」
「細かいことはいいから、こっち来て!」
佳子が俺の手をぐいと掴み、走り出す。
連れていかれたのは村の空き地だった。そこには、いつの間にか手作り感満載の、小ぢんまりとした舞台が設営されていた。
あれは――
ステージの上には、一枚の横断幕が掲げられている。
その上に立つ佳子、治郎、誠。
そして佳子は俺に向かって、横断幕に書かれた言葉をありったけの声で叫んだ。
「郷ーーバカ――! 行ったら、もう二度と帰ってくんな――!」
ああ――。
本当に、懐かしい光景だ。
正直なところ、薄々感づいてはいたのだが……澪って、もしかしてもの凄く朝に弱い寝坊助なのだろうか。
目を覚まし、寝袋から這い出たが、澪はまだすやすやと夢の中だった。
その枕元では、夕が丸くなって眠っている。
……羨ましい!
俺だってあんな風にされたい。なのに、俺が夕を自分の枕元に連れてきても、すぐにどこかへ逃げてしまうのだ。
「薄情な奴め、いつもご飯をあげてるのは俺なのに……」
とりあえず今日の予定を頭の中で確認しつつ、時間を見てカーテンを開けた。
朝の光が室内に差し込む。だが、澪の安眠を妨げるには至らないようだった。
「……本当によく眠るな、こいつ。澪、朝だぞ。起きろって」
澪はふにゃふにゃと声を漏らすだけで起きる気配がない。仕方がなく、俺は彼女のそばに寄って肩を優しく揺すった。
「起きろ、今日は寧々のところに行くんだろ……って、ちょっ――!?」
突如、澪の手が俺の首に回り、まるで抱き枕でも掴むかのように引き寄せられた。
危うく押し潰されるところだったが、条件反射でベッドに両腕を突いて辛うじて踏みとどまる。
「近い近い……! おい、澪!」
マズい。ベッドに突いた腕に力が入らず、これじゃ引き剥がせない。
さらに悪いことに、視線がどうしてもあらぬ方向へと泳いでしまう。もしここで抵抗をやめたら……俺の頭は一体どこに埋まることになるんだ……
いかんいかん、何を考えてるんだ俺は!
必死に雑念を振り払い、歯を食いしばって目を閉じる。
「いいから早く起きろって!」
「んぅ……ううん……」
「夕ちゃん、助けてくれ!」
「にゃあ……」
くっそ、所詮は猫か……!
次の手を考えていたその時、あろうことかドアが開く音が響いた。
「え? 誰だ? 神田さんか?」
首だけをどうにか入り口の方へと向けた。すると、ドアを開けた人物が、中に入ってくるよりも早く焦った声を上げる。
「巡くん、あなたたち年齢は大丈夫とはいえ、こういうことは順序を踏まないと……って、ええ――!?」
正人さんだった。
言いかけた言葉を飲み込み、正人さんは俺と澪の至近距離に目を剥いた。
実際のところ、澪に抱きつかれないよう、俺は必死に腕でベッドを支えていた。だが、入り口に立つ正人さんの角度から見れば――。
「巡……くん……お前、まさか――」
「違います! 違いますって正人さん、これには深いワケが――!」
必死に弁解しようとした瞬間、突っ張っていた腕の力がふっと抜けてしまった。
――あ。
次の瞬間、俺の全身を包み込んだのは、女の子特有の柔らかさと甘い香り。
そして、間髪入れずに響き渡る正人さんの悲鳴。
「ぎゃあああああああ――! 離れろぉぉぉぉぉ!」
まだ眠たげな目をこすりながらベッドに腰掛けている澪は、状況を一切把握しておらず、自分が元凶だという自覚すら皆無の様子だった。
一方の俺は、いつもの温厚な面影を完全に消し去った正人さんの前で、綺麗に正座をして事の顛末を釈明していた。
澪はあくびを噛み殺しながら俺の話を聞いていたが、ふと、とんでもないことを口にした。
「私、襲われたの……?」
「お前は黙ってろ! もう話をややこしくするなよ!!」
「私……なんで怒られたの?」
