第一章 遭難と声
「うう……!」
「もうすぐよ。この雪山を抜ければ、きっと辿り着ける……!」
メイアスは勇気付けるように声を上げる。後ろからは十人の隊員達が列を成して歩いている。
「この吹雪を越えれば……!」
吹雪の寒さを振り払うように前を見据えるメイアス。この雪山を越えれば、きっと国を救う手掛かりが見つけられる……。
『グルルオオオオオッーーッ!!』
「っ!」
その轟く鳴き声に、隊員達は表情を変える。先程から山中へと高らかに響く──。
獣の咆哮。
「や、やはり危険です、メイアス隊長!! 」
「駄目よ! 今引き返したら、大雪に飲まれるわ!」
隊員の言葉をすぐさま否定するメイアス。先程も地響きがあった。雪崩が頻繁に起きている。今引き返せしても、道は絶たれている。
しかし、そんな吹雪の中でも、あの獣達は動き回れる。
今も自分達を狙っている──。
「……っ!」
この土地には、噂が絶えない。魔の区域。
人が入ってはならない禁忌の場所──。
「兜獣が多いわね……。」
この山に入る前から感じていた。この地には兜獣が多い。こんな地にも獣が要るのは信じられないままだったが──。
「ガルル……」
突如、聞こえた呻き声を耳にして、全員がそちらを振り返る。
「兜獣……!」
普通の獣とは違う、大きく凶暴な獣。
鋭い爪と牙、光るような目はこちらを見据えている。茶色と白の縞模様の毛並み。
四足歩行でゆっくりとこちらを見据えながら近付いてくる。見るからに肉食で、獲物を狩るために成長したような風貌をしている。
人の倍以上はあろうかという体付き。太い手足は獲物と戦うための物であることが分かる。
狼とも熊とも似ている風貌。胸には刃傷のような十字模様がある。
この山に入る前にも戦った兜獣だ──。
「戦闘班!」
メイアスが指示を出すと、鎧を纏い、剣や盾を持った隊員達が前に出る。
しかし、全員が体力を消耗しており、足取りは覚束ない。この寒さで体の自由を奪われる。
『ガアアアアッッ!!』
兜獣が襲い掛かる。二足歩行になり、上体を起こして繰り出される爪に圧倒される。
「うわあああっ!」
素早い動きでこちらに襲い来る。人の倍はあろうかという巨体で襲い掛かり、辺りにいた隊員達を吹き飛ばす。
そして、一人の兵士が押し潰される。
「く!」
他の隊員達が兜獣を押し返そうと試みるが、まるで歯が立たなかった。
そのまま、兜獣は首元へと噛み付く。
「うああああっっ!!」
悲鳴を上げる兵士。他の隊員達も必死に助け出そうとするが──。
「くっ!」
剣を振るうも、兜獣の堅い皮膚を貫くことは出来なかった。
そのまま兵士の首が噛み千切られようとした時だった──。
『ゴガアアッ!?』
「っ──!」
突如一人の男が現れる。変わった刃を手にした男は、そのまま兜獣を押しのける。
「あなたは……!?」
その姿に驚くメイアス。こんな所に人が居るとは思いもしなかった。
「ここは危険だ。早く逃げろ」
そう指示を出す男。しかし、逃げろと言われてもどこへ逃げれば良いのか分からない。
「隊員達に余力が無いわ! あなたはこの土地に詳しいのなら、どこへ行けば良いのか教えて頂戴!」
「わかった……。下がっていろ」
男は短く指示を出すと、武器を構える。
変わった武器で、太く枝分かれする角を盾の代わりにしている。
そして、もう片方に紋章が描かれた銀の剣を手にしている。
「………。」
男は剣を構えると、そのまま兜獣へと立ち向かった。兜獣は唸り声を上げて応戦するが、真正面から男は突っ込んだ。
「っ!」
メイアスは、その無謀とも取れる男の行動を止めようとするが、すぐさま様子が変わることに気付く。
あの重かった兜獣が角のような武器に持ち上げられる。
男は勢いを利用して、兜獣の体を下から持ち上げ、反転させていた。
人の倍はあろうかと思われる巨体が裏返る。
「その角……」
男が今度は盾のように構えている角を注視するメイアス。あれは兜獣の角だ。
「ガアアっ! ガアアアアッ!」
