第55話「改めて自己紹介を」
シャルルの言葉に、グレアはようやく決心がつく。
本当に自分にとって大事なものが何であるかを考え直してみて、頭に浮かんだのは、なにより失いたくない親友の笑顔。隣に立ってくれる最良のパートナー。彼女を失ってまで、いったい自分が得られるものはどれほど価値があるんだ、と。
「そうですね。でも、だとしたら私は一年をどう過ごせば……」
「うーん。別に、好きなことしていいんじゃない? それから、」
ぽん、とシャルルが手を叩く。
「最後に帝都に行ってみようよ。君が旅立った日に!」
────それから、過ごす時間は穏やかだった。一年という期間は限りなく無駄に近いようで充実していて、そのあいだ、何度もマリオンの笑顔が恋しくなって、夜にはときどき泣きそうになった。
テルフィの絵が完成したのは、帝都へ向かう少し前だ。彼は大喜びで、完成品を見て「やっと納得のいく作品が出来た」としきりに頷き、グレアに感謝を伝え続けた。これ以上の作品を描くのは、この先ないかもしれない、そう言って。
帝都に向けて出発した朝、駅には彼女たちを見送るためにテルフィとバンダムがやってきた。軽い握手を交わして「寂しくなる」と言われて、彼女はにこやかに「またすぐ会えますよ。会うべき私に」と答えた。なんとなく言葉を理解したのは、彼らがやはり魔女と繋がりを持っているからだろう。
「再会を心待ちにしているよ、グレア。僕の絵のモデルになってくれてありがとう、また頼みたいくらいだが……次は断られるかな?」
「まさか。絶対に受けますよ、お世話になりましたから」
列車がやってくる。シャルルが鞄を手に「来たよ、行こう!」とグレアの肩を叩く。「それじゃあ」と見送りの二人に小さくお辞儀をした。──すぐにまた会いに来なければ。次はマリオンを連れて。そんなことを思いながら。
「いやあ、ローズ以外の人と二人で列車に乗るの初めてだなあ」
「そうなんですか? 百年以上も生きてて?」
「うん、意外にも。ちょっと長旅になるけど楽しもうね!」
席に座って、のんびり揺れる列車の旅を楽しむ。流れる景色をマリオンと眺めたのを思い出し、不思議な気分になった。まさに自分がおとぎ話の主役にでもなったふうで、この数奇な出来事も、あと少しで終わりなんだと実感する。
「なーに思い出してるの、お友達のこと?」
「うーん。それもあるんですけどね」
今は手もとにない本の手触りを思い出すように指を動かす。
「私が読んでたおとぎ話の本……魔女と、その弟子の物語があって、苦難を乗り越えながら成長していく主人公たちに憧れて、私もいつか世界を旅してまわりたいと思ったんです。愛読書だったんだけど、持って来てなくて」
シャルルがきょとんとして、それから──。
「……はは。読んでるんだ、あれ」
顔を赤くして俯き、にやにやしながら頭を掻く。彼女の予想外な反応に、グレアはしばらく呆けた顔でじっと見つめてから「え?」と無意識にこぼす。
「じ、実はそれ、書いたのボクなんだ。違う名義で……」
「あ。えっ、うそ、あれっ。つまりそういうことですか?」
動揺して意味の分からない質問になってしまい、グレアが両手で顔を覆った。何を言っているんだ私は、と深いため息が出そうになるのを堪える。シャルルはくすっと笑って「そうだよ、ボクが作者なんだ」と今度は胸を張って答えた。
かつて魔女に出会った頃を思いながら、のんびり執筆をして旅を続け、何がどういうわけかよく分からないまま世に出てしまった、と彼女は灯りをいきなり消したようにがっくりとした。そんなに有名になるとは思っていなかったのだ。
「せっかくなら出版してみたらどうだなんてローズが言うから、面白そうなんて乗っかったら、『魔女も認めた』なんて宣伝文句で売り出して……ローズも『そこまでしろなんて言ってないだろ』って怒ってくれたんだけど、本人はちょっと面白がってるところもあって、しばらく笑いの種にされたんだよね」
その宣伝文句を聞いてグレアも買ったのだから、苦笑いするしかない。二人がどんなやり取りをしたのか想像して、内心で面白く思ってしまったとは口が裂けても言えないだろう。邪念を振り払って、彼女はひとつ質問を投げる。
「そういえば、著者の名前はシャルロット・フロランスですが……由来ってあるんですか、このペンネーム?」
「あぁ、それね。君になら多分話して良いと思うんだけど」
うーん、と少し考えてから彼女は胸に手を当てる。
「改めて自己紹介するね。ボクの本当の名前はシャルロット・フロランス・ド・ヴェルディブルグ。ずっと昔は、これでもお姫様をやってたんだ」




