第1話 勇者も聖女も魔王も、まずは履歴書から
「柏木先生。職歴欄に“魔王討伐”と書いたら、また落とされました」
目の前の青年は、深刻な顔でそう言った。
神崎蓮、二十六歳。黒髪、整った顔立ち、背筋の伸びた立ち姿。黙っていれば、爽やかな青年に見える。
ただし彼は、五年前まで異世界エルガルド王国で勇者をしていた。
俺は差し出された履歴書を受け取り、職歴欄に目を落とす。
職歴。
エルガルド王国勇者軍所属。
主な業務内容。
魔王討伐。竜王との停戦交渉。瘴気汚染地域の解放。王都防衛戦における指揮補助。
内容はすごい。
すごいのだが、問題はそこではない。
「神崎さん」
「はい」
「この履歴書を、コンビニの店長が読んだとします」
「はい」
「たぶん、採用より先に警察か病院に相談されます」
教室の後ろで、元魔王が小さくうなずいた。
「人間社会とは、なかなか厳しいな」
「黒須さんも他人事ではありません」
俺は次の履歴書を手に取った。
氏名、黒須宗一郎。年齢三十二歳。本人いわく「便宜上の肉体年齢」である。
自己PR欄には、丁寧な字でこう書かれていた。
三大陸を統治し、百二十七の都市国家を傘下に収めた経験があります。反乱鎮圧、資源配分、忠誠度管理、粛清判断に強みがあります。
俺は赤ペンを置いた。
「粛清判断は消しましょう」
「なぜだ。迅速な意思決定能力だぞ」
「現代日本では、人材マネジメント欄に書く言葉ではありません」
「では、どう書く」
「組織運営、資源配分、危機管理。あと、利害関係者との調整」
「利害関係者」
黒須宗一郎は、その言葉を舌の上で転がすように繰り返した。
「つまり、従属諸侯か」
「だいたい違います」
ここは、国立帰還者社会復帰支援センター。
表向きは、長期離職者や社会復帰困難者向けの職業訓練施設だ。パンフレットには、ビジネスマナー、PC基礎、応募書類作成、面接対策、職場実習など、いかにも公共事業らしい言葉が並んでいる。
ただし、地下二階の第七教室だけは少し違う。
ここにいる受講生は、全員が異世界からの帰還者だった。
政府は彼らの存在を公表していない。社会的混乱、宗教利用、政治利用、軍事利用、SNSでの拡散。考えられる面倒は、だいたい全部起きる。
だから彼らは、一定期間の生活支援を受けながら、このセンターで現代社会への再適応訓練を受ける。
俺、柏木直人は、その職業訓練講師だ。
魔法は使えない。剣も振れない。魔王を倒した経験もなければ、王国を救った覚えもない。
元人材会社のキャリアアドバイザー。
俺の武器は、それだけだ。
「では、次。白瀬さん」
教室の前列で、淡い栗色の髪を結んだ女性が小さく肩を揺らした。
白瀬美莉亜、二十四歳。異世界では聖女ミリアと呼ばれていた。
戦争で傷ついた兵士を癒し、瘴気に侵された村を救い、何度も前線に立った人だ。本人はそれを、あまり誇らしげには話さない。
俺は彼女の履歴書を見る。
資格欄。
神聖魔法第七階梯。
広域浄化術式。
対瘴気結界維持。
死者蘇生未遂。
最後の一行で、教室の空気が少しだけ沈んだ。
白瀬さんは机の上で指を組み、目を伏せている。
「白瀬さん」
「はい」
「神聖魔法は、資格欄ではなく特技欄にしましょう」
「特技、ですか」
「現代日本の求人票で求められる資格は、医療事務、登録販売者、介護職員初任者研修、そういうものです。神聖魔法第七階梯は、採用担当者が確認できません」
「でも、私はそれしか……」
言葉が細くなった。
「それしか、できませんでした」
教室が静かになる。
神崎さんが何か言いかけ、黒須さんが腕を組んだまま目を細める。雨宮さんは背筋を伸ばしたまま、命令を待つ騎士の顔をしていた。
俺は赤ペンを置き、白瀬さんの履歴書を机に戻した。
「それしか、ではありません」
白瀬さんが顔を上げる。
「白瀬さんが異世界でしていたことを、現代の言葉に直すと、対人支援、傾聴、緊急対応、衛生意識、記録、チーム連携です」
「記録……?」
「治癒した人数、症状、術式、経過観察。覚えていますか」
「はい。前線では、治療の順番を間違えると助からない人がいたので」
「それはトリアージに近い経験です。もちろん医療行為としてそのまま書くことはできません。でも、緊急時に落ち着いて人を支えた経験は、福祉や医療事務の補助業務で強みになります」
「私のしたことが、仕事に……なるんですか」
「嘘を書く必要はありません。ただ、相手に通じる言葉に翻訳する必要があります」
白瀬さんは、何かを飲み込むように口を閉じた。
彼女はたぶん、仕事になるかどうかより先に、自分の過去がまだ使い物になるのかを聞きたかったのだと思う。
「先生」
教室の後ろから声がした。
古賀彰人。元大賢者。古代語、魔法理論、錬金術、星辰観測、禁書解読に精通している。
現在はExcelのセル結合で止まっている。
「私の資格欄に“大賢者”と書くのも駄目なのか」
「駄目です」
「なぜだ。王立学院では最上位称号だった」
「日本の求人サイトに選択肢がありません」
「では、何と書けばよい」
「文献調査、データ整理、学習能力、資料分類。あと、まずMOS資格の勉強をしましょう」
「私は大賢者だぞ。なぜMOS資格の勉強を」
「その大賢者様が、昨日オートフィルで同じ日付を三十個並べていました」
古賀さんは黙った。
勝った、という顔をしてはいけない。講師は勝負をしているわけではない。