俺は昨夜帰ってきてからの出来事を、何から何まで正人さんに洗いざらい打ち明けた。
「――ということなんです」
「なるほど、そういうことだったのか。すまないね巡くん、誤解してしまって。いくら何でも、巡くんがそんなに焦るわけがないよな、ハハハ」
「いえ、焦る焦らないの問題じゃなくて、そもそも手を出したりしません。絶対に」
突如、横から飛んできた枕が、俺の後頭部にクリティカルヒットした。
「ぶっ……!? 澪、何するんだよ!」
「別に。目が覚めたから」
「理由になってないけど」
朝のドタバタがようやく収まり、俺たちは三人で食卓を囲んだ。
「そうか……巡くんと澪が直していたあの舞台、予定より早く解体されてしまったんだね。私も武井さんのことは知っている。彼は生まれも育ちも夏小町だからね。あの若さで町長になってプレッシャーも大きかっただろうし、おまけに夏小町の再開発と陽原町への編入が重なった時期だからなぁ……」
正人さんの言葉はどこか武井さんを庇うようにも聞こえたが、それも大人の視点というものなのだろう。俺と澪は、しばし沈黙を保った。
「とはいえ……あの舞台には、本当に色々な思い出や想いが詰まっていたからね。遅かれ早かれこうなることは分かっていたけれど、いざ突然解体されたとなると、やはり胸に迫るものがあるな」
正人さんはしみじみと呟いた。その言葉を聞いた瞬間、澪の表情が引き締まる。
「……お母さんも昔、あそこにいたから、でしょ?」
「――っ」
澪はスマートフォンを操作しようとしたが、バッテリーが切れていることに気づいた。代わりに俺がノートパソコンを持ってきて、例の写真を表示させる。
写真が目に入った瞬間、正人さんの顔に苦悶の色が走った。だが、彼はすぐにそれを心の奥へと押し込めた。
「お父さん。お母さん、生きてるんだよね?」
俺には分かっていた。
澪が求めているのは、確定した事実としての答えじゃない。ほんの僅かな希望にすがりたくて、この問いを投げかけているのだ。
しかし、正人さんは答えなかった。
「……」
ここからは青羽家のプライベートな話だ。そう判断した俺は席を外そうとしたが、正人さんに引き留められた。
「いいんだ、巡くん。葵さんは茜の命の恩人だ。その息子である君が席を外す必要はない」
「……分かりました」
俺は再び澪の隣に腰を下ろし、正面の正人さんが口を開くのを待った。
「いつも君に話している通りだよ。お母さんはね……旅に出たまま、まだ戻ってこられないんだ」
「じゃあ、なんで私が十歳になってから、お母さんは誕生日の手紙すら一度も送ってくれなくなったの?」
「……」
「お父さん……お母さんは一体どこにいるの!」
正人さんはきつく目を閉じたまま、何も語ろうとはしなかった。
「お父さん……!」
俺は澪の手をそっと握り、首を横に振ってそれ以上の追及を遮った。
澪の瞳に涙がにじむ。それでも彼女は俯き、それ以上言葉を重ねるのをやめた。
正人さんは立ち上がり、俺たちに背を向けた。
そして、少し掠れた声で言った。
「すまない、澪。不甲斐ない父親で。だけど約束する、必ずお母さんを連れ戻すと。……巡くん、しばらく澪のことを頼むよ。それから、前に君が相談にきた件だが、必要ならいつでも神社に来い」
「分かりました。ありがとうございます、正人さん。ご安心ください」
正人さんが部屋を出ていくと、堰を切ったように澪が泣き出した。
俺は立ち上がり、彼女の背後に回って座る。二人は互いの背中を預け合うように、ぴったりと寄り添った。
「茜さんは、絶対に生きているよ。それに澪を捨てたわけじゃない。何か事情があって戻れないだけだ。ほら、うちの姉貴と同じだよ。あいつも俺や母さんを捨てたわけじゃないからさ。大丈夫、きっと見つかる」