叫び声を上げると、兜獣はそのまま去って行く。追い払った男はすぐにこちらに向き直った。
「ありがとう……。助かったわ」
礼を述べるメイアスだが、男は無表情のまま詰問する。
「なぜこの地へ来た。ここは人の立ち入る場所では無い」
「こんな状況下に説教みたいな台詞はやめて。仲間の怪我が酷いの。休ませないといけないわ。とにかく安全な場所を知っているなら教えて頂戴」
酷い怪我と凍傷の隊員もおり、すぐにでも手当をするためにメイアスは男に呼び掛ける。
「………。」
男は無表情のままこちらを見据えると、すぐに背を向けて歩き出した。
「……案内する。こっちだ」
ゆっくりと歩き出す男に、メイアスや他の隊員達も顔を見合わせて付いていくように歩き出した。
何者かは分からないが、この地に詳しい人間に会えるだけでも十分に驚愕な出来事だった。
「………。」
この地で生きている人間に出会えるなど──。
厚い毛皮の巻かれたマントを纏い、男は歩いている。しばらく歩くと、雪の積もった斜面の途中に出来ている洞窟へと辿り着いた。
メイアスと隊員達は、驚きながらもその洞窟の中へと足を踏みれていた。
人が住める環境が整っており、至る箇所が手入れされている。
「ここが、貴方の住処……?」
「そうだ。外は危険だ。寒さを凌ぐ毛皮ならこれを使うんだ」
そう言って、男は木材で作られた棚のような所から動物の毛皮を持ってくる。
「これ、貴方が作ったの? どうしてこんなにも?」驚いて尋ねるメイアス。
「ここに迷い込む人間は時折来る。その時の為の予備だ」
「……色々と聞きたいことが山積みね……。でも、まずは貴方の名前を教えて」
「クシビだ」
短く答える男。マントを外して顔を見せると、黒髪の男性が顔を覗かせた。驚いた事に片方の瞳の色がまるで水晶のように蒼白い。見たこともない風貌に、メイアスは何処の国の者かと思い返す。
「あたしはメイアス。ルバルト王国の錬成士よ」
「ルバルト……。」
「知ってるの?」
メイアスは尋ねるが、クシビの表情はどこか複雑だ。
「ああ。おぼろげだが……。」
「何か事情がありそうだけど……まあいいわ。ありがとう、助かったわ。でも今は仲間の手当をさせて。何か薬は無い?」
その言葉に、クシビが応じる。
「寝床なら毛皮をベッドの代わりにするんだ。薬なら少しだがその棚にある」
一つの棚を指すクシビに、メイアスは驚いていた。怪我人に対しても十分な措置が出来るこんな場所を作っている。
「う……」
「大丈夫よ。しっかりして」
メイアスや、他の隊員達が負傷した兵士の手当を施していく。
しばらくして隊員達の様子も落ち着き、手当も一通り施すと、息を吐いた。全員の命は無事だった。
「これで一通り済んだわね……」
「………。」
メイアスが手当てをしている間も、その様子をクシビは遠目に見ている。
緊張の糸が切れたようにメイアスは息を吐いて腰を下ろすと、そのままクシビに向き直る。
「……ありがとう。改めて礼を言うわ」
「礼はいい。それより、吹雪が止んだらこの山を下りるんだ。ここは人の入る場所じゃ無い」
有無を言わさぬ勢いでそれだけを告げるクシビに、メイアスは反発した。
「それは出来ない。私達にはやらなきゃいけないことがあるの」
「何をする気だ」クシビが聞き返す。
「大事な使命なの。国の存亡が関わってる……。ここに疫病に効く薬草があると言われてきたの」
「薬草……?」
「そう。流行り病に効く薬草……。この山に咲く淡紅色の綺麗な花なの。貴方は何か知らない?」
メイアスが真剣に訴えるも、クシビは首を横に振るだけだった。
「淡紅色の花……そんな薬草は聞いた事な無い。こんな極寒の雪山に、そんな花は咲かない」
「……私もここに来るまで一通り辺りを見渡してみたけど、そんな花は見当たらなかったわ……」
頭を俯かせるメイアス。失意の念が胸に沸く。古い言い伝えで、僅かな希望に縋る思いでこの地に来たのだが……。
