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猫にまたたび6

 


 上ばかり眺めていたからか、首が疲れてしまった。

 頭上で響く悲鳴に肩をすくめる。宙を走るジェットコースターは瞬く間に過ぎ去っていった。



「多分こっちで合ってると思うんだけどなー。てかやっぱり羊を一人で行かせなくて正解だよ、暗くて余計に分かりづらいし」



 カナちゃんが言いつつマップを睨む。

 入れ物が可愛いから、と屋台でポップコーンを買ったあかりちゃんは、食べ切れないと踏んだのか、さっきから朱南ちゃんと二人で消化作業に徹していた。


 修学旅行三日目の今日は大阪にやって来た。市内のテーマパークを朝から回っている。

 夕方からホテルに戻るまでの時間はカップルで過ごすのが恒例、とみんなに口酸っぱく言われ、津山くんたちの班と合流しようということになった。



「あ、いたいた。おーい、津山ー!」



 ぶんぶんと手を振る朱南ちゃんの声に、鮮やかな黄色のパーカーを羽織った津山くんが振り返る。キャラクターが大きくプリントされた派手なデザイン。しっかり楽しんでるなあ、と頬が緩んだ。



「おー、何食ってんの? ポップコーン?」


「ちょうど良かった。男子ども、お腹空いたろ? 食いたまえ」


「いや俺らもさっきキャラメル味食って飽き飽きしてんのよ」



 これ幸い、と差し出すあかりちゃんに、津山くんが苦笑交じりで断りを入れる。


 そんな様子を傍観していると、制服の袖を引っ張られた。視線を後ろ上方に向ける。

 ……あ、



「玄くん、可愛いの着てるねえ」



 彼が着ているのは、津山くんと色違いのパーカーだった。比較的落ち着いた色の服を身に纏っていることが多いから、真っ青でポップなキャラクターものを着ているのはかなり新鮮だ。



「……岬に無理やり買わされた」


「ふふ、似合ってるよ」



 いじけたように口を尖らせる彼が幼い。

 くすくす肩を揺らしていると、ほっぺを軽くつままれた。



「こーら。そんな顔で笑わないの」


「えっ」


「羊ちゃんの可愛い顔見るのは、俺だけでいい」



 不意打ちの攻撃に、なすすべもなく赤面してしまう。

 玄くんは固まる私の手を取ると、いつものように――ではなく、しっかり指を絡めてきた。



「えっ⁉ 玄くん、あの、手……!」


「ん?」



 ん? じゃなくて! これ、恋人繋ぎってやつなのでは……!

 今まで何度も手は繋いだけれど、こんなにちゃんと握ったのは初めてというか。



「ああ……結構人多いしね。はぐれたら困るから」



 さらりと言ってのけた彼に、それもそうかと納得する。



「そうだね……私も玄くんのこと離さないように、ちゃんと握っておくね」



 僅かに指先に力を込めて、彼の手を握り返した。

 見上げると、パーカーの色と対比するように、じんわり赤くなった耳が目に入る。


 ――私これ、知ってる。彼が照れている時の証拠だ。


 自分のセリフを脳内で反芻し、遅れて羞恥心が襲ってきた。



「あ、えと、ごめんね! 変な意味で言ったわけじゃなくて、」


「うん。離さないで、絶対」


「あの、玄くん」


「でも俺が離れることなんて死んでもないから、大丈夫だよ。前も約束したよね?」



 顔が近い。彼の瞳はどこか空虚で、私を飲み込むように迫ってくる。

 いつの間にかくっついていた手は離れていて、その代わりとでも言うように、彼の指が私の薬指をなぞった。



「はーい。そんじゃあ俺らは俺らで回ってくるわ、後でな」



 津山くんの明るい声掛けで我に返る。

 慌てて頷き、またみんなの前で色々と恥ずかしいことをしてしまったな……と内心頭を抱えた。







 本格的に辺りが暗くなってきた。

 建物の電灯がカラフルに光り、幻想的な世界が広がる。



「羊ちゃん、どこ行きたい?」


「ええと……端っこのエリアがね、昼間の間に回り切れなくて」


「じゃあそこ行こうか」



 なんとはなしに交わした会話。

 また私の意見を優先させてしまっている、と気が付いて、急いで質問した。



「あ、えっと、玄くんの行きたいところは?」


「俺はもう大体見たから」


「じゃあ……食べたいものとか、買いたいものとか……」


「ないよ。大丈夫」



 そっか、と返して顔を伏せる。

 全部津山くんたちと回ったんだ。そのパーカーも、美味しいものも、全部。


 ねえ玄くん、その時どんなこと考えてた? どんなこと話したの?

