第一話 熾す(おこす)
凍り付き今にも倒れそうな家屋。凍てついた大地。空は凛凍としており、温もりは一切無い。家の中でも吐く息は白く凍りつく。
アレクスの母は体調を崩し伏せがちになってしまい、幾重にも毛布を被り震えている。
10歳になるアレクスは、学校で早々に劣等生の烙印を押されてしまった。特定の言葉を紡ぐことによってその事象が発現するのだが、彼は早くしゃべるのが非常に苦手なのである。
魔法の授業で、彼が一言「こ、凍れ……。」という間に、周りの子供たちは「凍れ凍れ凍れ!」と連呼し大量の氷を作り出している。いつもそうだ。言葉の意味を考えてしまい、口が重くなる。そうして彼が劣等生の烙印を押されるまでには、そうかからなかった。
アレクスはマイペースで一人の時間を好み、よく一人で村の外れまで散歩に出かけていた。今日は村の南側に見える海を臨みに来た。
崖の近くまで来ると、何やら祠のようなものが見えた。近寄ってみると、村の大人たちが誰も空けられないという祠だとわかった。村ではこの祠を神聖視し大切にしていたので、アレクスも村でよくこの祠の話題を耳にしていたのである。
祠にはどうやら継ぎ目があるのだが、何をしても何を言っても開かないらしいのである。
彼が祠の前に立つと、そのあたりだけ不思議な空気が流れているのを感じ、村の大人たちがなぜこの祠を神聖視しているのか察せられた。そして一言、まるで言葉に命があり動き出したかのように呟いた。
「開け。」
すると、その祠の前面の戸が下り、中には厚い本が一冊入っていた。
アレクスは本が大好きで、家や学校の本を、時間を見つけては読み漁っていた。そんな彼が本を見つけ、興奮しないわけがなかった。
「わぁ!本だ!」
彼は祠が開いたこと、中に本が入っていたことに驚くことも忘れ、大喜びでそれを手に取り、開いてみた。中はどうやら辞書のようである。言葉の意味や成り立ちが説明されており、中には図解されているものまであった。
中でも彼を一番驚いたのは、今まで読んできたどの本にも出てこなかった言葉が載っていることであった。
彼は日暮れ時まで辞書を読むのに夢中になってしまった。
気づけば、海に沈む夕日が辺りを赤く染め始めていた。
「もうこんな時間!早く帰らなきゃ!」
あたりが暗くなるまでに帰るのがこの村に住む子供たちの掟である。
あたりの暗い森には魔獣が住み着いている。この村には守衛が少数おり村の周りを巡回しているものの、暗くなってしまっては住民が魔獣に襲われていても見えないからだ。
日が落ちる前に家へと着いたアレクスは一安心で戸を開けると、そこには地面に伏している母の姿があった。
「お母さん大丈夫⁉」
アレクスが慌てて駆け寄る。母はついに寒さに負け、自力ではベッドに戻れなくなってしまっていた。
必死になってベッドへ連れて行ったが、それでも体の震えが止まらない。震える手で何度も母の背中を擦るが、冷たさは増すばかりだ。
(どうしよう⁉)
頭の中が真っ白になる中、先ほど見たイメージが頭に浮かんだ。
「炎…触れたものを糧として喰らい、形を崩すことで、熱と光を放つもの」
そしてその言葉には図解があり、何やら赤いぐにゃぐにゃの中に小さく黄色いぐにゃぐにゃもあり、上に伸びているような絵だった。隣には青いものもある。
この赤の鮮やかさが浮かんだのである。
掌を上に向け
「炎」
とつぶやいた。
瞬間、鮮やかな「赤」が咲いた。周囲の凍てついた空気を押しのけ、あっという間に明るさと温もりが部屋中を満たしていく。
今までに見たことのない温かさと激しさが目の前に現れた。
「暖かい……。アレクス、ありがとう……。」
母はなんとか一命をとりとめた。この村に初めて「炎」がもたらされた瞬間だった。
――それから五年後。村では「炎」の存在は秘匿されていた。
明るさと温かさを手に入れ、炎の魔法も学校で教わるようになった。
しかし、それまでなぜ誰も炎の存在を知らなかったのか、なぜほかの辞書には無く祠から出てきた辞書にだけ炎が載っていたのかという、当然の疑問からだ。
そこで、屋外では炎の魔法は使わないこと、屋内で使う場合も窓を布で覆うなどして、外から見えないようにすることが厳命された。学校の授業でも、炎魔法の時だけは地下室など外部からの目が届かない場所で行うこととなった。
祠で辞書を見つけた日から、その祠に一日の出来事を話すのがアレクスの日課となっていた。
肩にかけた鞄から辞書が顔を出している。この日も祠の前で一日の出来事を話していた。
話を終えて帰ろうと立ち上がった時、村から少し離れた森で何やら争う物音がした。
「なんだ!魔獣が出たのか⁉」
アレクスは音のする方へ駆け出した。
たどり着くと、村の守衛が一人で狼のような魔獣と戦っていた。
守衛は氷魔法で応戦するものの、熱い毛皮に遮られ、魔獣に大したダメージを与えられずにいる。明らかに守衛が押されていた。