「でも私は諦めないわ……! まだ見ていない箇所があるんだから……! それに、まだその地の薬草のサンプルを持ち帰れば、疫病に効果のある薬草が作れるかもしれない……!」
「それは駄目だ。ここに深入りすれば、危険な目に会う」
「それは十分に知ってるわよ……。ここに入った時からね……」
苦悶の表情を浮かべるメイアス。痛いほど痛感した。この地は言いわれていた通り、普通の人が入れるような場所じゃない。
「それに、この地では花は咲かない。この"零氷の大地"に、花が咲くことはない」
クシビは無慈悲に言い切る。
この地は陽光が差すことはなく、昼間ですら薄暗い雲が覆う。そして、すべてを凍らせる吹雪が吹き続ける。そんな大地に、花は咲くことは無い。
何も無い大地──"零氷の大地"。
そうクシビが断言するが、メイアスはその事実を受け入れなかった。受け入れる事はできなかった──。
「そうかもしれない。でも……僅かでも可能性に賭けるしか無いの……。私達は……!」
「……少し冷静になってくれ。今の君は正気を失っている。この地で冷静さを失えば、死しか道は無い」
そのクシビの冷徹な言葉に、他の隊員達は息を呑んだ。
こんな過酷な環境では、冷静さや平常さを保っていられる方が不思議なのだ。
この山に入ってしばらしくした後、響き渡る遠吠えを聞いただけで隊員は平常さを失うようになった。兜獣の恐怖が脳裏に焼き付いて離れなくなる。
そして、その隊員は今、怪我をして寝込んでいる……。
「この地に迷い込んで正気を失った者達を多く見てきた。君も落ち着いてくれ。隊長が正気を失えば、部下の全員が危機に晒される」クシビの言葉は冷淡だった。冷淡でありながらも……ハッキリとしていた。
「私は正気よ! 無謀と思えるかもしれないけど……私達は進むしかないの。お願い、貴方も力を貸して」
「……。」
そのままメイアスの表情を見据えるクシビ。苦い目を向けるが、メイアスを説得させることは出来なかった。
──……。
クシビは、その目に見覚えがあった。これでは、言葉は通じない……。
言葉が通じないとなれば……。
「お願い。なにか手掛かりが見つかるまでここで過ごさせて。悪いようにはしないから」
「……。」
黙ったままクシビは洞窟の外へ向けて歩き出す。
「どこへ行くの?」
「食料を調達してくる。この人数では貯蔵分では足りない」
「私も行くわ!」
そう言って、飛び出すメイアスに、クシビはまたもや表情を歪める。
「……さっき見ただろう。ここは兜獣の住処だ」
「知っているわよ。でも私をあまり甘く見ないで。これでも国家を担う錬成士よ。この土地を知るためにも、貴方に道案内をして貰いたいの。貴方はこの土地に詳しいんでしょう?」
「………。」
クシビは、ただじっとメイアスを見据える。
メイアスは、その目で自分が探られているような落ち着かない気分になる──。
向けられたその目は、今までに経験の無いほど冷たい目線だった。
まるで人ではない別の何かのような瞳──そして、人では無い別の物を見ているような目……。
それでも、メイアスは強引に言い出る。
「仲間の食料を確保するのも指揮官としての私の役目なの。お願いだから手伝わせて」
「わかった……」
短く頷くと、クシビは歩き出す。その後を追って、メイアスは準備を整えて歩き出した。
洞窟を抜けて、その白銀の世界へと赴く。
「……まずは、できるだけ安全な場所へ行く。深場の森へ入るのは危険だ」
「ええ。いいわ」
そう返事をして答えるメイアス。洞窟から離れ、ゆっくりと山の斜面を下っていく。
【節】希望
その目は知っている。
冷静さを失った……。
熱く燃え上がる、その胸に秘めた思いが寒さを払い除ける。
その灯火だけが道標になる。他には何も見えなくなる。
例え何も見えなくても、前だけを見ている。
足元に何が有るのかも分からないまま。
熱き想いを抱いた瞳──。
冷静さを失ったまま、その灯りしか見えなくなっていく。
冷めぬ希望を見続けたまま……。




