闇の告げ人
どこかで、空気が軋んだ。
影風の言葉が途切れた瞬間、空間の外…遠くから、木々が倒れる音が響き渡った。
遥花はびくりと肩を震わせる。
「なに……この音……?」
影風が眉をひそめ、周囲を見渡した。
半円型のこの空間から、いくつかどろりとした黒が染み出した。
腕のようなもの。
否、正確には“影そのもの”が、手足の形を取って蠢いていた。
それらは、伸縮しながら地面を這い、木々をなぎ倒し、空気を濁らせていく。
この空間がまるで生き物のように、呻き声を上げていた。
「……動き出したか。」
影風が低く呟いた。
「この空間そのものが、言霊によって構成されているものなのです。密談にはもってこいなのですが……時間が経つと、生き物のように動き出すのが玉にキズで…。」
その時、少し遠くから声が飛んだ。
「――影風、限界だ。封じるぞ。」
男の声。影風の仲間のようだ。
どうやらこちらから声が届かないことは百も承知らしい。すぐに空間の外で封印を始めた。
「時間か。」
影風は舌打ちするように息を吐いた。
黒い影が震え、空間全体が大きく軋む。
遥花は思わず涼のそばへ駆け寄る。
「涼くん!」
少年はまだ目を閉じたままだが、顔色は悪くない。
息もある。
だが、空間の外は影が暴れ、影風の仲間の攻撃はこちらまで響いてくる。
その瞬間、悠理と奏多が現れた。
「――悠理!」
遥花が思わず名を呼ぶが、向こうには届かない。
悠理はすぐに周囲を見渡し、影風の仲間を視認した。
その表情が険しくなる。
「……あいつは、久遠の者じゃない。封じさせるな、奏多!」
「了解!」
奏多が一瞬で跳び出す。
手にした刀の軌跡が光を描き、封印を阻止するため斬り込む。
「くっ……!」
影風の仲間は刀を受け、その身を翻して応戦した。
金属が擦れるような音が響き、お互い一歩も譲らない。
互いの力がぶつかり合い、たくさんの火花が散った。
その光景を見つめながら、影風は静かに息を吐いた。
そして、遥花の前に進み出る。
「遥花様。」
彼の声は先ほどまでの穏やかさを取り戻していた。
「突然の話で、さぞ驚かれたことでしょう。
ですが、どうかこれだけはお伝えしたくて。」
彼は懐から小さな笛を取り出した。
白木のような質感で、手のひらに収まるほどの大きさ。
そこには細かく文様が刻まれ、淡く光を放っている。
「私は今、“幽淵”に身を寄せています。
今のあなたには、私を信じる理由がないでしょう。
ですから、無理に共に来てほしいとは申しません。
ですが、もし…私に連絡したくなった時は、これをお使いください。」
遥花は笛を受け取る。
指先が触れた瞬間、笛がかすかに震えた。
「これを吹けば、私の使い魔がそちらへ参ります。
文を託せば、必ず私のもとへ届くでしょう。」
影風は目を細めた。
その声は、どこか懐かしいものを思い出すような響きを帯びていた。
「それと、先ほどは言いそびれましたが、私は“異界から来た者”を何人か見つけています。
彼らの話をお聞きになりたい時も、どうか遠慮なく連絡を。」
その言葉の直後、空気が裂けた。
悠理の声が響く。
「――封ぜよ!」
詞鏡が強く光を放ち、暴走していた影の全てが吸い込まれていった。
呻き声のような低音が空気を震わせ、やがて静寂が訪れる。
遥花が顔を上げると、影風の仲間の姿はすでになかった。
どうやら奏多も追って行ったようだ。
封印の隙間、影が吸い込まれてできた一瞬の裂け目を、影風は見逃さなかった。
黒衣の裾を翻し、彼はその中へと消える。
ほんの一瞬、目が合った。
その瞳には、確かな哀しみと、決意が宿っていた。
やがて、影は完全に消えた。
暗闇が薄れ、夜明け前のような静けさが広がる。
遥花は気づけば、涼の隣に座っていた。
彼はゆっくりと目を開ける。
その瞳はまだ少しぼんやりしていたが、確かに彼自身のものだった。
「……あれ、昨日のお姉ちゃん?」
「うん、もう大丈夫。」
安堵の息が漏れる。
けれど、その胸の奥では、まだ影風の言葉が重く響いていた。