朝の光が差し込む部屋で、俺たちはそれ以上言葉を交わさず、ただ背中の温もりを通じて互いを支え合っていた。
「私……酷いことしちゃったな。お父さんの方が、私よりずっと辛いかもしれないって分かってたのに。一人でいろんなものを抱え込んでるって知ってたのに、あんな風に責め立てるなんて。……謝らなきゃ」
「ああ。ちゃんと正人さんに謝らないとな」
澪の気持ちが落ち着くのを待って、俺たちは寧々のところへ向かう準備を始めた。
家を出る間際、澪がじっと恨めしそうな視線を俺に向けてくる。
「なん、なんだよ?」
「……なんか最近、あんたに泣いてるところばっかり見られてる気がする」
「……俺のせいじゃないだろ」
すると澪は、俺の襟首をごいっと掴んできた。
「巡、今、すぐ。ここで泣きなさい」
「無茶言うな……」
「じゃあ泣くまで殴る!」
かなりの理不尽だが、これで少しでも澪の元気が戻るなら、今は付き合ってやるのも悪くない。
それはそうと、さっきの正人さんの言葉で、ある記憶が鮮明に呼び起こされた。
舞台の修復を始めた当初、俺は最悪のケースを想定していた。つまり、解体の期日までに修復が間に合わないという可能性だ。
だから事前に正人さんのところへ赴き、青羽神社の境内拡張工事で作られている舞台に酷似した設備を借りられないか打診していたのだ。
ここ半月ほどの作業の忙しさと、急転直下した事態のせいで完全に失念していたが、正人さんに言われてようやく思い出した。
もし、あの舞台そのものに固執しないのであれば、青羽神社こそが寧々を舞台に立たせるための次なる選択肢になる。
ただ、あそこだと観客の数は当初の予定より遥かに多くなるはずだ。寧々は、そのプレッシャーを乗り越えられるだろうか。
寧々に教えられた場所に、俺と澪は安田さんが入院している病院へとやってきた。
「安田様……ここだな。」
安田さんには妻も子もおらず、ずっと一人で暮らしてきた。病室の中には白砂さんと寧々だけがいて、安田さんは目を閉じて、まだ眠っているようだった。
俺たちの姿を見た寧々は、少し気まずそうに視線をそらしたが、それでもトボトボとこちらへ歩み寄ってきた。
「澪さん、巡さん、こんにちは……」
「寧々ちゃん、こんにちは。白砂さんも、こんにちは」
「安田さんの具合はどうですか?」
白砂さんは、病床の安田さんへ心配そうに視線を向けた。
「芳しくないの。もう何日も意識が戻らなくて……」
「え……」
白砂さんの言葉に、俺は思わず安田さんの姿を凝視した。かつてあれほど頑健だったじいさんが、まるでこの数日の間に、どこにでもいる普通の老人のように痩せ細り、小さくなってしまったかのように見えた。
「寧々はここ数日、ずっと付きっきりで安田さんの看病をしているの。声をかけ続けていれば、少しでも意識が戻るきっかけになるかもしれないって……」
寧々の目の周りの赤みや涙の跡は、今でもはっきりと残っている。寧々が言っていた言葉を思い出す――安田さんは彼女の成長をずっと見守ってきてくれた、家族も同然の存在なのだと。
「巡くん、ちょっと外へいいかしら?」
俺は頷き、白砂さんと共に病室を後にした。廊下の突き当たりまで来ると、白砂さんは少し躊躇うような素振りを見せてから、口を開いた。
「巡くん、ありがとう。君と澪ちゃんが、このところ寧々のためにあれほど一生懸命になってくれて。寧々は本当に聞き分けの良い子だから……だから、たとえ最後に少し残念な結果になったとしても、気に病まないでね」
感謝の言葉。だが、その響きの中に、俺は微かな違和感を嗅ぎ取った。
「不躾な質問になってしまうかもしれませんが、あえてストレートに伺います。寧々が昨日、依頼を取り下げると言ってきたのは……白砂さん、あなたの差し金ですか?」