ただ、少しだけ勝った気はした。
「雨宮さん」
「はい!」
教室の空気が一段硬くなった。
雨宮塔子、二十八歳。元竜騎士団長。姿勢がよすぎて、椅子に座っていても整列しているように見える。
職務経歴欄には、こうあった。
第三竜騎士団長。
王都上空防衛。
敵飛竜部隊撃墜。
撤退拒否者の鼓舞。
「雨宮さん、“撃墜”は消しましょう」
「なぜです。安全確保です」
「現代の警備会社では、空から来る敵を想定していません」
「では、地上から来る敵を?」
「敵という言い方をやめましょう」
雨宮さんは真剣な顔でメモを取った。
敵、という言い方をやめる。
「ちなみに、報連相はできますか」
「報告、連絡、総攻撃ですね」
「最後が違います」
「霧島さん」
返事がない。
「霧島さん?」
「はい」
声はした。
だが、姿が見えない。
教室の一番後ろ、カーテンの影のような場所で、細い青年が手を上げていた。
「いつからいました?」
「始業五分前から」
「出席確認のとき、返事しました?」
「気配を消していました」
「次から消さないでください」
霧島さんは、ほんの少しだけ申し訳なさそうにうなずいた。
彼の履歴書は、ある意味で一番難しい。
職歴欄には何も書いていない。
ただ、余白に小さな文字で「潜入、観察、排除」とだけある。
「排除は消しましょう」
「はい」
「潜入も、できれば消しましょう」
「はい」
「観察は残せます。精密検査、品質確認、デバッグ、夜間警備。そういう仕事では、強みになります」
霧島さんの目が、ほんのわずかに開いた。
「目立たないことも、仕事になりますか」
「なります。むしろ、目立たない仕事ほど社会を支えています」
俺は教卓に戻り、全員の履歴書を重ねた。
勇者、聖女、魔王、暗殺者、賢者、竜騎士団長。
異世界なら、歴史書の一章を任されるような人たちだ。
だが現代日本では、履歴書の書き方でつまずき、面接で落ち、労働契約書を読めず、Excelの罫線に敗北する。
それは彼らが弱いからではない。
強さの単位が違うだけだ。
「全員、一回書き直しましょう」
教室のあちこちから、うめき声が上がった。
「またですか」
「職歴とは、なかなか奥が深い」
「資格欄が空になります」
「私は存在欄から始めた方がいいでしょうか」
「霧島さんはまず出席欄からです」
俺はホワイトボードに大きく書いた。
職能翻訳。
「異世界の実績を、そのまま現代の履歴書に載せると、実績ではなく怪文書になります」
神崎さんが胸を押さえた。
「怪文書」
「でも、過去をなかったことにする必要はありません。魔王討伐は、極限環境下での長期プロジェクト遂行。聖女の治癒活動は、対人支援と緊急対応。魔王軍統治は、大規模組織運営。暗殺任務は、観察力と精密作業。古代魔法研究は、文献調査とデータ整理」
俺は一人ずつ見る。
「あなたたちがしてきたことは、全部消えません。ただ、そのままでは今の社会に届かないことがあります」
白瀬さんの手が、膝の上でかすかに震えていた。
俺はそれに気づかないふりをした。
人前で指摘すると、彼女は謝る。謝る必要のないことまで、全部自分のせいにする。
以前、彼女は介護施設で働いていた。
人手不足の現場で、頼まれた仕事を断れず、残業を断れず、理不尽なクレームにも頭を下げ続けた。
そしてある日、出勤前に駅のホームで立てなくなった。
聖女だった人が、自分を救う方法を知らなかった。
「今日の課題です」
俺はプリントを配った。
「履歴書の職歴欄と自己PRを、現代の採用担当者が読める言葉で書き直してください。盛らない。嘘を書かない。異世界固有名詞は使わない」
「魔王という単語も駄目ですか」
「駄目です」
「勇者は」
「駄目です」
「聖女は」
「駄目です」
「大賢者は」
「駄目です」
「暗殺者は」
「絶対に駄目です」
霧島さんが静かにメモを取った。
そこはメモを取らなくてもいい。
授業終了のチャイムが鳴る。
受講生たちは、文句を言いながらもプリントを鞄にしまっていく。黒須さんは「粛清を面談に変換」と真剣に書き込んでいた。古賀さんは「MOS資格」と小さくつぶやき、神崎さんは職歴欄の「魔王討伐」に二重線を引けずに固まっている。
白瀬さんだけが、席に残っていた。
「白瀬さん」
「はい」
彼女は反射のように背筋を伸ばす。
「明日、少し面談しましょう」
「履歴書のことでしょうか」
「それもあります」
俺は彼女の履歴書を見た。
退職理由の欄は、空白だった。
書けなかったのではない。
書いてはいけないと思っている顔だった。
「次に人を助ける仕事に戻る前に、まず“助けを求める練習”をしましょう」
白瀬さんは、困ったように微笑んだ。
「私が、ですか」
「はい」
「私は、助ける側でした」
「今は、助けられる練習も仕事のうちです」
彼女は何も言わなかった。
教室の窓は地下だから、外の光は入らない。
それでも白瀬さんは、まぶしいものを見るように目を細めた。
帰還者社会復帰支援センター、地下二階、第七教室。
勇者も、聖女も、魔王も、まずは履歴書から。
世界を救った人たちの再就職は、今日も赤ペン一本ではじまる。
ここまで読んで「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると更新の励みになります。




