六里へ
社殿の最奥、玉座の間。
灯りは低く、影が畳にやわらかく落ちる。悠理は膝をつき、簡潔に頭を下げた。
「遼原での任を終え、帰還いたしました。先ほど、言霊庫中霊の間より暴走が発生。先代・遥斗様、綴る者・遥花、従者・陽路と共に収束させました。」
簡潔な報告に、長老がうなずく。
「そうか……遥花は、どうであった?」
問いかけは穏やかだが、瞳には探る光が宿っている。
悠理は少し間を置き、戦闘の情景を思い起こす。
「力そのものは健在です。線を結ぶ本能は衰えていない。ですが……最後の詰めで迷いが出ていました。踏み込みが浅く、呼吸もわずかに乱れる。まるで、自分の力を信じ切れていないような――そんな印象でした。」
その他の重鎮たちは互いに目を交わし、やがて天響の里の長老が口を開いた。
「やはり……伝えておかねばなるまい。遥花は、異界から戻った折に記憶を失っていたのだ。綴る者としての歩みも、多くを思い出しておらぬ。」
悠理の表情がわずかに揺れる。
(……そういうことか。迷いの理由は、そこにあったか。)
彼は静かに頭を下げる。
「納得しました。……ならばこそ、実戦に触れさせるべきです。封を描く感覚は身体に染みついています。務めを重ねれば、自然と思い出すでしょう。」
天響の里の長老は静かに目を閉じ、しばし考えた。
やがて重々しく頷く。
「……なるほど。おまえの進言は理にかなう。」
「――記憶を失ったとはいえ、遥花は綴る者である。」
「その詞脈を眠らせておくことは、久遠にとっても損失だ。実戦でこそ磨かれるならば……各里を巡らせる他あるまい。」
「異を唱える者は?」
静寂。誰も声を発しない。
「決まりだ。遥花には六里を巡らせ、務めを助けつつ記憶を呼び起こさせる。陽路は従者として同行。禍ツ者の件もあるので、悠理はこの里に残ってもらうが、必要に応じて合流し、経過を見てもらうとしよう。」
「承知。」悠理が一礼する。
翌日。
陽路と遥花は玉座の間に呼ばれ、正座していた。
遥花の胸は緊張で速く鼓動する。陽路は隣で姿勢を正し、ただ落ち着いた気配を崩さない。
長老が口を開く。
「遥花。おまえは記憶がないまま戻った。だが綴る者の力は確かに宿っている。これを眠らせておくことはできぬ。」
淡々とした声に、厳しさがにじむ。
「よって――おまえを六里へ巡らせる。各里の綴る者を助けながら務めを果たし、その中で力の扱いを取り戻せ。」
遥花の瞳が揺れる。
「……六里を……巡る……?」
陽路がすぐに一歩進み、深く頭を下げた。
「お言葉、確かに承りました。遥花様を必ずやお守りし、務めを全うさせてみせます。」
長老は短く頷く。
「旅立ちの前に、詞神殿にて武器を授かれ。綴る者としての器を示す儀だ。」
遥花は唇を引き結び、恐れと覚悟を胸に抱く。
(……私にできるだろうか。でも、やらなきゃ。)
その横で、陽路の背筋は凛と伸びていた。