魔獣が飛び掛かり、魔獣の巨大な影が守衛を覆い隠す。鋭い爪が守衛の肩口を裂き、鮮血が白い雪に散った。魔獣の喉の奥から漏れる低い唸り声と、血の臭い。守衛の顔が痛みに歪む――。
このままでは危ない!そう思うと咄嗟に叫んだ。
「光と熱を放て!炎!」
アレクスが魔獣の背後から炎魔法を浴びせた。
炎が直撃した魔獣は瞬く間に燃え上がり、そのまま倒れた。
「アレクス!助かったぞ。お前が来てくれなければ俺もやられていた。」
アレクスの存在に気付いた守衛が駆け寄ってきた。
「そうか、魔獣には炎が効果的なものがいるのか。しかし炎は村では厳禁だしな。村長に相談してみなければ。」
アレクスは守衛とともに村に帰っていった。
その光景を深い木の陰から見ていた、長いローブを羽織りフードを目深に被った人影があった。
すっかり日も暮れてしまったが、村まで帰ってきた二人。
「お母さん、心配してないかな。」
と道中不安だったアレクスだが、その不安も村に到着してすぐにかき消されることとなった。
先ほど倒した魔獣の三倍はあろうかという体躯の狼型の魔獣と、その後ろには長いローブを羽織りフードを目深に被った人物が立っていた。守衛が三人がかりで対峙している。
魔獣の姿を見たアレクスと守衛は
「氷の魔獣⁉」
と驚愕した。
その魔獣は全身氷のようで、まるで生きているもののように見えなかったのだ。 全身透き通るかのようで、遠めに見ていても冷気を感じるようだった。
こんな魔獣は今までに見たことがない!
「氷矢!」「氷槍!」
守衛たちが次々に魔法を放つも、魔獣にはかすり傷1つつかない。
アレクスともに帰ってきた守衛もすぐさま加勢し、
「あの手の魔獣には炎が効く!全員で炎を浴びせるんだ!」
と叫ぶ。
守衛たちは四方から
「炎!」
と叫び、魔獣に炎がぶつかる。
しかし、ジューという音と共に、守衛の炎が虚しく掻き消える。四人がかりでも、魔獣の氷は傷ひとつ溶けない。
(おかしい。さっき僕が狼に放った炎は、もっと……)
アレクスの脳裏に、辞書の記述が閃光のように蘇る。
炎の本当の姿は――
アレクスの思考はみるみる深みにはまっていき、周りの喧騒も海の底に深く潜り込んでいくかのように聞こえなくなっていく。
「そうか!そうかもしれない!」
アレクスは直感を信じて駆けて行き、そして唱えた。
もう周りの音は聞こえなくなっていた。
「触れたものを糧として喰らい、赤き熱と光を放ち空高く燃え上がれ!炎!」
唱えた直後、魔獣からあまりにも熱く眩しい巨大な赤い柱が立った。
巨大な炎に囲まれた魔獣は声を上げることもなく、みるみる小さくなり、最後には姿を消してしまった。
「溶けたのか⁉」守衛が驚愕する。
巨大な盾をなくしたローブの男はたちまち守衛たちに取り押さえられた。
男は集まる村民をぐるりと見まわした。そして、アレクスの持つ辞書に目が留まるとニヤリと笑い、
「お前か。見つけたぞ。」
と呟いた。
直後、自らの舌を噛み切った。
――その日は村総出で夜通し会議が行われた。
炎魔法が有効な魔獣がいると分かったこと。それがわかるや否や、村の命が狙われたこと。そして、なぜかアレクスの炎魔法だけが特別な威力を持っていること。
アレクスの魔法については見当が付いていた。正確に、そして具体的に言葉を紡ぐことで、より事象が明確化するのではないか。
村で検証が行われたが、その通りだった。特に、アレクスの辞書の通りに詠唱すると威力が格段に上がった。
かつて劣等生の烙印を押された少年を蔑む目は、もはやどこにもなかった。魔法の真理を見つけ、村を救ったのである。
それから、炎魔法を外で使ったその日の内に何者かに襲われ、その犯人も捕らえられるや否や自害してしまったことを考えると、やはり炎の存在は異質に感じられた。
村中に緊張が走る。
まるで、何者かが世界から言葉を奪ってしまったかのようだ。
そして、そのカギはやはり、アレクスが祠から見つけた辞書にある。
アレクスは決意した。
「僕、村を出ていくよ。」
「お前は村の英雄だ。お前が出ていくことはない。」
皆から感謝される中、アレクスは
「ううん。僕がいると、きっとまたローブの奴らが来る。僕がこの村に火を持ってきたんだから……。」
とうつむき加減に答える。
それから顔を上げ
「それに、この辞書が教えてくれたんだ。僕の知らない言葉が、世界にはまだまだ沢山あるって。そんな言葉と出会いたいんだ!」
と笑顔を見せた。
アレクスにはもう自分の好奇心を抑えることはできなかった。
こうして、小さな英雄は旅に出た。
初めまして。知外4Kenと申します。この度は「ことしる」を手に取っていただき、本当にありがとうございます。
この作品は全5話(計7回の更新)で完結いたします。大変読みやすい文量かと思いますので、最後までお付き合いいただけますと幸いです。
皆様の「ことしる」に対する忌憚のない意見をお待ちしております。何卒よろしくお願いいたします。




