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月の下、見えない茜色の影  作者: 柊夕
物語の始まりは、いつも微かな奇跡だった
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2/15

滞在する? それとも旅立つ?

天野巡 殿。

 前略。

 最新の記事、私もお母さんも読んだよ。取材先が青羽神社ってことは、もう陽原町に着いてるみたいだね。残念でした――! 私はもうそこにはいないよ。

「巫女の舞」が見たいっていうのは、カナちゃんからの依頼だったっけ? で、肝心の巫女の舞はどこ?なんで内容が、アンタが落とし物したっていう惨めな体験談になってるわけ……?それに写真も、巫女の可愛い姿だけで、肝心の踊りは?

 カナちゃんは「ありがとう、お疲れ様」なんて言ってくれてるけど、これ、明らかに気を遣われてるだけでしょ?アンタ、子供に気を遣われて恥ずかしくないの!

 というわけで!巡、やり直し!

 お母さんの体調はだいぶ良くなったけど、まだ退院はできないけど心配しないでね。ついでに伝言。もうお母さんの『Aoi』の名前を使うのはやめて、巡は自分の名前で活動しなさい、だって。

 っていうか、これって出発するときにも言ったはずだよね。なんで未だにお母さんの名前を使ってる?

 でも青羽神社か、懐かしいな。澪ちゃん、あんなに可愛くなっちゃって。私とお母さんから、神主の正人おじさんに「よろしく」って伝えておいて。

 私はさらに北上中。お姉ちゃんの背中を追いかけたいなら、アンタも北へ進みなさい!

 でもね、巡。

 あんなに可愛い澪ちゃんを見ちゃったら、お姉ちゃんとしては、アンタの嫁としてうちにかっさらってきてほしいなー、なんて。お母さんも同意見だよ。

 だから焦らずに、自分の選択をよく考えなさい。

 このまま滞在するか?それとも旅を続けるか?

 次の記事が出たら、また手紙を書くね。お姉ちゃんもまだまだ旅の途中だから。

 かしこ 天野暁。


「姉貴め、一体どこにいるんだよ……」

 母さんの記録写真家の仕事をさっさと押し付けようと思っていたのに、逆にこうしてさんざん使われている。俺自身、特にやりたいことがあるわけではないけど、記録写真家の仕事はやはり姉貴が継いだ方が似合いだ。

 なにしろ、これは「心」が必要な仕事だから。

「子供に気を遣われて恥ずかしくないのってなに。俺はそうは思わない」

 口では文句を言いつつも、俺は大人しく姉貴の手紙通りに荷物をまとめて出発した。母さんと姉貴の代わりに青羽神社を治める神主に挨拶をして、ついでに取材のことも聞いてみる。