 はしゃいだり叫んだりしたのかな。優しく笑うだけじゃなくて、驚いたり焦ったり、そんな顔を津山くんたちは見たのかな。


 私も、見たかったな。



「わっ⁉」



 物思いに耽っていると、突然肩を抱き寄せられた。荒々しい動作に驚く。

 隣の彼を見上げた途端、その冷たい視線に背筋が凍りついた。



「――触んな」



 端的に告げた彼の声は重々しい。どうやら私の背後へ向けられたもののようだった。

 一体誰と話しているのか、と振り返った瞬間。



「ひぇ……⁉」



 ふらふらとした足取りでこちらへ近寄ってくる、顔中血だらけの男の人。

 そういえば、この時期は夜になるとゾンビを装った人たちが出てくると言っていた。ハロウィンイベントだ。


 特殊メイクにしたって、すごいクオリティだなあ……。



「玄くん、ありがとう、大丈夫だよ! 私ホラー系平気だから……!」



 そうだよね。大体女の子はみんな怖がるよね。

 流石にびっくりはしたけれど、実はお化け屋敷も一人で入れるくらいには耐性があるから何ともない。


 こういう人たちって、基本的に脅かすだけで直接触ってくることはないから、そんなに警戒しなくても大丈夫なんだけれど。彼の気遣いはありがたい。



「散れよ。邪魔」



 周りにも数名いたらしく、玄くんが吐き捨てた。

 彼の舌打ちが聞こえた瞬間、私だけでなくゾンビの方々も一瞬動きが止まったような気がする。


 ええ、怖い……玄くん、ゾンビより怖い……。



「羊ちゃん、大丈夫? ここ抜ければすぐだから」


「あ、うん……ありがとう……」



 表情筋がうまく機能しないのは、ゾンビのせいということにしておいた。







「思ったより空いてるね」


「ね、すぐ乗れそう」



 少し歩いてやって来たのは、水上ボートでコースを一周するアトラクションだ。

 玄くんもこれには乗っていないと聞いて、それなら二人で、と列に並ぶことにした。



「あ、これ途中で水飛んでくるやつだって。大丈夫そう?」


「うん、大丈夫。昼間のショーでもちょっと水被っちゃったし」



 若干スカートが湿ったけれど、他を回っているうちに乾いたし問題ない。

 レインコートをすぐ側で販売しているのはさっき見かけた。こういうところで買うと結構高いんだよなあ、と経済的な面で分析してしまう。



「次の方、こちらへどうぞ! 足元お気を付け下さい」



 係員の人の指示に倣って、玄くんと隣の席に乗り込む。夜の川面は雰囲気があってやはり不気味だった。



「安全バーは下ろしましたか? それでは~出発進行~!」



 ざざ、と乗客を乗せた巨体が動き出す。

 コースの両脇に設置されたリアルな恐竜の造物に見入っていると、ボートは洞窟の中に侵入していった。



「結構暗いね……!」


「ね。羊ちゃん暗いの苦手?」


「暗いところっていうか、閉所恐怖症です……」



 恐竜の鳴き声が鼓膜を震わせる。

 それに気を取られていると、突然ボートが下りだした。体が風を切っていくのが分かる。



「うわっ」



 下っていく途中、洞窟を抜けた瞬間に、盛大に水しぶきがあがった。頭から思い切り被ってしまって、想像以上の威力に目を瞬く。



「あははっ、すっごいびしょびしょ! こんな濡れるんだね」



 テーマパークって感じがする!

