祠の裏で待つ声
陽が高くなるにつれて、里のあちこちから人々の声が聞こえてきた。
木々の間を縫うように伸びる小道では、旅の者たちが肩を並べ、清めの水を汲む姿が見える。
遥花たちはそれぞれ手分けして、少年・涼を探すことにした。
散っていった三人。
遥花は里の中心にある参道を歩きながら、行き交う人々の顔を注意深く見つめていた。
それにしてもこの里には、本当に多くの旅人がいる。
どこか不思議な安心感を求めてやって来るのだろうか。
そんなことを考えながら角を曲がった時だった。
不意に背中へぶつかる衝撃。
「わっ、ごめんなさい!」
「あら、ごめんなさい。大丈夫?」
声を掛けてきたのは、淡い緑の衣をまとった若い女性だった。
髪を高くまとめ、柔らかい笑みを浮かべている。
「大丈夫です、こちらこそ前を見てなくて。」
そう言って頭を下げたその時、女性が何かを差し出した。
「落としましたよ。」
「え……?」
遥花は思わず首をかしげる。
手渡されたのは、折りたたまれた小さな紙片だった。
「いえ、私のじゃ――」
言いかけた瞬間、女性はにこりと微笑み、
「はい、どうぞ。」
と軽く押し付けるように手を重ね、そのまま人混みの中へと消えていった。
取り残された遥花は、しばらく呆然と紙を見つめた。
自分のものではない。だが、何か妙な違和感が胸を刺す。
辺りを見回したが、もう女性の姿はなかった。
迷った末、彼女はゆっくりと紙を開いた。
そこには、震えるような筆跡でこう書かれていた。
『少年を預かっている。
無事に解放してほしければ、誰にも告げず、ひとりでこの場所へ来い。』
続いて、地図のような簡単な絵が添えられている。
里の外れ、祠の裏手の小道を指し示していた。
息をのむ。
「……涼?」
そんなはずはない、と頭では否定しながらも、胸の奥がざわめいていた。
誘拐…そんなこと、この穏やかな里で起こるはずがない。
けれど、もし本当だったら? 助けを呼んだ瞬間に、彼が危険な目に遭うかもしれない。
遥花は唇を噛み、深く息をついた。
どうするべきか、わかっていた。
「……少し、別のところを探してみるって言えばいい。」
そう呟くと、彼女は皆の元へ戻った。
「ごめん、もう少し西の方を見てくるね。さっき気になる道があったから。」
遥花がそう言うと、奏多が眉をひそめた。
「一人で行くのか? ここは道が入り組んでる。迷うぞ。」
悠理も頷く。
「何かあったらすぐに声を上げろ。俺たちもすぐ向かう。」
「うん、ありがとう。すぐ戻るから。」
そう言い残して、遥花は踵を返した。
背後から風が吹き抜ける。陽光の中、彼女の影が細く伸びていった。
里の外れ、祠の裏手へ。
足取りは自然と早まっていく。
胸の鼓動が痛いほど響く中、遥花はひとり、静かな森の小道へと消えていった。
遥花は、里の外れにある細い山道を一人で歩いていた。
木々の葉が風に揺れ、微かに光をこぼす。鳥の声すら遠く、足音だけが小さく響く。
「この辺り、かな。」
手紙に書かれていた地図をもう一度開き、彼女は立ち止まった。
“湖を背にして南へ百歩。大樹の根元にて待つ”
そう書かれている。
胸の奥がざわついていた。
息を整えながら、遥花は周囲を警戒するように目を走らせる。
その時、木々の間にちらりと白いものが見えた。
「……涼くん?」
小さな影が、陽の当たらない大樹の根元に座り込んでいる。
間違いない、母親が探していた少年、涼だった。
「涼くん!」
遥花は叫び、駆け出した。
草を踏みしめる音が、風の中に吸い込まれていく。
(もう少しで届く。あと少し。)
だが、次の一歩を踏み出した瞬間、世界が変わった。
足元から影が広がり、あたりの光が急速に薄れていく。
空気が凍りついたように冷たく、風の音が消えた。
目の前の景色は確かにそこにあるのに、どこか透けて見える。
まるで薄い膜を隔てた別の空間に迷い込んだようだった。




