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和風異世界物語~綴り歌~〈久遠編〉  作者: ここば


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港に残ったもの

港の関所に、重たい沈黙が落ちた。

剣戟の音も、怒号も、波音さえもすべてが一瞬、遠のいたように感じられる。


遥花は、腕の中の茜を抱き締めたまま動けずにいた。

掌に伝わるのは、確かな体温と、指の隙間から零れる血の温かさ。


「……茜、ねえ……」


名を呼ぶ声が、震える。

応えはない。


茜の睫毛は伏せられたまま、呼吸も浅い。

胸が上下しているのが、かろうじて分かるだけだった。


「大丈夫だ、息はある!」


陽路が駆け寄り、素早く状況を確認する。

だがその表情は、決して楽観的ではなかった。


「刃は深い。……すぐに手当てが必要だ。」

「私がやります!」

薫が即座に膝をつき、茜の傷口に布を当てる。

血を止める動きは慣れているが、それでも眉間には皺が寄る。


「……これは深いな。」

誰にも聞こえないほど小さく、そう呟いた。


その少し離れた場所では、恭弥が地に縫い止められたまま、荒い息を吐いていた。

足を貫く刃、そして視線の先にある、血に染まる茜。


「……っ……」

何か言おうとして、言葉にならない。


颯牙が、ゆっくりと歩み寄る。

「……なあ、恭弥。」


怒りは、もう声にない。

あるのは、深い疲労と、どうしようもない失望だった。


「ここまでして……何をしたかったんだ?」


恭弥は、唇を噛みしめる。

その視線は、遥花でも、颯牙でもなく茜に向けられていた。


「……したいこと?」

かすれた笑い。


「違う……」

言葉を選ぶ力も、もう残っていない。

「俺には……もうこの選択しか残されなかったんだ。」


颯牙は、一瞬だけ目を伏せた。

「……何でだよ、一緒にこれまでやってきたじゃないか。俺は頼りなかったか?」

沈黙。


その空気を切り裂くように、悠理が弓を下ろしながら歩み寄る。

「幽淵側は撤退した。追撃はしない。」


冷静な声だったが、その瞳は硬い。

「今は……こっちを優先する。」

視線は、茜へ。


遥花は、唇を噛みしめたまま頷く。

「……お願い。助けて。」


その一言に、記憶も立場も関係なかった。

ただ、“今、目の前で失いたくない存在”への、必死な願いだった。

伊吹が、関所の外へ目を向ける。

「港の医療詰所が近い。急げば間に合う可能性はある。」

「俺が運びます。」

奏多がすぐに名乗り出る。


迷いのない連携。

薫と陽路が血止めを続ける中、茜の体はそっと持ち上げられる。

その瞬間、茜の指が、微かに、遥花の衣を掴んだ。


「……っ!」

遥花は息を呑む。


「茜……?」


かすかな声。

「……ごめ……なさい……」

それだけを残して、指は力を失った。


遥花は、何も言えなかった。

ただ、何度も頷く。


「ううん……いい……何も……」

声にならない言葉を、胸の中で繰り返しながら。


港の灯りの下、久遠側は目的を果たしたはずだった。

茜を取り戻し、詞鏡も破られていない。


それでも――

この夜が、誰にとっても“勝利”とは呼べないことだけは、はっきりしていた。


そして、幽淵の闇の向こうへ消えた烏丸と影風は、この出来事を、決して無駄にはしないだろう。

嵐は、まだ終わっていない。



幽淵の空は、久遠よりも重かった。

薄曇りの空の下、簡易とはいえ手当てを受けた二人は、それぞれ別の輿に乗せられていた。


恭弥と茜。

同じ船に乗ることは許されなかった。


恭弥は足と手を厳重に拘束され、刃物はもちろん、衣の内側まで細かく改められている。

茜も同様だった。


包帯の下の傷は深く、顔色は悪い。

「……目を離すな。」

護送役の兵が、低く声を交わす。

自害の恐れがある。それが、二人に共通して向けられた警戒だった。


久遠へ向かう道中、遥花の胸の奥で様々な感情が渦を巻いていた。

怒りも、悲しみも、混乱も、すべてが絡まり合っている。

それでも――今は、向き合わなければならない。


久遠の海域に入ったとき、空気が変わった。

張り詰めていた緊張が、わずかに緩む。

それでも、事は終わっていない。


二人は別々の場所に収容された。

恭弥は、かつて使われていた地下の石牢へ。

茜は、医療施設に近い監視付きの部屋へ。

どちらも、扉の外には常に人がいる。


久遠に戻り、天響の里に戻ってから数日は、雨が降っていた。

音もなく、ただ地面を濡らすだけの、静かな雨だ。


石造りの牢屋は、里の奥まった場所にある。

外界と隔てるため、内側から扉は開かない。

中にいるのは、かつて同じ綴る者として仲間だった男、恭弥。


足には治療と同時に施された拘束具。

傷は塞がれているが、逃げるための自由はない。

そして何より、自害を防ぐため、常に気配が監視されていた。


扉の前で、遥花は一度だけ息を整えた。


「……行こう。」


隣で悠理が、短く頷く。


重い音を立てて扉が開くと、薄暗い室内に灯りが差し込んだ。

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