猫にまたたび4
暖色系のライトが目に優しい。
上映後の、少し慌ただしい空気が結構好きだ。非日常から日常へ戻る瞬間。お手軽に時空を超えた気分になれる。
「羊ちゃんがアクション映画好きなのはかなり意外だったなあ」
隣を歩きながらそう零した狼谷くんに、私は「そう?」と笑いかけた。
CGごりごりの海外映画も嫌いじゃない。自分の運動神経が良くない分、主人公が動き回っているのを見るとスカッとする。
恋愛映画も好きだけれど、男の子と観るのはちょっと照れくさい。男女で感性も違うから、その後に気まずくなりそうで。
映画館のフロアを降りたところで、CDショップを通り過ぎた。その瞬間、私は今の今まで忘れていた存在を思い出す。
――そうだ! 買うんだった!
狼谷くんといる時間が楽しくて、危うくこのまま帰ってしまうところだった。カナちゃんに本気の叱責を食らってしまう。
でも、今はデート中なわけで。個人的な買い物は一人の時の方がいいよね?
「羊ちゃん?」
歩幅が狭くなった私を、狼谷くんが振り返る。
「あ、ごめんね。何でもないよ」
ここで買ってしまった方が効率的ではあるけれど、帰る途中にも少し遠回りすればお店はあるし。
そうしよう、と内心結論付けて彼の背中を追いかけた。
「今日はありがとね。付き合ってくれて」
「え! いやいや、むしろ私が付き合ってもらったっていうか……」
ご飯も映画も、私の好きな物ばかりで。狼谷くんはこれで良かったんだろうか、と思考が流れそうになったところで、首を振った。
彼は今日一日ずっと楽しそうにしていたし、そこを疑うのは失礼だ。
駅までぽつぽつと会話を交わしながら歩いて、立ち止まる。
「じゃあ、えっと……また月曜日だね。ほんとに今日はありがとう、楽しかったよ」
狼谷くんを見上げて軽く手を挙げると、彼は「え」と私を見返した。
「いや、送ってくよ。もう暗くなってきたから危ないし」
「えっ!? あ、いやでも、狼谷くん反対側だよね……?」
「大丈夫だよ。羊ちゃんに何かある方が困るから」
気持ちは有難いし、私も狼谷くんともう少し一緒にいたい。
とはいえど、私には一つやり遂げなければならないことがあるわけで。
「えーと……この後ちょっと買い物して帰ろうかなと思って。申し訳ないから、本当に大丈夫だよ。ありがとう」
苦笑混じりに伝えると、狼谷くんは「じゃあ俺も付き合うよ」と言い放った。
その言葉に固まった私に、彼の視線が不思議そうに揺れる。
「……何かまずい感じだった?」
「あ、いや、」
別にやましくはない。
ただ何となく、オタクな自分を見られることに一抹の不安がよぎっただけで。
「じゃあ、えっと……お願いします」
ぎこちなく頭を下げてから、さっきまで自分たちがいた建物を指さした。
「あの、CDショップに行きたいんだけど……いいかな」
「ああ、うん。いいよ」
あれ、何だろう。やましいことはない、そのはずだったのに。
彼氏という存在の前で男性アイドルのものを買いに行くという行為が、何となく気が引けるような。
いや、ただ好きな物を買うだけだ。うん。
変な汗をかき始めたところで、目的の場所に辿り着いた。
それまで黙って隣にいた狼谷くんも、お店に入ってからはさりげなく距離を取ってくれて。本当に出来た人だな、と思った。
急ぎ足で会計まで済ませ、入口付近にいた彼に声を掛ける。
「狼谷くん、ごめんね。お待たせ」
目的を達成した充足感と安心感で、意図せず顔が緩んだ。
狼谷くんはそんな私を視界に入れると、控えめに問う。
「何のCD? って、聞いてもいい?」
「あ、……ええと、」
隠す必要もないか。いずれバレそうだ。
たったいま購入したばかりのそれを袋から出し、彼の前に掲げる。
「『sheep&sheep』っていうアイドルグループだよ。最近すごく人気でね、テレビも引っ張りだこ」
「ああ、聞いたことあるよ」
「ほんと? 特にこの唯斗くんがね、ダンスきれきれでかっこよくて。でも可愛い顔してるよね。ギャップ萌えっていうか、すごくいいなあって」
ここまで一息。酸素を取り込んでから、やってしまった、と頭を抱えたくなった。
私の畳み掛けるような口調に、狼谷くんは案の定黙り込む。
「あ、えっと……ごめんね、一方的に話しちゃって……」
特に興味のないことをつらつらと語られるのは退屈だろう。ましてやデートなのに。
そういう対象ではないといえども、彼氏の前で他の異性のことを熱弁するのはきっと良くない。
恐る恐る狼谷くんの顔を窺うと、彼は私の持っているCDを凝視していた。
「唯斗っていうのは、この人?」
存外穏やかな声色に、ほっと胸を撫で下ろす。
指をさして質問を投げてくる狼谷くんに、私は頷いた。
「うん、この真ん中の人だよ」
センターでにっこり笑う金髪の彼。愛嬌のある垂れ目が可愛らしい。
意外にも興味を持ったのか、狼谷くんは数秒観察した後、ぽつりと呟いた。
「金髪は校則がな……」
「え?」
「岬の髪色で割とギリギリらしいし。あれ以上明るいのは厳しいか……」
思案顔で首を捻る彼に、私は尋ねる。
「狼谷くん、髪染めるの?」
察するに、そういうことだろう。
唯斗くんを見て金髪に惹かれたんだろうか。でも、せっかく綺麗な黒髪なのにもったいない。
彼の頭髪を見上げていると、狼谷くんが至極当然のように言った。