「寧々には伝えたわ、夏小町の再開発工事はもう始まっているって。巡くんは、寧々がただ写真を一枚撮りたがっているだけだと強調していたけれど……分かっているわ。君たちが舞台を直そうとしてくれていたのは、間違いなく寧々のためだってことも」
複雑な感情が胸に渦巻いた。
最初に来たのは、安堵――あるいは喜びと言ってもいい。寧々が本心から諦めようとしたわけではないと分かったからだ。しかし、次に湧き上がったのは微かな不快感だった。この半月間、観察を続ける中で抱いていたある種の『可能性』が、今この瞬間に裏付けられたからだ。
白砂さんは寧々を愛しすぎている。母親としてそれは当然のことだろう。ただ、白砂さんの愛は、寧々にあらゆる場面で正しい道を歩ませようとするあまりに、行き過ぎていた。
その代償は何だ? ――寧々から『選択権』を奪うことだ。
寧々が他人にNOと言えない性格になってしまった根本の理由は、おそらくここにある。
そこまで考え至り、俺はまっすぐな視線を白砂さんへと向けた。
「依頼はまだ終了していません。『Aoi』ーー俺が引き受けたのは、白砂さん、あなたの依頼ではありません。俺が受け取ったのは、『お名前を入力してください』様――白砂寧々の依頼です。本人が断念を口にしない限り、俺が勝手に終わらせるわけにはいきません。すみません」
反論の余地を一切与えない、強硬な口調だった。
「巡くん……」
俺は白砂さんに向かって、深く頭を下げた。
寧々がまだ俺と口をきいてくれなかった頃、俺は窮余の策として白砂さんに寧々の『約束』について尋ねたことがあった。意外なことに、白砂さんは何も知らなかった。その理由が、今になってようやく腑に落ちた。これは、寧々とおばあちゃんとの約束だったのだ。
雛鳥が真に巣立つための種は、すでに十五年も前に蒔かれていた。
姉貴め。だから電話であんな風に俺を誘導し、十五年前の母さんの記事を渡してきたわけか。そこまでお見通しだったなら、自分で寧々を助けに来ればいいものを。ったく、やはり姉貴に勝てないな。
姉貴の手のひらの上で踊らされていたことに気づきつつも、俺の口元には自然と笑いが浮かんでいた。
病室に戻り、今度は俺と澪で寧々を外へと連れ出した。ほんの数日会わなかっただけだというのに、あまりに多くのことが重なりすぎて、まるで数年ぶりに再会した旧友のような空気感が漂う。
「え……? み、澪さんの家の、神社の舞台……?」
「ああ。万が一の事態に備えて、最初から仕込んでおいた保険だ。すまない、寧々。あの舞台にこそ特別な意味があるって分かっていたのに、俺が家でのんびりしていたせいで……」
「そんなこと言わないで! 巡さんと澪さんがいなかったら、私、一人じゃ何もできなかった。だから……ありがとう!」
「だけど、観客も多くなるかもしれないぞ? それに、夏小町の住人じゃない人たちばかりだ」
その言葉を聞いた瞬間、寧々は恐怖をこらえるようにぎゅっと目を閉じた。数秒の沈黙の後、彼女は目を開き、毅然とした声で言った。
「大丈夫! 私……やれる!」
「うん! 頑張ろう! 私と巡もついてるから、何も怖くないよ!」
それから、俺たちは具体的なスケジュールを細かく組み立てていった。澪はまだ正人さんと話すのが少し気まずい様子だったので、神社側の調整は俺が引き受けることにした。寧々は、かつておばあちゃんがみんなに向けて歌ったあの曲を歌いたい、と話してくれた。
大まかな方針が決まり、俺たちは再び病室へと戻った。
ガチャリとドアを開けた瞬間、予想だにしない光景が俺たち三人の足をその場に縫い付けた。
安田さんが、ベッドの上で枕に背を預け、こちらを向いてニヤニヤと笑っていたのだ。
「安田じいちゃん!」
真っ先に反応したのは寧々だった。嬉しさのあまり駆け寄り、じいさんの手を握りしめながら、ぽろぽろと涙を流し出す。