 それが、今の俺がすべきことだ。

 再び青羽神社を訪れ、道中の景色を眺めながら歩みを進める。少し離れた場所に、一人の巫女さんが目を閉じ、道端の石のベンチに静かに腰掛けていた。

 これは何かしらの修行なのだろうか……声をかけてもいいものか、迷う。

 巫女さんは俺の足音が全く聞こえていないかのように、微動だにしない。

「あの、すみません……」

 反応は皆無。しばらく観察していると、その巫女さんの口元がひくひくと震え、わずかに吊り上がっているのが見えた。笑いを堪えている? いや、あれは幸福に満ちた表情だ。

「へへへ……」

 なんだか、ちょっと下品というか、いやらしい声が漏れ聞こえてきたのだが……

「あの……」

 巫女さんは完全に自分の世界に没入しているようで、俺の声などまるで届いていない。おまけに、なぜか口元の震えが全身へと伝染し始めている。

「……他の人に聞こう」

 立ち去ろうとしたその時、巫女さんは満足げにふぅーっと長い息を吐き出し、イヤホンを耳から外した。

「ごちそうさまでした」

 悦びに満ちたその瞳が開かれた瞬間、彼女が捉えたのは、困惑の笑みを浮かべる俺の顔だった。

「あ……」

 フリーズした。

「う……あああああああ――ッ!?」

 声……鼓膜がハジけ飛びそうだ。

「お、落ち着いてください……巫女さん!俺はただ、道を尋ねたいだけで!」

 この巫女さんが完全に平静を取り戻すまでには、なかなかの時間を要した。

「あ、あ、あんた、何も聞いてないわよね!?」

「巫女さんがちゃんとイヤホンをつけていましたから、俺は何も聞こえませんでしたよ」

「本当に?」

「ええ、本当です」

 そこまで取り乱すということは、よほど他人に聞かれたくない内容だったのだろう。そこは深く追究しないのが大人のマナーだ。彼女への配慮と、本来の目的を果たすため、俺はストレートに話題を切り替えた。

「こちらの神主である青羽正人さんに面会しに来たのですが、行き方が分からなくて。よければ、案内していただけませんか?」

「そういうことならお安い御用よ。まずは社務所に行きましょう、私が正人さんを呼んであげる。私は今川梨衣。よろしくね」

「ありがとうございます。俺は天野巡です」

 梨衣さんに連れられてやってきた社務所は、あの日、澪に案内された場所だった。俺が一時的な『失明状態』から光を取り戻した場所でもあるため、妙な親近感がある。俺はまた、あの日と同じように澪を待った席に腰を下ろした。

 梨衣さんは二歩ほど歩いたところでピタリと足を止め、次の瞬間、恐ろしいほどのスピードで俺の目の前に舞い戻ってきた。

「天野くん、さっきの、本当に何も聞こえてないのよね?」

「本当です。誓います」

「ならよし、信じるわ!」

 般若のような恐ろしい表情が一瞬で消え去り、梨衣さんはステップを踏むように軽快に去っていった。

 改めて姉貴の手紙を思い返す。どうやら母さんと姉貴は、ここの神主さんと知り合いらしい。俺にはさっぱり記憶がない。俺が生まれる前のことか、あるいは俺が学校に通っていた頃の話だろうか。

 しばらくすると、清潔感のある、いかにも人当たりの良さそうなおじさんが入り口に姿を現した。室内を見渡し、俺の姿を捉えると、破顔してこちらへと歩み寄ってくる。俺は慌てて立ち上がり、迎え入れた。

「あの、正人さんでしょうか?」

「ああ、そうだ。君が巡くんだね」

「はい。初めまして、天野巡です。今回は母の葵と、姉の暁の代わりに、ご挨拶に伺いました」

 正人さんは俺の肩をポンと軽く叩いた。

「そんなに畏まらなくていいよ。昔、葵さんには大変お世話になったんだ。葵さんの体調はどうだい?」

「姉からの手紙によるとだいぶ良くはなったそうですが、まだ退院はできないみたいです」

「そうか……。今、青羽神社は拡張工事の真っ最中でね、私がここを離れられないんだ。この忙しさが落ち着いたら、家族を連れて葵さんのお見舞いに行かせてもらうよ」

 やはり、母さんは昔いろんな人を助けていたんだな。旅の道中、母さんの話題が出ると誰もが敬意と感謝を口にする。そのおかげで、息子である俺まで様々な特別扱いを受けているわけだ。

「ありがとうございます。母もきっと喜びます」

 ポケットの中でスマホが突然ブブブと震えだし、俺は少し決まり悪そうに頭を掻いた。

「構わんよ、出なさい」

「では、失礼します」

 スマホを取り出す。画面の着信表示には、はっきりと三文字――『青羽 澪』と表示されていた。

 俺は一瞬、硬直した。うすうす考えてはいたが、やはり澪は神主の娘、つまり正人さんの娘だったわけだ。

「娘からの電話かい?」

「ええ……ちょっと、出るべきか迷うところでして」

「ハハハ、何を躊躇することがある、出たまえ出たまえ!」

 正人さんは豪快に笑いながら俺の背中を叩いた。その力加減は、明らかにさっきより強かった。さすがは親子と言うべきか、一挙手一投足から醸し出されるオーラには似通ったものがある。

