名前で呼ぼう
「ねえ、そういえば2人は、名前で呼んだりしないの? いま、はっきりしたよね?」
うっ……。
沙耶香さんが、単純に、私たちを見て楽しんでいる気がする。
「私だって、“雅人”って呼ぶよ?」
雅人くんは、沙耶香さんの彼氏さんで、私たちのクラスを盛り上げてくれる、ムードメーカー。
でも今は、そんなこと、どーでもいい。
「いや、でも……。その……」
ホントの恋人になってから、なんて言えない。
「まだ! 今は無理! いっぱいいっぱい!!」
それだけ言って、本に意識を集中させる。現実逃避だ。神宮さんが沙耶香さんに、「そういうわけだから」とかなんとか言っている。
――あぁもう、やんなっちゃうなぁ。
さっき、反省したのに。私はまた、“恋人”と言えない。
なんでだろう、と小さく呟いて、首を振る。
やっぱり、本物の恋人になりたいのだ。
部活を見学して帰る子もいるため、彩花さんも、その他の知らない子2名も、このバスには乗っていない。買い物帰りのおばちゃんが降りると、乗客は、私たち2人となった。
「名前で呼ぶ方が、不自然でないのだろうか」
「……そうかもしれない」
「なら、そうした方が」
「やだ」
わがままかもしれない。でも、許嫁だって許可したのだ。これくらいは、許して欲しい。否定の一言だけで黙ると、神宮さんが再度話しかけてきた。
「では、許嫁では、どう呼ぶんだ?」
「はぁ!? 許嫁のことなんて知らないよ。人間の世界で、“許嫁”なんて制度は、とっくのとうに滅んだと思ってたくらいだもん」
「では、みんなには“恋人”ということにしておくのだから、名前でいいじゃないか」
確かに、いいんだと思う。でもね。
「許嫁とか関係なく、本当に恋人になれるまで、呼ばない」
神宮さんは、初めはよくわからなそうな気がしていたが、途中で何かに気がついた様に、悲しげに目を伏せたように見えた。……気のせいかな?
「分かった。すまなかったな、勝手言って」
「ううん。わがまま言ったのは私だから……ごめんね」
少し、強く言いすぎたかな。そう思いつつ、私は、首を横に振って、視線を窓の外に移した。
神宮さんがならしたのであろう“次止まります”のアナウンスが、やけに大きく聞こえた。
家に帰ると、神宮さんも私も、普段通りに話し始めたが、どこか落ち込んだ雰囲気があったのは、お互い様のように聞こえた。
それでも、翌日には、神宮さんとの微妙な空気も薄れ、いつも通りの毎日が始まった。