「だって、羊ちゃんの好きなタイプってこういう人なんでしょ?」
「……ん?」
「髪は染めればいいけど、顔はな……整形するしかないし」
「え、えっと、ちょっと待って」
狼谷くんがまたとんでもないことを口走り出している。
慌てて手を振り、急いた気持ちのまま彼を諭す。
「私が好きなのは狼谷くんだよ? 好きなタイプというか、これはアイドルとして好きってことで……」
確かに唯斗くんはかっこいいなと思うけれど、それとこれとは別だ。金髪の人がいいというわけでも、可愛らしい顔立ちの人がいいというわけでもない。
「うん。でもこれからずっと一緒にいるんだし、どうせだったら羊ちゃんの好きな外見の方がいいよね?」
「いやいや……! そんなことしなくても大丈夫だよ! 狼谷くんはそのままでいいと思う!」
まるで私が間違っているかのような錯覚に陥ってしまう。狼谷くんが不思議そうに、そうするのが当たり前かのように、淡々と述べるから。
「気持ちは嬉しいけど、でも申し訳ないよ。狼谷くんの髪は狼谷くんのなんだから、好きな色にしよう? 私に合わせなくたって、私はそのままの狼谷くんが好きだよ」
彼はいつも私の好きなものを優先する。
今日だってそう。今までもそう。大切にされているのは痛いほど伝わってくる。
やり過ぎじゃない? って、たまに思うくらいに。狼谷くんはいつだって、私のことばっかりだ。
「ね? 帰ろう、狼谷くん」
彼の袖を引く。
正直、カップルの常識も決まり事も分からなくて。
それでもたった一つ、私は狼谷くんを好きで、大切にしたいということだけは確かだった。
「狼谷くんって、血液型何型?」
バスを降りて夜道を歩いた。
最後まで送ると言って譲らなかった彼に折れて、二人でゆっくり歩幅を合わせる。
「はは、どうしたのいきなり」
「えっ、いや……ちょっと気になって」
私、狼谷くんのこと何も知らないなあ。
ふとそう思って、手始めに血液型を聞いてみた。
彼は私の好みを不思議と把握しているというか、合わせてくれる。でも私はそんな器用なことはできないし、直接聞くしかない。
「俺はA型だよ」
端的に回答を終えた狼谷くんに、少し拍子抜けしてしまう。
「じゃあ、私は何型でしょうか」
「O型でしょ?」
「え! 正解!」
初対面の人にはA型っぽいと言われることが多いから、一発で当てられるとは思わなかった。
何だかまた狼谷くんに先を越された気がして、ちょっと悔しい。
「……私、狼谷くんのこと何も知らないね」
自分なりに気持ちを伝えているつもりだけれど、全然つり合っていない気がする。
零れた本音は思いのほか暗い声をしていて、いけない、と首を振った。
新しい話題を提供しようと口を開きかけた時、繋いでいた彼の手に力がこもる。
「知ってるよ」
くん、と引かれた腕。
立ち止まって振り返れば、真剣な眼差しでこちらを見据える狼谷くんがいた。
「羊ちゃんが一番俺のこと、分かってるよ」
本当に、そうだろうか。
時折見えなくなる。霧がかかったように彼の真意が遠くなる時がある。
「……一番、分かってて欲しいよ」
少し悲しげな声がして、手の平から体温が逃げた。
彼はまだ何か背負っているんだろうか。私には分け合い切れない何か、とても重苦しいものを。
「うん。そうだね」
やめよう、ぐだぐだ考えるのは。
知らないなら知ればいい。知りたいなら知りにいけばいい。
狼谷くんは困ったように笑って、それから私の背中に腕を回した。最初は優しく、やがて力強く。
私もそれに応えながら、ぼんやりと考える。
この大きな背中に映る寂寥感を、どうにか取り除きたい。それが明日できるのか一ヶ月後なのか、はたまた一年後なのかは分からないけれど。
「羊ちゃん、好き」
どこか不安げに私を呼ぶ声も、確かめるように伝えてくる好意も。ちゃんと全部受け止めて返していきたいと、強く思う。
「好きだよ。好き。大好き……」
狼谷くんの「好き」って、すごい。
毎日、何度だって聞いているのに、義務感というものが微塵も感じられない。毎回丁寧に気持ちがこもっている。
だから私は言われる度、心臓が高鳴って落ち着かなくなるんだ。心地良くて、温かくて、ずっとこうしていたい。
「うん。私も、好きだよ」
彼の背中をさする。
大丈夫だよって。心配しなくていいよって。ちゃんと伝わっているだろうか。
「羊ちゃん……」
吐息混じりの熱っぽい声が耳元に降りかかって、びくりと肩が揺れた。そのまま軽く耳朶を食んできた彼に、咄嗟に声を上げる。
「か、狼谷くん……! ここ外だからっ」
「うん……ちょっとだけ……」
ちゅ、と耳の中に小さく響くリップ音。
必死に唇を噛んで、濁流に飲み込まれないよう耐える。
「かわいー……羊ちゃん……」
「ひぁ……!」
耳の形をなぞるように彼の舌が這って、最後に吸いつかれた。
狼谷くんの腕が、私の腰を抱く。
「羊ちゃん、耳弱いね。可愛い……」
甘ったるい、嬉しそうな声が囁いてくる。
それにすら背筋が震えてしまって、彼は酷く満足そうだった。
「大丈夫、怖くないよ。……気持ちいいことしかしない」
「狼谷く、」
「好き」
たった二文字の低音に、腰が抜ける。
懸命にしがみついた先。
彼は飢えたような目をして、それから優しく私の頬を啄んだ。