「寧々、泣くな。悪かったな、こんな老いぼれの看病をさせちまって。苦労をかけた」
「……ううん……全然、ちっとも苦労なんかじゃない! おじいちゃん……早く元気になって!」
安田さんが白砂さんに向けて小さく頷くと、彼女は静かに病室を後にした。
「小僧、それからそっちの嬢ちゃんも、こっちへ座んな」
「はい」
少しの間を置いて、安田さんがぽつりぽつりと語り始めた。
「あの舞台について、一つ昔話をしてやろう。もう何年前になるかねぇ……かれこれ六十年以上も前のことだ。当時のことを知る生き残りも、もう俺くらいしか残っちゃいねぇだろうな」
寧々は安田さんの体をそっと支え、少し上体を起こしてやった。
「あの舞台はな……三人のバカが作ったんだ。夜通し作業して、一週間もかけずに組み上げた、お粗末な突観舞台さ。もう一人のバカを引き留めるためだけにな」
安田さんは、慈しむような、そしてどこか懐かしむような温かい眼差しを寧々に向け、言葉を紡ぐ。
「治郎に、誠。それから佳子――お前のばあちゃんだよ」
「え……? おばあちゃん? おばあちゃんがあの舞台を作ったの?」
「ああ。当時、俺は夏小町を出ていく決意を固めていた。だが、あの三人のバカどもは、俺を引き留めるために、空き地へ内緒で舞台をぶっ建てやがったんだ。出発の当日、俺の腕を引っ張って連れていきやがってな。素人三人が作った舞台なんざ、最初は見られたもんじゃなかった。おまけに、上にはバカでかい横断幕まで掲げられてやがった」
安田さんの語りを聞きながら、俺たちの脳裏には、まだ見ぬ遠い時代の光景が鮮やかに思い描かれていた。
「『郷ーーバカ――! 行ったら、もう二度と帰ってくんな――!』ってな。ハハハハ、本当に揃いも揃って大バカ野郎どもさ。それからお前のばあちゃんが、『お前のために用意した見送りだ』なんて始めたんだが……どこが用意しただよ!あの人が歌えるのなんて、あの一曲だけじゃねえか!それに治郎と誠のやつらもだ!楽器なんか持ってたが、どうせ演奏してるふりだったろうが!」
安田さんは笑いながら話し続けた。まるで、六十数年もの間、胸の奥に仕舞い込んできた言葉を、今ようやく目の前の若者たちへと吐き出しているかのように。
「俺は夏小町を出ていくのをやめた。あの三人のバカと一緒に、 舞台の修繕や補強を繰り返しながら――そうして、人生のすべてをこの場所に捧げたんだ。あの日の出来事なんて、もう何十年も夢に見ることすらなかったのにな。まさかこんなに長く眠りこけた挙げ句、またあの光景を見る羽目になるとは。……本当に、身勝手な奴らだ。俺を引き留めたのはお前らの方だろうに、どうしてどいつもこいつ……俺を置いて、先に逝っちまいやがるんだ……」
安田さんの瞳に涙が滲む。彼はそれを誤魔化すように小さく何度も咳き込み、涙が溢れるのを堪えた。そして、愛おしそうに寧々の頭を優しく撫でる。
「まさか十五年経った今、また別の三人のバカがあの舞台をいじくり回し始めるとはな、ハハハ。……寧々、今一人で舞台に立つ勇気はあったかい?」
「私……立てるよ! だって私、もう大人になったんだ!」
寧々は安田さんに、さっき俺たちで話し合った計画を一生懸命に説明した。安田さんはそれを聞きながら、満足そうに目を細めて微笑んでいた。
「いい考えだ。……小僧、お前は葵の代わりに、その瞬間をしっかりと記録に残すんだぞ。それはお前の母親と、寧々との約束なんだからな」
「分かってます。安心してください、十五年前の約束は、俺が必ず果たしてみせます!」
安田さんは力強く頷き、再び視線を寧々へと戻した。
「寧々。行ってきな!」
「うん――!」
いよいよ、次のエピソード、寧々ルートクリアの時だ