 通話按钮をスライドした瞬間、受話口から澪の不満げな声が飛び込んできた

「おーーそーーいーー!」

「ごめん……って、だからなんで俺が謝らなきゃいけないんだよ」

「罪悪感でしょ」

「ない」

 正人さんがニコニコしながら俺を見守っているので、俺は少し気恥ずかしくなって体を背けた。

「巡、今どこにいるの?」

「今は……君の家、かな。ちょうど君のお父さんとお話ししてるところ」

「じゃあ丁度いいわ。私今学校が終わったところだから、迎えに来て」

「なんで俺が……」

「大学の正門前で待ってるから。スマホがもう切れ――」

 ブツリ、とそこで通話が切れた。言い切れなかった言葉は、おそらく「バッテリーが切れる」ということだろう。

「澪は何て言ってたんだい?」

 先ほどの会話の内容を伝えると、正人さんも心底困ったように額を押さえた。それから、懐から一本の鍵を取り出す。

「巡くん、二輪の免許は持っているかね?神社にバイクがあるんだが、ちょっと一走り頼まれてくれないだろうか。白咲女子大学まで」

 どうせこの後も特に予定はなかったし、俺はそれを引き受けた。

 入り口に向かって歩いていると、前方に聞き覚えのある後ろ姿が見えた。今はイヤホンをつけているか分からないが、ひとまず声をかけてみることにする。

「今川さん」

「天野くん? もう帰るの?」

「いや、これから正人さんの娘さんを迎えに行くんだ」

「澪のこと? じゃあちょうどいいわ、一緒に行きましょ。私も学校に忘れ物を取りに行きたかったの」

 梨衣さんと澪は同じ白咲女子大学の学生で、梨衣さんがここで巫女のバイトをしているのも澪の紹介らしい。ナビを設定する手間が省け、俺はバイクの後ろに梨衣さんを乗せて、あっという間に大学の正門へと到着した。

 そこにいた澪は、信じられないものを見るような目で俺たちを凝視していた。

「ん? どうした?黙ってて」

 澪は拳をぎゅっと握りしめ、震える声で言った。

「あんた……よくも、他の……女の子を私の特等席に乗せたわね」

「ええっ――!?」

 梨衣さんは悲鳴のような声を上げ、慌てて後部座席から飛び降りた。

「二人、そういう関係だったの!? ごめん、私知らなくて!」

「そんなわけないだろ……そもそもこのバイクは正人さんのだし、特等席なんてあるかよ」

「へへ、冗談だよ」

 梨衣さんはホッと胸を撫で下ろし、澪の肩を掴んでブンブンと揺さぶった。

「もうっ、驚かせないでよ澪ちゃん!」

 二人が少しばかり雑談を交わした後、梨衣さんは学校の中へと入っていった。俺も澪を乗せて青羽神社に戻ろうとしたのだが、彼女はシートに腰掛けようとはせず、後ろで手を組んでトボトボと歩き出した。

 彼女の進む先には、ちょうどゆっくりと沈みゆく夕日があった。逆光に照らされた澪のシルエットは、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。

 俺はバイクを押しながら、彼女の後を追った。

「どうしたんだよ。乗せていくよ」

「他の女の子が座ったばかりの席に、そんな簡単に私を座らせる気?」

「勘弁してくれ……その冗談はやめて」

「じゃあ、一つ私のお願いを聞いてくれたら、許してあげる」

「なんで俺が悪いことをした前提になってるんだよ……」

 とはいえ、このままバイクを押して歩くのも不便極まりない。ここは大人しく引き下がるべきだろう。

「分かったよ。何をしてほしいんだ?」

「今から私が乗るから、巡が押して歩くこと!」

「ちょっと待て……」

 澪は俺に反論の余地すら与えず、すとんとシートに腰掛けた。そして、指揮官のように前方をビシッと指差す。

「しゅっぱーつ!」

「……はいはい」

 俺は小さくため息を漏らし、まるでお姫様の馬を引く騎士のようにバイクを押して進み始めた。旅の道中で長距離を歩き慣れていたおかげで、俺の身体はかなり鍛えられている。この程度の肉体労働なら、そこまで苦にはならなかった。