 玄くんも少しは慌てたり焦ったりしただろうか、と期待を込めて隣に笑いかけた。


 しかし彼の表情は、何とも意外なもので。

 ただ私を凝視して、それも目を見開いて固まっていた。



「玄くん? どうし――」


「おかえりなさ~い、お疲れ様でした~!」



 コースの終わりを告げられて、前に向き直る。

 乗り込んだ時と同様、段差に気を付けながらボートを降りた時だった。


 後ろから何かに包まれるような感覚がして、視界に青色が飛び込んでくる。



「……羊ちゃん、これ着て」



 小さく促された。

 半ば強引に玄くんの着ていたパーカーを羽織らされ、チャックを上まで閉められる。



「行こ」


「えっ、」



 足早に進んでいく彼に連れられるがまま、アトラクションを離れた。


 しばらく歩いた後、道の端で歩を緩めた玄くんが頭を振る。彼の髪から水が滴って、地面に落ちた。



「あ、玄くん、やっぱりこれ着た方がいいよ! すごい濡れてるし風邪引いちゃう……」



 夜になるとかなり気温が下がってくるし、ワイシャツ一枚の彼は寒そうだ。

 チャックを下ろそうとした私の手を掴んで、玄くんが首を振る。



「いいから着てて。羊ちゃんこそ風邪引くよ」



 またそうやって。自分よりも私のことばっかりだ。


 嬉しいよ。大切にしてくれるのは、大事にしてくれるのは嬉しい。でも私だって玄くんのこと、大事にしたいんだよ。


 我儘を言って欲しい。駄々をこねて欲しい。それは嫌だ、これは嫌いって、ちゃんとぶつけて欲しい。


 一人で溜め込んで我慢して、いつか私は全て彼に背負わせてしまうんじゃないか。いや、もう背負わせているんじゃないかって、不安になる。


 そうやって綺麗に守られるのは、すごく寂しいよ。



「私は風邪引いたことないから、大丈夫……!」


「羊ちゃん――」



 勢い良くチャックを下ろす。

 と、玄くんが弾かれたように腕を伸ばしてきて、そのまま自分の体に押し付けるように私を抱き寄せた。



「だめ。お願いだから着てて」



 そう言って頑なに譲らない彼に、私はやけになって言い返す。



「何で? 私大丈夫だよ。ほんとに体丈夫だから」


「何でも。お願い、言うこと聞いて」


「雪の中遊んでても、お腹出して寝てても全然平気だったよ! 玄くんの方が繊細でしょ、体育でふらふらしてることあるよね?」


「い、今それ関係ないって……」



 玄くんがたじろいだような気配がした。

 いま自分が冷静さを欠いている自覚はある。普段より少し攻撃的な口調になってしまった。


 でも。やっぱり、貰ってばかりは嫌だ。



「私、お姫様扱いしてもらう程か弱くない!」



 ぐ、と彼の体を押す。


 難しいことなんて分からないけれど、きっとこれは私の我儘なんだけれど。

 私一人が嬉しいのは嫌だ。玄くんも笑ってくれないと嫌だ。付き合っているんだから、玄くんだけが頑張るんじゃなくて、二人でつくっていきたいの。


 物凄く怒っているってわけではない。ちょっとだけ、むかむかしている。

 どうして分かってくれないのって、子供みたいに泣いて請いたい気持ちもある。



「羊ちゃん……」



 酷く気落ちしたような声色が降ってきて、意図せず体が強ばった。



「ごめん」



 違うの。ごめん、は私の方だ。

 謝らせたいんじゃない。これじゃ結局私がただ喚いて迷惑をかけただけ。


 彼の顔を見たくない。傷つけただろうか。もしそうだったら私は、自分で言い出した癖に泣きたくなってしまう。



「ごめん、その、」



 玄くんの腕が気遣わしげに私の背中を引き寄せた。それでも離れるのは譲りたくないらしく、体を密着させると。



「…………透けてる、から。ごめん。着てて」



 消え入りそうな声量でそう告げ、彼は黙り込む。



「あ、……えっ、と」



 透けてる。って、何が。いや、あれしかない。


 水を浴びた直後の彼の表情が思い出されて、そういうことかと腑に落ちる。



「ご、ごめん……私、あの……」


「いや……大丈夫」



 私の馬鹿――――!

 恥ずかしすぎる。情けなさすぎる。玄くんは気を遣って明言するのを避けてくれていたのに、それを私が言わせてしまった。


 身じろいだ私に、玄くんがゆっくり体を離す。今度こそしっかり上まで閉めて、「ありがとう」と俯いたまま彼にぎこちなく伝えた。



「……そろそろ、戻ろうか」



 うん、と返したつもりだったけれど、自分の声は掠れていて。


 隣を歩いているはずなのに、さっきまでよりもずっと遠くにいるような気がしてしまった。

 お互い視線は合わないまま。途中まで繋いでいた手はすっかり空いて冷たくなって、それがとても悲しかった。


 ああもう――本当に、情けない。一人で空回って叫んで、こんな顔をさせて。



「あ、戻ってきた。あれ〜、何で羊が狼谷くんのパーカー着てるの〜?」



 ホテルの前。帰ってきた私たちを見つけて、朱南ちゃんが揶揄い口調で近寄ってきた。


 それに当たり障りなく答えようとして、言葉が詰まる。

 私の様子に首を傾げた朱南ちゃんの瞳が揺れた。


 彼女の後ろには津山くんたちの姿がある。みんなの顔を見て安堵したのか、自分の中でがらがらと何かが崩落した。



「えっ、羊!? どうした……?」



 なぜだか分からないけれど、もう、だめだった。

 全然上手くいかない自分自身がやるせなくて、みっともなくて。

 一度溢れてしまうと止まらなくなって、私は隠すこともせずにその場でしゃくり上げる。



「……とりあえず中入ろう。ね?」



 朱南ちゃんが背中をさすってくれた。

 カナちゃんとあかりちゃんも戸惑ったように、それでいて刺激しないように、声を掛けてくれたのが分かった。


 怖くて隣は見れなかった。

 伝わってくる空気感だけで、一番大切な人を傷つけてしまったのを実感したから。

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