 澪はすこぶるご機嫌で、満面の笑みを浮かべながらこの大層な道中を楽しんでいた。

「そういえば、巡は学校に行ってないの?私たち、同い年くらいでしょ?」

「ああ、中退したんだ。今は一応、母さんの記録写真家の肩書きを一時的に継いでる形かな。今は、いつになるか分からないけど、姉貴を見つけてからの話だね」

「いいなぁ。なんだか風みたいに自由で素敵」

 俺は言葉を返さなかった。確かに風のように自由だ。誰かから依頼を受ければ、その人のもとへと赴き、できる限りの手助けをする。一つの街から次の街へ、一つの村から次の村へ。

 けれど実を言うと、俺は澪の言う「いい」という感覚を、あまり実感できずにいた。

 そんな風にのんびりと進むこと約十分、澪がバイクから降りた。

「お疲れ様、騎士君。ここからは私が運転するよ」

「いいで、俺が運転するよ」

「私が運転したいの。今風を切って走るとすっごく気持ちいいから」

「それじゃあお言葉に甘えて。お姫様」

 澪は一瞬呆気にとられた表情を見せたが、すぐにぷっと吹き出した。

 彼女の背中に収まり、俺はその細くしなやかな腰をそっと腕で回した。正面から受ける風が彼女の髪をなびかせ、俺の頬を優しく撫でる。かすかな甘い香りが、俺の五感をくすぐった。

 女の子の体って、こんなに柔らかいものなんだな。

 すぐに俺たちは青羽神社へと戻ってきた。澪はヘルメットを脱ぎ、少し乱れた髪を軽く整える。

「巡。どう? 満足するまで抱きついた?」

「……」

「あらあら、照れてるの?」

「違う。あれは安全運転のための不可欠な動作だ」

「ちぇっ、ぜんぜん可愛くない。さっき自分からお姫様なんて言ってたクセに」

 澪と一緒に境内を歩いていると、多くのスタッフが彼女に声をかけてくる。俺はその横で愛想笑いを浮かべていた。もう一度正人さんにお礼を言おうと思ったのだが、彼は今ちょうど手が離せないようだった。

 その時、ふと姉貴の手紙のことが頭をよぎった。

 カナちゃんの依頼は、今の状態ではまだ果たしたことにならないのだろうか。もしそうなら、小さな子供の夢を踏みにじることになってしまう。そんなのはごめんだ。

「ねえ澪、この前の『巫女の舞』の行事って、近々またあったりする?」

「私の知る限りではないかな。やっぱり、巡もカナちゃんに気を遣われてるって気づいた?」

 絶対に認めない! たとえそう言う人間がもう一人増えようとも、俺は断固として認めない! あんなに可愛らしく「巡お兄ちゃん、巡お兄ちゃん」と俺の後を追いかけてくれたカナちゃんが、まさかそんな……。

「はぁ……やっぱりダメか。宿に戻ったら、もっと北の方で近いうちに同じような行事がある場所を調べて、さらに北上するよ……姉貴め」

「行っちゃうの?」

「カナちゃんの依頼は、ちゃんとやり遂げなきゃいけないから」

 澪はしばらく黙り込んだ。そこには、どこか俺を引き留めようとするような空気が漂っていた。これまでの旅で引き留められた経験は何度かあるけれど、同世代の女の子にそんな雰囲気を向けられるのは、これが初めてかもしれない。

 俺がそっと彼女に視線を巡らせようとした瞬間、澪の指先が俺の頬をぐっと押し留めた。

「なになに? 私が引き留めてくれるのを妄想してた?」

「……」

「引き留めてほしい? 引き留めてほしいの?」

「別に……」

「欲しくてもあげない!」

 澪は何度も俺の頬をツンツンと突き、満足したようにようやく立ち上がった。

「じゃあ、ここで待ってて。お別れ前に、一つプレゼントをあげる」

 別れ際の贈り物というのも、これが初めてではない。俺は静かに頷いた。

 そういえば、姉貴の手紙に「澪ちゃん、あんなに可愛くなっちゃって」なんて一言があったな。もしかして、小さい頃に会ったことがあるのだろうか。俺自身には全く記憶がない。澪が戻ってきたら、一度聞いてみることにしよう。

 再びあの見慣れた席に座り、俺は待ち時間を開始した。

 ……。

 …………。

 おそーー!

 外はもう完全に夜の帳が下りている。あいつは一体どこへ行ってしまったんだ。最初は社務所に何人かいたスタッフも、今や俺一人だけになってしまった。周囲が静まり返りすぎているせいが、ただ座っているだけでも心が落ち着かない。

 俺は立ち上がり、外の空気を吸おうと入り口へと向かった。

 扉まであと数歩というところで、もう一つの影がちょうど大門をまたいで入ってきた。

 最初に俺の視界へ飛び込んできたのは、巫女装束の鮮やかな赤い緋袴だった。そこから視線を上へと這わせていくと、新調されたメイクを施した澪と、真正面から視線が交差した。

 いつもの日常とは違う、ひどく厳かな正装としての化粧のせいだろう。今の澪はあの日の彼女とも違っていた。「可愛い」上で、思わず息を呑むほどに「綺麗」。

 まるで、その瞳に魂ごと吸い寄せられてしまいそうだった。

 俺が言葉を失っているのを見て、澪はふっと微笑んだ。

「踊ってあげようか?」

「――」

「巡、私の踊り、見たい?」

「うん、見たい……」

 無意識のうちに本音が漏れ、俺は慌てて口元を押さえた。

 澪は俺の手首を掴み、外へと連れ出した。彼女の後ろ姿は、あの日と同じように俺の進むべき方向を指し示しているようだった。今はもう、俺の視界ははっきりとクリアだというのに。

 目的地は、俺たちが出会ったあの草地、あの花畑。

 朧げな月光が降り注ぐ中、澪は月下の花畑に立ち、そっと星空を見上げていた。

 ――今こそシャッターを切るべき瞬間だ。俺の心がそう言った。

 けれど、俺の身体は微動だにしなかった。この絶景を、わずか一秒たりとも見逃したくないと、心が叫んでいたからだ。

 まるで自然が彼女に応呼するかのように、一陣のそよ風が吹き抜け、花海がさざ波のように揺れる。と同時に、澪が舞い始めた。しなやかに翻るその舞姿は、俺の視界と意識のすべてを強奪していった。一分一秒が通り過ぎるたび、形のない風が俺の心臓を優しく撫でていくかのような錯覚に陥る。

 一体どれほどの時間が流れたのだろう。数秒、数分、あるいは数時間か。時間の感覚すらも、すっかり朧げになっていた。

 踊りが終わりを迎えてもなお、俺は最初と同じ場所で立ち尽くしたままだった。

「これで、カナちゃんの依頼はコンプリートできるかしら?」

「あ……え? あ、ああ! うん……ばっちり、だと思う」

「ならよかった。あー疲れた疲れた、休憩!」

 俺たちは、あの夜に俺が休んでいた石のベンチへと腰掛けた。俺の意識は、未だに先ほどまでそこにあった残像を追いかけている。

「『一飯の恩は返さないといけない』って? 今、私をアンタ一人のためだけに踊ってあげたから、これって一飯の恩くらいになれるかな?」

「一飯どころか……一生分の飯になる……」

「じゃあ、お願いするね?」

「前回みたいに、おかしい要求じゃなければね」

 澪は嬉しそうに足をパタパタと揺らし、俺は彼女がどんな無理難題を言ってくるかを身構えて待った。

「今回はね、すっごくすっごく簡単だよ。一つ聞くことだけ。しかも、答えは要らないわ」

「やっぱまたおかしい要求じゃん。どうぞ、聞かせてくれ」

 澪は立ち上がり、俺と正面から向き合った。そして、俺たちの視線がしっかりと結ばれたのを見届けてから、静かに言葉を紡ぎ出した。

「巡。アンタはこれから旅を続けるの?それとも――もうしばらく、ここに滞在する?」

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